フリージア(アヤメ科)花言葉は、無邪気、潔白。南アフリカ原産のアヤメ科の多年草。細い葉の間から茎が伸び花を連ねる。花色は黄色.白.紫など。切り花として好まれる。高い芳香を放つ。「フリージアのあるかなきかの香に病みぬ 阿部みどり女」「うまそうなコツプの水にフリージア 京極杞陽」「熱高く睡るフリージアの香の中に 古賀まり子」「書かぬ日の日記の上にフリージア 神蔵 器」「挨拶はひとことで足るフリージア 伊藤敬子」「フリージア子に恋人のできたるらし 宇咲冬男」「麻酔さめきし薄明のフリージア 倉部たかの」「フリジアにかひなきことは言はでけり 中尾白雨」「吸入やみつめどほしのフリージア 石田波郷」。「飛び来たる 紋白蝶はフリジアへ ケイスケ)
クロッカス(アヤメ科)花言葉は、堅実、青春の喜び。小アジアまたは南ヨーロツパ原産の観賞用に栽培されるアヤメ科の球根植物の花。春先と秋咲きに大別される。春咲きのものをクロッカスと言い、早春、松葉状の葉の間から花茎を出し、可憐な花を咲かせる。種類によって黄.白.紫などがある。「日の庭に愛語撒くごとクロッカス 下村ひろし」「クロッカスいきなりピアノ鳴り出しぬ 宮岡計次」「並びゐて日向日陰のクロッカス 本井 英」「尖塔の空晴れわたりクロッカス 大木さつき」。(雨模様 クロッカスをば 暗くせり ケイスケ)
金鳳花(キンポウゲ科)山野に自生するキンポウゲ科の多年草。春から初夏にかけて直立、黄色い花をつける。葉は長い柄を持ち、掌状に5~7裂する。有毒植物とされるが、漢方薬にも用いられる。「大宰府の畦道潰えきぽうげ 山口青邨」「金鳳花明日ゆく山は雲の中 飯田龍太」「きんぽうげ山雨ぱらりぱらりと降つて晴れ 岡田日郎」「金鳳花まだ風荒き行者道 古賀まり子」「きんぽうげ帰りをいそぐ人ばかり 浦野芳南」「岬には馬の路あり金鳳花 山下和人」。東一華が同じキンポウゲ科の花であるのに、一華を詠んだ句は見当たらず金鳳花は数多く詠まれているので、追補した。(一華咲く 野道を行けば 雨やめり ケイスケ)
アズマィチゲ;東一華;東一花(キンポウゲ科)草丈10~20cmの多年草。生育場所;落葉広葉樹林内、分布地は北海道~九州.朝鮮.サファリン.ウスりー。葉根生、輪生。特長茎頂に直系2~3cmの白色花を1個つける。花弁状に見えるのは萼片で8~13枚ある。花はキクザイチゲに似ているが、茎葉の柄は鞘状に広がらず、小葉はややうなだれてつき、先端に鋸歯があるだけで深い切り込みはない。根生葉は長い柄があり、2回3出複葉で、小葉はさらに分裂する。果実は痩果で頭状に多数。イチリンソウ属は典型的な春植物で、上層の落葉樹が葉を開く前に、葉を広げ、花を咲かせ、結実し、6月頃には地上部は枯れてしまう。わずか2か月の間に生殖を済ませ。根茎に次年のための養分を貯える。(山路行く 樹林の際に 東一花 根茎秘かに 眠りおり ケイスケ)
カンヒザクラ;寒緋桜;冬桜;緋寒桜(バラ科)。花言葉はあでやか。冬期に咲く種類の櫻。寒桜は鹿児島.沖縄地方に栽培されていた緋寒桜のことで、寒緋桜ともいわれる。冬桜は山桜と富士桜の雑種といわれ、12月ころ花を開く。群馬県藤岡市鬼石の桜山公園の冬桜は天然記念物に指定され一斉に花を付ける。寒桜と冬桜は本来別種のものであるが、俳句では冬季に咲く桜として両者を寒桜.冬桜と呼ぶことが慣用になっている。「山の日は鏡のごとし寒桜 高浜虚子」「うすうすと島を鋤くなり寒桜 飴山 實」「寒桜交わり淡くして長し 古賀まり子」「雨雫よりひそやかに寒桜 稲畑 汀子」「うつし世のものとしもなし冬桜 鈴木 花蓑」「今日ありと思ふ余命の冬桜 中村 苑子」「母癒えて言葉少なや冬桜 岡田 日郎」「月の出に風おさまりぬ冬桜 茂恵一郎」「痛そうに空晴れてをり冬桜 黛 執」「水音のそこだけ消えて冬桜 清水 衣子」「ひとゆれに消ゆる色とも冬桜 平子 公一」。例年近所の仙川公園に梅が咲いてから3月末頃桜が咲くので,観に行くのに、今年は雪が降り、舗道に雪がまだ残っていう状況なので、散歩もしていない。今週末から、温度上昇するので、一度見に行こう。ちなみに我が家の梅は現在満開である。(冬桜咲し便り 後にして 梅の開花を吾まてり ケイスケ)
オウレン;黄連(キンポウゲ科;オウレン属)花言葉は変身。山地の林内や渓谷などに生育する。分布地は、福島県以南から紀伊半島にかけた本州の太平洋側と四国に分布。海外では台湾に分布。花の特徴。5~10㎝の花茎を伸ばし、花茎1cm位の梅の花に似た白い五弁花を咲かせる。ただし花弁のように見えるのは萼片である。葉は根から生えて長い柄があり、五枚の小葉に分れる。艶のある葉は常緑で花の後に若葉が出る。実は花の後にでき袋果が熟すと果皮が自然に裂けて種子を放出する。オウレン属は原始的な植物と言われ、矢車状に並んだ袋果は熟すと果皮が自然に裂けて種子を放出する。オウレン属は原始的な植物と言われ、矢車状に並んだ先は開いていて、そこから種子がこぼれる。学名Coptisはギリシャ語の「Coptin」(切る)からきちる。分裂した葉を表すと思われる。in quifoliaは種小名のquinge folia「五枚の葉」という意味。薬用植物で毒を持つ。別名五加葉黄連(ゴカヨウオウレン)。「オウレンの花咲く朝の力湧き来る 鳥海昭子」。(毒を持つ オウレンの花 美しく ケイスケ)
オウバイ;迎春花(モクセイ科)花言葉は、恩恵。落葉低木の花。中国原産で高さ1.5mほど。早春、葉に先立って六つに分れた筒状の花を咲かせる。形が梅の花に似ていることからその名があり、迎春花ともいう。「黄梅の衰え見ゆる日向かな 高木晴子」「石垣の家黄梅と人妻と 山上樹実雄」「黄梅や鎌倉山に風出でぬ 嶋田真紀」「川筋に黄色飛びて迎春花 中西舗土」「春望の西安どこも迎春花 松鉄之助」。昔我が家のルーフガーデンにも、黄梅の他、各種の盆栽を、7~800鉢置いていた。夫婦の趣味と、妻の懇意な園芸店から譲り受けたもの、近隣の空き地に残る樹木を採集したものである。その後妻が68歳で逝去して、自分一人で管理するのは、難しいとの思いから、下のタクシー会社の従業員に無償で引き取ってもらつた。その従業員は程無く退職していた。今思うに、後先を考えず自分の骨を休める事だけで、行動した事と、現在残っている鉢は、柑橘類だけで、横着からきた結末であつた。自ずから思慮の浅さ、無智、無謀であつた事に気が付くも、後の祭りであった。黄梅の恩恵を捨てた男となる。(貧乏籤 自分で拾い 捨てられず ケイスケ)
カンギク;寒菊;クリンセマム.バルドサム(キク科)花言葉は、清純。油菊を園芸化したものの花。12月~2月頃まで黄色い花をつける。俳句では遅咲きの菊が残っているのを冬菊.寒菊として詠むことが多いい。「寒菊の気随に咲くや藪の中 来 山」「寒菊を憐れみよりて駈りにけり 富安 風生」「寒菊のくれなゐふかく昃りけり 金尾梅の門」「寒菊の霜を払って剪りにけり 高浜 虚子」「寒菊や母のようなる 見舞客 石田 波郷」「寒菊のあとも寒菊挿しにけり 橋本 末子」「寒菊の霜を払つて剪りにけり 富安 風生」「寒菊や時計の針の午後いそぐ 阿部 みどり」「寒菊のまとふはおのがひかりのみ 水原秋桜子」「冬菊となりて闇負ふ白さかな 五十嵐 朗」「冬菊に埋めつくされて死はたしか 鈴木真砂女」「冬菊の括られてまたひと盛り 横澤放川」「棺へ足す冬菊のみな違ふ白 嶋田 麻紀」「霜菊や岸に及べる舟の波 岡本 眸」。(寒菊は 枯れてしまいて 雪帽子 ケイスケ)
ミツマタ;三椏(ジンチョウゲ科)花言葉は、壮健。中国から渡来した落葉低木で、樹高2m位になる。黄葛色の枝が全て三又に分かれる事かその名がきている。三月頃、枝木ごとに固まった蕾を垂れて、葉が出ないうちに黄色い小花を蜂の巣状に咲かせる。表皮と木質部の間の靭皮繊維(白皮)を採って和紙の原料とする。紙魚の害が少なく艶があるので、証書、紙幣などに使われる。「三椏や皆頸垂れて花盛り 前田普羅」「雨やさし三椏三つに咲くことも 安住 敦」「三椏の花雪片の飛べるなか 山口 青邨」「三椏の花幽さをうべなへり 小林 康治」「三椏の花のうす黄のなかも雪 大野 林火」「三椏の花の光陰流れだす 森 澄雄」「やすらぎや三椏は咲き垂るる花 林 翔」「三椏や百姓の顔ねむく過ぎ 岸田 稚魚」。終戦後昭和24年に山陰の島根化学(株)江津工場(三井化学(株)の子会社)に赴任した。工場の敷地は広く日本海の海岸添いの工場敷地内に併設した、枝条架が組まれ和紙を生産していたので珍しく思った。その後工場は山陽パルプ(株)と合併して、工場内に新たに本格的にパルプと上質紙の生産工場を建設して、現在は日本製紙(株)となった。(時変り 人変わるとも 製品の 精度と価値に変わりなく 国の栄は永久なる ケイスケ)
ウグイスカズラ;忍冬(スイカズラ科)花言葉は、未来を見つめる。各地の山野や山地に生える蔓性半常緑樹で、庭にも植えられる。蔓は細長く,他の物に絡んで伸び、長さ4~5mになる。葉は長さ約5cmの長楕円形で対生する。5~7月、葉の脇に細長い筒型二唇形の花が二個ずつ並んで咲く。長さ3~5cm、芳香がある。花色は初め白だが、後、黄色に変わるので、「金銀花」ともいう。「すいかずら」は「吸葛」で、子供がこの花の蜜を吸って遊んだから、また蜜を吸う時の形が似ているからともいう。葉が冬でも枯れないので中国名「忍冬」。「忍冬の花のこぼせる言葉かな 後藤比奈夫」「忍冬乙女ら森を恋ひ来たり 堀口星眠」「忍冬のだらだら咲きのはじまりぬ 星野麦丘人」。(旅の日を 選ぶは 忍冬咲し後 ケイスケ)