黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

なつぞらの十勝(さんたろうさん92歳のコメントから)

2019年04月17日 | たより

素晴らしいコメントをいただきました

ブログ “三太郎日記”

 

会津にお住いの92歳さんたろう様 

 


kazahanaさん北海道でいらしゃるんですね。


北海道と言えば、私には心温まる輝くような思い出があるんですよ。


74年前(1945年)18歳だった私は学徒動員と言うことで帯広の近くの

大樹村(現在町)開進の河西さんのお宅に援農作業ということで

4月から9月まで宿泊しながら農作業のお手伝いをしていました。

5歳と3歳の女のこのいるご夫婦のお宅でした。

まるで家族のように大事にしていただき女の子二人には

まるで兄のように慕われていました。

2頭たての馬にプラオを引かせ広い畑を耕し3頭の乳牛の搾乳をしたり、

夜は五右衛門風呂の小屋で汗を流し澄み切った満天の星を眺めて

うっとりしていました。

若々しいい女の人が隣村から裸馬に乗ってやってきたりすると、

本州にいる頃は厳しい男女間禁制なかで暮らしていましたから

もう心とどろいて輝いて見えておりました。


原野の背丈ほどの蕗の茂る小川でかじかを釣ったり、

家の女の子と咲き乱れているスズランの花を摘んだり

したこともなつかしいです。



その年の1月から3月までは横浜の町外れの小高い丘の麓の軍需工場で

昼夜二交代の厳しい作業に疲れはて、空腹と寒さに耐え、

きぬじらみまみれの服をきて、

毎朝「うみゆかばみづくかばねやまゆかばくさむすかばね、

大君の辺にこそ死なめかえりみはせじ」という万葉集の歌をうたわされ

(海の戦いでも山の戦いでも、大君のために喜んで死にましょう)

もう感性が異常になってしまって毎夜B29の空襲で東京や横浜の空が

真っ赤になっているのを見てもその下で何万人もの人が

逃げ惑い死んでいいったことなどに思いがいたらず

ただぼんやりと夕焼けのように綺麗だなどと思うような

異常な生活をしていましたから・・

 

 

4月から9月までの十勝の生活は夢のようで

美しい楽しい生活だったんですよ!。


北海道十勝は私の思い出の中で輝いているんですよ。

 

さんたろう様のお写真を拝借しました

 

テレビの“なつぞら”と同じ十勝の思い出

ほのぼのとした中に

戦争の恐ろしさむごさの体験談が語られてられています

平和の尊さが伝わってくるコメント

大勢の方に読んでいただきたいと思います

 

さんたろう様 有難うございました

 

 

コメント (2)
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