私はくじ運がない。一度、商店街の年末くじで伊豆旅行を当てた事が
あったけれど。ずーいぶん昔、農学部前商店街で引いたくじで伊東の
温泉で一泊旅行が当たった!しかし日程が合わず、なお且つお年寄り
ばかりが参加者でペアで参加ではなかったので、なんともね~。
商店街の方はせっかく当たったのだからペアでも良いと言って下さったけれど
なんといっても日程が合わなかった
これは運が良かったのか?不必要なアタリは「運」ではない
未だに年賀はがきの抽選も良くて切手シート。一度だけふるさと小包が
当たったな~ 従兄弟の家はウチより届く年賀状は少ないのに
毎年、何枚もの切手シートやそれ以上の物が必ず当たっていた。
妹は私よりもかなりの確率で「くじ物」に当たる。子供たちの中では
長女がなんだか「くじ物」ではよーく当たる。
何かに対する「運」という物がある気がするんだよね~。
「運」をgoo辞書で調べてみると・・・
○人の身の上にめぐりくる幸、不幸を支配する、人間の力を超越した働き。
○よいめぐりあわせ。幸運。とある。
3月13日の私のブログでこんなコメントを頂いた。
>運のいい時期と悪い時期というのがあると思うのですよ……
人生、長い……おしなべると、平均する気がするのです
雨男、雨女も一緒で、その時期がある(←関係ないか)
前向きでいることが大事なのかな~?
ながーい人生「運」も平均化するのだろうか?
確かに個人を絶対化すれば運にもいい時期と悪い時期はあるような気はする。
そんな実例が今年あった。夫がセブンイレブンのくじで必ず商品をもらってきた
時期が昨年の末にあった。なので夫は空くじがないと思っていたそうだ。
その時期、私は頭にくるぐらい当たらなかった
いつもなら、何かしら一度くらいは当たるのに
しかしこの良い時期悪い時期というのは個人の中では・・と言う事。
運ってツイてるって事かな~?
考えもしなかったような幸運が舞い込む。なんらかのネガティヴな材料が
あるにも関わらず、希望する事が希望通りに何かの助けによって実現する。
こういうのって運が良いとかツイてるとか言うのだろう。
願う事が自分の努力によって叶えられるならそれは運ではないよな~
そのなんらかの力によってもたらされるツキって「前向きでいる事」とは
関係のない気がするのよ。
とにかく、運がいい人っていると感覚的に思う。
ただし、運が良いのと幸福なのは違うのではないかとも思うんだよね。
「幸運」と「幸福」は似て非なるものではないかと感じるんだ。
例えば、亡くなったホイットニー・ヒューストンは「運」はあったと思うの
どんなに歌が上手くて才能があっても、アメリカのショウビズ界は厳しいから
そこでの出会いとタイミングがあってこそヒットにも恵まれスターダムに登れる。
やっぱりツイていた人。もし時代が少しでも違えばそうはならなかったかも知れない。
そういうタイミングで登場できたというものツイている。強運だ。
しかし私生活ではあのような事で幸福ではなかった
「幸福」は個人個人の心の持ちようで、不幸にもなるし幸福にもなるんじゃないかな。
人間が関われるのはこの「幸福」という部分だと感じる。
ツイているのに不幸な人。ツキはないけれど幸福な人っているんじゃない
ある映画の中で主人公が面白い話をしていた。
ペシミストとオプティミストの話。ある研究でペシミステックな人が宝くじで5億円当てた。
またあるオプティミストな人が事故で半身不随になった。その人達の数年後の
変化を観察すると、宝くじ長者は数ヶ月ですぐにペシミストに戻った。
半身不随になった人は年月を経て絶望から這い上がり、明るい性格にもどり
幸福に暮らしている・・・という話。
なので幸福は前向きでいるほうが手にいれやすい。しかし「運」が良いかは、
なんとも言えないでしょう。
運は長い目で見れば平均化するのでは?という推論は私にはわからないけれど、
だってね、ある事に対してどの位の頻度で幸運が訪れれば「運」が良いといえるのか
統計的な事がわからないから。人間の一生って長くて100年でしょ?
どこで区切ればその有効的な結果がでるのか?
しかしね、宝くじの一等を複数回、当てた人がいるわけでしょ。くじ運がその人は
良いと思う。おなじ回数、買ったってそうはいかないでしょうから。
もっと長く生きられて数え切れないほど宝くじを購入出来ればそのような事も
統計的に起こるかもだけれど。
当たる確率を考えると答えはでるけれど、平均化して出現するわけではなく
ランダムなので、そのランダムな物が丁度、当たった人が生きている間に
固まって起きた・・その事がやはりその人の「運」を証明していると思うんだ。
普通の人はあと150年位買い続けて2度ほどあたるかも・・という推論は
できても実際は当たらないわけだから。
やはりどんなジャンルでも第一線で活躍している人、スターと呼ばれる人は
ある部分の「運」を持っているのだと思うな~。
学者だってノーベル賞もらえる学者ともらえない学者がいる。
どちらも努力して辛抱強く研究してきた。しかし運がある学者には偶然の
発見が訪れ、時代もその発見を必要とする時期だった・・という違いだけでしょ?
これも典型的な運だよね。「成功」って「運」のひと押しがなければ「大成功」
にはならないのではないかな~。それは自分ではどうにもならない事・・・
ただ何かを成し遂げても幸福とは限らない。
今回、頂いたコメントからこのような事を考えて、少し目の前が開けました
コメントを読ませていただいた時に、今までにない何か・・が閃いたのは
きっと「幸運」と「幸福」は違うのだと気がついた事。
いままで、私には「運」がないと思っていたけれど、幸福なら自分で
手に入れられそうだと気づきました