聖 קָדוֹשׁ カドーシュ 38回
聖なる קֹדֶשׁ コーデシュ 23回
聖とする קָדַשׁ カーダシュ 8回
聖所 מִקְדָּשׁ ミクダーシュ 6回
1:4 わざわいだ。罪深き国、咎重き民、悪を行う者どもの子孫、堕落した子ら。彼らは主を捨て、イスラエルの聖なる方を侮り、背を向けて離れ去った。
4:3 シオンに残された者、エルサレムに残った者は、聖なる者と呼ばれるようになる。みなエルサレムに生きる者として書き記されている。
5:16 しかし、万軍の主はさばきによって高くなり、聖なる神は正義によって、自ら聖なることを示される קָדַשׁ 。
5:19 彼らは言う。「彼のすることを早くさせよ。急がせよ。それを見てみたい。イスラエルの聖なる方のご計画が近づいて、成就すればよい。それを知りたい」と。
5:24 それゆえ、火の舌が刈り株を焼き尽くし、枯れ草が炎の中に溶けゆくように、彼らの根は腐り、その花も、ちりのように舞い上がる。彼らが万軍の主のおしえをないがしろにし、イスラエルの聖なる方のことばを侮ったからだ。
6:3 互いにこう呼び交わしていた。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満ちる。」
6:13 そこには、なお十分の一が残るが、それさえも焼き払われる。しかし、切り倒されたテレビンや樫の木のように、それらの間に切り株が残る。この切り株こそ、聖なる קֹדֶשׁ 裔。」
8:13 万軍の主、主を聖なる者とせ קָדַשׁ よ。主こそ、あなたがたの恐れ。主こそ、あなたがたのおののき。
8:14 そうすれば、主が聖所מִקְדָּשׁとなる。しかし、イスラエルの二つの家にとっては妨げの石、つまずきの岩となり、エルサレムの住民には罠となり、落とし穴となる。
10:17 イスラエルの光は火となり、その聖なる方は炎となる。燃え上がって、そのおどろと茨を一日のうちになめ尽くす。
10:20 その日になると、イスラエルの残りの者、ヤコブの家の逃れの者は、もう二度と自分を打つ者に頼らず、イスラエルの聖なる方、主に真実をもって頼る。
11:9 わたしの聖なる קֹדֶשׁ 山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼさない。主を知ることが、海をおおう水のように地に満ちるからである。
12:6 シオンに住む者よ。大声をあげて喜び歌え。イスラエルの聖なる方は、あなたの中におられる大いなる方。」
13:3 わたしは、わたしに聖別された קָדַשׁ 者たちに命じ、また、わが怒りを晴らす勇士たち、わが威光に歓喜する者たちを呼び集めた。」
16:12 モアブが高き所に詣でて、そこで身が疲れ果てるまでのことをしても、その聖所מִקְדָּשׁに入って祈っても、何にもならない。」
17:7 その日、人は自分を造った方に目を留め、その目はイスラエルの聖なる方を見る。
23:18 その儲け、遊女の報酬は、主の聖なるもの קֹדֶשׁ となる。それは蓄えられず、積み立てられない。その儲けは、主の前に住む者たちが食べて満ち足り、上等の衣服を着るためのものとなるからだ。
27:13 その日、大きな角笛が鳴り渡り、アッシリアの地にいる失われていた者や、エジプトの地に追いやられた者たちが来て、エルサレムの聖なる קֹדֶשׁ 山で主を礼拝する。
29:19 柔和な者は主によってますます喜び、貧しい者はイスラエルの聖なる方によって楽しむ。
29:23 彼が自分の子らを見て、自分たちの中にわたしの手のわざを見るとき、彼らはわたしの名を聖とし קָדַשׁ 、ヤコブの聖なる者を聖として、イスラエルの神を恐れるからだ。
30:11 道から外れ、道筋からそれ、われわれの前からイスラエルの聖なる方を消せ。』」
30:12 それゆえ、イスラエルの聖なる方はこう言われる。「あなたがたは、わたしの言うことを退けて、虐げと悪巧みに拠り頼み、これに頼った。
30:15 イスラエルの聖なる方、神である主はこう言われた。「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし、あなたがたはこれを望まなかった。
30:29 あなたがたには、聖なる קָדַשׁ 祭りの祝いの夜のような歌があり、主の山、イスラエルの岩に行くために笛に合わせて進む者のような、心の喜びがある。
31:1 ああ、助けを求めてエジプトに下る者たち。彼らは馬に頼り、数が多いといって戦車に、非常に強いといって騎兵に拠り頼み、イスラエルの聖なる方に目を向けず、主を求めない。
34:2 主がすべての国に向かって激しく怒り、そのすべての軍勢に向かって憤り、彼らを聖絶し חָרַם、虐殺されるにまかされたからだ。 ※11・15、37・11「絶滅」
34:5 「まことに、天でわたしの剣は血に浸されている。見よ。これがエドムの上に、わたしが聖絶 חֵרֶם すると定めた民の上に下る。」
35:8 そこに大路があり、その道は「聖なる קֹדֶשׁ 道」と呼ばれる。汚れた者はそこを通れない。これは、その道を行く者たちのもの。そこを愚か者がさまようことはない。
37:23 おまえはだれをそしり、だれをののしったのか。だれに向かって声をあげ、高慢な目を上げたのか。イスラエルの聖なる者に対してだ。
40:25 「それなのに、あなたがたは、わたしをだれになぞらえ、だれと比べようとするのか」と聖なる方は言われる。
41:14 恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしがあなたを助ける。──主のことば ──あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。
41:16 あなたがそれをあおぐと、風が運び去り、暴風がそれをまき散らす。あなたは主にあって喜び、イスラエルの聖なる者によって誇る。
41:20 それは、主の手がこれを行い、イスラエルの聖なる者がこれを創造したことを、彼らが見て知り、心に留めて、ともに悟るためである。
43:3 わたしはあなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしはエジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。
43:14 あなたがたを贖う、イスラエルの聖なる方、主はこう言われる。「あなたがたのために、わたしはバビロンに使いを送り、彼らをことごとく逃亡者として下らせる。カルデア人を彼らの喜びの船で。
43:15 わたしは主、あなたがたの聖なる者、イスラエルの創造者、あなたがたの王である。」
43:28 それで、わたしは聖なる קֹדֶשׁ 所のつかさたちを汚し、ヤコブが聖絶 חֵרֶם されるように、イスラエルがののしられるようにした。」
45:11 イスラエルの聖なる方、これを形造った方、主はこう言われる。「これから起こることを、わたしに尋ねよ。わたしの子たちについて、またわたしの手のわざについて、あなたはわたしに命じるのか。
47:4 私たちを贖う方、その名は万軍の主、イスラエルの聖なる方。
48:2 実に彼らは聖なる קֹדֶשׁ 都の出だと自称し、その名が万軍の主であるイスラエルの神に寄りかかっている。
48:17 イスラエルの聖なる方、あなたを贖う主はこう言われる。「わたしはあなたの神、主である。わたしはあなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。
49:7 イスラエルを贖う方、その聖なる方、主は、人に蔑まれている者、国民に忌み嫌われている者に、支配者たちの奴隷に向かってこう言われる。「王たちは見て立ち上がり、首長たちもひれ伏す。真実である主、あなたを選んだイスラエルの聖なる者のゆえに。」
52:1 目覚めよ、目覚めよ。力をまとえ、シオンよ。あなたの美しい衣をまとえ、聖なる都エルサレムよ。無割礼の汚れた者は、もう二度とあなたの中に入っては来ない。
52:10 主はすべての国々の目の前に聖なる קֹדֶשׁ 御腕を現された。地の果てのすべての者が私たちの神の救いを見る。
54:5 なぜなら、あなたの夫はあなたを造った者、その名は万軍の主。あなたの贖い主はイスラエルの聖なる者、全地の神と呼ばれているからだ。
55:5 見よ。あなたが、あなたの知らない国民を呼び寄せると、あなたを知らない国民が、あなたのところに走って来る。これは、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者のゆえである。主があなたを輝かせたからだ。」
56:7 わたしの聖なる קֹדֶשׁ 山に来させて、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のささげ物やいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。なぜならわたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ。
57:13 あなたが叫ぶとき、あなたが集めたものどもに、あなたを救わせよ。風が、それらをみな運び去り、もやがそれらを連れ去ってしまう。しかし、わたしに身を寄せる者は、地を受け継ぎ、わたしの聖なる קֹדֶשׁ 山を所有することができる。
57:15 いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名が聖である方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、砕かれた人、へりくだった人とともに住む。へりくだった人たちの霊を生かし、砕かれた人たちの心を生かすためである。
58:13 もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖 קֹדֶשׁ 日に自分の好むことをせず、安息日を『喜びの日』と呼び、主の聖日を『栄えある日』と呼び、これを尊んで、自分の道を行かず、自分の好むことを求めず、無駄口を慎むなら、
60:9 まことに、島々はわたしを待ち望み、タルシシュの船は真っ先に、あなたの子らを遠くから運んで来る。彼らの銀と金とともに。それは、あなたの神、主の名のため、イスラエルの聖なる者のためであり、主があなたを輝かせたからである。
60:13 レバノンの栄光は、もみの木、すずかけ、檜も、ともに、あなたのもとに来て、わたしの聖所מִקְדָּשׁを輝かせる。わたしは、自分の足台を栄光あるものとする。
60:14 あなたを苦しめた者たちの子らは、身をかがめてあなたのところに来る。あなたを侮った者どもはみな、あなたの足もとにひれ伏して、あなたを『主の都、イスラエルの聖なる方のシオン』と呼ぶ。
62:9 取り入れをした者が、それを食べて主をほめたたえ、ぶどうを取り集めた者が、わたしの聖 קֹדֶשׁ 所の庭でそれを飲む。」
62:12 彼らは、聖なる קֹדֶשׁ 民、主に贖われた者と呼ばれ、あなたは、追い求められる者、見捨てられることのない都と呼ばれる。
63:10 しかし彼らは逆らって、主の聖なる קֹדֶשׁ 御霊を悲しませたので、主は彼らの敵となり、自ら彼らと戦われた。
63:11 そのとき、主の民はいにしえのモーセの日を思い出した。彼らを、ご自分の群れの牧者たちとともに海から導き上った方は、どこにおられるのか。その中に主の聖なる קֹדֶשׁ 御霊を置いた方は、どこにおられるのか。
63:15 どうか、天から見下ろし、ご覧ください。あなたの聖なる קֹדֶשׁ 輝かしい御住まいから。あなたの熱心と力あるわざは、どこにあるのでしょう。私へのたぎる思いとあわれみを、あなたは抑えておられるのですか。
63:18 あなたの聖なる קֹדֶשׁ 民がこの地を所有して間もなく、私たちの敵はあなたの聖所מִקְדָּשׁを踏みつけました。
64:10 あなたの聖なる קֹדֶשׁ 町々は荒野となっています。シオンは荒野となり、エルサレムは荒れ果てています。
64:11 私たちの聖なる קֹדֶשׁ 美しい宮、私たちの先祖があなたをほめたたえたその場所は火で焼かれ、私たちが宝とした所は、すべて廃墟となりました。
65:5 『そこに立っていよ。私に近寄るな。私はあなたにはあまりにも聖なる קָדַשׁ ものだ』と言う。これらは、わたしの怒りの煙、終日、燃え続ける火である。
65:11 しかし、おまえたち、主を捨てる者たちよ、わたしの聖なる קֹדֶשׁ 山を忘れる者、ガドのために食卓を整える者、メニのために、混ぜ合わせた酒を盛る者たちよ。
65:25 狼と子羊はともに草をはみ、獅子は牛のように藁を食べ、蛇はちりを食べ物とし、わたしの聖なる קֹדֶשׁ 山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼすこともない。──主は言われる。」
66:17 「自分の身を聖別し קָדַשׁ 、身をきよめて園に行き、その中にある一つのものに従って、豚の肉、忌むべき物、ねずみを食らう者たちは、みなともに絶ち滅ぼされる。──主のことば。」
66:20 彼らはすべての国々から、あなたがたの同胞をみな主への贈り物として、馬、車、輿、らば、らくだに乗せて、わたしの聖なる קֹדֶשׁ 山エルサレムに連れて来る──主は言われる──。それはちょうど、イスラエルの子らが穀物のささげ物をきよい器に入れて、主の宮に携えて来るのと同じである。
* קְדוֹשׁ יִשְׂרָאֵל イスラエルの聖なる方 15回
1・4 わざわいだ。罪深き国、咎重き民、悪を行う者どもの子孫、堕落した子ら。彼らは主を捨て、イスラエルの聖なる方を侮り、背を向けて離れ去った。
5・19 彼らは言う。「彼のすることを早くさせよ。急がせよ。それを見てみたい。イスラエルの聖なる方のご計画が近づいて、成就すればよい。それを知りたい」と。
5・24 それゆえ、火の舌が刈り株を焼き尽くし、枯れ草が炎の中に溶けゆくように、彼らの根は腐り、その花も、ちりのように舞い上がる。彼らが万軍の主のおしえをないがしろにし、イスラエルの聖なる方のことばを侮ったからだ。
10・17 イスラエルの光は火となり、その聖なる方は炎となる。燃え上がって、そのおどろと茨を一日のうちになめ尽くす。
10・20 その日になると、イスラエルの残りの者、ヤコブの家の逃れの者は、もう二度と自分を打つ者に頼らず、イスラエルの聖なる方、主に真実をもって頼る。
12・6 シオンに住む者よ。大声をあげて喜び歌え。イスラエルの聖なる方は、あなたの中におられる大いなる方。」
17・7 その日、人は自分を造った方に目を留め、その目はイスラエルの聖なる方を見る。
29・19 柔和な者は主によってますます喜び、貧しい者はイスラエルの聖なる方によって楽しむ。
30・11 道から外れ、道筋からそれ、われわれの前からイスラエルの聖なる方を消せ。』」
30・12 それゆえ、イスラエルの聖なる方はこう言われる。「あなたがたは、わたしの言うことを退けて、虐げと悪巧みに拠り頼み、これに頼った。
30・15 イスラエルの聖なる方、神である主はこう言われた。「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし、あなたがたはこれを望まなかった。
31・1 ああ、助けを求めてエジプトに下る者たち。彼らは馬に頼り、数が多いといって戦車に、非常に強いといって騎兵に拠り頼み、イスラエルの聖なる方に目を向けず、主を求めない。
40・25 「それなのに、あなたがたは、わたしをだれになぞらえ、だれと比べようとするのか」と聖なる方は言われる。
43・14 あなたがたを贖う、イスラエルの聖なる方、主はこう言われる。「あなたがたのために、わたしはバビロンに使いを送り、彼らをことごとく逃亡者として下らせる。カルデア人を彼らの喜びの船で。
45・11 イスラエルの聖なる方、これを形造った方、主はこう言われる。「これから起こることを、わたしに尋ねよ。わたしの子たちについて、またわたしの手のわざについて、あなたはわたしに命じるのか。
47・4 私たちを贖う方、その名は万軍の主、イスラエルの聖なる方。
48・17 イスラエルの聖なる方、あなたを贖う主はこう言われる。「わたしはあなたの神、主である。わたしはあなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。
49・7 イスラエルを贖う方、その聖なる方、主は、人に蔑まれている者、国民に忌み嫌われている者に、支配者たちの奴隷に向かってこう言われる。「王たちは見て立ち上がり、首長たちもひれ伏す。真実である主、あなたを選んだイスラエルの聖なる者のゆえに。」
60・14 あなたを苦しめた者たちの子らは、身をかがめてあなたのところに来る。あなたを侮った者どもはみな、あなたの足もとにひれ伏して、あなたを『主の都、イスラエルの聖なる方のシオン』と呼ぶ。
解説:
「この「イスラエルの聖なる方」は、イザヤの特色的な表現で、全部で二十五回(類似の表現「ヤコブの聖なる方」「あなたがたの聖なる者」などを含めると、二十八回)にも及ぶ。ちなみに 旧約の他の書では七回用いられているにすぎない。これは、イザヤがいかに神の「聖」性を重要視していたかを示しているだけでなく、イスラエルが同様に「聖」であるように求められている ことを表明している。 神はその存在において、一方において他のものを一切寄せ付けない絶対的な方、超越者である故に「聖」であり、他方において倫理的、道徳的に完全な方として「聖」である。イザヤはこの真理を、自分の召命を通して明確に経験した(六章)。「聖なる方」主はイスラエルに同じように 「聖」を求められたが、イスラエルは神に属する者として持っているべきこの重要な特性を失ってしまっていた。」鈴木昌『イザヤ書 新聖書講解シリーズ』22〜23ページ。