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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー02 二律背反 矛盾を楽しむ 相互矛盾の両立しない状態

2024-11-02 12:21:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー02 二律背反 矛盾を楽しむ 相互矛盾の両立しない状態   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

 第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー02 二律背反 矛盾を楽しむ
      ~ 相互矛盾の両立しない状態 ~

 「二律背反(にりつはいはん)」とは、ドイツ語の「アンチノミー( Antinomie)」の日本語訳です。「二つの命題に妥当性がありましても、お互いに矛盾し、現実だけではなく見かけ上も両立しない状態」をいいます。Wikipediaでは「正命題、反命題のどちらにも証明できる矛盾・パラドックスのこと」と説明されています。
 哲学者カントの名前はよく知られています。二律背反とカントについては、Wikipediaの記述が大変興味深いですので、ここに掲載しておきます。
【Wikipedia】
 この術語は、イマヌエル・カントの哲学において特別な意味を要求する。カントは、感覚的知覚あるいは経験(現象)の領域のみ用いられるカテゴリーあるいは理性の規準を純粋思惟の領域に適用した際に生じる、同等に合理的ではあるが矛盾する帰結を記述するのに用いた。理性はここでは合理的な真理を確立する役割を演じることができない。なぜなら、それは可能な経験を超えているし、理性を超越しているものの領域に適用されているからである。
 カントにとって、以下のものに関連する四つのアンチノミーが存在する。
1 時間と空間に関する宇宙の限界
2 全ては分割不可能な原子から構成されている(それに対して、実際にはそのようなものは存在しない)という理論
3 普遍的な因果性に関する自由の問題
4 必然的な存在者の実在


 我々に直結するビジネスの世界でもしばしば二律背反は起こります。経営者は、できるだけ多くの売上や利益を上げたいと考えます。一方で、顧客・ユーザーの立場に立ちますと、「よい商品・サービスを安く提供する」ことが求められます。
 ICT(IT)においては、セキュリティを強化することが安全のために求められます。一方で、セキュリティを強化すると使い勝手が悪くなることがしばしば起こります。セキュリティとユーザビリティという二律背反的な事情にしばしば挟まれます。
 経営においては矛盾する事象に直面したときに、そこから目をそらすのではなく、そのことにガチンと真っ向からぶつかって解決する方策を追求する姿勢が重要と考えています。そこに新しい局面が展開してくることが多々あるからです。
 例えば、非常に卑近な例ではありますが、労使の衝突です。景気が悪く、収益が上がらないから給料を上げられないという経営者の言い分があります。労組は、給料が上がらないからモラールが上がりません。モラールが上がりませんので収益が上がりません。だから給料を上げるべきだという主張とぶつかります。
「鶏が先か、卵が先か」の問題だと言って、言葉を濁していても解決しません。景気を理由にして、戦略や戦術の十分な検討を逃げている経営者がいます。自分達の会社であり、その変革は自分達がしなければいけないという労働側におけます意識の稚拙さとのぶつかり合いでは解決しません。業績が悪ければ、一丸となってやるべきことがあるはずです。


 世の中というのは、このような矛盾・パラドックスというか、二律背反というか、板挟みになることが多々あります。
 私は「矛盾を楽しむ」ということをしばしば考えます。ヘーゲルによって定式化された弁証法論理の三段階といわれます「正反合」という理論がどのようなものかはお恥ずかしながら充分な知識を持ちあわせてはいませんが、ここに通じるように思えます。weblioによりますと「ある判断(定立)と,それと矛盾する判断(反定立)と,正反二つの判断を統合したより高い判断(総合)のこと」と正反合の説明があります。
 矛盾を楽しむということは、矛盾するからといって、その課題を否定するのではなく、それに四つに取り組むことだと考えます。別項で触れています「重考高盛」することが 矛盾を楽しむことに繋がり、そのうちに、自然と方策が生まれてきます。それだけではなく思考力の養成になります。歳を重ねてきた昨今では、老化防止と考えて、若い経営コンサルタントに負けないように知恵を絞る努力を続けています。


 矛盾という言葉を含む四字熟語に「矛盾撞着(むじゅんどうちゃく)」があります。矛盾という言葉は、私たちが日常よく使う言葉の一つですので説明するまでもありません。一方「撞着」という言葉はあまり聞き慣れない言葉です。撞着という言葉は、広辞苑によると「つきあたること。ぶつかること」とあります。
 説明の次項に「前後が一致しないこと。つじつまが合わないこと。矛盾」とあり、この場合は後者の意で、「矛盾撞着(むじゅんどうちゃく)」の前半分の二語も後ろの二語も「矛盾」という意味になります。すなわち、物事が論理的に整合性がとれていないことをさします。
 「撞着」は、「自家撞着(じかどうちゃく)に陥る」という使い方をします。「同じ人の言行が前と後とくいちがって、つじつまの合わないこと(広辞苑)」という意味です。
 これとは直接関係ありませんが、「撞」という文字は「しょう」と読みますが、慣用的に「どう」と読みます。「憧れる(あこがれる)」という字と混同されることがありますので注意が必要です。「憧着」ですと、憧れにとりつかれる夢見る女の子みたいになってしまいます。
 同じような意味で「自己矛盾(じこむじゅん)」があります。「自分の言動が論理的に齟齬をきたして、つじつまが合わない」ことをさします。それを強引に進めてゆきますと「自縄自縛(じじょうじばく)」に陥ります。「自縄」は、自分の縄(なわ)、「自縛」は自分自身を縛るということから「自分の言動や考え方に固執し、自分自身を縛ってしまい、身動きできなくしてしまう」、いわば「自業自得」に陥ってしまうことです。


 かつて、私の上司で、矛盾撞着を地で行くような人がいました。これは少々オーバーで、彼に対して失礼極まりない言い方かも知れませんが、矛盾した言動を平素から平気でとる人でした。
 1997年の暮れのことです。私が提出した書類の中に「二〇世紀も三年余りとなり・・・」という下りがありました。「君、二一世紀はあと二年強で来るのだから、三ではなく二にしなければいけないだろう」と赤ペンを入れられました。
 私が「西暦0年という年はなく、BC1年の次はAD1年ですから、21世紀は2001年1月1日から始まります。ですからこの場合は、“3”でよいのではないでしょうか」と答えました。
 その上司は、自分の考えと法律とがマッチしないときに「それは法律が間違えている」とさえ言う人です。ですからこの件も頭らか自分が正しいと考えていますので、上述の私がしました西暦の説明は音として左の耳から入っても、右の耳に抜けるだけだったのでしょう。
「満で数えるか、数え年で数えるかの違いで、数えなら君の言うことが正しいが、普通は満で数えるだろう」という言葉が返ってきました。私の説明をまるで理解していなかったのです。
 「植木算を知っているだろう。あの考え方だよ、君」
「異端邪説(いたんじゃせつ)」と言えるほどの論理ではないですが、矛盾撞着、一歩も譲らず、その書類をそのまま印刷物にして外部に出すといいますので、彼の意に反して赤ペンをもとに書き直して印刷部門に回すことにしました。できあがった印刷物を彼が目を通したのかどうかわかりませんが、その後、何のとがめもありませんでした。
 因みに「異端邪説」は、「正統ではない思想や学説のことで、しばしば正当性あることに対して異論を唱えることを指します。類語として「異端邪宗(いたんじゃしゅう)」という四字熟語もあります。「正統ではない異なる教え」という意味です。
 上述の御仁からは、「反面教師(はんめんきょうし)」として多くを学ぶことができました。「反面教師」というのは、「悪い面の見本で、それを見るとそうなってはいけないと教えられる人や事例(新明解四字熟語辞典)」という意味です。その人のなすことを見ていますと、反省の材料をたくさん示してくれました。自分を律する気持ちがあれば、相手が誰でありましても「反面教師」として、自分を高めることができることを体感できました。
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