コロナ禍でも
靴も 洋服も 食べ物も 溢れており
好きなものが手に入る 贅沢な日本
戦争に負けて 引揚げて来たころは
食べ物だけではなく 着るものも 履く靴もなかった
マイナス30℃以下にも下がり
雪も多く 玄関より道路の方が高かい
厳寒の地
着るものも履く靴もなく
汽車通学できないので 女学校を休学した
従姉のおさがりの上着が唯一の着るもの
すぐの妹は 小学校4年生だったが
何を着ていたのか記憶にないので聞いてみた
長姉が軍隊からの払い下げ毛布で
手縫いでオーバーを作ってくれ
洋服は伯母が着物で作ってくれた モンペと上着
履く靴がないので冬は学校を休んでいた
長靴は貴重品で我家にはなかった
母は毎日 食べるものを買いに1里以上も歩いたが
セルの単衣にモンペ 角巻代わりの軍隊毛布を着て
雪下駄で歩いた
農家から分けてもらう ジャガイモは お金ではなく物々交換
我が家は何もないので 配給になった軍服や毛布と交換していた
我が家はまだよい方 住むところが与えられたのでまだ幸せな方だった
つらかった経験は繰り返したくはないし 決して繰り返してはいけないが
私たち年代は 物事に動じない 強い人になった
昨日買った靴からの連想