昭和20年(1945年)の10月の 雪虫が舞う頃
木古内町から道北の士別町の引揚者寮へ引っ越した
敗戦で樺太から 伯父の住む木古内町に引揚げたが
いつまでも厄介になるわけにいかず
旧国鉄の計らいでの入居である
料理屋だった引揚寮は
婦女子ばかりが10数軒 数十人がひしめき合い暮す
私達家族は 二階の大広間の片隅が住まいとして充てられた
先住者が三家族12人 我家を入れると18人が
18畳間に住むことになる
いただいたカボチャの塩煮
忘れられない美味しい味
荷物は何もない 布団が片隅に置いてあるだけ
我家も布団をいただいた
重い何かがゴロゴロ片寄って入っている
綿の代わりは乾燥した海藻だった
それを敷き足で踏んで平らにして横になる
掛布団も同じ 海藻が片寄り薄い布団皮だけになる
夜中に寒くて何度も目覚めた
翌朝起きると
雪が30センチ位も積もっており そのまま根雪になった
厳寒は-30℃以下になり 雪も多く 道路は玄関より高くなる
母は次の日から セルの単衣に角巻代わりの軍隊毛布をかぶり
数キロ離れた農家へ買い出し カボチャ ジャガイモを分けて貰い
生きるため必死の生活が続いた
それでも住まいを与えてもらい 農村に住めたから良い方であるが
難民と同じ
戦争に負けて日本中に難民があふれた
昨夜初雪が降ったらしいが 暖房の効いた部屋でゆったり
平和な時代も
だんだんおかしな方へ政治が進んでいる
戦争を知らない世代が多くなったが
あのような時代には決してなってほしくない