있다は動詞と形容詞として,없다は形容詞として使われる語です。
있다は,以前は形容詞としてのみ扱われてれていたのですが,最近は動詞としても認められるようになりました。
この있다や없다は,ほとんどの場合,分かち書きをしなければなりませんが,ある言葉とくっついて合成語になっているときだけくっつけて書きます。その例を見てみましょう。
まず있다をくっつけて書く場合です。
「じっとしている」という動詞,가만있다 [가마닏따] があります。
¶ 이곳저곳 돌아다니지 말고 방 안에 가만있도록 해라.(うろうろしないで部屋の中でじっとしてなさい)
また「何もしないで黙っている」というような場合にも使います。
¶ 아무것도 모르면 가만있어.(何も知らないんだったら,黙ってなさい)
¶친구가 어려운 처지에 있는데 가만있을 수는 없어요. (友達がたいへんなのに黙っていることはできません)
そのほかにも,“가만있어.”,“가만있어라.”,“가만있자.”という形で使われます。
これらは,急に何かが思い出せなかったり,返答に詰まったときに,「ええと…」「何だっけ?」と,ひとりごとでつぶやく場合に使います。
¶ 가만있어, 그 사람 이름이 뭐더라?(ええと,あの人の名前何だったっけ?)
¶ 가만있어라, 그게 뭐였지?(待てよ,あれは何だったっけ?)
값있다[가빋따]も同じようにくっつけて書きます。
これは「価値がある」という形容詞です。発音に気をつけてください。
값있는 시간을 보내다といえば「価値ある時間を過ごす」ことですし,값있어 보이다といえば「高そうに(価値があるように)見える」という意味です。
そのほかにも관계있다,뜻있다,맛있다,멋있다,재미있다なども있다を付けて書きます。
しかし눈치 있다,실속 있다,쓸모 있다,염치 있다,의미 있다,자신 있다などは合成語ではないので分かち書きをしなければなりません。
없다も同様です。
合成語として扱われる거침없다(障りない),그지없다(果てしない),빈틈없다(抜けめない),손색없다(遜色ない),스스럼없다(気安い),틀림없다(間違いない),하염없다(とめどない),상관없다(構わない),관계없다(関係ない)などは付けて書きます。
しかし거리낌 없다,남김 없다,부담 없다,필요 없다などは合成語ではないので分かち書きをします。
どれが合成語でどれが合成語でないかは,一つ一つ辞書を引くしかありません。
次の問題は「以外に(이외에)」の分かち書きについてです。
辞書を開くと이외(以外)という語があるので,無条件に이외에とくっつけて書く人が多く見られますが,2通りの使い方があるのです。
“며칠을 굶었더니 먹을 것 이외에는 눈에 보이질 않았어요.”(何日も食べていなかったので,食べ物以外には目に入りませんでした)とか“이곳은 관계자 이외의 사람이 들어올 수 없습니다.”(ここは関係者以外,立ち入り禁止です)とかいうときには,이외에とくっつけて書きます。
このとき이외の이を省略して“먹을 것 외에는 눈에 보이질 않았어요.”とか“관계자 외의 사람이 들어올 수 없습니다.”と言っても意味は通じます。
次に“여기 바나나와 사과가 있는데 이 외에 먹고 싶은 것이 또 있어요?”(ここにバナナとリンゴがあるけど,このほかに食べたいものがありますか?)という文章を見てみましょう。
このように「このほかに」と言うときには,指示代名詞이に依存名詞외が結合したものなので,이 외에と分かち書きをしなければなりません。
そして,このように分かち書きをする이 외は이を省略することができません。
“여기 바나나와 사과가 있는데 외에 먹고 싶은 것이 또 있어요?”と言うと意味が通じなくなります。
分かち書きをする이 외에は이を이것に替えても文章はおかしくありません。
(○)여기 바나나와 사과가 있는데 이 외에 먹고 싶은 것이 또 있어요?
(○)여기 바나나와 사과가 있는데 이것 외에 먹고 싶은 것이 또 있어요?
しかしくっつけて書く이외에の이を이것に替えると文章は成り立たなくなります。
(○)이곳은 관계자 이외의 사람이 들어올 수 없습니다.
(?)이곳은 관계자 이것외의 사람이 들어올 수 없습니다.
また이 밖에という言葉もよく使われますが,これは無条件に分かち書きをします。
있다は,以前は形容詞としてのみ扱われてれていたのですが,最近は動詞としても認められるようになりました。
この있다や없다は,ほとんどの場合,分かち書きをしなければなりませんが,ある言葉とくっついて合成語になっているときだけくっつけて書きます。その例を見てみましょう。
まず있다をくっつけて書く場合です。
「じっとしている」という動詞,가만있다 [가마닏따] があります。
¶ 이곳저곳 돌아다니지 말고 방 안에 가만있도록 해라.(うろうろしないで部屋の中でじっとしてなさい)
また「何もしないで黙っている」というような場合にも使います。
¶ 아무것도 모르면 가만있어.(何も知らないんだったら,黙ってなさい)
¶친구가 어려운 처지에 있는데 가만있을 수는 없어요. (友達がたいへんなのに黙っていることはできません)
そのほかにも,“가만있어.”,“가만있어라.”,“가만있자.”という形で使われます。
これらは,急に何かが思い出せなかったり,返答に詰まったときに,「ええと…」「何だっけ?」と,ひとりごとでつぶやく場合に使います。
¶ 가만있어, 그 사람 이름이 뭐더라?(ええと,あの人の名前何だったっけ?)
¶ 가만있어라, 그게 뭐였지?(待てよ,あれは何だったっけ?)
값있다[가빋따]も同じようにくっつけて書きます。
これは「価値がある」という形容詞です。発音に気をつけてください。
값있는 시간을 보내다といえば「価値ある時間を過ごす」ことですし,값있어 보이다といえば「高そうに(価値があるように)見える」という意味です。
そのほかにも관계있다,뜻있다,맛있다,멋있다,재미있다なども있다を付けて書きます。
しかし눈치 있다,실속 있다,쓸모 있다,염치 있다,의미 있다,자신 있다などは合成語ではないので分かち書きをしなければなりません。
없다も同様です。
合成語として扱われる거침없다(障りない),그지없다(果てしない),빈틈없다(抜けめない),손색없다(遜色ない),스스럼없다(気安い),틀림없다(間違いない),하염없다(とめどない),상관없다(構わない),관계없다(関係ない)などは付けて書きます。
しかし거리낌 없다,남김 없다,부담 없다,필요 없다などは合成語ではないので分かち書きをします。
どれが合成語でどれが合成語でないかは,一つ一つ辞書を引くしかありません。
次の問題は「以外に(이외에)」の分かち書きについてです。
辞書を開くと이외(以外)という語があるので,無条件に이외에とくっつけて書く人が多く見られますが,2通りの使い方があるのです。
“며칠을 굶었더니 먹을 것 이외에는 눈에 보이질 않았어요.”(何日も食べていなかったので,食べ物以外には目に入りませんでした)とか“이곳은 관계자 이외의 사람이 들어올 수 없습니다.”(ここは関係者以外,立ち入り禁止です)とかいうときには,이외에とくっつけて書きます。
このとき이외の이を省略して“먹을 것 외에는 눈에 보이질 않았어요.”とか“관계자 외의 사람이 들어올 수 없습니다.”と言っても意味は通じます。
次に“여기 바나나와 사과가 있는데 이 외에 먹고 싶은 것이 또 있어요?”(ここにバナナとリンゴがあるけど,このほかに食べたいものがありますか?)という文章を見てみましょう。
このように「このほかに」と言うときには,指示代名詞이に依存名詞외が結合したものなので,이 외에と分かち書きをしなければなりません。
そして,このように分かち書きをする이 외は이を省略することができません。
“여기 바나나와 사과가 있는데 외에 먹고 싶은 것이 또 있어요?”と言うと意味が通じなくなります。
分かち書きをする이 외에は이を이것に替えても文章はおかしくありません。
(○)여기 바나나와 사과가 있는데 이 외에 먹고 싶은 것이 또 있어요?
(○)여기 바나나와 사과가 있는데 이것 외에 먹고 싶은 것이 또 있어요?
しかしくっつけて書く이외에の이を이것に替えると文章は成り立たなくなります。
(○)이곳은 관계자 이외의 사람이 들어올 수 없습니다.
(?)이곳은 관계자 이것외의 사람이 들어올 수 없습니다.
また이 밖에という言葉もよく使われますが,これは無条件に分かち書きをします。
分かち書きや正書法は本当に難しいですね。
この間ある本を見ていたら〈배워서 남 주남〉という文章が目に付きましたがこれはどういう意味ですか。
語尾-남は,ある状況に対して,軽い反駁と気に入らない気持ちを表す口語体です。
배워서 남 주남は直訳すると「(習ったことを)なんで人に教えなくちゃいけないの?」といった感じですが,おもに勉強をしない子供に対して「勉強をすることは、自分のためであって親とか先生などのためではないんだよ」と叱るとき使う表現です。学歴重視の韓国社会において、勉強していい大学に入ることこそ、自分の将来のためになるんだという意味が含まれていると思います。
これだけ韓国語を勉強していても,きょーすけくんの指摘したように初めて見る語尾は,まだまだたくさんありますね。
時代劇の中で見るような言い回しや,韓ドラの中などで,そのニュアンスを的確に掴むのは「韓国人として韓国に生まれて韓国語の環境で育たないと」無理だと思います。
日常では特に問題しない部分であるものの、提出する作品や論文、契約書などでは必ず正しい文章でなければなりませんので、こういう細かそうに見える部分が実は一番難しいとも言われますね。