原節子さん 9月に死去していた 95歳「東京物語」「晩春」
古い記憶の中に初めての映画体験がある。
その映画館も観た映画の記憶も朧げだが、隣に座ってスクリーンに釘付けになっていたのは
すでに鬼籍に入った母であったことに間違いはない。
まだ幼少でTVなどない昭和29年の私は、まだ6歳になったばかりだが映画のストーリーの記憶は
まったくないが、観た映画の題名は一生記憶の中に残ることになった。
題名は戦時中の悲惨な沖縄戦を描いた「ひめゆりの塔」とこの度亡くなられた原節子さんが
出演をした「東京物語」(小津安二郎監督)だった。
初めに観た「ひめゆりの塔」は米軍の沖縄への艦砲射撃の音響が館内に轟き、6歳の私は
怖さで母親にすがりつき、悲惨なシーンは母の着物の袂に顔をうづめたことを、今でも
ハッキリと思い出す。
多分、あの時は「こわいよ~」と泣いていたかも知れない。
それが後年トラウマとなって、邦画の戦争ものはあえて見なくなるようになるのだが。
二作目の「東京物語」に関しては、まったく記憶がない。
静かな映画であり子供の私にとっては、「つまらない映画」ということになり、映画館では
すっかり寝てしまったようだ。
晩年になって小津監督と原節子さんの映画は、「晩秋」「東京暮色」「小早川家の人々」などを
見ることになるが、初めての映画が「ひめゆりの塔」と「東京物語」という体験の人は、数少なく
なっているのではないだろうか。
映画館を出てとても暑かった記憶があり、アイスキャンデーを母に買ってもらった覚えが
微かに残っているが、そののち母の実家に連れられて、優しかった祖父母のところにお邪魔を
したはずだが、それが母との最後の映画鑑賞になるとは、幼少の私には想像すら出来なかった。
私にとっては遠い夏の思い出の一コマだが、原節子さんのご冥福を心から祈りたい。