大平洋戦争が終わりに近い 昭和20年の今頃は
毎日が空腹だった ひもじかった
樺太(サハリン) 豊原市(ユジノサハリンスク)
女学校一年生(中学一年生)だった 学校の勉強は雨の日だけで
食料自給自足のため
4kmくらい離れた原野を開墾し ジャガイモ 小麦 などを植え
芽が出た後の草取り作業の日々だった
空腹が我慢できなくて
肩から下げている
非常袋の中に入っている 炒った大豆を食べる
お腹が弱いのでかならず下痢をした
痩せこけて小さかった
飽食の現代 年を重ねた最近は
消化の良い物を気をつけて食べているのだが
お腹をこわす
夏は生ものを食べない習慣にしているのだが
体質なのか すぐ下痢をする
でも ひもじい思いはしなくてよい
十勝岳方面 山々はベールにつつまれていた
芦別岳は微かにみえた