賀川豊彦記念館クリスマス会
「へりくだつて行く勇気と愛を」
2014年12月23日
鳴門キリスト教会で、今年の四月から牧師になりました、古川和男と申します。昨年の丁度今頃、初めて、徳島の地を踏み、正式に引っ越したのが春です。まだ鳴門のことも徳島のことも知らないことだらけです。今日は、「クリスマス会で、クリスマスについてお話しを」と言うことで、喜んでお引き受けしました。折角ですから、この機会に、賀川先生が、クリスマスについてどんなお話しをされたのだろうか、クリスマスに教会で説教された資料はあるのだろうか、と調べて、いくつか読んでみることにしました。その中で見つけたのが、今日、タイトルにしました言葉、「へりくだつて行く勇気と愛とを」という言葉です。これは、賀川豊彦先生の文章です。「光の子の勇躍 -クリスマスの意味-」という文章の最後に、祈りが書かれていて、その中に出て来ます。全部を読んでみます。
父なる神 煙突の立並ぶ世界に於ては、われらに魂の自由はなく、空が曇つて居るやうに我々の魂も曇り勝ちであります。願はくは父よ、星に導かれて、キリストを拝せし人々の如く、我々にキリストの光を照し給へ。あなた御自身を我々の魂の中に生れさす、真のクリスマスを経験させて下さい。キリストにつく一人一人を選び、キリストの代表者として使命のある処にキリスト精神をもつて化身し、へりくだつて行く勇気と愛とを与へて下さい。そして困つてゐる人々に常につくす愛を持たして下さい。/日本の闇は深うございます。どうか、いと小さきキリストとして化身することを得さしめ、各々に新しいクリスマスの意義を発見せしめて下さい。主によつて祈ります。アーメン[1]
「へりくだつて行く勇気と愛」。これが、賀川先生のクリスマスを言い表している、と言っていいのではないでしょうか。
ご存じではない方もおられるかも知れませんが、クリスマスとは「キリスト」の「ミサ(お祭り)」という意味です。キリストの誕生をお祝いするのですが、これも賀川先生自身が書いている文章があって、聖書に「キリストの誕生日は12月25日だ」と書いている訳ではない。これは、もともとローマの冬至のお祭りでした。冬至とは、一年で一番日が短くなる日です。そのお祭りを、キリスト教が広まっていった時に、止めさせてしまうよりも、キリスト教のお祭りに取り入れてしまおうとした、という説が一番有力なようです。ですが、大事なのは、キリストの誕生日がいつなのか、ではないのですね。神の子であるキリストが、人間の一人となってこの世界に来て、普通の人間と同じように母マリヤからお生まれくださったという事実が大切なのです。そして、それが昔の一度きりで終わりの出来事ではないし、私たちにとってはどうでもよい出来事ではなくて、神様はいつも人間を深く心に掛けておられ、私たちとともにおられるお方だ、と喜び祝ったのです。神は、謙ってくださるお方で、高ぶる者(自分を正しいとする者、人間の中でも偉いなぁスゴいなぁと崇められる人)よりも、助けが必要な弱い人、底辺にいる人、自分なんか駄目だと心が砕けた人、そういう低い人の所にまで降りて来てくださって、ともにおられる。そういう信仰がクリスマスの信仰なんだ、と言うのです。
賀川豊彦先生が、神戸新川のスラム街に移り住んだのは21歳の時でした。徳島から神戸の神学校に入ったのですが、そこで喀血をし、死線を彷徨った末に、残り少ない自分の人生を貧民街での伝道に捧げようと決断した行動だったそうです。スラムの風紀は滅茶苦茶で、賀川の住んだ宿は一年前に殺人事件があった血痕も生々しく残っていて、喧嘩、売春、脅しは日常茶飯で、「もらい子殺し」という悲惨な現実もありました。親がわが子たちを虐待し、売り飛ばし殺すことさえあった中に、賀川は飛び込んだのですね。そこから、賀川の社会運動が始まったのだそうです。
実は、彼が貧民街に入ったのは、1909年のクリスマス・イブのことでした。何も好きこのんでクリスマスにそんなことをしなくても、と言う人もいるかも知れません。今でも、クリスマスぐらいは家族で楽しく過ごしたい、好きな人と二人きりでデートしたい、という雰囲気がありますね。楽しみに出かけようとすると仕事が入ったりしたら、「折角のクリスマスなのに…」と言うのではありませんか? そういう感覚で言えば、賀川が貧民街に入るのも、クリスマスが終わってからにしてもいいんじゃないか、と同情を込めて思うでしょう。けれども、賀川先生にしたら、クリスマスこそ、相応しかったのではないでしょうか。「神の子が謙って、天から降りて来てくださった。そして、低い者を愛してくださった。だから自分も、スラムの人にキリストの愛を伝えよう。折角のクリスマスなのに、じゃなくて、クリスマスだからこそ、自分もそこに行こう」と思ったのではないでしょうか。
賀川は、自分が特別なことをしている、という意識はありませんでした。既に、賀川より先に、キリスト教者会運動家の多くが、クリスマスの精神をもって、ロンドンの貧民街で働いていた。そのことに賀川は、深い感銘を受けていました。「へりくだつて行く勇気と愛」を持って生きている先輩たちがいたことに倣って、自分の生き方を決めました。そして、その賀川先生が残した足跡が今でもこうして記念されていますし、多くの人に影響を与えているのではないでしょうか。そういう人の存在そのものが、クリスマスって言うのは、浮かれて楽しむだけのものとは全く違うお祭りなのだと思い出させてくれています。
もしクリスマスの意味を忘れて、ケーキを食べてプレゼントをもらって、ロマンチックに過ごせたらいいぢゃないか、と言っていたら、実は却って味気ないものになります。何かがあれば、「折角のクリスマスなのに」と気分を害されてしまうでしょう。病気になったり悲しいことがあれば、クリスマスを楽しんでいる人たちが目に入るだけでも、言いようのない苦しい気持ちになるでしょう。孤独がいつになく身に応える、一番キツい時になるでしょう。人生はそんなにハッピーな事ばかりではないからです。皆さんの中にも、今とても大変な思いをしている方がいるかもしれません。今年、大事な人が亡くなったとか、難しい病気になってしまったとか、家族が壊れそうだ、そんな人がいらっしゃって、ホントはクリスマスなんて気分じゃないんだよなぁと思いながらここに来られた方がいらっしゃるかも知れません。でも、賀川先生は言うのです。そういう人の所にキリストが来てくださったのがクリスマスなんだ。そして、賀川自身が、自分も貧民街に飛び込んでいったのですね。聖書の中に、クリスマスをこんな表現で伝えている言葉があります。
ヨハネ一5光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
真っ暗な闇、墨を流したような漆黒の闇も、光を打ち負かすことは出来ません。決して出来ません。光は闇の中で輝きます。クリスマスは、闇に光が届いたこと。クリスマスの喜びは、何かによって台無しにされるようなものではありません。夢も希望も持てないような人間の所にこそ、キリストが来てくださった。そういう愛があるんだ。だから、どんなことが起きても、「せっかくのクリスマスなのに」ではなくて、「こういうことが起きる私たちの所に、キリストがお生まれになったのだ」と思うことが出来る。だから私たちもそこで、謙っていく勇気と愛を持っていこう、そう思わされるのがクリスマスなのです。
今年103歳になられた、日野原重明先生がこんな文章を書いているのを見つけました。1959年に賀川豊彦先生が亡くなる前年のクリスマスの朝です。
「私は昭和34年12月25日のクリスマスの朝、先生をご自宅に往診しましたが(55年前、日野原先生が58歳のときの記録です)、その時、先生は米国の友人から送られたW. オスラーの内科教科書(16版)の扉に寝たままで、こう書かれていました。この字は先生の絶筆でしょうから、きわめて貴重なものだと思います。
太陽は 世界隅々 照らし行けど、
之を蔽う 罪の黒幕
之を取り去る愛と従十字架
感謝の1959年のクリスマス
賀川豊彦」
太陽は世界の隅々まで照らしているが、それを罪の黒幕が覆っている。でもそれを、取り去るのが愛と十字架がある。もう起き上がれない中、社会事業も奉仕も出来ない身で、「感謝のクリスマス」と記したのでしょうか。そうだとしたら、私たちもそういう心をもらえたらと思いますね。世界にある黒幕のような罪の闇はあるのです。でも、そこにキリストが来られたことに、賀川は希望を見ました。神様の愛のわざの始まりを信じました。でも、それを信じただけじゃありませんでした。自分もまた、勇気と愛を与えられて、その働きに参加して人生を送ったのですね。こういう感謝が賀川の絶筆だったのです。
私にはとてもそんな真似は出来ませんし、皆さんにも、賀川の真似を勧めているのではありません。それに、ただ「真似」をするのだとしたら、それは「謙っていく勇気と愛」ではなくて、真似してスゴいなぁ、偉いなぁ、と言われたい、という動機でしているに過ぎないですね。犠牲を払う、人生を捧げるということが、結局、自分の名誉や充実感のためになされるのだとしたら、それは偽善でしかありません。少なくとも、クリスマスの示す方向とは反対なのです。一人一人、神様がどんな思いを与えて、どんな人生へと導かれているかは違います。社会事業に身を投じて、後世に名を残すというドラマを夢見るよりも、自分が置かれている自分の人生、家族や仕事、出会いやボランティアを、地味だとか詰まらないと思わないで、大切に受け止めることが必要なのかもしれません。そんな「地味だ、詰まらない、そんなことに人生を捧げるなんて勿体ない、意味がない」そう思われていたような人の所に駆け下りていった人がいる。それこそが、クリスマスなのです。
こう言い換えてもいいでしょう。私たちは、賀川豊彦のような物語に触れると、「そういう人は素晴らしい、そんな人生は輝いている、それに比べて、自分はなんて詰まらない、価値のない人生を送っているんだろうか。自分も、もっと人から喜ばれたり誉められたりする人間にならないと生きている価値がないんじゃないか」とでも言うような思いを持ってしまいがちです。「人間の価値は、どんな事をしたか、どれだけの業績を成し遂げて、多くの人に感謝されたか、で決まる」…言葉にすれば、そんな考えに縛られていないでしょうか。社会事業や慈善活動が、そんな動機でなされていることは少なくないのでしょう。
けれども、クリスマスが伝えているのは、私たちが優しくしましょう、困っている人を助けましょう、と発破を掛けるお説教ではないのですね。そんなことなら、いつでも言えるのですし、社会事業家を生み出すだけのメッセージ性もなかったでしょう。神の御子が私たちのために、謙って来てくださった。勇気と愛がなければ出来ないような謙りを、私たちのためにしてくださった。神様は、それほどに、私たちを愛しておられて、私たちを尊い存在、価値ある、かけがえのない一人として見てくださるのだ。そして、闇を闇で終わらせないし、私たちを光の子としてくださる。そういう喜びなのです。自分が何かをする、人から誉められたり感謝されたりすることは大切です。でも、自分の価値を見つけたくて-人から認められたくて、もっと言えば、愛されたくて-犠牲をも惜しまないのであれば、痛々しいです。そういう心は、いくら頑張ってもすぐに闇が戻って来ます。
クリスマスは、そんな私たちの心の闇深くに神が降りて来てくださった。私たちと一緒に住むことを喜ばれた。闇しかないような心にも光をもたらしてくださった。何かをするから価値がある、出来なければ価値が下がる、そんな価値ではなく、今すでに愛されている者とされている、そこに喜ぶことが出来るのです。そして、その深い感謝、安心感、気づきから、私たちもまた、謙っていく勇気と愛をもって生きていくことが始まるのです。渇きとか恐れ、「何かしなくちゃ」という焦りや強迫観念からではないのです。クリスマスは私たちに喜びをもたらして、そこから、では私たちも、出て行こう、惜しまない心で生きていこう、恐れずに勇気をもっていこう、「こうしたらどう思われるかな、こんな人のために何かするのはいやだな」なんて思わずに愛をもって仕えていこう。そういう、痛々しくない奉仕を、賀川もさせてもらったのだと思うのですね。
そして、もう一つ言えば、賀川先生も限界がありました。批判をする人もいますし、今からしたら理想主義だったな、と見えるところもあるのです。中傷するつもりではありません。むしろ、聖人ではなかったんだな、と分かってホッと出来るんだと思うのです。自分の限界を知らないで、何でもしよう、あらゆる期待に応えよう、自分が世界を変えよう、なんて思っていると疲れます。また、誰かのために何でもやってあげる人になると、甘えさせたり、頼らせてしまったりして、本当にその人を助けることにはなりません。善意であっても間違っていることもあるし、一生懸命やっても足を引っ張っているだけだったりする。みんなが謙って、勇気と愛をもって生きていくためには、自分が全部やろうとしてはいけないのですね。賀川の回りにも、すぐに助ける人たちが出て来ました。協力者たちが賀川を支えていました。自分の限界をちゃんと弁えて、人の助けを喜んで受け取ることも、謙遜と勇気と愛があるから出来ることでしょう。助けられることも、助けることも、喜んでいられたら幸せですね。
神様が、私たちのために大事なひとり子イエス様を下さった。そのクリスマスを心からお祝いするには、私たちも、もらうことばかり考えるのがクリスマスではないと知ることがスタートです。プレゼントやケーキやロマンスを自分のために用意して、自分が幸せにしてもらうことばかり考えていては、本当にクリスマスを祝うことは出来ません。そうでないと、どうしても足りないことが目について、文句や不満になって、一番大切なイエス様の謙りがどうでもよくなってしまいます。だから、贈り物をし合いましょう。もらいましょうではなく贈りましょう、という習慣が始まりました。貧しい国、苦しい生活をしている人たちも、クリスマスはお祝いをして、贈り物を贈り合って、明るい気持ちで過ごそうとします。そうやって、キリストの愛を感謝しているクリスマスは、いいですね。
皆さんも、賀川豊彦という尊い歩みから、彼を動機づけていた、キリストの謙りと勇気と愛を覚えていただけたら、そして、心に光をいただいて、謙っていく勇気と愛を覚えて戴けたらと思います。この話の続きを聞きに、ぜひ、お近くの教会にいらしてください。
クリスマスの意義とは、一年中の一番日の短い最も暗い時を、最も明るい日にしようとする運動である。そしてそれが光の子の使命である。それでクリスマスには星が附きものになってゐる。…即ち最も暗い冬至に、星と光を持ち込まうとする運動であつた。[2]
化身とは、上なる力を以て下界を引上げようとすることであつて、此処に真のクリスマスの意味がある。パウロは…イエスが、神の形を捨てて、奴隷の姿をとつたことを記してゐる。<ピリピ二・五-八>これが真のクリスマスである。そしてまたこれが近代に於るキリスト教者会運動の根本動機となつた。私は十七歳の時に…ピリピ書第二章のこの言葉から…感激を受けたことを今でも忘れない。キリスト精神とは即ちこれである。高い地位に居れる筈のものがわざわざ身を低くして、下々の人に仕へる為に天才も天分も自由も放棄する。…この天上と下界の隔を打くだいて、キリストが下降した所にローマ時代に曾て無かつた所の大運動が起されたのである。さうしてそれが今日にまで及んでゐるのである。[3]
我々のクリスマスは、クリスマス・ツリーが無くてもいい。然しそれは魂のクリスマスであらねばならぬ。アンナとシメオンにとつては、キリストを理解し、キリストを信じた時がクリスマスであつたのだ。汚れた世界に光を見た時が、我々のクリスマスでなければならない。曲つた針がねのやうな世界に於て、しみなく、汚れなく、一点の責むべき所なきものとして、この世の闇を減ずる運動をしなくてはならぬ、世といふのは妙な所である。/パウロは『キリストの心をもつて心とせよ』と云つてゐるが、キリストが外側に居ては何にもならない。我らは『もろびとこぞりてむかへまつれ』と歌つた所で、自分の心が空つぽであるなら、何のクリスマスがあらう。私の魂にキリストが来てくれて、我々がキリストになるのでなくては駄目である。今日我々の心にキリストが生まれなければ、いくら千九百年前にキリストが来ても何にもならない。我々が現在の堕落した世界に対して、自ら神の子となり、生命の言葉を保ち、キリストの力を握つた代表者として、光の如く、この汚れた曲つた世界に輝かなくてはならない。ここに真のクリスマスの意義がある。[4]
クリスマスは低い者が高まる喜びの時である。つまり母の地位、凡て女の地位、奴隷、無産階級の地位が高められるのがクリスマスである。それが革命運動によらず、精神的な、神が人間に接近してくれるといふ信仰から湧いたのである。『神は御腕にて権力をあらはし、心の念の高ぶる者を散し、権勢ある者を座位より下し、卑しき者を高うし』(ルカ一・五一-五二)即ち偉らさうにしてゐる学者や、利己主義者を蹴散らし、位ある者大臣などを引おとし、卑しき者を反対に上げる。[5]
生まれたイエスが何をしたか。権力、金力によらず、愛と平和の道によつた。そしてその力で、ローマ帝国が滅びた。愛と従順の力で征服したのである。クリスマスはこの愛と従順が勝ち得ることを意味する。[6]
私は思う、誕生日のお祭がクリスマスではない。クリスマスの本当の気持ちはむしろ、サンタクロースに尽きている。すなわち真のクリスマスの意味は、受肉化身の愛の運動を実行するところにあるのである。/そしてこれは、キリストの運動を措いてほかにないのであるから、その運動がキリストの生活を表現していないようなものであったら、それは無価値である。私は十二月二十四日の晩貧民街を訪ねて、クリスマスの気持ちを味わうことを楽しみにしている。どうかクリスマスを無意味に過ごさないで、身を捨ててキリストの生活にあやかるようにしたいと思っている。/父なる神/思想界の混乱に対して、我らにはっきりした意識を与えたまえ。我々はこの尊き愛を肉に現わし、わが持てるものを持たぬ人に与えることを教えたまえ。特に世界のうちにある嫉み争い暗い心を、あなたの御恩寵により、取り去り、キリストの精神を現わし得るよう、助け導きたまえ。主イエス・キリストによりて祈ります。アーメン。[7]
サービス 礼拝。しかし、神にサービス(仕える)以上に、神が私たちにサービス(仕えてくださる)という意味でのサービスなのである。
[1] 「光の子の勇躍 -クリスマスの意味-」「水の赤ん坊」447頁。
[2] 「光の子の勇躍 -クリスマスの意味-」「光明の運動」444頁。
[3] 同「化身主義運動」444頁。ただし、正確には「私は十七歳の時に明治学院の教室で、英国のキリスト教者会運動の先駆者である、フレデリツク・モーリスの運動の根本精神が、ピリピ書第二章のこの言葉から来てゐるのを学んで、感激を受けたことを今でも忘れない。」です。
[7] 「受肉化身の福音」『日本の説教Ⅱ 賀川豊彦』203-204頁