阪神淡路大震災から29年
能登半島地震の被害の全貌はまだ見えないまま
穏やかな日々が一日も早く来るように祈ってます
あきらめない 希望をもって 心を強くもって

昭和21年の1月
樺太からの引揚者の私たちは
住むところは与えられたけれど 食べるもの 着るものはない
母は夏物のセルに角巻代わりの軍隊毛布をかぶり
吹雪の中4kも離れた農家から分けてもらってくる
ジャガイモの塩ゆでだけの食事
女学校1年生だった12歳の私は 休学して子守と炊事がかり
-30℃にもなる厳寒の町ですごした
父の消息はわからないまま
戦争が終わった安堵感が唯一の救いだった
朝ドラ ブギウギ にえがかれている敗戦後より
実際は もっと もっと 深刻だっだ