田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

市の美術館で久留米絣展

2024年09月16日 | 美術館・博物館

 石橋文化センターへ行きました。市の美術館で久留米絣展が開催されています。久留米絣の歴史と文化財としての絣作品展の二部構成です。

 藍染の色見本。染めの回数で濃さが異なります。それぞれの色に名前が付いていますが、藍の品質や建て方などで色合いが微妙に異なってくるそうです。

 過去の投稿写真から。実際の染め色の違いです。

 地機(じばた) 明治17年のもので、20年頃には使われなくなりました。現存する久留米絣織機としては最も古いもの。県指定文化財。

 「久留米絣始祖機織之図」(部分) 久留米絣技術保存会のパンフレットより引用

 久留米絣の始祖、井上伝が使っていた筬や杼など。杼は上の絵にも描かれていますが、いまの杼と比べて形も違うしずいぶん大きい。伝女は天明8年生、明治2年没。生家の近くに後の東芝の創始者田中久重がいました。まだ年少だった彼に絵絣の技法について相談したことがあるという。

 この展示室は明治時代のもの。絣の布団地。嫁入り道具の一つとして作られ吉祥絵柄が多く、汽車や船など文明開化の象徴を織り込んだものもあります。

 絣の浴衣。向こうが透けて見える。

 農家の副業だった絣は明治になると産業化し、筑後各地に工場ができました。大正末期から昭和初期の最盛期には絣業の従事者は約5万人、生産高が200万反を超えました。

 国武絣工場。国武合名会社は最大手の絣業者。着ているのはもちろん久留米絣。

 当時の宣伝ポスター。「洗って良くなる」と書いてあります。

 文庫物の久留米絣。 巻くのではなく右に見える箱に入れて販売されました。細かな柄が特徴で、文人柄と呼ばれ男物の絣として人気がありました。

 この展示室は大正時代。

 子ども用の絣着物です。映画で絣姿の子どもを見たことがあります。

 現代の久留米絣。いまはデザインが重視され、作家性が強くなっています。一般に普及しているのは化学染料で機械織りの絣。いまの絣はカラフルになりました。

 幾つかの古典的な柄の組み合わせ。

 下から綿糸、括り糸、染色後の解き糸。

 括り台。

 目印に従ってアラソウで括ります。藍甕で染色時に解けないように固く、かつ絣解きの際には簡単に解けるよう括ります。手括りも無形文化財の指定要件です。

 過去の投稿写真から。藍甕で発酵しています。ジャパンブルーの誕生です。

 真夏のような日が続いていますが、朝夕は暑さも和らぎます。朝の散歩に出ようとすると、草むらからリリリ、リリリと虫の音が聞こえてきました。

 

 

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