誕生日の花、俳句など

毎日が日曜日の私が、その日、その日の出来事や、世間話のなかで、悲憤慷慨何でもあり、想いのままを、書き撲ています

November

2015-10-31 18:55:35 | 日記

十一月のはじめの時の移ろいは 蔓草の葉の黄金色の楯を ふいに 一滴の血しぶきのように 濃い朱色に染めて 散らす 妖精が花をあしらい 小人が織りなす 苔のしとねに ものみな慈しめと (R.ブラウニング)。今宵 黄昏の光の中に この年は暮れてゆき 詩人は 秋深い森で 想いに沈み 枯葉のもらす もの悲しい 吐息に 耳傾ける だが 年の守護の天使は 精霊の昇天のように 旅立ち 春は緑 夏は輝かしい 青だった 時の衣を 脱ぎすてる いまは地上の使命をすべて果たし 幾千の谷を 珠玉の実りで満たし 果樹園には 薔薇色の果実 また いたる所に花をふりまき しばし西の方に 天使は歩みをとどめ やさしい別れの微笑で 沈みゆく日の 五彩の光となって すべての者に送り いま 神のもとへ帰ってゆく(ドイツの詩より)。おお はげしい西風 秋の精の息ぶきよ 姿の見えぬきみの登場に 枯葉は震えて 妖術者に追われた亡霊のように 散り果てる 黄ばみ やがて黒ずみ 蒼ざめ また熱病に赤く 悪疫に冒された者の群れ それをしり目に 暗い冬の臥床へと きみの戦馬は駆り立てる 翼のある種子は そこを墓として 冷たい屍のように 臥して待つ いつの日か きみの青空の姉妹 春の風は吹き起こり 花の馬車を駆って 夢見る大地を訪れ (大気で養った 羊の群れのように 芳わしい新芽を伴い) あざやかな色と香りで 平野を 丘陵を満たす日を待つ 荒ぶる精霊よ いたる所に働く者よ 破壊しまた 守護する者よ 聞け おお聞け 私を きみの竪琴として弾け たとえあの森のように あまねく 私の葉が枯れ落ちてもかまわない 響きわたる きみの雄壮な音楽は 秋の調べの 沈む想いをとき放ち また 悲しみの甘美な響を奪うのだ 猛々しい精よ 私の精霊となれ 激情の精よ この宇宙から 私の重い魂を追いはらえ 枯葉のように 新しい誕生を促すために そして この詩の呪文によってふりまけ まだ火の消えぬがより 灰と 火花を散らすように 私の言葉を 全人類に向って 私の唇を借り 予言の辣叺を 吹きならすのだ おお 風よ 冬来たりなば 春遠からじ と ”西風の詩” (シェㇼー)

 

 

 


オケラ

2015-10-31 05:27:56 | 日記

オケラ(キク科)花言葉は、親しみやすい。日当たりのよい山地でよく見かける。茎は直立し、高さ30~100㎝。葉は革質で,倒卵形である。白色で、径約2㎝。頭花の周囲の苞葉が目立つ。若芽は山菜。根茎を干したものを「蒼求」といい、古くから薬用にする。「花うけらも乾燥花かも知れず 後藤比奈夫」「野を越え来うけらが花を胸に点じ 成瀬櫻桃子」「旧道の尽きたるあたりうけら咲く 棚山波朗」。白求火京都の八坂神社で行われる白朮祭に参詣すると、神事のあと、白朮を加えて篝火を焚き、参詣の人々はその火を吉兆縄に移して持ち帰り、元旦の雑煮を煮る風習がいまでも継続されている。江戸時代は白朮祭に参詣して、きりだした火が流れる方向でその年の近江の国と丹波の国の豊凶を占ったといわれる。白朮は京都人の生活に馴染のある花であった。「花うけらかも乾燥花かも知れず 後藤比奈夫」「野を越え来うけがらが花を点じ 成瀬櫻桃子」「旧道の尽きたるあたりうけら咲く 棚山波朗」。(宵月を蒼朮の花で夢を指し ケイスケ)


ナギナタコウジュ

2015-10-30 05:37:26 | 日記

ナギナタコウジュ(シソ科;ナギナタコウジュ属)花言葉は、匂い立つみりょく。全体に強い匂いがある30~60㎝の一年草。葉は対生し長卵形枝先に長さ5~10㎝のナギナタ状の花穂を出し、淡紫色の花を多数つける。花期は8~10月、生育地は山地。分布地は日本全土。この花の句は詠まれていない。(匂いたつ魅力を持ちて立つ ナギナタコウウジュの詩歌の哭きぞ悲しき ケイスケ)


梅擬

2015-10-29 04:00:37 | 日記

梅擬(モチノキ科)花言葉は、明朗。落葉低木で高さ2,3m。葉の形やおおきさを梅に擬えてこの名がある。5,6月ごろ薄紫色の花を群生するが、晩秋から初冬にかけて小球形の赤い果実を結ぶ。その美しさを賞でて庭木.盆栽.生け花によく使われ木である。落葉後、寒さが深まるといよいよ冴て美しいところから、漢名を落霜紅という。雌雄異株なので雌株だけ植えても結実しない。また、変種に白い実の実の白梅擬がある。同じ秋の季語で蔓梅擬というのがあるが、これはニシキギ科の蔓性落葉低木。果実は球形で淡黄色に熟し、三裂して黄赤色の種子を現わすすこぶる美しい木である。「いしぶみに大梅擬わだかまる 片岡奈王」「洞然のいたるところに梅もどき 飯田蛇忽」「鎌倉のいたるところに梅もどき 中川宋淵」「酸素足ればわ掌も赤し梅擬 石田波郷」「残る葉も残らず散れや梅もどき 凡 進」「澄むものは空のみならず梅擬 森 澄雄」「立山に雪の来てゐるうめもどき 大嶽青児」「まなじりに雨の一粒うめもどき 小島千架子」「無頼派の誰彼優逝て落霜紅 七田谷まりうす」。「蔓とし生まれたるつりゅめもどき 後藤夜半」「墓原のつるもどきとて折りて来ぬ 山口青邨」「栄もなく林寠るゝつるもどき 篠田悌二郎」「寺町にけふの足る日の蔓もどき 藤村克明」。(裏畑に朱を打って熟る実梅擬 ケイスケ)


センブリ

2015-10-28 04:44:58 | 日記

センブリ(リンドウ科、センブリ属) 花言葉は、はつらつとした美しさ。日当たりの良い山野に生える2年草。根は黄色を帯びる。葉は直立して枝分かれし10~30㎝になる。葉は対生し線形。枝の先や葉の脇に円錐状に花をつける。はな冠は白色で5深裂し黄色のすじがある。萼片は5個、線形でとがる。古くから胃腸薬としてよく知られている。全草を乾燥し煎じて服用するが苦味が強く、千回振りだしてもまだ苦いことから出た名である。花期8~11月生育地は北街道、本州、四国、九州。「赤土の陽に跔みせんぶり摘み憩ふ 藤井青咲」。(千振は 幼き日の 苦い思い出 今は薬品 進歩の表れなる ケイスケ)


嫁菜

2015-10-27 05:29:45 | 日記

嫁菜(キク属)花言葉は、隠れた美しさ。山野に自生している菊に似た花を総称していう。その中にはキク属.コンギク.ヨメナ属などの植物が含まれる。特に野菊という品種があるわけではないから野菊は白だ黄色だと決めかねる。紺色のものに嫁菜、野紺菊.紫苑、ユウガキク.ハマベノギク.アレチノギクなどがあり、黄色いものにはアブラキク、ハマカンギク、シマカンギク、アワコガネキクなどがある。品種を詠みこむと音数をとられるので、野菊と詠んでで、想像させるように歌う。「頂上や殊に野菊の吹かれをり 原石 鼎」「はればれとたとへば野菊の濃い如く 富安風生」「ぶつかつてくる風のあり野菊晴 大野林火」「送水管野菊を摘めば手にひびく 林 樟嗘子」「野菊摘む古へ人のごとくにも 山田瑞枝」「咲初めし野菊に溢れ水急ぐ 岩城のり子」「足元に日のおちかかる野菊かな 一 茶」「玉川の石の河原の野菊かな 岡本癖三酔」「頂上や殊に野菊の吹かれ居り 原 石鼎」(花びらのうすしと思ふ野菊かな けいすけ)


モヨウビム

2015-10-26 04:58:43 | 日記

モヨウビム(ヒユ科;ケイトウ属)花言葉は、燃えあがった情熱。学名をセロシア.クリスタールといい、リンネの命名による草花。属名セロシアはギリシャ語の”燃える”意である。ケイトウ属は、アジア、アフリカ、アメリカ、などの熱帯、亜熱帯に数多く自生している。日本にもノゲイトウ(学名、セロシア.アルゲンテア)は中部地方以西の暖地に古くから自生しているものである。ケイトウは、奈良朝時代に中国から渡来したもので、万葉集にも詠われている韓藍の花がそれであると考えられる。野生種から改良された園芸品種には(鶏冠鶏頭)(玉槍鶏頭)(羽毛鶏頭)(久留米鶏頭)などがある。花色は赤のほか、黄や白もある。ケイトウは英語では(コックコウム)というが、雄鶏の鶏頭の意味である。ケイトウに近縁のものに葉鶏頭があるが、この方は美しい葉を鑑賞するもので花は美しくない。ハゲイトウは一名雁來紅ともよばれるが、この名は、”雁が北の国から渡って来る頃、その葉が”赤く色づく”ことに由来する。葉が”黄色く色ずくものを”雁來黄”という。「花譜」には、”秋色葉如”花、名雁来紅”とあり、枕草子にも”かまかつの花らうたげなり、名もうてあなる。雁”の来る花とぞ文字には書きたる”と記されている。このカマツカの花は雁來紅と考えられる。ハゲイトウの学名は、アマラントス.トリコロールというが、アマラントスは、”しおれない”という意味であり、種名のトリコロールは”三色の”という意味で、またフランス語ではアマランテ.メランコリク、またはアマランテ.トリコロールといい、メランコリクは”もの悲しい”という意味である。このように各国で、いりいろな表現があるようだ。ハゲイトウは葉の色をめでるもので、「俳譜新選」では、(その種も染めてこぼす葉鶏頭)という句がのっている。ハゲイトウは古典的な観葉植物であるが、近ごろはこれに代って人気を集めている観葉植物にコリウスがあるが、これはシソ科の植物で、、原産地はジャワ島といわれている。和名を錦紫蘇または金蘭紫蘇という。属名は”唇弁が鞘状呈するを”という意味で、種名をオランダの植物学者K.L Blumelの名にちなんだものである。このように各国で人気があり、表現が異なる観葉植物であるコリウスはイギリスで品種改良されて、葉の色としては、赤色、暗赤色、褐赤色、緑黄色、黄色などがあり、また色が入りまじったもの紅色のものもあり、これはレインボウ種とよばれており、葉の鋸葉が深く裂けたものなどがある。近年変った、多品種が続々現れている。「葉鶏頭一つもたてるわが庭のかきねさびしく夕づく日かな 金子薫園」「葉鶏頭寂しき朱に映えにける秋のみ園に異句草もなし 土田耕平」{新しく沸き上りたり恋のごと雁來紅の立はめでたし  与謝野昌子」「岡崎は祭りも過ぎぬ葉鶏頭 史 邦」「草紙干す屏より高し葉鶏頭 淡 々」「美しき色見初めぬ葉鶏頭 子 規」「新しく湧き上りたり恋のごと雁來紅の立つはめだたし 与謝野晶子」。(葉鶏頭明るくなりぬ雨の中 ケイスケ)


ダンギク

2015-10-25 05:29:08 | 日記

ダンギク(クマツズラ科;クマツズラ属)花言葉は、忘れえぬ思い。日当たりの良い草地に生える60㎝ほどの多年草。全体に軟毛がある。葉は対生し卵形で、ふちにはあらい鋸歯があり、裏面には毛が密生する。茎の上部に集散花序をだし、紫色まれには白色の小さな花を蜜生する。和名は段菊で、花が段になってさくことによる。花期は9~10月。生育地は、九州西部及び對馬。同属にクマズラソウ(東京;小平薬草園;神奈川県三浦半島;長崎県長崎市)イワダレソウ;カリガネソウ;があるが、いずれも花の形や色は異なる。この花を詠んだ句はない。段々朝日の昇りが遅くなり、今朝は6時にようやく日がさした。北海道では、初雪のニュースも出る。我が家の窓から見える富士山も2~3日前から雪景色となる。例年より2~3日早やかつたようだ。今朝は我が家の付近は強い風が吹いている。「冬菊のまとふはおのがひかりのみ 水原秋桜子」。冬まじか寝具も暖房も出ばん待つ ケイスケ)。


カッコウアザミ

2015-10-24 05:36:50 | 日記

カッコウアザミ(キク科)花言葉は、信頼。宿根草で、日本の山野に60余種が自生するが、薊はこれらの総称である。俳句で薊といえば、「野薊」を指し、この野薊は晩春から初夏にかけて花が開くので春の季題とする。花は多数の紅紫色の筒状花から成り、紅刷毛のように小ぶりで優しい。総苞にねばり気があるのが野薊の特徴である。花茎は高さ60㎝位、葉は楕円形で羽状に裂け縁には刺が多く野生的である。他の種類の「富士薊」や「山薊」は、葉の高さも1mに達し、紫紅色の大輪を夏あるいは秋に開く。それぞれの植物名で俳句を詠むか、夏薊または」秋薊として区別して詠んだ方がよい。花の後冠毛をつけた実をむすぶ。「花薊露珊々と葉をのべぬ 飯田蛇忽」薊摘んで花の巧を眼に見入る 篠原温亭」「くもり來しひかりのなかの薊かな 久保田万太郎」「妻がもつ薊の刺を手に感ず 日野草城」「双眼鏡遠き薊の花賜る 山口誓子」「降り出でて淡路は近し薊さく 角川源義」「まうへうしろ愁いの雨の濃き薊 原 裕」。カッコウアザミの句は詠まれていない。今朝4時半ころ、NHKの鳥取支局が、鳥取駅から始発する若桜線の様子を放送していた。私は小学校の6年だけ若桜小学校に通い卒業し、そのご東京に帰った後も、春秋を問わず休みがあると、鳥取の若桜に帰郷していた。母が出身(山根)上用呂、伯母が若桜(藤原)、叔母が神直(山根)に居たからである。当時は若桜線のだけで、バスは通つていなかつたが、現在はバスも並行して通っているようだ。若桜線は若桜駅が終点なので、鳥取に帰るたまには、先頭の機関車を転的しなければならないので、若桜駅の奥(先端)に転向装置があり、現在でもこれによつて「方向転換」をしているので、この装置は珍しいようで、観光者が増えているとの放送があった。


シコンノボタン

2015-10-23 06:11:16 | 日記

シコンノボタン(ボタン科)花言葉は、平静。中国原産の落葉低木で、日本へは平安時代の初め荷役用植物として渡来したといわれる。観賞用に庭に植えられる。高さ1~1.5m。葉は粉白を帯びた緑色で艶がなく、二回羽状複葉で有柄。各小葉は卵形か細長い形で、2~3裂する。4~5月、枝の先に径20㎝の五弁の花を一個咲かせる。中国や日本、欧米などで盛んに育種が行われ、品種は多数。八重、千重、万重など豪華な重弁花もあり、花色は紅、紅紫、黒紫、桃、白など変化が多い。中国では「花王」と賞され、熱狂的に愛された。中国名「牡丹」、「ぼたん」はその音詠みである。「詞花和歌集」に「咲きしより散りはつるまでみしほどに花のもとにて甘へにけり」(藤原忠道)とあることにより「廿日草」「名取草」の別名がある。また「深見草」「名取草」などともいう。「白牡丹といふといへども紅ほのか 高浜虚子」「牡丹散って打かさなりぬニ三片 蕪村」「夜の色に沈みゆくなり大牡丹 高野素十」「きしきしと答をゆるめつつ 山口青邨」「火の奥に牡丹崩るるさまを見つ 加藤楸邨」「落日のごとく崩れし牡丹かな 稲垣きくの」「白牡丹緋牡丹と瞳の漂泊ゆく きくちつねこ」「牡丹散るはるかより闇来つつあり 鷲谷七菜子」「静かにも牡丹の前の立話 大峯あきら」「夕牡丹一弁すでに納まらず 西嶋あさ子」「白牡丹灘の涛の秀渦となり 松本千鶴子」{ひた白き時を抱きこむ白牡丹 二川茂徳」「丈低く活けて茶亭の黒牡丹 菊井稔子」「ぼうたんの夢の途中に雨降りぬ 麻里伊」「いつさいのあかりをけして白牡丹 小林貴子」「白牡丹大河のひびきたたへをり 角谷晶子」。(あけがたの夢見し吾は白牡丹 ケイスケ)