2015/12/27 ルカ二三章50~56節「再び、飼葉桶へ」
アドベント、クリスマスを挟んで、お休みしていました、ルカの福音書の講解に戻ります。けれどもタイトルは「再び、飼葉桶」。クリスマスが続いているのか、何か間違えたのではないかとか心配された方もいるかもしれません。クリスマスに読まれますキリストの誕生は、
ルカ二7男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
とあります。この飼葉桶とは、よく木で造られたおしゃれで、赤ちゃんを寝かせるのに打って付けの箱として描かれますが、少し前から民俗学が進んだ結果、当時の飼葉桶はもっと粗末に壁に掘った穴のようなものだ、と言われています。家畜用に餌を入れておけばいいのですから、石壁をくりぬいて飼葉を突っ込んでいたようです。産まれたばかりのイエスは、布に包(くる)まれて、冷たい石壁の横穴に置かれました。そう考えますと、今日の二三章、十字架の上で最後の息を吐き出されたイエスのからだを、アリマタヤのヨセフがピラトに許可を得て、
二三53それから、イエスを取り下ろして、亜麻布で包み、そして、まだだれをも葬ったことのない、岩に掘られた墓にイエスを納めた。
とあるのが、重ならないでしょうか。産まれたばかりのイエスも、十字架で死んだイエスのからだも、ともに布に包まれて、岩に掘られた穴に横たえられました。
教会の初期から、イエスの十字架の死を受け入れられない人々は多くいました。勿論、キリストを信じない人々はそうでした[1]。しかし教会の中にも、主イエスが普通に死なれたとは思いたくない人々が多くいました。極端なのは、26節で出て来た
「クレネ人シモン」
が実はイエスと入れ替わって、十字架に掛けられたのはシモンであって、イエスは十字架に苦しんだりせずに見えない所で人々を見て笑っていたのだ、という考えです。これは「グノーシス主義」と呼ばれる異端でしたが、しかし、この異端に魅力を感じて、流されたキリスト者が非常に多かったのです。初代教会最大の危機となるほど説得力があったのです。それは否定されたとしても、キリストの死の事実と復活の勝利を強調して、その間の死体となって葬られたキリストには、あまり目を向けたくない人は未だに多いでしょう。死んだけれどもよみがえった。それは事実です。でも、その間に、ここに書かれ、多くの画家たちが描いてきた通り、十字架に垂れ下がったキリストがおられました。手足はダランと垂れ下がり、顎はガクンと垂れて、瞳孔も肛門も弛緩して、本当に死なれたのです。アリマタヤのヨセフに取り下ろしてもらわなければならず、布に包まれて葬られ、日曜の朝まであった亡骸もキリストのお姿でした。布に包まれ、そのままでは臭くなるので、香料と香油をタップリと塗ってもらう必要のある、神々しさの欠片もない、普通の死体となったのです[2]。
しかし、人間はそういうふうには考えたがりません。映画の「ベンハー」は、十字架のキリストの血がベンハーの母と妹二人の重い病気を癒やした奇蹟をクライマックスにします。キリストの体には不思議な力があったというドラマの方が、私たちはホッとするのです。ヨセフがキリストの体を取り下ろしている時に病気が治ったとか、ヨセフの涙がキリストに零れた時に、キリストがよみがえったとか、何とかそこに劇的な力を見てとりたい。現代でも、「クリスマスの奇蹟」とか「愛の力が奇蹟を起こした」とか、そんな話が次々と産まれます。その裏には、私たち自身、死や無力になりたくない恐れがあります。信仰においても「祈りの力」「信仰の奇蹟」といった特別な物語に憧れています。でも自分の身の回りにはそういう奇蹟が見られないなら、幻滅や虚しさを抱えることになります。また、神がおられて、イエスが私を愛しておられても、自分の生活、この一年の歩み、周囲の状況などに、神が働いてくださらないのは、自分の信仰に問題があるからだと思い込んでいる方もいるかもしれません。
イエスが来られるとはそのようなことではありませんでした。本当に人となり、マリヤの胎に宿って産まれ、神童ぶりなど発揮せずに、布に包まれて寝かされました。そして、その十字架の死にご自身を生け贄として差し出すという最大の御業に命を捧げられた後も、特別な余韻や奇蹟の花を咲かせることはなさらず、無力なまま、助けられて取り下ろしてもらって、布に包まれて、墓に納められたのです。そして、この金曜日の日没から、日曜の夜明けまで、キリストは本当に死なれたのでした[3]。そんな惨めで格好悪いのはイヤだなぁなどと言われず、それもまた人間の姿として、マリヤやヨセフの世話にご自身をすっかりお委ねになったのです。
しかし、そのアリマタヤのヨセフという人の行動は光っています。彼は、ユダヤの最高議会の議員で、立派な正しい人でした[4]。彼は
「神の国を待ち望んでいた」
人で、議会がイエスを逮捕し処刑しようとした動きには同意していませんでした[5]。同意はしていませんでしたが、反対したとも記録されていません。欠席して、棄権したのでしょう。彼のように、立派で正しいけれども社会的な地位のある人は、自分の地位を捨ててまで正しい選択をすることは難しく、何とか責任を回避したり、欠席したり、「同意はしなかったんだ」と言い訳するのが関の山となりがちです。イエスご自身が、ハッキリ仰ったのです。
十八24「裕福な者が神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。
25金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
しかし、この時ヨセフが立ち上がりました。男の弟子たちが誰もおらず、女性たちも遠くから見るだけの中、彼はピラトに下げ渡しを願い出ました。そして、召使いなどもいたでしょうに、自らが血と汗と排泄物で汚れたイエスの体を取り下ろし、布に包み、自分の墓に葬ったのです[6]。それは、彼がただイエスを愛して、敬ったからですね。復活を信じていたからでもないし、期待したからではありません。奇蹟や御利益を当て込んだからでもありません。むしろ、この行動で彼はすべてを棒に振ったかもしれないのです。それでも、彼は、損得とか、御利益とか賞賛とか、そんなことではなく、ただイエスを愛し敬うから、行動したのです。これは決して、ヨセフ個人の立派さや人徳のせいではありません。むしろ今まで黙っていたのに、この最悪のタイミングで行動を起こしたことは、説明がつきません。
十八27イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」
イエスの死は、腰の重かったヨセフを変えました。イエスご自身は完全に死んで、栄光の欠片も見られませんでしたが、そのイエスを丁重に葬ろうと行動したヨセフの姿に、神の御業があります。そのヨセフの姿も私たちへの光です。イエスが、飼葉桶から始まり墓に横たえられる生涯にまで、ご自身を捧げてくださった、それも私たちへの光です。人が弱く、惨めで、無意味に思える時があります。自分もそういう所を通ります。でも、そんな惨めな思いをせずに済ませるより、むしろ、その小さな存在が尊ばれ、大切にされ、喜ばれ、そのためには自分の見栄や地位も擲(なげう)つような思いへと、造り変えていくことに、神の力の醍醐味があるのです。
「主よ。あなたの愛、最善のご計画、何一つ無駄のない導き、失敗をも益へと用いて下さる御力に、縋って年の瀬を迎えています。様々なことで心が弱くなる時、何も出来ない時、そこでも自分を差し出すことが出来ますように。この年の歩みを振り返り、新しい年に踏み出す今、どうぞ主を信じる者の喜びと平安と勇気とを、力強く与えて、栄光の朝までお導きください」
[1] 「Ⅰコリント一23しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、24しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。」 使徒の働きでは、ユダヤ人が、「十字架につけられたキリスト」などは神への冒涜であるとしてつまずき、ギリシヤ人が「死者の復活」を聞くとあざ笑って帰って行ったことが記されています。
[2] ルカでは56節で用意された「香料と香油」は、二四1で女たちが持って墓には行くものの、その時にはすでにキリストは復活されていたので、塗ることはなかったという筋書きになっています。しかし、ヨハネ十九39では「没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。そこで、彼ら[アリマタヤのヨセフとニコデモ]はイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。」と伝えています。これは、相当な高貴な埋葬方法でした。
[3] 「イエスの墓の周りには、深い休息がありました。世界の創造を成し遂げた神は七日目に休息なさいました。「この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された」(創世2・3)とあります。/ イエスは人々の罪の贖いを成し遂げた週の七日目に、御父から託された業をすべて成就し、墓で休息なさいました。悲しみのあまり打ちひしがれた女たちも、イエスとともに休息しました。歴史上のあらゆる一日の中で、この聖なる土曜日-大きな石で墓をふさがれ、いえすの体が沈黙と暗闇の中に横たわった土曜日(マルコ15・46参照)-は、神が独り静まった日です。一言の言葉も発せず、何の宣言もなさらない日でした。すべてを創造した神の言が、地の暗闇の中に横たえられ、葬られました。この聖なる土曜日はあらゆる日の中で、最も静寂に包まれた日です。/ この静けさが、最初の契約と第二の契約とを、イスラエルの民といまだ知られざる世界とを、神殿と聖霊による新しい礼拝とを、血の生けにえとパンとぶどう酒の献げ物とを、律法と福音とを、結びつけます。この聖なる沈黙は、かつてこの世界が知ることのなかった、最も実り豊かな沈黙です。この沈黙の底から、再び言葉が発せられ、すべてが新しくなります。イエスが沈黙し、独りになって休息したことから、神について多くのことが学べます。それは、多忙ということのない、その徴候さえもない、何もしないという休息です。神の休息は、心の深い休息であって、たとえ死の勢力に取り囲まれようと、それを耐え抜くことができるほどの休息です。この休息は、隠された、ほとんど目に触れない私たちの内なるものが、いつ、どのようにかは定かでないにしても、豊かな実を結ぶという希望を与えてくれます。」『ナウエンと読む福音書』137-138ページ。
[4] アリマタヤのヨセフについては、「有力な議員」(マルコ十五43)、「金持ちで…彼もイエスの弟子になっていた」(マタイ二七57)、「イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していた」(ヨハネ十九38)とあります。また、この墓についてはヨセフが用意していた墓(「まだだれも葬られたことのない新しい墓」(ヨハネ十九41)であり、「岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓の入り口には大きな石をころがしかけて帰った」(マタイ二七60))でした。
[5] 正しく、神を待ち望んでいたアリマタヤのヨセフは、「正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた」シメオンと通じます(二25)。シメオンも、幼子イエスを腕に抱いて、神を誉め称えました。両者とも、神を待ち望み、また、それとは相容れない小さく無力なキリストを自分の腕に抱いたのでした。二38も参照。
[6] この「だれも葬ったことのない」は、ロバの子が「まだだれも乗ったことのない」(ルカ十九30)との共通性があるでしょう。それはもちろん、「まだ男の人を知りませんのに」(ルカ一34)マリヤがイエスの母として選ばれたこととも通じています。それは、聖さ、聖別、このために取り分けられていた特別性を表します。