亀山殿の御池に、大井川の水をまかせられんとて、大井の土民に仰せて、水車を造らせられけり。
多くの銭を賜ひて、数日に営み出だして、掛けたりけるに、おほかた廻らざりければ、とかく直しけれども、つひに回らで、いたづらに立てりけり。
さて、宇治の里人を召して、こしらへさせられければ、やすらかに結ひて参らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入るること、めでたかりけり。
よろづにその道を知れる者は、やんごとなきものなり。
亀山殿: 京都嵯峨野にありました後嵯峨上皇が造営した離宮、現天龍寺付近
まかす: 水を引く
土民: 住人、土着の農民
銭(あし): お金、江戸時代には「小銭」を指しました。
おおかた+否定語: 全く、全然
参らす: 差し上げる、与えるの謙譲語
道: 専門の道、専門分野
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亀山殿の御池に水を引くために水車をつくらせることになりました。大堰川付近の農民は、作りましたものの、水車が回りませんでした。
宇治川付近は、昔から水車を利用していたこともあり、「宇治の里人は、水車づくりの名人」が揃っていました。彼等に水車をつくらせたところ、いとも簡単に作りあげました。
何ごとにおいても、その道に通じる者の存在は尊いことであると兼好は言っています。
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亀山殿は、京都嵯峨野にありました後嵯峨上皇が造営した離宮です。現天龍寺は、その跡地の一部です。天龍寺そのものも、池のある立派な庭園を持っていますので、おそらく贅を尽くされた御殿だったのでしょう。
その離宮の池に、水を引くに当たり、たくさんの金銭を用意したことは当然でしょう。大井川(今日の「大堰川」)の水を使うことが決定されました。何ごとにも、目的が決定すれば、手段を講じなければなりません。
大井川の水を引くのですから、当然のことのように、大井川付近の住民に、その作業の命がくだされました。ところが、水車を数日かけて作りましたものの、全くといって良いほど回転しなかったそうです。
うまく行かないときに、微調整をしたり、改良したりするのは、日本人は得意です。しかし、水車づくりの経験に乏しい大堰川付近の農民が、あれこれと直そうとしたのでしょうがうまく行きませんでした。所詮、素人の集まりですので、当然なことかも知れません。
京都の南、奈良に近いところに、平等院があります。その西側には宇治川が蕩々と流れています。宇治茶の産地として知られますが、お茶は水はけの良いところに育ちます。宇治は、扇状地として水はけが良いだけではなく、その豊かな水を用いた治水に長け、それが活かされた土地です。
宇治の人達は、水を操ることは、難しいことですが、長年、治水対策経験を積んできました。その宇治の里の住民が、亀山殿の水車のことで呼ばれるのは、時間の問題だったでしょう。むしろ、始めから、そうすべきだったといえます。いとも簡単に水車が作られ、期待通りに回転して、池に水を汲み上げることができたことはいうまでもありません。
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現在では、政府が新たなプロジェクトを組む時を見ますと、大した経験もない人が、名前が知られているというだけで、その組織のトップにすえられます。
企業経営におきましても、自分達が長年培ってきた経験により、時代の変化に取り残されて厳しい経営危機に陥ってしまう企業があります。
その様な状態になってから、慌てて自分達で何とかしようともがきましても、うまく行かず、倒産への坂道を転げ落ちてしまう企業がみられます。
その様な状態になる前に、経営コンサルタントなど、その道の専門家の門をたたけば、倒産を回避できるとみられることが多々あります。
何事におきましても、その道に通じている人の存在というのは大きいものです。
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