日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

推定破産

2013年06月01日 | Weblog
推定破産

推定破産
東京電力は31日、福島第1原発事故の被害者に支払う賠償資金を確保するため、原子力損害賠償支援機構に対して6662億円の追加支援を要請した。
追加要請は4回目で、総額は3兆7893億円に達する見込み。
賠償資金は機構が一時的に肩代わりする形で支援している。追加申請前の総額は3兆1230億円。
機構が東電支援に活用できる政府保証枠は5兆円で、残りは1兆円余り。


東京電力は損害賠償金の不足分を国に立て替えてもらう予定で、その総額は3兆円余。そのうち今回分をかり出して残りはもう1兆円ぐらいしかないという。
16万人の疎開している被災者に定住してもらうための支援が1兆円くらいで済むのだろうか。

遅々として進まない事故現場の復旧工事現場では、地下水の流入を防ぐために建屋の周りに凍土の囲いをして地下水が入らないようにするという。

これから先何兆円あったら住民の救済や事故処理が終わると言うのだろうか。気の遠くなるような話だが、結末はおそらく破綻ではないかという気がする。

大自然の中で6-56

2013年06月01日 | Weblog
大自然の中で

山また山の九州山脈を、車で縦断。走りぬけた。
計画性の無い、気ままな旅だから、勿論その日にとまる宿の予約もしていない。

椎葉からリンドウを走り、中山トンネルをくぐりぬけて、南郷村についた。勿論これも予定外のこと。椎葉に行ってから、地元の人の話を聞いて、ふっとその気になっただけのことである。だから出発する時には、この村にある山霧温泉に入るなんて事は毛頭、頭に無かった。
しかしこんな山奥に温泉がるというのが、うれしく早速入ってみることにした。

 椎葉を出たのが日も翳りだした、5時過ぎだったから、このあたりのどこかに、今夜の宿を探さなくてはならなかった。といってもそこは、いきあたりばったりの旅だから、いざという時のために寝袋はつんで、車の中で眠れるように準備は出来ている。
本当に温泉が湧き出ているのか、冷泉を沸かしているのか、その辺のことは知らないが、旅で疲れた心身を休めるにはもってこいだった。
 露天風呂あり、薬草湯あり、普通の温泉あり、泉質よりは雰囲気がかもし出す情緒のほうが、気分を癒す効果は大きいように思えた。
 
時間を忘れて、長湯してかえってくたびれた。そこで大広間でゆったりと横になり、文字通り心身を休めた。今からどこへいけるわけでもないから、今夜は車で泊まることにした。

9時半にはすべての電気が消えた。明かりといえば星の輝きくらいだ。
後は音と光の無い闇の山奥。かすかに感じるのは涼しい夜風のそよぎと、秋の近づきを知らせる虫の声のみ。この夜は新月の闇夜で、一層寂しさが募った。満天の星、虫の声、涼しい夜の外気。 静寂。山奥の闇。光も音も無い世界。
 ほんのしばしだが、僕はいま大自然の中に溶け込んだ、野生児気分でいた。

ぴかぴか瞬き光る星を眺めていると、どこかはるか、かなたの遠い遠い世界に吸い込まれてしまうような気分になった。気が遠くなるというのか、意識が薄れるというのか、別世界へ行くというのか、はたまた異次元に身をおくというのか、浮世離れをするというのか、この世に身を置いて魂が抜け出すというのか、自然の息吹と同化するというのか、自然に還るということなのか。こんなことは生涯に何度経験できる?

連休の銀座は、大勢の人が繰り出して、肩をふれあわんばかりにして、歩かなくてはならないほど、混雑している。このような雑踏の人の群れを見ていると、少子高齢化なんて信じられない気がした。
 
統計では少子高齢化の時代が確実に忍び寄るが、そういう客観的な事実は隠れてしまっている。この雑踏を見る限り、そういうことは、絵空事のように思えてくる。そしてこの大勢の人たちの、一人ひとりが、それぞれのねぐらを持っている。
家を捨て家庭を捨てて、旅に出てその真っただなかが、銀ブラなんていう人はまずいない。

この大勢の人も時がたてば、めいめい自分のねぐらを目指して帰っていく。そしてそこには、クーラーがあり、居心地をよくするための調度品や生活用品があり、そこで人々は体を休め心を癒す。すべて人工的な仕掛けの中に己を委ねて暮らす。
もし自分の好みが人工的な豪華なホテルに宿泊し、滞在することであれば、それでよいことだが、豪華なホテルはすべて人工的である。この中で人は何に同調させて、何に自分をとけこませようとしているのか。
 僕には想像もつかない。ただ気分だけを問題にすれば確かに快適ではあるが。

銀座4丁目から数寄屋橋の方へ向かって歩いたが、数寄屋橋も人で埋め尽くされている。人波に紛れ込んだために、有楽町の駅へ行くのに、しばし方向感覚を失った。そしてこの大勢の人の生活に思いをはせてみた。現代の文明や技術にどっぷり浸っている3DKの住居から抜け出して、自然の中で眠れる人が、何人いるだろうか。

自然の中にどっぷりつかっただけで、またそれが好きだからということで、文明批判をするつもりは毛頭無く、いちゃもんをつけようと試みているわけでもない。

現代の科学技術文明(環境)の中から、脱出しようという試みでもない。ただ単純にあの山奥の体験を思い出して、それと、いま身を置いている銀座4丁目の雑踏の中にいる自分の心の中を比べてみただけのことである。

それにしても自然は偉大である。
今回山また山の九州山脈縦断を車で走りぬけて、つくづくそう思った。いや思ったのではない。強く実感した。自然の中には、まだまだ人知の及ばないことがいくらでもある。

人類は自然を克服しようとしているのか、それとも自然に学ぼうとしているのか、はたまた対決しようとしているのか、共存しようとしているのか、調和しようとしているのか。
 
地球環境という自然をないがしろにすれば、それが人類の滅亡に直結することは間違いない。今まで人知と自然が対決した場面、つまり地球環境を甘く見て環境破壊をしてきたところでは、大抵犠牲者が出たから、それは証明済と言える。
共存つまり自然環境保存に本腰を入れる時が来た。

今回の旅で、自然と人工の共存が不可欠だと肌で感じた。これが山奥の旅と、都会の旅で僕が感じた結論だった。