■【きょうの人】 0706 ■ 惠心僧都源信 平安時代中期の天台宗の僧 ■ 良忠
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■ 惠心僧都源信 平安時代中期の天台宗の僧
えしんそうずげんしん
天慶5年(942年)- 寛仁元年6月10日(1017年7月6日)
恵心院
(比叡山延暦寺横川兜率谷)
源信(げんしん)は、平安時代中期の天台宗の僧で、惠心は、恵心僧都(えしんそうず)と、浄土真宗では、七高僧の第六祖とされ、源信和尚、源信大師と尊称されます。
大和当麻で生まれ、幼少時に比叡山に登り、比叡山中興の祖慈慧大師良源(通称、元三大師)に入門し、止観業、遮那業を学び、天暦9年(955年)に得度しています。
天暦10年(956年)には、わずか15歳で『称讃浄土経』を講じ、村上天皇により法華八講の講師の一人に選ばれました。
寛仁元年6月10日(1017年7月6日)、76歳にて示寂しました。臨終にあたって、阿弥陀如来像の手に結びつけた糸を手にして、合掌しながら入滅したといわれています。
■ 良忠
りょうちゅう
正治元年7月27日 - 弘安10年7月6日 (1199年8月20日 - 1287年8月16日)
鎌倉時代中期の僧で、浄土宗第3祖、諱は然阿(ねんな)、記主禅師の諡号が滅後7年の永仁元年(1293年)に伏見天皇より贈られています。
善導寺にて『末代念仏授手印』などを授かり、『領解末代念仏授手印鈔』を著して弁長の印可を受け、学問的な後継者となりました。
信濃国に向かい善光寺に参拝したりしています。建長元年(1249年)には利根川に沿って関東に下り下総国の教化をはじめ、翌年には『浄土大意鈔』を著します。
そして、浄土宗学の基本となる『決答授手印疑問鈔』や『観経疏伝通記』などを著し、各地で講義を行いつつ弟子の育成に努めていました。しかし、正元元年(1259年)外護者の椎名八郎と衝突し、数人の弟子を連れ匝瑳南条荘を去って鎌倉に入りました。
鎌倉では、大仏勧進聖浄光の坊に仮寓し一時をすごしましたが、大仏朝直の帰依を得て佐助ヶ谷に悟真寺を創建しました。朝直の子時遠から悟真寺坊地や寺領の寄進を受け経済的にも安定し、専修念仏の指導的な立場に立つとともに、他宗の僧侶からも高い評価を受けました。
建治2年(1276年)には、弟子の要請によって上洛し、間もなくして紫野門徒源智の弟子であり、百万遍知恩寺3世の信慧と東山の赤築地(あかつじ)において談義を行っています。
弘安9年(1286年)、当時混乱していた浄土宗の統一に尽力し、鎌倉に戻った良忠は、長男の良暁に浄土の奥義を伝授し、弘安10年7月6日(1287年8月16日)、89歳で入寂しました。
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