黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

必要な用事 & 母のこと &音楽の力・・・

2020年12月11日 | つぶやき

パソコンの授業は休んでいるが 

授業料を払いに公民館へ

恒例のミニカレンダー作成の授業だったが

廊下で先生と立ち話ししただけで帰る

その後

送金に郵便局へ行ってくる

昨日届いた愛媛の紅マドンナは瑞々しく美味しい

ご主人が入院中なのに今年も送ってくださった

 

今日は母の祥月命日である

 仏壇にお供えしてお参りする

誕生日前日 4回目の大腿骨骨頭骨折の手術をし

101歳の誕生日は病室で迎えた (枕元に飾った写真)

 

 

 

89歳の姉と電話で偲びあう

「お母さんは強かったね 引揚げ後の苦労や頑張りを考えると

 コロナに負けていられないね」というが 

その通り

 

 

【コロナに負けるな!】第6弾

 中部方面音楽隊「長崎の鐘(鶫真衣)」

いまこそ音楽の力で心をひとつに『終戦75年追悼』


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ひきこもり・・・・今日は

2020年12月10日 | たより

 詩吟の稽古日はお休みにし

 

公民館生涯学習活動団体に提出する書類の作業をはじめる

 

毎年のことだが 書類が何枚もあり

 

記載の誤りや漏れがあってはいけないので注意する

 

終わった後は

 

クリスマスの音楽を聴きながら 

 

 

Oh Holy Night - 7-Year-Old Claire Crosby and Dave Crosby

 

 

 

 

フランクフルトのクリスマスの思い出を・・・・

 

 

 

フランクフルトのクリスマスマーケット(2011年12月)

 

 

迷惑をかけないように念を入れて気をつけてひきこもり

我が街が医療崩壊しないことを祈っている

 

 


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感染爆発の我が街

2020年12月09日 | コロナウイルス

お昼の NHKニュースで

我が街に

自衛隊災害派遣チームが派遣され

活動開始した報道

 

最初の病院でクラスターが発生し

基幹病院が手分けして患者を受け入れたが

対応を上回るスピードで感染が爆発的に広がり

対応が追いいつかなくなった

 医療崩壊にちかい状態である

街中どこにでもコロナウイルスが蔓延している

と思われる

頑張っている医療従事者の方たちを応援してほしい

 

 

今罹ったら 治療してはもらえないと思うし

命の終わりと 思わざるをえない

 

夫は

一歩も外出しない状態がずっと続いているが

私は

同意書をもらう必要がありかかりつけ医へ

貰った後 鍼灸治療を受けてきた

危険 不安があったが 痛みがひどいので仕方ない

 

 

仙台の甥夫婦や 神戸 埼玉の旅友さん から

心配しお見舞い電話がきたり贈り物も

娘も来るが玄関先で帰る

 

国の政策は間違っていると思うし

 

我が身を守るのも限度がある

 

お見舞いや親せきから届いた好物

 

ラインで届いた紅葉

 

 

楽しい音楽で気を紛らす

 

Happy Christmas 2020/ ハッピークリスマス/ ジョン レノン / 歌詞


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戦争が始まった日

2020年12月08日 | 戦争

12月8日は

 太平洋戦争(大東亜戦争と呼んでいた)が始まった日

 

昭和16年(1941年)

アメリカハワイ 真珠湾を攻撃し 日本が宣戦布告した

 

当時札幌に住んでおり 8歳(国民学校三年)

雪が積もった朝で 父が雪かきをするのを手伝っていた

 

ラジオで

勇ましい軍艦マーチの曲が流れ臨時ニュースがあった

すぐアメリカの飛行機が飛んでくるようで

不安で恐ろしかった

 

父が

 また戦争に行くのでないか 心配だった

昭和12年8月から15年8月まで3年間

支那事変(日中戦争)に従軍していた)

 

 

それから

昭和20年の敗戦まで 敗戦後の何もない飢えの時代へと

 

暗い希望のない日々が長く続いた

 

 

コロナウイルスとの闘いが続いている今

 

命の危険は あの頃と同じだが

美味しい食べ物が食べられ

あたたかい家に住めて 好みの衣服を身に纏う

 自由にものが言える 平和な暮らし

 

 天国と地獄ほどの差がある

戦争は二度と繰り返してはいけない

 

 

父の転勤で

釧路から札幌へ 札幌から樺太豊原へと

小学校(国民学校)を転校した

引揚ですべて失ったので 写真がない

夫が写したフイルム写真 から


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つとめて明るい話題を & 思い出写真

2020年12月07日 | たより

コロナ感染クラスターの拡大で

我が街では医療が追い付かず 自衛隊に派遣を依頼した

緊張の日々の中で

 

 明るい話題は

 

はやぶさ2のカプセルが無事着地したこと

 

打上から約6年間 52億4千万キロの飛行で

小惑星から砂か石を持ってきた

科学の最先端を行く

ロケットの部品が小さな町工場の

職人さんの手作業ので造られたとは・・・

日本人の器用さは 素晴らしい

 

 

 

楽しい思い出写真

 

ローテンブルクのクリスマスマーケット

ロマンチック街道にある城壁に囲まれた小さな町は戦災にも遭わず 

古いおとぎの国のような街並みで 楽しさいっぱいだった

 

子供も大人も楽しむ 

迷子になる心配もなくホテルもすぐそば

 

 

プレーンライン

 

市庁舎前(右)のマーケット

 

 

聖ヤコブ教会

 

   

ショーウィンドウにひきつけられ飛び込んだ店で

フエルトの帽子とマフラーを買った

 今でも愛用しているが

ベストかチュニックをを買えばよかったと後悔している

 


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おしゃれ &クリスマスの思い出写真

2020年12月06日 | たより

空模様のように体調もすっきりしない

 

役員会は欠席したが

監査の認印だけは押しに行ってきた

 

おしゃれとはいえないが 身だしなみを整える

 

着物地でリバーシブルに作ってもらった

ロングベスト 赤い方にして羽織る

 

アレルギーで

髪も染められず パーマもかけられない

見た目も中身も山姥さんを チョッピリ脱却のつもり


明日はこれを着ようかな

娘が編んだカーディガン

20年以上も前の物だが気に入っている

流行には関係なく気に入ったもの 明るい色を着ることが多い

 

 

思い出写真 2011年

ミュンヘンのクリスマスマーケット

市庁舎前のマリエン広場 賑やかすぎて迷子になりそうだった

 

 

 


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引きこもりのおしゃれ & 思い出写真

2020年12月05日 | たより

 おしゃれ着はリフォームのシルクが多いが

引きこもりの生活が続き 着ることがほとんどなくなった

 

コロナの憂鬱を吹き払おうと

普段着のおしゃれを楽しもうと思うようになった

 

自分で洗濯できるものがよいが

アレルギーがあるのでなるべく化繊は避けたい

 

昨日は

グレーの洗えるウールのセーターに水玉アップリケのベスト

転んだら困るので ボトムはベージュのパンツ

 

 

ひざ掛けもカラフルな 娘手織りのショールに取り替えた

使わない時は椅子カバーに

夏でも下半身が氷のように冷え痛むので

ひざ掛けは必需品である

私と違って器用な娘は 最近は手織りが楽しいらしい

 

娘の編んだセーターが何枚もあるので

おしゃれを楽しもう

 

 

思い出写真 

2011年 ドイツ ボンのクリスマスマーケット

 

 

 

 

 

 


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感染拡大の街に住んで & 思い出写真

2020年12月04日 | コロナウイルス

降雪が20センチ近く 除雪車が入る

 

我が街でのコロナ感染拡大がとまらない

感染率は札幌より多く医療はひっ迫している

二つの大きな病院でクラスター 400人近い感染者

重症障がい者の療養施設でもクラスター

市中感染も蔓延している

 

クラスター感染の病院でHPに 市や他の病院の対応を批判し

問題になっているが

一市民としてかなしい思いがする

 

いきさつはよく分からないが

感染当初から

 機関病院では患者を受け入れ 

精一杯の治療を続けてきたのを知っている

感染拡大で患者の増加が多すぎ 対策が追い付かなかったのだろう

 

どこでもコロナウイルスの感染の危険がある

二人とも基礎疾患がある高齢者

消毒や換気はあたりまえ

出かけない 人に会わないように を心掛けている

 

鍼治療も回数を減らし 訪問按摩さんも断った

宅配を多くし買物もまれ

 

 

旅友さんからお見舞い電話があり

 

イリノイの妹からも電話がきた

近郊で200人もの死者が出ているが

 同じような閉じこもり生活とのこと

元気で安心した

 

 

 

思い出写真 

ケルンのクリスマス 2011年12月

 

 

 


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番外編ネパールの続き (ポカラ)

2020年12月03日 | 旅行

ポカラはカトマンズから西へ200km 

標高800mの地でネパール第2の街 

アンナプルナの山々が美しかった

 

マチャプチャレ(6993m)

マッターホルンに似た聖なる山 ノーダラの丘にて

 

 

 

2013年まで

シニアのパソコンクラブ(しろくまネット)で10年間学び遊んだ

その時教わってHPもつくったが

ホームページに載せていた動画がでてきた

 

カメラは古希のお祝いのプレゼント

 

 

 

ポカラにて

 

 

 

我が街のコロナ感染拡大がとまらない 

医療従事者への感謝と 早く落ち着くよう願い祈る

 

思い出写真で気を紛らす

 

 


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11月の4枚(番外編 ネパール)

2020年12月02日 | 写真

11月の写真はないので

番外編として発表します

 

2004年11月のネパール旅行の思い出写真

カメラを持って間もなく 300万画素のコンデジ撮影

 

 

歩くのは苦手なのに ただ ヒマラヤの山々を眺めたい一心で

政府軍と マオイストとの衝突が度々あり

治安が悪かったのに出かけた

行ってよかった 感動 感激

 

せつない出会いもあり 忘れられない

 

ノーダラ村のビスノちゃん どうしているかな

ふたりで思い出してるよ

 

ナガルコットにて 2004年11月27日

ナガルコット クラブ・ヒマラヤにて

 

 

 

2004年11月29日

ポカラにて 

アンナプルナ と マチャプチャレ

 


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