日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

JAL経営者と大阪府教育委員7-38

2011年12月16日 | Weblog
JAL経営者と大阪府教育委員

立ちゆかなくなったなったJALを京セラの稲森会長が乗り込んで見事JAL再生を導いた。彼は日本航空の重役連中に、「君たちは八百屋の店主もつとまらない」と言ったそうだ。
サラリーマンから成り上がってきた八百屋の親父もつとまらないような重役達は経営に関して、彼から落第点を付けられたのだ。
きっと親方日の丸殿様商売感覚で会社を経営していたのだろう。無理も無い。日航は半官半民の会社だったから。その感覚では経営できないような状態に陥っても、ぬるま湯から抜け出すことが出来なかったのだろう。一旦染みついた人間の感覚というものはそう簡単に意識改革できないとみるのが順当であろう。

これに似たケースガ大阪府の教育委員の侍達である。全国最下位から数えたほうが、速いような実績しかだせないくせに、また改革に対して対案も出せないくせに、教育条例案に反対した。このときの答えがふるっている。
「対案を出すと教育条例案を認めたことになるから、」だから反対だ。
一体何という論理だ。これじゃ子供の論理としか言いようが無い。大人の話が出来ない連中だ。これじゃとても橋下・松井両氏に太刀打ちは出来るまい。

この答えを聞いたときに、僕はこれは一掃された再生前の日航の経営者とよく似たパターンだとおもった。もともと教育委員になるような識見も、人格も、社会経験も無い連中が間違ってその地位に就いたということだ。

その昔算数を教えるのに水道方式と言われる教え方が注目をあびた。確か当時の東京工業大学の遠山啓教授が考案した数学教育のメソッドだと記憶している。

僕の親友に東京教育大学で数学教育を専門に研究実践した現筑波大学の名誉教授がいるが、彼に百マス計算のことをきいたが、不得要領であった。ちょっとマスコミで取り上げられたからと言って、注目をあびた程度のことだ。たいしたことは無いだろうと切って捨てた。案の定その程度の人物だった。

教育委員会御用達では無い、もっと見識のある人物を据えなくちゃとつくづく思う。
橋下さんが今度こそ本物を連れてきて、大阪の教育を何とかして貰いたいものだ。

橋下大阪新市長

2011年12月15日 | Weblog
橋下大阪新市長

僕が彼に注目したのは、光母子殺人事件の裁判中だった。被害者や遺族をさらに侮辱するような、弁護団の論理には吐き気を催していた。荒唐無稽な論理を持ち込んで、弁護活動した安田団長の主張には、無残にも2つの命が殺められている事実に真摯に向き合う人間としての基本的条件が欠落しており、また無能な心理学者野田が意見しただろう、ストーリー にドラエモンが登場して常識人は?然とした。誠の怒りに震え言葉も出なかった。
そのいらだちのなかで、彼は弁護士に懲戒処分を呼びかけたのである。その呼びかけに八千余人から、懲戒請求が出された。常識人の正義感にぴったり応える対応だった。

弁護士だって、学者だって最低の常識はわきまえていないと、社会では通用しない事が判ったはずだ。ともあれ彼の正義感によって僕は溜飲を下げた。
彼の主張が正しいことが最高裁で認められたのは、僕の観点からすれば当然のことである。

今大阪は沈滞していて、ここ20年ばかりは大阪府全体が沈みつつある。そこに意欲と行動力を持った知事が現れた。保守系はみんな彼に抵抗するだろうが、この地盤沈下をどう逆転するかについては、何の方策も持ち合わせていない。と言うことは裏返すと政治家が評論家に成り下がってしまっている。まあそれだけに橋本氏は光る。、、、のであるが

普通は一歩先でもとやかく言われるのだが、彼の言動は十歩先を走っているように映る。どれほど抵抗があるか。彼の苦労が目に浮かぶ。だからその分応援をしたい気分になる。

しかし0から出発するのでは無くて、マイナスから出発するのだから、彼のようなスピード感や行動力、突破力は不可欠の要素である。勿論彼も人だから失敗もあるだろう。結果的には公約違反になってしまうこともあるだろう。それはそれで良いと思う。トライしただけでもプラスだ。

地方や国を見渡しても、彼のような人物はいない。ただ心配するのは彼を利用しようとする人間がわんさかいるだろうが、利用しても利用はされないように、深読みで、沈滞ムードを乗り切ってほしい。

若山牧水記念館にて

2011年12月14日 | Weblog
若山牧水記念館にて

日向の山やまで、尾鈴はつとに有名である。高いというよりは優しい感じがするが、山は西を最高峰として東に向かってなだらかな稜線をなしている。その尾鈴の北側のふもとに若山牧水の生家がある。今は牧水記念館になっている。彼の旅好きは知っていたが、韓国まで旅したことは知らなかった。

あたかも尾鈴山の持つ優しさを、地でいくかのごとく、若山牧水は抒情性あふれる作品をたくさん残して43歳で世を去った。
旅好きという性質だったのか、それとも人生は旅という哲学に殉ずるため、はたまた旅は彼の仕事場だったのか、すなわち全国津々浦々を巡りながら、自然のなかに自分の魂を入れてわき起こる感興を得たという形をとって、その中に己を閉じ込めるのを唯一の生き甲斐として生涯を送ったのか。

彼の生家の前を流れる坪谷川のせせらぎは年がら年中変わることのない清流の美しさを奏で続けたことだろう。そしてそのせせらぎは今もなお私に語りかける。
    「幾山河越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく」

旅は独りがいい。酒の上のことに限らず、なにかにつけて独りがいい。深い山などにさしかかったときの案内人すら、いらない気持ちで私は孤独の旅を好む。

寂しく、苦しく、つくづく厭わしく思うときがある。何の因果でこんなところまで、てくてく出かけてきたのだろう、と我ながら恨めしく思うときがある
私の最も旅を思う時期はモミジがそろそろ散り出すころである。
枯野の中を行きながら、遠く望む高嶺の雪、これはもう拝みたい気持ちである。

わらじを履きマントを被った彼の旅姿の等身大の写真、パネルが飾られている。一方彼が旅したところは、日本地図のみならず朝鮮半島にも足跡を残している。それを見ると日本列島は表も裏も歩き尽くしている。全国津々浦々を巡り歩き、言葉の不便もあっただろうが、朝鮮にも足を延ばしている。車や飛行機のない時代。わらじがけの足を頼りに強烈な意志と旅への憧れがないと、これほど壮大な旅はできるものではない。
雨の日も雪の日も晴れた日も、体調の良い時の悪いときも、気分が晴ればれとしたときも沈んだときも、孤独と酒を友として黙々と旅をして、黙々と作品づくりに励んだ彼の姿が目に浮かぶ。旅がいいというのは一般論で、生涯歩き続けるというのは並大抵のことではない。強烈な意思と個性の持ち主だったことがうかがえる。

人生はよく旅にたとえられる。もし時の流れを足の歩みと考えるならば、確かに野を越え、山を越え谷をわたり、辺りをきょろきょろ見まわしながら歩く旅に似て、時間の流れとともに移り変わる我が心を眺めれば人生は時を歩む旅人に相違ない。

大人の歌がなさ過ぎる

2011年12月13日 | Weblog
大人の歌がなさ過ぎる


近頃大人の歌がなくなってきた。昭和時代の歌も5,60年歌っている。これも後2,30年たてば消えてなくなるだろう。
去年もヒット曲がなかった 。今年も口ずさみたくなるような歌は後半になっても出てこない。これじゃレコード会社は持たないのじゃないか。

1年にいい曲は1曲でよい。高齢者も若い人もともに歌えるような歌は出ないものか。何が原因だろうか。
時代がいかに変わろうとも 、人はうれしいにつけ、悲しいにつけ、心の思いを歌に乗せて歌うようにできてるから、歌がなくなったということではない。

作る側にあるのか、それを世に出す側にあるのか、歌を歌える場所がなくなったのか。
いずれにせよ、歌おうという気にならない歌ばかりが音として流れている現状は何とかしないと、、、いつもそう思う。

気合いを入れる

2011年12月12日 | Weblog
気合いを入れる

僕のお客さんは
十七才。 高校二年生。食べ盛り。弁当を食べた昼下がり、眠気盛り。
教える科目は倫理社会。大学受験とは関係ない科目。

内容はソクラテスの考え方、無知の知。とか、ルソーの自然に帰れとか、
カントの純粋理性批判とか、おおよそ日常生活になじみの無い抽象的なことばかり。
お客さんから見れば、うっとい教科。だが最低点でも、とっておかなければ単位不足になる。
顔はこっち向いてるが目は眠っている。これが普通の子供達の姿だ。
そういう状況を前にして、どのようにして、彼らを眠らせずに注意を授業に集中させるか。工夫のしどころである。
そこで僕は考えた。
1,気合いを入れること
2,面白いこと。笑わせること。
3,抽象度の高いことは、如何に日常の場面において、具体的に説明するか。
4,生徒にしゃべらせること。分担を決めて、そこを宿題にして次回の授業に教壇に立って発表する形式。  等々。

昼飯喰って、体育の実技をして、その次の時間に倫理社会の授業が来れば、こちらにとっては最悪。前向いて寝ている生徒が続出。

そこで教壇に立つなり「オーッス」と叫ぶ。普通の教室は起立・礼だけど、様子が違うので「彼らは反応しない」。そこでもう一度 「オーッス」と言うが、反応無し。
出席をとって、ありきたりの授業をして一時間はやり過ごした。
職員室に戻るなり、女子生徒から「下品な言葉を使わないで下さい」と抗議を受ける。

何を言われても頑として、考えを変えず、1年間押し通した。おかげで倫理社会は優しいようで、難しい科目なんだと、自覚が行き渡った。

どこまで僕の言ったことが浸透したか、判らないが、意図したことが通じたのか、抗議を受けたのは、後にも先にも、これ一回だけだった。
気合いを入れないで勉強なんか出るか。その考えは今も変わっていない。勿論僕自身に対しても。

ヒット曲

2011年12月11日 | Weblog
ヒット曲

どうしたらヒット曲が生まれるのかとテーマで、パネルデイスカッションが行われ、実績を記録分析する立場から、レコード会社の制作部門から、評論をする立場からそして作曲家の立場から、色々問題点や将来の見通しなどの意見が交わされた。

それぞれの立場を紹介していたら、紙面が無くなるので、僕が一番正解だと思うことを書きとどめるだけにした。

いくら実績を正確に分析しても、それからヒット曲が生まれることはない。いくら適切な評論をしても答えはしかりである。レコード会社の制作部門の責任者は 、色々反論していたが、それが間違いであることは、その後のレコード会社の実績を見れば、その凋落ぶりからして実証されている。

結局作家個人の感性と、それを見抜くデイレクターの感性によって、ヒット曲は生まれるのだという所に落ち着く。ヒット曲というと歌を思い浮かべるが、メロデイやリズムを生み出すのは、詞であり、作詞家の感性こそが出発点になると言う結論に成り、日本には感性豊かな作詞家の数が圧倒的に少ないと言う話になった。

確かに豊かな感性を思わせる作詞家は見当たらない。阿久悠、や吉岡治亡き後ヒット作詞家は誰だろう。現れるのだろうか。

詞の重要性は古賀政男以来声高に言われてきた。古賀さんは詞が姉さんで曲は弟だと言った。遠藤実氏は詞が60%で残りが曲だという。確かにいい詞だとよい曲ができる。それは日常的に経験することである。

このデイスカッションの結論も詞の重要性に話は落ち着いた。年末恒例のレコ大や紅白でどんなヒット曲が出るのやら、高みの見物※を決め込もう。

松下政経塾について思う

2011年12月10日 | Weblog
松下政経塾について思う

経営の神様といわれた松下氏が国家の財政にたずさわっていたら、それも彼の裁量に国家の財政政策が任されていたら、1000兆円の借金はできなかった思う。

というのは彼は自己経験からして、借金体質を避けようとしたからだ。借金はするがそれは先を見据えた 時にプラスの予想がつく場合にしか、借金財政は組まないと思われるからだ。
政治の現状見て、これでは日本の将来が怪しくなるとみて、彼は政経塾を立ち上げて政治家を志す者にとって必要な哲学を教えようとしたのであろう。
ところが松下政経塾の現状は、政治家の登竜門として、特にその中身、入塾者に都合のよいような塾に成り下がっている。

早い話が、政経塾出身者から政治屋は出たが、真の意味での政治家は出ていない。
名実ともに政治家となってふさわしい人物の名をあげることができようか。彼らの人間的資質に問題がありそうな人物は見当たるが。、、、

誰とはいわんが、後に大臣にまでなった人物が、近現代史さえ学んでいないから知識がないという。これだけ世界が狭くなっている時代に、日中外交史も勉強しないでよくもまあ閣議に出られたものだとあきれた。そこをつかれるとその大臣は高校の歴史で学ばなかったといった。それで事は済まされてしまった。心ある人から顰蹙を買ったのは当然だ。

熾烈な競争が始まっている時代に、アジア歴史に通じてなくて、アジアの歴史についての最小限度の知識は必要ではないか。国会議員ともなればその程度の教養は必須であると思うが。

これは教えられたか否かの問題ではなくて、大臣ともなればその程度の知識もないというのは恥ずかしいという自覚だ。それすらもない人物が大臣だなんてお粗末で話にならない。でも彼女はれっきとした松下政経塾出身者である。レベルが低い
なにおかいわんやだ。松下政経塾なんて誰が信じるものか。そう思っていた矢先
僕と同じような考えを持っている人が、閉塾したほうがよいという。
松下さんも草葉の陰で泣いていることだろう。生徒の質が悪すぎて。

天下為公7-39

2011年12月09日 | Weblog
天下為公

今日の朝日新聞の夕刊、論説委員室から と言う欄に、孫文のことが書いてあった。
今年は中国の辛亥革命が起きて100年目である。孫文は近代中国史を学ぶに不可欠の人物である。彼の揮毫には「天下為公」すなはち天下は人民のもので権力者や為政者のものでは無いと言う彼の哲学があった。僕の感覚では当然のことである。共産革命を論じるまでも無く、これは天の意志だと思ってきた。だから天意に反する場合には激しく反発した。

日本には辛亥革命を支えた日本人がいた。孫文本人も日本にやって来ている。毛沢東革命の折りの首相の役目を勤めた周恩来も日本に来ている。
先日京都嵯峨野にある周恩来の碑文 「雨中嵐山」を見てきた。竃山公園に登る坂をすこしのぼった処に在る。大きな台座の石の上に石に「雨中嵐山」と中国語で書かれている碑文が在る。漢文の素養の無い僕は読めないから理解できなかったが、解説によると革命前夜のことが書かれているらしい。碑文を眺めていると、その雰囲気は伝わってくる。

毛沢東と周恩来が組んで起こした共産革命時代から6,70年をへて、今の中国がある。
近頃の対中国感情を思う時、中国とはもっと仲良くしなければと思うが、今の中国は僕から見ると、柄が悪すぎる。いくら国威発揚の為に経済発展や、軍備増強が大切だとしても周辺国から疎んじられる様な事をし続ければ、嫌われ者になるだけだ。

国威発揚は目に見えるものだけでは無い。心に訴える,いや響くものが大切である。
中国よ。偉大な指導者を生んだ中国にふさわしい中国になってほしい。
間違っても、拝金主義に犯されて、道徳心まで失っては、元も子もない国になってしまう。 そうならないように願っている。

礼節

2011年12月08日 | Weblog
礼節

近頃の中国の道徳やマナーは一体どうなっているのだろうと、考えさせられるとが日本のマスコミでも報道されている。
1つの例を挙げると、尖閣諸島のトラブルに見せた中国人のマナーの悪さ、上から下に至までやることが紳士的では無い。どこに道徳があるのか、と首をかしげてしまう。
そして挙げ句の果ては 、嫌中感情のみが残る。つまり中国が見せた覇権主義に日本人は辟易する。

本来日本人がもつ道徳観は、中国人が日本人に教えたものだ。中国は日本にとっては尊敬される師匠の国である。対中国外交史をひもといてみると、今日本が持っている道徳観や礼節は皆中国から学んだものだ。特に江戸時代には中国の聖賢が説いた孔子孟子の教えは日本では官学になって、日本の道徳を支えた。その影響はまだまだ日本人の家庭の隅々まで行き渡って残っている。言葉を換えて言えば、中国文化の影響を受けて現在の礼節は世代送りになっている。悪い言葉を使えば、中国文化や思想の支配を受けているとも言える。ただしそれは古代中国、中世の中国と言うことになるのだが。、、、

中国の道徳観がどのようになっているのか知らないが、最近拝金主義のはびこりが目に余る。金になれば命さえも、、、と言う風潮が広がっているのではないか。
例えば子供の誘拐事件の多発など。どこまで礼節が崩れているのだろうかと思わないではいられないのが、中国社会の現状である。

いくら経済成長を遂げても、それで曽てアジアを支配することは出来ないだろう 人品が卑しい人間にひれ伏すのは、背景に暴力があるときだけである。中国はアジア制覇を狙って軍事力増強をしても、尊敬の念が持てないだけに、一体何をしでかすか判らない国だと警戒心を強めるだけである。

アジアの盟主に返り咲きたいならば、中国人自身が道徳心を養い、その範を率先して示さなくてはならない。新幹線を走らせ宇宙船を打ち上げても、心がついて行っていないならば、まともなデモにもならない。
僕はそう思う。

焼却灰

2011年12月08日 | Weblog
焼却灰

焼却灰の始末についての報道を聴いて残念に思った。
送り先の自治体が受け入れを断って送り返してきたというのだ。送られた地元では住民感情に配慮して、送り返さざるを得なかったと言うのだ。
それではこの灰を一体どこへ持って行けというのか。
気分的に受け入れたくないというのは判るが、被災県を助けるためには、全自治体が気持ちを一つにして、団結しなければならないときでは無いのだろうか。

低レベルの放射能と国が言っても、信じられないと言う思いが、国民の間に蔓延してしまっているのだろう。確かに今回の福島原発では国民に安全だといって嘘をついて、いざとなったら被害者はその地方の住民であることを思うと、国家といえども不信感を持たざるをえないというのが国民感情なのだろう。
それも理解できる。だが、さりとて現実の問題として、焼却灰はちゃんと片付けないとたまる一方では、焼却することさえ止めなくてはならないようになる。

困ったときはお互い様だ。助け合いをしようぜ。それでないと地域エゴばかり強調すると日本国は待たなくなると思う。

我が家の活性化

2011年12月06日 | Weblog
我が家の活性化

孫が風邪を引いたり、ありきたりの病気をするのは、まだ幼稚園年代だから当たり前の話である。
が、自分たちの子育ての時期は夢中だったから、何がどうなっているのか判らなかった。

孫というと直接では無いから、高みの見物を決め込み、今までは助太刀を求められたら出動していた。
ところが大病院へ入院すると言うことになったら、こちらも心配で、目の色が変わる。
ぼやっとして過ごしていた一日が、突如日常風景が変わった。

幼稚園に行くようになってから、いろいろな小児病を貰うようになってきた。今回は風邪をこじらせて究極の診断は栄養阻害がおこり、栄養失調で2,3日入院することが決まった。
親が大変なのは判るが、じじばばも驚いて、というより孫が可哀相で、タクシー代わりに車を出したり、当面の入院用意に忙殺された。

普通だったらぼやいたり、愚痴が出たりするが、こちらが先ざき頭を使って、次までにこれをする、買い物はこれこれ、てんやわんやの大騒ぎをした。おかげで火の消えたような火鉢を取り囲んで沈滞した日常風景は 、活性化されて手働き、気働き、全身を使っての活躍に精気がよみがえってきた。

大事にいたらず、3日の入院だったが、それによってに日常生活が活性化された。つらいとか、面倒くさいとか、そんな持ちはさらさら起きない。
久しぶりに目が覚めたような日がおくれた。
子供夫婦にはそんなこと言えないけれど、我々夫婦の間では共通の思いがあるので、役割分担で事に当たり、久しぶりに活性化した日々を、生き生きとして過ごした 。たまにはこんな事に遭遇するのも悪くは無い。

身繕い

2011年12月05日 | Weblog
身繕い

知人に満103歳の女性の先生がおられる。
今までずっと独りで暮らしてこられたが、近頃どうやってすごしておられるのか、お訪ねもしないので、子細は分からないが、たぶん介護の力を少し借りてやっておられるのだろう。手足はまだまだしっかりしたもので、頭が時々こんがらがるくらいである。

あの姿を見ていると100歳以上までこの地上においてほしいとは思わない。ただし独力で身繕いが出来るくらいは、生かしておいてほしい。これが僕の希望である。

だが、これは自分の単なる願望で努力によってと言うわけにはいかない。こういう次元のことは神の御手にゆだねられている。自分が生きるのも、死ぬのも、おおかたは自分の手の届かない分野のことである。ましてや医者の手を借りても、人間としての尊厳を失わないで生きるには限度がある。

自分が生きているのは、出生から死まで、実は生かされて生きているのである。
神によって命が与えられ、生かされると思うと、命を粗末にすることなどは、とんでもないことで、一生懸命に生きて、命の灯火が消えるまで、がんばることが大切だ。

そう思うと知人の先生に学ぶことも大切だ。先生は御年103歳まで介護にほんの少し頼るだけで、身繕いの大部分は独力で、されているからである。
自分のことは自分でやる。出来る。それが人が生きていく上で最低限度のことである。
出来なくなれば、おさらばするのが、理想だ。

現実を見てみると、多くの人が介護施設や、手をかりて生きているのを見るとき、ホントにそう思う。

消費税の導入

2011年12月05日 | Weblog
消費税の導入

社会保障と税の一体改革という言葉を耳にしてから、久しい。
生活費が収入でまかないきれず、不足部分が借金をしてやっと生活しているというのが
今の国家財政だ。その借金が収入をうわまるというのは、誰が考えても財政システムは破綻している。そんな状態で家庭であれ、国家であり、やっていけるわけがない。
早速手を打たなくてはならないことは日を見るより明らかである。

原因は少子高齢化、医療、介護、年金などの問題点を制度改革をしない限り借金体質は続く。

不足分はいずれにせよ、国民が負担しなくてはほかに持って行くところがない。
そういう自明の理に対して、選挙に不利だからという理由から増税反対論があちこちで興っている。
口実には 、1デフレ脱却がが先 、2,行政改革で不足分を補え といわれているが
そんなことを考えて、この体質を改めなければ国家財政は借金地獄をに深入りするばかりで、国力が弱るばかりである。
増税は確かに不人気ではあるが、国政を預かるものとして、責任は不可避である。

景気回復などはグローバル化した世界経済とリンクしいるので、現在の世界経済状況からして、ここしばらくは望めない。
行政改革だけで40兆円もの不足を補えるとは考えられない。とすれば増税するよりほかに手がない。

消費税導入を先送りして、選挙というハードルを越えたとしても、借金体質を克服できない。ここは、借金体質の中身の制度改革と併せて消費税の導入を早急に実施しないと、国家の危機が足音を立ててやってくる。
増税はつらいけど、受け入れるほかに道はあるまい。


橋本市が大阪市長に当選

2011年12月04日 | Weblog
橋本市が大阪市長に当選

大阪維新の会代表の橋本市が大阪市長に当選した。今回の選挙は維新の会対既成政党の連合の形で行われたが、市民は維新の会に投票した。
その理由を考えてみたい
1,彼自身は言葉が明瞭で、実行力がある。
2,大阪市民の間に漂う閉塞感を打ち破ると公言する
3,地方自治から見て、中央集権権力から地方分権状態にする。
4,府市の間に横たわる二重行政の無駄をなくす。ほかにもいくらもあげられようが、要は動きの遅い既成政党に市民府民が飽き飽きしていたということにつきる。
問題は既成政党との関係がどうなるかである。
現状では、自民民主ともにすり寄っている感じがする。これが中央政権の変革に結びついて大きく政界が変わり、少なくとも現状よりはましな政治が行われることを期待している。

知的計画教育は違憲

2011年12月03日 | Weblog
知的計画教育は違憲


インテリジェント・デザイン(ID)を教えいることは違憲だとアメリカ連邦地裁は判断した・
問題は
IDが進化論に替わる科学理論なのか
それとも 科学を装った宗教的主張なのか
に対して判断を下した。その結果IDを禁止したのであるが、
ID推進は、進化論は生物誕生の謎を十分解明できていないと主張。
これほど多様で精緻な生物が誕生する背景には、時計に設計者がいるように
何らかの知的計画が働いたという。

一方判決はID
科学理論では無く創造説に根ざした宗教的な成り立ちと分かつことは出来ない。
証明しようのない週休に根ざした代用品を教室に送り込むことは許されない
とした。

部品が如何に精緻を極めるものであっても設計者がいないと実際に動くことは無いだろう。と言う主張にも一理ある。

個人的に言えば森羅万象何事にも創造者がいて,人間はそれを誰が一番先に発見するかが問題である。
お釈迦様は宇宙の真理を作り出したのでは無くて、第一発見者である。真理を解き明かして、我々にわかりやすく説いたのが、仏教の教えだと僕は理解しているから、この判決には必ずしも賛成できない。お釈迦様が宇宙の真理を解き明かしたと言う背景には真理を作ったものがいるはずである。それは一体誰だろう。神と言えば良いのか、絶対者と言えば良いのか。自分が意図しない,または予期しないことが身の上に起こると、こういう疑問を持つようになる。