日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

その理由

2012年11月20日 | Weblog
その理由

2011年、3月11日、東日本大震災が発生した。当日は、冷え込んで、零下五度まで気温は下がった。雨やみぞれではなくて、雪である。
人々は、押し寄せる津波に、逃げ惑う。だが、運の悪い人は、飲みこまれた。中には助かった人もいたが、例外なくと言って良いほど。、海中へ引きずり込まれた。
そして再び生きて姿を現さなかった。海水の中から引き上げられた。人たちは、運が悪いとかしか言いようがないが、さらに運が悪いのは、探せども探せども、見つからない。行方不明者である。

震災当時は、被災者に向かって、励ましの言葉や歌が多かった。ほとんどと言って良いほど、行方不明者に、思いをいたすところまではなかった。受難者の中でも、最も悲惨な状態であるにもかかわらず、目につかないものは置き去りにされやすい。名字や、名前は残ってもその人々はいない。
ある人は地中に埋まり、ある人はふるさとの海底に沈み、またある人は、遠い南の島の海底に流されて眠る。
けれども、その気の毒な行方不明者に、心よせるものが少ない。それで良いのか、果たしてそれで良いのか、まだなんとかする方法は無いのか。

震災当日から、2年が近づこうとしている。探しても見つからず、行方不明者として、死亡宣告はされ、肉体は消滅して、お骨だけが残っているだけだろう。
僕の世界観では、これで終わりではない。魂の世界がある。僕は、この世界に向かって、哀悼の意を、鎮魂の音声で示したい、幸いなことに僕は自分の胸の内を表現する方法をもっている。作詞作曲がそれである。
僕は心の中で渦巻くもろもろの思いを鎮魂歌という形で、作詞作曲した。特に、曲の冒頭には、大津波が押し寄せる状況を88鍵のピアノの最低音から最高音に至る全高低を使って描写した。潮がひいた後には、しばしの静寂があり、それから歌唱に入る。
悲しみの涙に暮れながら、「あなたたち」を探し求めて、そして祈る曲が、悲しい。しかし、その中で、「あなたたち」を探し出して見つけても、見つけなくても、まことの祈りを捧げる。、魂の世界では、思いが通じていることだろう。それは、自己満足かもしれないが。
だけれども、僕はそれでいい。「まことの祈り」を作った。その理由は、今まで縷々述べてきたところである。