誕生日の花、俳句など

毎日が日曜日の私が、その日、その日の出来事や、世間話のなかで、悲憤慷慨何でもあり、想いのままを、書き撲ています

MAY(5月)

2015-04-30 18:21:18 | 日記

この月の名前の由来は、はっきりしていない。古代の作家の節によれば、マーキュリィの母、マイアに由来するものである。ローマ人は,マイアに、この月の一日には常に犠牲を奉げていた。メイ.デイは、イングランドで、この月の一日には常に犠牲を奉げていた。メイ.デイは、イングランドで、この月の一日に与えられた名で、この日、昔の人々は春到来を迎えるために、暁にでかけた。メイ.クーイン(五月祭の女王)とメイ.ボ―ル(五月の柱)は、かつて国中のいたる所で、普遍的な行事であった。ロンドンで、最後に立てられたメイ.ボ―ルが取り壊されたのは、1717年である。ローマ暦では、この月はマリアの月と呼ばれる。”薄着は禁物 五月のうちは” ”冬に上着をぬいだ者も 五月にそれをほしがるだろう ”羊の毛を刈るなら 五月 全部 すっかり刈ってしまえ” ”五月が”寒く風が吹けば 納屋いっぱいに まちがいなし ”吉にせよ凶にせよ 五月のうちに 豆の花は咲く” 大地の女神はみずから このかぐわしい五月の朝を飾り また 子供たちは どこまでも どこまでも 谷という両側をうめて咲きみだれる 花を摘み また暖かく日は耀き 幼児は 母の腕にはしゃぐこのとき いまこそ うたえ 鳥たちよ うたへ悦びの歌を 小太鼓の響くように 仔羊をはね躍らせよ 私たちも 想いはひとつ おまえたちとともに笛ふきならし 舞い遊ぶ 今日のこの日 ひたすら 心に五月の悦びを 抱きとるものを (詩”W.ワーズワ―ス”)

 


ボタン(続句)

2015-04-30 09:36:01 | 日記

「白牡丹緋牡丹と瞳の漂泊ゆく きくちおつねこ」「静にも牡丹の前の立話 大峯あきら」「牡丹より牡丹へ虻の花狂ひ 辻田克己」「夕牡丹一舟すでに納まらず 西嶋あき子」「奥の間に赤子の見ゆる牡丹園 菅原鬨也」「夕牡丹一弁すでに納まらず 西島あさ子」「白牡丹灘の濤渦となり 松本千鶴子」「ひた白き時を抱きこむ白牡丹 西山 睦」「丈低く活けて茶亭の室牡丹 菊井稔子」「ぼうたんの夢の途中に雨ふりぬ 麻里 伊」「いつさいのあかりをけして白牡丹 小林貴子」「白牡丹大河のひびきたたへをり 角谷昌子」「ちりてのちおもかげにたつ牡丹かな 蕪 村」。牡丹を詠んだ句は非常に多いいので、続句を追加した。(ケイスケ)

 


牡丹

2015-04-30 05:23:21 | 日記

牡丹(ボタン科)花言葉は、風格。落葉低木の花。観賞用に世界的に栽培される。中国西北部に自生し、中国を代表する花。花王,花神.富貴花などの異名を持つ。晩春から初夏にかけて直径10~20cmの豊麗な花をつけ、色は白.紅.真紅.黄.絞りなどさまざま。根は薬用になる。「蝋燭に静まりかへる牡丹かな 許 六」「飛ぶ朝蝶まぎれて失せし白牡丹 杉 風」「あたらしき宿の匂ひや富貴草 桃 隣」「牡丹散りて打かさなりぬ二三片 蕪 村」「園くらき夜を静な牡丹かな 白 雄」「夜の色に沈みゆくなり大牡丹 高野素十」「火の奥に牡丹崩るるさまを見つ 加藤楸邨」「ぼう丹のあはれ散りし石の上 臼田亜浪」「牡丹の茎しなやかに花支ふ 加藤耕す子」「ぼうたんの百のゆるるは湯のように 森 澄雄」「白牡丹といふといえども紅ほのか 高浜虚子」「牡丹の奥に怒涛怒涛の奥に牡丹 加藤楸邨」「ちりてのちおもかげにたつ牡丹かな 蕪 村」。(牡丹の莟の玉の赤と白 ケイスケ)


コデマリ

2015-04-29 05:51:09 | 日記

コデマリ;団子花;小粉団の花;小手毬の花。(バラ科)花言葉は、風格。中国産の落葉低木。しなやかに伸びさがつた枝に、白い小花が毬のように集まって咲く、華やかさのある花木です。小さな手毬の様な花姿であるところから、こでまりという名がついた。にたような形てやや大きい花に、おおでまりがあります。別名のすずかけはこの花の塊を、まりではなく、鈴に見立てて,まるで枝に鈴をかけたようだということから、この名がついたと言われている。四月末頃から白色五弁の小花を手毬状につける。「小でまりの花に風来りけり 久保田万太郎」「小でまりの愁ふる雨となりにけり 安住 敦」「こでまりを活けたる籠も佳かりけり 楠目橙黄子」「こでまりや盃軽くして昼の酒 阿波野爽波」「こでまりや帯解き了はし息深く 岡本 眸」「こでまりに向けて小さく机置く 保坂伸秋」。(こでまりに 夕月はやく軒の端に ケイスケ)


スイトピー

2015-04-28 06:19:54 | 日記

スイトピー(マメ科)花言葉は、私を覚えて下さい;喜び。マメ科特有の蝶形花は軽やかで可憐。顔を近ずけると芳香が漂い、いかにも春らしい花です。ピンク、青、白、赤、淡黄色など明るく澄んだ花色が魅力。イギリスでは20世紀初頭にこの花がブームになった時期があり、当時の宴席には必ず飾られたそうです。ちょつとさびしい花言葉は、(私を覚えて下さい)花の形が飛び立とうとする蝶の姿に似ているところから生まれた徒か?地中海沿岸原産。「スイートピー指先をもて愛される 岸 風三楼」「スイートピー剪りながら手に溢れゆく 今井千鶴子」「スイートピーあつさりと夜の明けてをり 村田 修」「仮住の自由不自由スートピー 山田弘子」。(花色の多彩なりけりスイートピー賑わい咲きて蝶をよぶ ケイスケ)


フジ

2015-04-27 07:34:03 | 日記

フジ(マメ科)花言葉は、恋に酔う;懐かしい思い出。落葉蔓性の植物で、幹は10m以上にもなり、庭園や公園などに棚づくりにして栽培される。晩春長い花房を垂れ、薄紫色の優雅な蝶形の四弁花を開く。藤の蔓は右巻だが、「山藤」は植物学的には別種で、蔓が左巻きであり、花房が短く花期が早い。風に揺れる藤浪の幽艶な美しさは、春を送るにふさわしい。埼玉県春日部市の牛島の藤は、花穂の長い九尺藤というう品種で特別記念物に指定されている。三鷹の周辺では、京王線布田駅近くの甲州街道沿いのお寺に藤棚があり、また京王閣の競技場の公園にも藤が植えられている。山野に自生するマメ科の蔓性植物の花。晩春に紫色の蝶片花を長く総状にたくさんつけるのが野田藤。花房が短いのは山藤。野田藤の名は足利義詮.豊臣秀吉が摂津国(大阪府)の野田の藤を愛でたことに由来するという。棚に仕立てて垂れる花房を楽しむ。「草臥て宿かる比や藤の花 芭 蕉」「針もてばねむたきまぶた藤の雨 杉田久女」「炊きとなう前のしずけさ藤映える 鷲谷七菜子」「藤ゆたか幹蛇身をかくしゐて 鍵和田柚子」「白藤や揺りやみしかばうすみどり 芝不器男」「白藤に王朝の夜のあるごとし 大串 章」「藤の房ふかるるほどになりにけり 三橋鷹女」「藤房の盛り上がらむとしては垂れ 鷲羽狩行」「藤浪のゆらぎがかくす有為の山 能村登四郎」「藤棚の中にも雨の降りはじむ 三村純也」「藤の昼膝やはらかくひとに逢う 桂 信子」「一つ長き夜の藤房をまのあたり 高浜虚子」「藤の花まゆげほどなり垂れそむる 軽部鳥頭子」「花藤や母が家厠紙白し 中村草田男」「藤咲くや水ゆたかに使ひ馴れ 馬場移公子」「藤咲いて身に添う風も藤色に 渡辺千枝子」。(藤の花 白き色なり 数知れず ケイスケ)


ライラック

2015-04-26 04:58:44 | 日記

ライラック(モクセイ科)花言葉は、思い出を大切に。モクセイ科の落葉低木の花で、ヨーロッパ原産。和名は、紫はしどいと言い、フランス語では、リラという。冷涼な気候を好み、4~6月に普通紫色の総状の小さな花をつける。明治中期に渡来した北海道に多く植えられている。パリのモンマルトルはライラックの木が多く、花のシ―ズンになると、一面リラ色に染まる。「ライラック海より冷えて来たりけり 千葉 仁」「舞姫はリラの花よりも濃くにほふ 山口青邨」「さりげなくリラの花とり髪に挿す 星野立子」「リラの花朝も夕べの色に咲く 阿部みどり」「瓶に挿すリラの花あり夜の宴 高浜虚子」「リラに鼻つけて踵をかえしけり 阿部みどり女」「心身と子の血享けをりリラ匂ひて 石田波郷」「山峡に灯が入りリラの花真白 青柳照葉」「われ征きて還らざる野にリラは咲き 小田黒潮」「リラ咲いて煉瓦舗道の街古ぶ 有働 亨」「口紅のうすきを言われリラの花 菅井富佐子」「街の花リラ札幌を装ひたり 宇月梧堂」。(関東は 暖かくして リラ咲かず ケイスケ)


ワスレナクサ

2015-04-24 06:24:51 | 日記

ワスレナクサ(ムラサキ科)花言葉は、私を忘れないで;誠の愛。ヨーロッパ原産の多年草。栽培種であるが、近年北海道や長野県などに野生化している。茎の高さは30㎝位、長楕円形の葉が根元に群がり晩春渦巻状の花穂に美しい瑠璃色の小花をつける。和名は、英名のForget-me-notを訳したもので、清純可憐の感じに合っている。恋人のためにこの花を摘もうとした青年が河え落ち、花を投げて「私を忘れないで!」叫びながら、流れに飲みこまれてしまった・・・・・・そんなドイツの伝説もある。欧米では愛する人の青い瞳を、この花のライトブルーにたとえたという。花は青以外にピンク、淡紫色、白など。「忘れねばわすれな草も培はず 日野草城」「勿忘草わがものの墓標ばかりなり 石田波郷」「勿忘草人は恋にも死ににけり 林 翔」「細々と忘れな草に雨ふりぬ 村上蛃魚」「勿忘草たちまち迷ふ出湯の径 児玉小秋}「船室の忘れな草のなえにけり 佐藤眉峰」「忽忘草日本の恋は黙つて死ぬ ;まさに瑠璃富士を前なる忽忘草 中村草田男」「忽忘草独り暮らしの家に咲く 近藤あさ子」(雲あつく忽忘草も曇りけり ケイスケ)


オダマキ

2015-04-23 07:01:32 | 日記

オダマキ(キンポウゲ科)多年草。晩春にうつむきかげ地木曽路は水の音の中 蟇目良雨」「をだまきや蔵より運ぶ祝ひ膳 荘原昭美」「手をつなぎ深山をだまき崖に折る 河府雪於」「伊勢にゆきみやまおだまきというをみたし 阿部完市」「をだまきや首にひとすぢ風通る 西川徹郎」「坪内氏おだまき咲いて主婦を抱く坪内絵美」。(おだまきの好天あますところなし ケイスケ)今朝晴天気温22℃一日中暖かい予想である。(夏近し手拭持ちて散歩道 ケイスケ)

 

 

 

 


葬儀(通夜;葬儀+告別式)

2015-04-22 15:15:03 | 日記

碑文谷在住の姉故山田つね子葬儀が21日通夜;22日葬儀 、告別式」と行われた。通夜は21日18時からなので、17時30分碑文谷会場着を目標に、15時30分家を出る。夕時なので混雑を予想するも、さほど混雑はなく予定通り到着した。今日22日葬儀;告別式は9;00からなので、今朝は7時30分出発した。意外にも途中の混雑がひどく予定の時間30分前のつもりが、9時近くに碑文谷会場(碑文谷4-20-10℡03-5722-9111)に到着した。その原因は、朝のラッシュともう一つは、ルートの違いであった。今朝は、京王線の踏切で時間をついやしたからである。ルートを運転手任せにしたことが原因であった。よくよく考えるに、帰りの料差あまり違いがなく、時間帯とルートの差が、金額に影響しているようだ。朝夕の混雑度及び、ルートの差を合わせて考えなければならない事に気が付いた。事前ルートを指定にする必要がありそうだ?運転手の経験で、自分のルートを持つているらしいのだ。これが今日の結論でした。いまひとつ、出かける時は、万年筆を携行すること。戒名がきまつたのに、覚えきれず、次回の納骨日に寺に行記録するか、その前に電話で確認するかである。落ちこぼれの動作をなくすための後悔、先に経たずとは、このことで、反省した次第である。