HIMAGINE電影房

《ワクワク感》が冒険の合図だ!
非ハリウッド娯楽映画を中心に、個人的に興味があるモノを紹介っ!

世界標準的インド製スーパーヒーロー『KRRISH』

2007年05月26日 | インド映画
「アクションシーンはまねするものではなく楽しむものです。私は完全な安全措置のもとで撮影を行いました。私のスタントをまねようとして私を怖がらせるのはやめてください」

 まるでWWEの番組内CM「DON'T TRY THIS HOME!(決してマネするな)」を思わせるような主演俳優リティック・ローシャンの声明もあった、インド新世紀スーパーヒーロー映画『KRRISH』(06)は約3時間の上映時間をものともせず、国際的にも通用する質の高い出来・面白さであった。 
               
                 
         
 超人的な身体能力・頭脳を持つ幼い息子・クリシュナを科学者たちの好奇の目にさらされるのを恐れた彼の母親は山中に身を隠し世間から離れて生活していた。そして何年かが過ぎ、立派に成長したクリシュナはそんなことも知らず俗世間との接触を拒む母に少し窮屈さを覚え始めていた。
 ある日クリシュナが住む山村にシンガポールからTV局で働いている女性・プリヤがバカンスでやってきた。彼はプリアの危機を救った事から好意を抱き始めたのだが、彼女はクリシュナのスーパーパワーをスクープしたいと思い、ウソをついて彼をシンガポールに来ないか?と誘う。

 初めての俗世間・シンガポールにやって来たクリシュナは最初はプリヤと楽しく生活していたのだが、ある時ひょんな偶然で彼女のウソばれてしまい、彼は裏切られた思いで故郷に帰ろうと空港に足を運ぶが、その時初老のインド人から帰国をやめて欲しいと言われる。不思議に思うクリシュナは彼の話をよく聞いてみると、何と死んだと思われていた父親が生きているというのだ。彼が言うには父はとある財団で未来を見ることの出来る装置の研究をしていたのだが、実験中に財団のボス・Dr.アルヤにより自分と家族の身に危機が起こるイメージを見てしまったが為に装置を破壊・脱出を試みるのだが、時すでに遅し。以後20年間父は彼のそばで幽閉生活を送っているのだという。

 その頃、Dr.アルヤは自分の未来がどうなるかのイメージを例の装置でシミュレーションしていた。モニターに映し出されたのは華々しい未来ではなく、仮面を着けた黒衣の男に殺される自分の姿だった。そう、クリシュナが父奪還の為に動き出したのだ…
              
                           

 “スーパーヒーロー作品”とは言っているが、別にクリシュナは市民の平和を守ろうとか、人類の危機を救おうとしているわけではなく、ただ超人的能力を自分の身の回りで使用しているだけなので厳密にはスーパーヒーローではないように思う。敵だって世界征服を企むとかテロ活動を行っているわけでなく、未来のイメージを見ることの出来る装置を持っていて、私設兵隊は持ってはいるが、自らの妄想に浸っているだけの小人物だ。

 このクリシュナのスーパーヒーローぶりを視覚化するために本作では香港映画界からチン・シウトン(程小東)を招き、本場のワイヤー技術と特殊視覚効果の力でグローバル・スタンダート(世界標準)なヒーロー像を創造する事に成功している。いくらワイヤー技術がいろんな国の作品に使用されていようが、精度・画面栄えはオリジナルにはかなわない。そういえばシウトン監督、『スパイダーマン』のアクション指導もやっていましたね。
            
                           

 いろんなアジアの才能が西へ東へ行き来している近年の映画界、昔っからその“才能”の作品を観ている観客からすれば非常に喜ばしい事ではないかと思うのだが皆様は如何だろうか?
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これぞ正調印度娯楽映画!『アマル・アクバル・アンソニー』

2007年04月01日 | インド映画

 更新が約1月ぶりになってしまいました。少なからずともこのブログを楽しみにしていた方には大変申し訳なかったです。

 身の上の話なんか書いても面白くもなんともないから理由は言いませんが、早速作品紹介と参りましょう。今回はインド映画界の大スター、アミダーブ・バッチャン(誰だ?ラジニカーントっていう奴は!)が人気絶頂の頃に製作された、『炎/SHOLAY』(75)と並ぶ彼の代表作である『アマル・アクバル・アンソニー』(78)でございます。


 ストーリーは悪党の下で働く男が大金を強奪して組織から追われるようになり、3人の幼い息子たちの安全を考え一緒に逃走する。途中追っ手をかく乱するため子供たちを一時的に置いておくのが、その結果3人の息子たちはその場所から消えてしまう。実は子供たちはバラバラに分かれてしまい、それぞれ職業の違う人たちに引き取られていたのだ。

 そして20年が過ぎ、長男アマルは立派な警察官に、次男アンソニーはちょっとしたチンピラに、3男のアクバルは歌手になっていた。3人はお互いが実の兄弟とも知らず時には敵対し、時には友情を育んでいたのだが、ある事件をきっかけにその素性が明らかになり、家族と兄弟をバラバラにした敵の本拠地に3人は乗り込んでいくのであった…。

        
              

 随分端折って書いたが、本編はもっといろいろなエピソードが折り重なっていて3時間弱の上映時間があっという間に感じられる。恋愛・家族愛・アクション・コメディ・そしてミュージカル等、それほどにいろんな要素がギッシリ詰まっていて、まるで幕の内弁当かフルコースといった感じだ。『ムトゥ』で我々日本人が初体験したインド娯楽映画(通称マサラ・ムービー)のフォーマットがここでも全開だ。ただ、『アマル~』はヒンディ映画なのでもうちょっと都会的で、私は断然こちらが好み。女優のファッションも70年代的スタイルだし、何と言っても主演のアミダーブ・バッチャンがダンディで欧米的な感じでとてもいい。こういう作品を観ると「もっとバッチャンの全盛期の作品が観たい!」という衝動に駆られてしまう。

             

 タイ映画のときでもそうだったのだが、どうも1つ非ハリウッド娯楽映画を観ると興味がその地域の古い作品に移るみたい。なかなか現地でもソフト化されてないものをどうやって観るんだ? 

             
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夏休みおとな劇場 第二回 『PALAIYATHA AMMAN』

2006年08月04日 | インド映画
 大人になり切れない《いい年こいた子供》たちにこの夏送る《夏休みおとな劇場》、今回は映画大国・インドからの刺客『PALAIYATHA AMMAN』だ!

 インドにはヒンドゥー教の神様や聖人を主人公にしたり、神話を映画化した宗教モノ、別名・神様モノと呼ばれるジャンルがある。これらの作品群が異教徒である我々には陳腐で奇妙で新鮮に映るのだ。色とりどりのヒンドゥーの神々が数々の奇跡や超能力を特撮で見せてくれたり、それを敬う信者たちが集団で歌って踊ってもうホントに《観る極楽》状態なので楽しいこと請け合いだ。

私はこの作品を、名古屋のアジア映画専門店で目にし、ジャケット写真を一目見て「こいつはとんでもない映画に違いない!」と直感し即決購入したのだが、実際に観賞してみると、あまりの摩訶不思議さに軽いカルチャーショックを覚えたほどだ。
 日本でも宗教を題材にした作品は数多く製作されているが、エンターティメント性がある作品は僅かしかない。しかしインドの神様映画は、ヒンドゥー教自体があまり浸透していないのと、神々の容姿の奇抜さにより、ある種のファンタジー映画として素直に楽しむ事ができるのだ。知らず知らずのうちに宗教教育もされちゃったりして。

               
 こんな風に信者たちの《祈りの歌》に合わせて女神様がダンスしたり(演じる女優さんは緑色に塗られて可哀想…)

               
 CGにより描かれた女神様が登場したりと、もの凄い画面が派手!! 私がCGを使用したインド映画を観たのはこの作品が初めてだった。実はもうチョット前からインドではCG技術が使われていたみたいなのだが。(『ジーンズ/世界は二人のために』にも使われてましたっけ)

               
 そして、この映画の見せ場の一つ。主人公親子を付け狙う悪魔が召喚する巨大ガイコツ兵士。
 これを観た時に「巨大怪獣の概念はインドにもあるんだなぁ」と感心した。ガイコツのクセにゴジラのSE(多分、東宝には無許可)で鳴くし、もうメチャメチャ!

               
 『マトリックス』的ショットもいち早く神様映画に導入。こうやって世界中の映画を観ているといかに『マトリックス』が偉大であったかが確認できる。アクション映画だけじゃなく、こういった宗教モノにもパクられるんだもん。


 今回は文章がまとまってなくてゴメンナサイ。とりあえず言いたいことを言っただけのコメントばっかりでした。次回はもうちょっとマトモなこと書きますんで…
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ジャッキー映画的印度アクション! 『SHAKTIMAN』

2006年07月23日 | インド映画
 《非ハリウッド娯楽映画》を何本となく観ていると、「○○的」というフレーズを思わず口にしてしまう事が多々ある。映画自体は全然だけどアクション演出やキャチーな場面において作り方がソックリ(または似ている)な箇所なんかを発見すると「これは○○みたいだ!」と一人で喜んじゃう。

 格闘アクション場面における「○○的」なものの代表といえばブルース・リーや最近では『マトリックス』が挙げられるが、香港を代表する唯一無二のアクションスター、ジャッキー・チェンも実はかなりの範囲で模倣されていたりするのだ。

 ジャッキーが映画製作者としてその才能を開花させた1980年代の同時期のアジア映画界において実にさまざまな《プチ・ジャッキー的アクション映画》が製作された。一番顕著なのはタイのパンナー・リットグライ製作・主演の『グート・マー・ルイ』であるが、ジャッキー主演作がタイムラグ無しで公開されている地域、特にインドなんかでも多少ではあるが影響を垣間見る事ができる。

 今回はそんなインド産《プチ・ジャッキー的アクション映画》の1本である『SHAKTIMAN』(93)を紹介したいと思う。

              

子供が出来なくて困っている富豪の男を不憫に思い、彼の屋敷で働いている使用人の男は妻の反対を押し切って自分の生まれたばかりの赤ん坊を差し出すが、実は富豪の男の妻にも子供が授かっていた。しかし、いざ出産と言う時に事故にあってしまい妻は死んでしまうが、死ぬ直前に使用人の妻に生まれたばかりの自分の赤ん坊を託す。

 20年後、富豪の家の子供は親の目を盗んで悪さし放題の不良となり、主人公である一方の子供は正義に燃える警官となっていた。そしてある事件をきっかけに主人公の運命の歯車が再び動き出すのであった…

               

 日本の大映テレビ系ドラマでよくあるようなストーリーだが、まぁこういった《取替えっ子》テーマの話は万国共通(言い換えれば、よくある話)なので「あっ、○○に似てる!」なんて言わないように。

 この映画の肝であるアクションというのが、小道具を使った殺陣やマーシャルアーツ的な動作、攻撃を受けた者が空中回転して倒れるという通称《香港スピン》を駆使するという、ジャッキー映画(『ポリスストーリー』等の現代アクション作品)の影響をモロに感じ取る事ができる(映画自体が刑事ものだという点も)。とはいうものの実際には主人公のアクション・スキルが高くないので、それを上手く見せるスタントマン次第なのではあるが…

 この作品の主人公はジャッキーのように高所から飛び降りたり、落とされたりというそういう危険で高度な事はしないが、それでも「見てくれ、ジャッキーみたいだろ?!」と画面から滲み出るその心意気だけは十分感じる事ができた、そんな作品である。

              
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タミルの国からこんにちわ 『ULAGAN CHUTRUM VALIBAN』

2006年04月22日 | インド映画
 今回紹介する作品は、タミル映画を代表する大スター・M.G.ラーマチャンドラン (1917~87、タミルナードゥ州の首相になったほどの大人物) の主演・監督作 『ULAGAN CHUTRUM VALIBAN』 だ。

 研究の末、巨大な破壊力を持つエネルギーを開発した科学者が、そのパワーを世界征服のためにしようしようとする悪の秘密結社にその身柄を狙われる。科学者とその美人秘書はインド国外へ逃げ出すが、秘密結社の追跡は緩む事なくどこまでも追ってくる。インド特殊諜報局はこの科学者の身柄保護のため、彼の双子の弟である腕利きの諜報部員にその命を授ける。こうして彼は仲間の女諜報部員と共に兄を救うためアジア各地を飛び回り、途中邪魔にあったり、行き違いになったりしたりしてついに秘密のアジトで拷問にあっている兄を発見、そこで秘密結社の幹部たちを倒し、兄を救出することにみごと成功。こうして世界は危機から救われたのであった…。

 この時代のスパイ活劇 (60年代から70年代にかけての) ってどこの国も似たり寄ったりで、改めて『007』シリーズってすごいんだな、と思った。私は別にスパイ映画研究家でもないんだけど、この時代アジア各国ではスパイ映画が多数製作されていて、その雰囲気は香港でも韓国でもタイでもそしてインドでもみ~んな一緒! (あっ、もちろん日本もね) 使用言語が異なるだけで、中味は『007』とか『電撃フリント』とかとほとんど変わりゃしない。スーパーマン的な諜報部員がヒーローで、美女の諜報部員が敵か味方についていて、でっかい謎の秘密結社が世界征服を企んでいるっていうのが基本フォーマット。今やコメディにしかならないこのフォーマット、40年ぐらい前は世界中の男たちを魅了していたんだなぁ (しみじみ)
 
 この作品にはもうひとつ、われわれ日本人には「うわっ、懐かしい」というアイテムがある。それは1970年の大阪万博の様子がフィルムに収められているのだ。主人公が兄を探しに万博会場内を走り回って、仲間の女諜報部員が「そうだ、歌を歌えば気付いてくれるんじゃないかしら?」と言って、観光客がいる中、そのままミュージカル場面に突入するという力技を見せてくれる。私は大阪万博以降の生まれなので、両親の観光写真や文献でしかこの大阪万博を知らない。まさか何気なく購入したインド映画で (ジャケットは前回参照) 万博が写っているだなんて思いもしなかった。こういう事があるから 《非ハリウッド娯楽映画》 探検はやめられないっ! (2005年の愛知万博も絶対撮影してるよね?インド映画)
          
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印度娯楽映画にもの申す!

2006年04月16日 | インド映画
 最近インド映画の公開状況ってどうなっているんだろう?『ムトゥ踊るマハラジャ』から始まったインド映画ブームもすっかり過去のものとなってしまい、今や一部のファンのみで語られるようになってしまった。全然認知すらされなかった時代にくらべるとまだマシかもしれないが、まだまだ秀作・傑作が眠っているこの娯楽映画の宝庫をこのまま放っておいていいものだろうか?

 『ムトゥ』をインド娯楽映画の入り口としてしまったのが、そもそもの間違いではなかったのだろうか?しかし、この作品は具体的にインド娯楽映画の何たるかを表しており、一般層における一番の教材であった。この映画があったからこそインド映画への扉が開いた、という人も少なくはない。だが、インド映画を代表する作品ではないという事をパブリシティしていなかったのが間違いだったのだ。 
 インド映画は地域・言語によって作られる作品が違い、中でも一番本数が製作され、画面も内容も洗練されているのが、ヒンディ言語で製作される通称《ボリウッド映画》なのだ。実は『ムトゥ』公開ちょっと前に日本で公開されたインド映画というのがこの《ボリウッド映画》で、シャールク・カーン主演の『ラジュー出世する』というのがそうだ。しかし、”インドっぽさ”を求める観客(やマスコミ)の支持は西洋的な顔つきのシャールクよりも、いかにもインドのおっさん的な顔付のラジニカーントを選んだようだ。それゆえ『ムトゥ』以降のインド映画のイメージは口髭の生えた主人公が出てきて、美人のヒロインと歌って踊って、悪玉と格闘する映画というのが定着してしまった。まぁ、まったくの間違いではないが…  
 配給会社も『ムトゥ』路線で売れると見込んだのか、次々とラジニ主演の旧作・新作や、それに似たような作品を輸入し続けた。結果、「なんだ、インド映画ってどれも同じじゃないか」と思われ次第に飽きられ始めてしまった。ブームというのは所詮こんなもん、と言ってしまえばそれまでなのだが、それじゃぁあまりにも寂しいではないか?!  

 私の場合、結構早いうちに《脱・ムトゥ》をスローガンとし、『インディラ』とか『1942・愛の物語』のような社会派作品を除く(ホントはそれじゃぁいけないと思うのだが)娯楽作品を探して観賞しまくった。結果、「インド映画は『ムトゥ』が全てではない」という事を悟った。 さぁ、まだ『ムトゥ』より一歩も前進していない映画ファンたちよ、とにかくインド映画を観なさい!『sholay』のスペクタクルに驚きなさい、『asoka』の戦闘シーンに恐怖しなさい、そして『koi mil gaya』のSFXに感動しなさい!また、3時間近く画面に向かうのが嫌だって人はインド映画のウリであるミュージカル場面を集めたコンピレーションDVD(またはVCD)を観賞したっていい。我々の思っている以上にインド映画は進んでいるというのが分かるはずだから。
      
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