今から二年半前‥白脇教室にサポート指導員として二ヵ月ほど顔を出していた私。
ある日の稽古後、床に座っている私の背中にノッかってくる子供が。当時、小一だったダイスケです。『ヤンチャだけど、とても愛敬のある子だなぁ‥』という印象でした。
それから間もなくして、諸事情により豊橋各教室の指導員として行かなければならなくなった私。豊橋の緊急事態に、白脇教室の子供達には挨拶も出来ず去ることになったわけです。
それでも、白脇教室の子供達を忘れることはありませんでした。豊橋に行ってからも『白脇の子供達はどうしてるだろう‥入会したてで泣いていた、ハヤトやリョウタは大丈夫だろうか‥』そんなことを時々、考えてもいました。
大会を通して、時々は彼らとも出逢えました。審査会中の忙しい中なので、多くは話すことも出来なかったのですが、頑張っている彼らの成長を見ながら、安心したのを覚えています。
そんな私が豊橋で出逢った子供の一人、当時、青帯のリュウト。
豊橋飯村教室の第二部、高学年の部に参加し始めた二年生のリュウト。不安からか、私の手を握ってくることもありました。
そんなリュウトとの二年間も、私としては忘れられない想い出に。飯村教室の稽古後、いつも五人くらいの子が残り、二十分程度の稽古を重ねてきたのですが、その中にいたのもリュウトでした。
五人の中から二人、全国大会での優勝者と準優勝者が生まれ、そして黒帯を取得したことは、私の中でも至上の喜びとして、心に強く残っています。
そんなダイスケとリュウトが、全国大会・決勝の舞台で向かい合っている‥。
二年間、勝ち星の無いダイスケ。過去二回のリュウトとの対戦は、圧倒的なリュウトの勝利だったようです。
【ケガもあり、大会前はあまり練習も出来なかった‥。お母さんは僕の習い事のために、働きに出てくれている‥。サッカー部の部長をしてくれているお父さん。サッカーやカラテに通う、すべての子供達に優しく、そして時にキビしさも含め、声をかけてくれる‥。家から距離のある、高台教室・第二部の強化練習にも通わせてくれている、お父さん、お母さん‥。一緒に稽古してきた仲間達のために、そして自分のためにも‥】
『すべての期待に応えたい!』
相当なプレッシャーだったでしょう。一試合から四試合まで、試合が終わるたびに‥ダイスケは泣いていました。
様々な感情が絡み合っての涙。その戦いぶりは、ダイスケの良さが全部出ていて、それは神懸かっているようにも見えました。
『あのリュウトが‥ダイスケが‥向かい合っている』
決勝戦の試合内容は互角でした。その差は、審判の印象的なものなのでしょう。
努力型のダイスケ。負け続けても、あきらめることなく稽古を重ねてきた。この二年間にも物語はあり、その涙はとても重い(想い)ものに。
ダイスケは後輩達にも、ひとつの『道』を残しました。
【負け続ける中でも、あきらめない‥】
結果はどう出たとしても、そのプロセスの中にこそ、本当の『学び』はあるわけで、今の時代、逃げようとすれば、いくらでも選択肢や逃げ道はありますが、やはり日本人として、日本の文化や風習の中で生きるうえで、続けるコト‥やりきるコトには、とても大きな意味があり、そこで養われるチカラこそが、やがて大人になった彼らを支え、未来の日本をも支える、とても大切なものに繋がって行くのだと思います。
子供達の『純真』‥『真剣』‥【真】の中には、本当の感動があります。
ダイスケ、リュウト、おめでとう!
今までも、今も、これからも‥。彼らは私の生徒であり、いつまでも我が子であると思うのです。(^-^)