■【きょうの人】 0905 ■ 棟方 志功 日本を代表する版画家生誕 ■ 伊達 政宗 独眼竜
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そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。
■ 伊達 政宗 独眼竜
だて まさむね
永禄10年8月3日(1567年9月5日、グレゴリオ暦1567年9月15日)-寛永13年5月24日(1636年6月27日)
出羽国と陸奥国の戦国大名で、伊達氏の第17代当主です。近世大名としては仙台藩の初代藩主です。
幼名が梵天丸であることはよく知られています。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、「独眼竜」の異名があります。没後は、法名から貞山公と尊称されています。
天正17年11月、後北条氏が真田領へ侵攻したことにより、豊臣氏により征伐が行われることになりました。政宗は父・輝宗の時代から後北条氏と同盟関係にありましたので、再三の、秀吉からの督促にもかかわらず、秀吉と戦うべきか小田原に参陣すべきか、直前まで迷っていたといいます。
最終的には、秀吉に恭順の意を示すのですが、その際に、白装束(死人の装束)で臨んだことは有名です。
秀吉・文禄の役では、派手な装いで軍を引き連れ、そのことから派手好みに着こなす人を指して「伊達者(だてもの)」と呼ぶようになりました。今日の「伊達男」に通じます。
■ 棟方 志功 日本を代表する版画家生誕
むなかた しこう
1903年(明治36年)9月5日 - 1975年(昭和50年)9月13日)
日本の板画家であり、20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人といえます。
青森県出身で、川上澄生の版画「初夏の風」を見た感激で、版画家になることを決意したといわれています。
1942年(昭和17年)以降、彼は版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けました。
はじめは帝展や白日会展などに油絵を出品しても落選が続きましたが、1928年(昭和3年)、第9回帝展に「雑園」(油絵)を出品し、入選しますと、頭角を現してきます。
1930年(昭和5年)から文化学院で美術教師を務め、日本版画協会の会員ともなっています。
1956年(昭和31年)には、ヴェネツィア・ビエンナーレに「湧然する女者達々」などを出品し、日本人として版画部門で初の国際版画大賞を受賞しました。
棟方は大変な近視であり、眼鏡が板に付く程に顔を近づけて、軍艦マーチを口ずさみながら板画を彫ったというエピソードが伝わっています。
第二次世界大戦中、富山県に疎開して浄土真宗にふれたのげ契機となり、仏を在々にした作品が高い評価を得ることになります。
「阿弥陀如来像」「蓮如上人の柵」など、私が好きな作品が多数あります。
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【 注 】
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