渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

円が一番難しい

2024年07月19日 | open


日本はチャイニーズキャラク
ターを世界で唯一、文化とし
て高次元の領域まで
高めた国
である。世界唯一。

漢字の本国である中国では、
文字は、今や単なる記号とな
り果て
た。
文字の一つ一つを多様な思想
と意味を含めた表現方法とし
て活用させているのは、世界
で現在は唯一日本だけだ。
西欧の文字は単なる記号であ
り、漢字が日本に入って来て
からは日本は文字そのものに
中国以上に複合的な複雑な意
味と思想性を含ませた。

また、古代中国を除けば、毛
筆の書家による文字そのもの
に芸術性を持たせる文化を発
達させたのは、地球上の歴史
の中で日本が唯一だ。
ただ一つ。
ネトウヨや日本美化の国粋主

義者が唱えるニッポン手前味
噌贔屓大賛辞ではなく、これ
は事実として存在する。

私は筆も使うが、毛筆を正式
に習った
のは小学校と中学校
の授業のみ
だ。
私の毛筆などは、書家からした
ら鼻持ちならないつまらぬ文字
であろうことは確実だ。
私は独学でしかなく、「私の
書体」を毛筆では持たない。
それは私が書においては「表
現者」ではないから
だ。
私の毛筆は青蓮院流を基幹と
したいわゆる祐筆文字だ。
独学である。
古文書にある祐筆たちの職に

いた武士たちの文字が書きた
いという欲求で自分で勉強し
た。
書の専門家からしたら、実に
つまらぬ文字に見える事だろ
う。

私が覚悟の悟を書くと書体は
こんな感じ。


自作鞘の時代物小柄小刀の
鞘書きはこんな感じ。


私がプロデュースしていた
新作日本刀の銘切りの試し
書きはこれ。


新作刀の中心(なかご)の
銘切りの下書きはこれ。


毛筆によるメモ書きはこれ。



自分で書いてはいるが、果た

してこれは自分の文字なのだ
ろうかという疑義が私には常
にある。
書道家でもないし、書を芸術、
美術として表現できる者でも
ない。
文字を単なる文字=コミュニ
ケーションツール=として私
は記
述しているだけだ。
果たして「書く」を脱し「描

く」になっているだろうかと
いう自問自答が常にある。
筆を以て文字を表現する時に。
内的自己検証の精神領域とし

て。
そして、気づく。

私の文字は、単なる文字として
のコミュニケーションツールの
「道具」の域を決して脱しては
いない、と。

「書」は違う。全く違う。
そして、「書」の中で「円相」
こそが一番単純で一番難しい。
「円相」は深い。
果てしなく深い。
だが、「書」というものは、
それを観た人に生きる希望を
える事も確実にある。
それは、何よりも日本人が単
なる文字
を芸術域まで高めた
という歴
史に根付いている。
日本人以外の地球人は、多分
その深淵を理解できない。

毛筆では祐筆文字に準じ「自
の文字」を持たない私だが、
筆ではなく、ペン書きの場合
自分自身の文字=自分のアイ
ンティティ=を持っている。
ペンで書くと私の普段書きの
文字はこれだ。





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