慶応4年7月17日、江戸を東京と称する旨の詔書が発せられた。「江戸は重要な土地であり、私が自ら政治をみる必要がある。だから江戸を東京と称する」という内容の詔書である。
東京とは西の京に対する東の京の意味である。これは公家・宮中や京都に対する配慮もあって、詔書により直ぐに東京に都が移ったわけではない。だから都を移す意味の遷都ではなく、都を定める奠都という用語を使うことも多い。
太政官日誌より、詔書の写し。「亰」は「京」の異体字。
明治元年10月13日に天皇は東京に行幸し、江戸城を東幸の際の皇居として定め、東京城と称する沙汰書を出した。
東京城日誌より。
太政官日誌は今の官報の前身であるが、東京城日誌がどういう性格のものであるかは、よく知らない。
両都であるから太政官が東京にある時は京都には留守官が置かれた。しかし、翌年3月の再東幸のあと天皇は東京に留まり、皇后もその年の10月には東京に移った。やがて残された政府の出先機関も廃止され東京に首都機能が移転する。実質的には、なし崩しに東京遷都が行われた。
ちなみに参議院法制局ホームページのコラム欄によると、東京を日本の首都と定める法律はなく、「首都圏整備法」に首都圏の範囲を定めているだけだそうである。
関心のある方は、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーをご覧ください。
素晴らしい歴史解説、有難うございます。教科書では 知り得ない史実、へー、そーだったの と 知る喜びがあります。
コメントをいただき 有難うございました。
九州様のブログ いつも拝見させていただいておりますが 読み逃げ専門(?)で 失礼しています。
これからもよろしくお願いします。
歴史に詳しくはありませんが、
明治初期の記録を読んでいると、
当時の人々の息遣いが聞こえてくるような気がします。