■【きょうの人】 0104 ■ 西村真琴 人型ロボットの先駆者 ■ 藤堂高次 徳川家光や家綱までの時代の武将
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そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。
■ 西村 真琴 人型ロボットの先駆者
にしむら まこと
1883年(明治16年)3月26日-1956年(昭和31年)1月4日)
生物学者で北海道帝国大学教授を務め、マリモの研究では第一人者の一人です。また、人型ロボットの先駆者でもあります。
長野県東筑摩郡里山辺村(現・松本市)生まれで、父源逸は幕末に庄屋を、維新後は村会議員・町村連合会議長務める名家の出自です。
1920年(大正9年)に、アメリカ・コロンビア大学で博士号 (Ph.D.) を取得しました。当時の文部省より、水産植物学及び浮遊生物学研究のため、アメリカ・スウェーデン・ノルウェーへの留学を命じられました。
1928年(昭和3年)、東洋初の人間型ロボット「學天則(がくてんそく)」を制作し、京都博覧会に出品しました。その後、そのロボット技術が、どの様に引き継がれたのかの記録はないようです。
戦後、新聞社勤務をする傍ら、幼児教育や中国人孤児救済に尽くしました。
次男は、TV時代映画、二代目水戸黄門で知られる俳優の西村晃です。
■ 藤堂高次 徳川家光や家綱までの時代の武将
とうどうたかつぐ
慶長6年閏11月11日(1602年1月4日)-延宝4年11月16日(1676年12月20日)
藤堂高虎を父に持ち、幼名「大助」で、徳川家光や家綱までの時代の武将です。
父、高虎には、なかなか実子ができなかったため、丹羽長秀の子を養嗣子・高吉として迎えていました。
幸い、高虎が46歳のとき、ようやく実子である高次が生まれ、寛永7年(1630年)、高虎が病死すると、高次がその跡を継ぎました。
寛永9年(1632年)の江戸城二の丸、寛永16年(1639年)の江戸城本丸消失後の復興、慶安5年(1652年)の日光の大猷院霊廟(だいゆういん、徳川家光の霊廟)などの数多くの石垣普請を行いました。
ところが津藩はこれらの石垣普請の負担により財政が極度に悪化し、高次は年貢増収による財政再建を図って新田開発を積極的に奨励するなどの改革に努めました。
しかしなおも江戸幕府の普請費用を積極的に負担したため、財政はさらに悪化の一途をたどっていきました。
寛文9年(1669年)、隠居して家督を長男の高久に譲り、延宝4年11月16日(1676年12月20日)に死去しました。
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【 注 】
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