最近夫は
好んでパイナップルの缶詰を食べるようになった
開けるのは私だが中々開けられずに難儀している
加齢とともに握力もなくなったのは仕方がないこと
今日も手袋をはいて(北海道弁丸出し)やっとこじ開けた
楽に開けられる缶切りを探している
ペットボトルの蓋は
100均のホルダーをもらったので
楽に開けられるようになった
すぐれモノ
最近夫は
好んでパイナップルの缶詰を食べるようになった
開けるのは私だが中々開けられずに難儀している
加齢とともに握力もなくなったのは仕方がないこと
今日も手袋をはいて(北海道弁丸出し)やっとこじ開けた
楽に開けられる缶切りを探している
ペットボトルの蓋は
100均のホルダーをもらったので
楽に開けられるようになった
すぐれモノ
28回目の
筋ジストロフィー協会旭川支部の総会だった
映画
“こんな夜更けにバナナかよ”の主人公鹿野さんと
同じ病気の人たちの集まりである
最近数年は名前だけのボランティアだったが
関わるようになって28年経つ
青年だった患者さんは後期高齢者一歩手前になり
歩いていたのが
電動車いすの生活になっている
それでも前向きにお互いに支え合って生活し
会を運営している
30年前は原因が不明で 治療法がなかったが
最近は治療法が見つかりつつあり
希望がもてるようになった
しかし在宅で生活するのは大変苦労があり
ひとりで生活している方の限界の様子も語られていた
いつまでもお手伝いしたい気持ちはあるが
元気だったボランティアも30年近く経ち
皆さん病気になり 活動出来る人はいなくなった
今日は友と一緒に退会したいことを申し出
了承していただいた
年一度の野外レクは
若い学生さんたちの力を借りており
今年も30日に旭山動物園へ行く予定になっている
帰りのバス停でみた空
風が冷たかった
かかりつけ医の花壇に植えられていた
マンテマと思われる花を観て
樺太を思い出し
懐かしい気持ちでいっぱいになった
2012年7月
戦後67年ぶりに樺太(サハリン)を訪れた
豊原市(ユジノサハリンスク)の朝
ホテルから近い
母校 樺太庁豊原高等女学校の
跡と思われる所を散歩した
昔の面影はなにもなかったが
人気のない校庭らしき片隅に
ひっそり カラフトマンテマを見つけた
花の形も違うが
がく筒が懐かしい花を思い出させた
カラフトマンテマ 2012年7月
昨日みた花
今日の一日は
体のメンテナンス 身体の修理と整備だった
午前 パソコンの勉強で頭の回転がよくなる
午後 かかりつけ医の受診と 鍼やレーザー治療
夕方 按摩さんに揉んでもらう
故障を修復まではいかないが楽になる
ポンコツの老体が少しシャキッとなった
かかりつけ医の玄関前の花壇
マンテマが可愛かった
なみだ雨がしとしとふり続く
新しく稽古する詩文を調べたり
写真の合成で遊んだり
夫はかすかに見えるテレビの録画の編集や
昼寝を何度も
時々時間を尋ねられる
音声時計を買おうと勧めるがいらないと言う
教えてあげて 他の会話が多くなればよいのかも
作ったメガネはあまり役に立たないようである
北海道護国神社の招魂祭の宵宮である
戦争で亡くなった多くの霊を祭っているが
必ずといっていいほど雨が降る
戦没者が流した涙
人々は“なみだ雨”と呼んでいる
雨不足だったが
夕方から降りだした
明日の慰霊大祭も雨の予報である
み霊が安かれと祈る
夏日の“花とき”例会
学び 情報交換し
楽しいおしゃべりはあっという間に終わりになった
毎年楽しませてくれる
ヤマボウシの花
まだミドリで葉っぱに同化して目立たないが
数輪
白い清楚な花が咲いていた
昨年よりぐっと高くなった木
50mmの単焦点レンズでは
大きくは写せない
沼津で割烹をされているOさんから
今年もアジの干物が届いた
早速 焼いていただく
夫には中骨を除いてあげると
2枚も食べる
程よい塩加減で絶妙の味
あっさりしているがうまみが凝縮している
Oさんご夫婦とは2015年の11月
ブタペストやウィーンの旅でご一緒した
クラシック音楽に造詣が深く
気さくでよく声がけしてくださり話が弾んだ
お礼の電話をすると
相変わらずの早口でお元気な明るい声
忘れずに
美味しい便りを下さるOさんに感謝でいっぱいである
写さずに食べてしまう
Wordのクリップアートから拝借
6月の始まりは 穏やかに迎えた
何も予定のない日
洗濯と スーパーの売り出しに出かけただけ
疲れが貯まっていたのか何度も昼寝する
夫はテレビの演歌を聴いたり
虫眼鏡で録画の編集をしたり
疲れるようで横になる時間が多い
食欲だけは旺盛
相変わらず手抜き料理だが美味しそうに食べる