一般の家庭ではお屠蘇気分も抜けて普段の生活が戻ってきました。松の内を過ぎると正月飾りを片付けます。今週初めにテレビで「松の内を過ぎて正月気分も」などと放送していました。でも我が家では15日までが松の内で、それ以後に硬くなった鏡餅を割っていた記憶があります。九州では15日頃にどんど焼きや左義長と呼ばれる行事があり、その時に家から持ち寄った注連縄などを燃やします。角餅や丸餅があるように、正月の風習も地域によって違うのでしょう。
今年も例年通り三社詣りをしました。これもテレビを観ていたら東京では三社詣りの習慣がないそうです。初めて知りました。二日にご近所の国分日吉神社へ詣でました。お昼時で参詣者が少なかったです。
この神社は地元の氏神的な存在です。
コロナ以後はこうした流下式の手水が多くなりました。殺風景にならないよう水盤に花が飾られたりしています。
境内に筑後国分寺の講堂礎石の碑と説明板があります。神社のある国分町は江戸時代からの狭い路地が入り組んだ町ですが、国分寺と国分尼寺の広大な寺域推定図は、この町の昔からの古い集落の大部分を覆っています。
国分日吉神社に詣でた後、バスで中心市街地へ出て来ました。
久留米には市内各地に日吉神社がありますが、ここは宗社です。元々は久留米城の二の丸にあったものを1647年にこの地に遷座したそうです。
境内には「女性の守り神」「技芸上達の神」など分かりやすいコピーが幟に書かれた摂社があります。私は「若返りの神」(月讀宮)へお参りしました。この神社は境内が狭いためか、ついでに摂社へお参りする人が多いですね。元日に草野町の素戔嗚神社へ詣でていたので、これで三社詣りとしました。
西鉄久留米駅まで戻ってきました。1階がバスセンター。高架で天神大牟田線が走っています。駅ビルの商業施設は昨秋にリニューアルされました。
駅の東口です。周囲の2階部分はペデストリアンデッキで繋がっています。以前は駅前のオープンスペースは放置自転車で埋め尽くされていました。いまは撤去されて昔の駅前の表情が戻り、イベントもよく行われています。駅ビルのリニューアルも相まって、寂しかった駅周辺に活気が戻ってきたような気がします。
年をとると歳末の慌ただしさや、新年のお祝いなど季節の歳時記による気持ちの切り替えが薄れてきました。小学生時分のこと。クリスマスの喧騒から餅つきや年の瀬の買い出し、そして元旦を迎えての屠蘇など家のささやかな行事。お年玉をもらって近所の友達と遊ぶ晴れがましい昂揚感。それも二日までで、三日になると宴のあとの寂寥感が漂いはじめ、新学期のことが頭にちらついてくる。もうそういう感覚は味わえないですね。
年末から年始にかけて大雪に見舞われ 除排雪の
毎日です。現在の積雪量は1,2mほどでこの雪が
溶けるのは4月初めの頃です。まだ冬は長いです。
福岡や北九州などでは交通に障害があったようですが、
筑後地方ではほぼ普段どおりでした。
その代わり九州は台風銀座なので、毎年のようにどこかで被害が出ています。