オケラ;馬薊;白朮;朮(キク科」花言葉は、親しみやすい。草丈30~100cm花期は9.10月葉は互生。特徴は魚の骨のような形の苞がある。多年草。分布地は、本州~九州、朝鮮、中国東北部。やや乾いた草地や疎林内。春の新芽は山菜として食べられ「山でうまいはオケラにトトキキヨウ科のツリガネニンジン」といわれる程親しまれている。総苞の下に魚の骨のように羽裂した苞が2列あるのがよい特徴である。雌雄異株であるが、雄花雌花ともに外見上は大きな違いはなく、よほど注意して観察しないと気がつかない。頭花は白色または淡紅色の筒状花のみからなる。痩果には冠毛がある。葉は長い柄があって互生し、3~5深裂けし、縁には刺状の鋸歯がある。漢方では地下茎を乾燥して芳香性健胃薬として用いる。(良薬は 口に苦しというけれど 芳香の朮は 主に優しき ケイスケ)
冬の使者の飛来;福島県の猪苗代湖にハクチョウが飛来、本格的な冬の訪れを告げている。近くの水田で餌を探すなどしており、30日朝には、湖面から優雅に飛び立つ姿も見られたという。「猪苗代湖の自然を守る会」代表の鬼多見賢氏(64歳)によると、今月8日最初の飛来を確認し、現在は約500羽が羽を休めている。毎年、越冬のためシベリアから渡り、ピークには役000羽になるという。今年は北海道には、早くも降雪があり、冬の到来は早いようだ。
ナギナタコウジュ(シソ科ナギナタコウジュ属) 花言葉は、匂い立つ魅力。全体の強い匂いがある30~60cmの一年草。葉は対生し長卵形。枝先に長さ5~10cmのナギナタ状の花穂をだし、淡紫色の花を多数つける。花期は8~10月、生育地は日本全土の山地。シソ科には属性の異なるものが31種もありそれぞれ美しい花を咲かせている。この花の句は詠まれていない。(姿優しく 美しけれど きみ名残す 歌のななきぞ悲しき ケイスケ)
天智天皇が、春山万花の万化の艶と秋山の千葉の彩とを競わしめるとき、額田王は「秋山そ我」と詠って、黄葉の美しさを讃えた(『万葉集』巻一)。山気澄み、紅や黄に染まった落葉樹と常緑樹との織りなす模様は一年中もつとも鮮やか。秋山に分け入って、美しいい散紅葉を手に取ってみたり、木の実を拾ったり、茸を取ってみたり、木の実を拾ったりする楽しみも尽きない。「秋山阿弥陀堂まで送らるゝ 高浜虚子」「鳥獣のごとくたのしや秋の山 山口青邨」。28日の夕刊に「和紙」無形文化遺産にユネスコが登録へとあつた。文化庁は、国連教育.科学.文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に日本が推薦sていた「和紙 日本の手漉き和紙技術」について、事前審査したユネスコの補助機関は「登録」に勧告したと発表した。これまで登録勧告が覆った例はなく、11月24日パリで行われる政府間委員会で正式決定される見通しだ。今回登録される「和紙」は、国が重要無形文化財に指定している石州和紙(島根県浜田市)、本美濃紙(岐阜県美濃市)細川紙(埼玉県小川町、東秩父村)の三つで構成。もともと石州和紙は、2009年に無形文化財遺産に登録されていた勧告は「和紙作り野伝統的知識や技術が世代間で受け継がれることで、地域の人々に主体性を与え、社会的結束を育てている」と評価した。日本の無形遺産登録は、昨年の「和食」で22件となった。「和紙」が登録されて石州半紙への追加のため、件数数は変わらない。「細川紙」と「本美濃紙」は匠の技術の継承と観光資源としての活用を両立させ、和紙産業を発展させていきたいとしている。
センブリ;千振;別名トウヤク(リンドウ科)花言葉は、はつらつとした美しさ。一年草または越年草。草丈10~20cm。花期は8-11月。分布地は北海道西南部~九州、韓国、中国の丘陵から山地の草地や裸地。葉は対生し花冠は白色で5裂し、裂片基部近くに2個の蜜腺溝があって、そのまわりに白毛が生えている。果は枯れた花冠に包まれる。葉は」線形。全草に苦味成分があって、健胃薬とし用いられてきた。全草を乾燥したものを袋に入れ、湯に入れ振出した。湯の中で千回振ってもまだ苦味が出るから「千振」と名付けられた。昭和の初期頃は、薬局もなく、富山の薬売りが各地に行商して、得意先の各家庭を巡り、薬を置いて行く商法が行われていた。その時代には、豆腐屋も毎朝ラツパを吹いて、豆腐を売り歩いていた。時代の変遷は、生活を楽にするとともに複雑な変遷をとげている。「山深く薬を掘りに行きしという 佐藤紅緑」「萱原の日にうずもれて薬掘る 木村蕪城」「鹿どもが薬採らんと行けば鳴く 石井月露月」。今朝は松茸御飯を炊く。「松茸や都に近き山の形 惟 然」。(山の幸 我が家の今朝は 松茸飯 ケイスケ)
梅擬;落雷紅(モチノキ科)花言葉は、明朗。落葉低木で高さ2,3m葉の形や大きさを梅に擬えてこの名がある。5,6月ごろ薄紫色の花を群生するが、晩秋から初冬にかけて小玉形の果実を結ぶ。その美しさを賞てて庭木.盆栽.生け花に」よく使われる。落葉後、寒さが深まるといよいよ冴えて美しいところから、漢名を落霜紅という。雌雄異株なので雌株だけ植えても結実しない。また、変種に白い実の白梅擬がある。同じ秋のき季語で蔓梅擬というのがあるが、これはニシキギ科の蔓性落葉低木。果実は淡緑黄色に熟し、三裂して黄赤色の種子を現すすこぶる美しい木である。「いしぶみに大梅擬わだかまる 片岡奈王」「洞然と白昼の庭梅もどき 飯田蛇忽」「鎌倉のいたるところに梅もどき 中川宋淵」「酸素足れわが掌も赤し梅擬 石田波郷」「横向ける小鳥の嘴に梅もどき 岡安迷子」「澄むものは空のみならず梅擬 森 澄雄」「残る葉も残らず散れや梅もどき 凡 兆」「立山に雪の来てゐるうめもどき 大嶽青児」「まなじりに雨の一粒うめもどき 小島千架子」「無頼派の誰彼逝きて落霜紅 七田谷きりうす」。(我が家には 梅擬なく 淋し秋 ケイスケ)
稲が黄金色に熟れると、晴天の日に刈り取る。稲作の締めくくりの仕事だが、農家の半年間の苦労が報われるときであり、収穫の喜びのときでもある。昔は田植えと同じく近隣で協力して一㈱ずつ鎌で刈り取った。今は稲刈り機ですませる。稲刈の前には稲を乾かすために田の水を落とす。刈取った稲は稲架掛けて天日干しにするか、乾燥機で乾かす。歳時記の秋の季語が並ぶが、どれも香りのするものばかり。「よの中は稲刈る頃か草の庵 芭蕉」「稲かれば小草に秋の日が当たる 蕪 村」「老一人門田刈るなる月夜かな 百 童」「刈る程に山風のたつ晩稲かな 飯田蛇忽」「立山に初雪降れり稲を刈る 前田普羅」と最近は都会の人が田舎や、過疎地域に転居して、農業を始める人もおられるようだ。大都市中心の生活も定年後は、帰農する生活も地方の再生に多少でも貢献できるかもしれない。(吾老いて 帰農も出来ず 屑となす ケイスケ)
秋は渡り鳥の季節です。雁、鶴、鴨、それにさまざまの小鳥たちが北の国から日本列島へ、さらにもっと南の国へと渡って行きます。地上で生活をしている私たちには見えませんが、このころの日本列島の上空では鳥たちが大移動をくりひろげているのです。渡り鳥のなかで昔から人々がもつとも親しみを抱いてきたのは雁です。「白雲に羽うちかはし飛ぶ雁の かずさえ見ゆる秋の夜の月」(読み人知らず)「待つ人にあらぬものから初雁の けさ鳴く声のめずらしきかな 佐藤元方」『古今和歌集』恋人でもないのに初雁の声にはっとしたというのです。雁は「クワッカカッ、クワッカ、クワッカ」と大きな声で鳴きます。雁という漢字の音は「中国での読み方」は「ガン」ですが、これはこの鳴き声を写すしたもので、日本風に訛って「雁」になったもの。「病雁の夜さむに落ちて旅ね哉 芭蕉」「雁の腹見すかすや空や船の上 其 角」「雁がねの竿に成る時猶さびし 去 来」「小波の如くに雁の遠くなる 阿部みどり」。このようにして温かい地方にたどりつつく。これを渡り鳥という。種類は鶫、、あとは雛などでる。大群が雲の様に動くので鳥雲、その羽音を鳥風という。燕が南に帰るのは別に「帰燕」という。
北宋時代の画家郭戁の言葉に「秋山明浄にして粧ふが如く」とある。春は「山笑う」、「夏は山滴る」。冬は「山眠る」と四季の山の特色をあらわしたもの。秋はもっとも色彩豊であるので、山が着飾っていると見てとった。美しくお織った錦にたとえて「野山の錦」という季語である。家から望める富士山お白化粧を済ませた。北海道地方も積雪の便りあり、いよいよ秋は深まりゆく。「大山布に従う山も粧へる 五十嵐播水」「搾乳の朝な夕なを山粧ふ 波多野爽波」「水昌をもはや産まざる山粧う 藤田湘子」。(秋山に 季節の変わる 姿見る ケイスケ)
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アキチョウジ(シソ科)花言葉は、秘めやかな思い。草丈30~90cm花期9~10月、葉は対生し、特長初粒の長い紫色の唇形花を多数つける。分布地は関東;中部地方の山地の樹林内。ほかのヤマハツカ属に比べて花冠筒部が著しく長い。この花の形を香料植物のチョウジ科に見立てた。花冠は長さ1.5~2㎜あり、無毛。花柄が長いために花序は広がる。アキチョウジ{岐阜県以西~九州)に分布し花柄が長さ1㎝以下で細かい毛がある。花柄が短いために幅は狭く苞葉が目立つ。10月8日ノーベル物理学賞受賞された赤崎、天野、中村氏の青色LED開発の、記事を書いて投稿しようとして、失敗し、パソコンを壊し新しい機を買いましたが、投稿まで2週間も休止してしまいました。毎日遣る瀬無い日を送つていましたが、本日より平常心に帰り再開にこぎつきました。ようやく平常心で暮らせるようになりましたので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。(ケイスケ ヤノ)