稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

眞子さま「年内結婚」で日本人が覚悟すべきこと

2021年09月02日 | 政治や歴史など


皇室の眞子さまが、皇籍離脱して小室圭なる者と結婚しアメリカで新生活を送るということだそうだ。

だいたい世論は二分しており、何んとか阻止すべきという論と、
まあいいじゃないですか幸せならば・・。という論に分かれているようにも感じる。

私は断固として阻止すべきという気持ちが強かったが、
眞子さまが皇籍を離脱して1億3000万円余りとみられる一時金も辞退するという話を今朝聞いて、
その一途な気持ちもわからないわけでは無いという気持ちに傾きつつある。

いかに皇室といえども、眞子さまは一人の独立した人間であり、
独立した人間であるならば、幸せを得ようと考えることはごく当たり前であるからだ。
たとえ、世間の風当たりが強く、親が許さなくても・・・だ。

でもしかし懸念は広がってきた。
眞子さまが新婚生活をアメリカで送るということである。
皇籍を離脱するとなると眞子さまは一般人である。

眞子さまは一般人

このことを、我々日本人は本当に理解し、そして覚悟しているのか?
いや、小室圭なる者も、眞子さまも、わかっているのだろうか?
結婚さえすりゃ何とかなる・・的な気持ちになってはいないのだろうか?

小室圭なる者の給料では、自宅の警備も、眞子さまの警護も不可能なのは明らかである。
知り合いの警備に詳しい者に聞くと「完璧な警備と警護だと年間で数億円はかかるだろう」ということだ。
小室圭なる者の給料ではそんなことは絶対に無理である。
せいぜい防犯カメラ、防犯アラーム程度だろう。

とにもかくにも眞子さまは世界中から狙われる。
ますは世界中のパパラッチ(スクープ屋)に狙われる。
世界中の諜報機関が日本を陥れるために何か弱みは無いかと活動する。
過激派組織に拉致され、身代金あるいは理不尽な要求をされることも考えられる。
もちろん、一般的な犯罪に巻き込まれる可能性もあるだろう。

静かに暮らされたら良いのになあ

など望むのは、とうてい無理なのが今回のご結婚なのだ。

今回の結婚、そして今後の結婚生活は、静かに暮らすことはとうてい不可能である。
日本の政府が何かと関与し、日本人が眞子さまを心配する限り、それは出来ないと考えた方がよい。

唯一うまくいく方法は、ガン無視すること。

眞子さまが皇籍を離脱した瞬間に、皇室も、日本政府も、マスコミも、一般人も、

何があっても知らない

という姿勢を貫くことである。
気になるならぬの問題では無い。ガン無視することが唯一うまくいく方法である。

小室圭なる者が生活費に困って食うや食わずになろうが、
金に困って皇室のスキャンダル本を書いて儲けようとしようが、
眞子さまが結婚生活に破綻して日本に戻ってこようが、
テロ組織に拉致されて何かしらの要求をしてこようが、
無視しまくることこそが唯一丸く治まる道であると思うのだ。

そういう意味で、たとえばご結婚されるその日を限りに、
皇室、日本政府、マスコミ、日本国民全員が、眞子さまに対し、

いっさいの関係を断ちます

という宣言をすべきだ。関係だけでなく関心をも断ち切る覚悟があるべきだと思うのだ。
言ってみれば「眞子さま断捨離」である。これは少しのほころびも許されない。

でなければ、ズルズルと、小室圭なる者の起こした禍(わざわい)に、
日本国と日本人は引きずり込まれ、今後何十年も、いや何百年も苦しむことになる気がする。

とここまで書いてはみたが、これはやっぱり無理だろうな・・・
で、やっぱり結婚はしないで欲しいというのが本音だ。何としてでも。。
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米軍撤退に見る「自分の国は自分で守る」という当たり前の事

2021年08月31日 | 政治や歴史など


20年間の駐留に終止符を打ち米軍がアフガニスタンから撤退した。
その準備段取りは不十分で撤退作戦中に13人のアメリカ兵が死亡し、さらに100人以上のアメリカ人が取り残されたままである。
それよりも深刻なのは、アメリカ政府に協力的だったアフガニスタン人が多数取り残されたことだ。
彼らがタリバンやイスラム国から殺されるのは間違い無いだろう。

今から51年前、日米安全保障条約に反対する第二次安保闘争があった。
当時私は中学3年生で、通っていた奈良女子大学文学部附属中学校も過激派に占領され封鎖された。
活動の中心は高校生がメインだが、同級生も含む中学生も混じっていた。

日米安保反対!と声を上げ、アジビラを撒く同級生に「日米安保は俺も反対だ」と言った。
彼は、普段保守的な私が日米安保反対と言ったので目を丸くして驚いた。

彼「お前が日米安保に反対するとは思わなんだよ」
私「そうや、アメリカに守ってもらうのはおかしい、日本の国は自分たちで守るべきだ」
彼「なんやそれ、そんなんおかしいやろ、おまえ頭おかしいわ・・」

結局彼の頭の中は、日本に攻めてくる国などあるわけが無く、
日本の軍備を無くし、アメリカ軍の駐留が無くなれば平和なんだという極めてお花畑的な平和理論だったのだ。

日本のマスコミはあまり報じないが、現在の日本は、中共の脅威にさらされ、
言われも無き領土問題をふっかけられ、いつ尖閣諸島を占領されてもおかしくは無い状態にある。
本来は同じ自由主義陣営であるはずの韓国も、戦後のどさくさに竹島を不法占拠したままで、
それどころか今は仮想敵国を日本とし「対馬を返せ」などと言いだすしまつである。

日本の政府はまったくの腰くだけで、いまだに「遺憾砲」ばかり。
「きわめていかんです」と言ったって、それは国際的に何の意味も持っていない。



いざとなったら自分の国は自分で守る。

この気概が無くて、どうして米軍が日米安保を発動してくれると言えるのだろう。
国防を真剣に考えていない国を血を流して助けようと思うお人好しな国などありえない。

「尖閣に近づくものあれば断じて許さず」の姿勢と気概を日本国民全員が共有し、
それがあってこそ、海上保安庁も自衛隊も、自信を持って国防に当たれるというものだ。

いまのように、隙を与えたままでは、余計に戦争の火種となってしまう。
段階的に、用意周到に進めよう。「何がっても尖閣は守る」という姿勢が日本の防衛の要であると信じる。
アメリカは当てにはならぬ。いや、当てになるならぬの問題では無い。
平和ぼけした米軍依存体質では、アメリカだって本気で日本を助けようとは思わないはずだ。

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過激派に属していた同級生の彼は、そのあと私の持っていた日の丸を奪って破いて捨てたのだ。
その後の彼のことは知らない。若くて死んだという噂も聞いたが何で死んだかは聞いていない。

米軍のアフガニスタン撤退で、半世紀前のことを、ふと思い出した次第である。
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新型コロナの感染症分類を今すぐ見直せ!

2021年01月08日 | 政治や歴史など
昨年3月より何回か「新型コロナは大したことが無い」と書いてきた。

2020年3月24日のブログ
「武漢熱(新型コロナウイルス)など大したことは無い!」
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20200324/

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秋頃から書かなくなったのは馬鹿馬鹿しくなったから。
いまでも感染者が増えたとしても「大したことでは無い」と思っている。
マスコミが騒ぐほどでは無いのだ。ただし「日本では」だ。

何もしないで良いとは言っていない。
まずは中国を中心とする外国からの流入をストップすること。
緊急事態宣言まで出している自治体があるのに、なぜ中国やその他の国からの入国を許すのかわからない。
自治体も政府も、言ってる事とやってる事がチグハグ過ぎて不信感だらけだ。

昨年9月には期待もした。
菅(すが)首相もこれに乗ると思っていた。
しかし乗らない。乗らないで外国人の入国を許した。
危機管理どころでは無い。あきらかに間違っている。
マスコミが煽って政府が腰砕け。
不安感ばかりが溢れ経済はマヒし医療現場は崩壊の恐れを生じている。



<新型コロナ>厚労省「2類相当」見直し検討
インフル相当の「5類」への引き下げの考えも
2020/8/27(共同通信)
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/566069

 厚生労働省は26日までに、新型コロナウイルス感染症の感染症法上の位置付けの見直しを検討することを決めた。現在は「指定感染症」となっており、危険度が5段階で2番目に高い「2類相当」。入院勧告ができるが、感染者数の増加に伴い医療機関の負担が重くなっている。このため多数を占める軽症や無症状の人は宿泊施設や自宅での療養とし、入院は高齢者や重症化リスクが高い人に絞ることなどが想定される。

 厚労省に助言する専門家組織で議論し、結論を踏まえ政府として「できるだけ速やかに対応する」(加藤勝信厚労相)方針だ。政府内には2類相当からインフルエンザ相当の5類への引き下げを容認する考えが出ている。

 新型コロナ患者は国内で1月に初めて確認され、その後、中東呼吸器症候群(MERS)や重症急性呼吸器症候群(SARS)と同じ2類感染症と同等の扱いとなった。原則として入院などの措置を取ってきた。

 その後、国内の感染者は6万人を超え、無症状や軽症の患者も多いことが判明。一部は宿泊施設などで療養してもらう運用が既に始まっているが、冬になればインフルエンザの流行で医療体制がさらに逼迫(ひっぱく)する恐れもあり、分類の見直しを求める声が出ていた。

 2類相当から引き下げれば入院措置は不要となるが、新型コロナは無症状の人でも他人にうつすことがあるため、感染拡大を招きやすくなる恐れがある。公費で賄われる入院費用が自己負担となり、入院が必要な患者が拒否する可能性もある。このため専門家組織は、法律上の位置付けを慎重に議論していく方針だ。【共同】

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もし10月にでもインフル相当の「5類」に変更しておけば混乱は無かった。
同時に外国人の入国に制限をかければ良かったのだ。

緊急事態宣言だからと8時に飲食業を閉店させても何の意味も無い。
静かに飲み食いする客もいるはすだ。一人で静かに飲みたい客もいるはずだ。
飲食業に何の罪も無いのに、補償も無く、東京都の方針に従えと言うのだ。
従わなければ店名を公開する?東京都は自粛警察か?

大勢で飲み食いして大声で騒ぐ客を責めるべきであって、飲食業を責めるべきでは無いのだ。
だから朝から営業している飲み屋や風俗店などが生まれるし、昼間に大声で大勢で騒ぐ老人たちも出現するのだ。

もう馬鹿馬鹿しくて仕方が無い。毎年、1万人が、インフルエンザを原因(合併症含む)で死んでいる。
これに対し、新型コロナで死んだ人は、本日の時点で、累計で3942人なのだ。
政府は速やかにインフルエンザ並みの「5類」に分類を変更すべきだ。
同時に、ただちに、中国を中心とする外国人の入国をストップしなければならない。
その上で、今後どうするかを慎重に検討すれば良いのだ。

マスコミは嬉々として恐怖心を煽る。
これに絶対に乗ってはならない。
われわれは今こそ冷静に考え行動すべきなのだ。
5類にしないと日本が崩壊する。
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産経新聞「産経抄」2020年12月26日朝刊

2020年12月26日 | 政治や歴史など
今朝の産経新聞の「産経抄」。
至極まっとうな事を述べていたのでそのまま転載させていただく。
著作権に問題があるかも知れないが、産経新聞さん、お許しくだされ。
自民党が良いとは言わないが、いまの野党があまりに糞過ぎるのだ。

野党、まともになれ!



「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」。イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスの25日、こんなイエスの言葉が頭をよぎった。後援会の政治資金収支報告書の不記載問題をめぐり、国会で安倍晋三前首相をつるし上げる議員らの姿を見てのことである。

立憲民主党の意図には首をひねった。質問者の一人の辻元清美副代表といえば、かつて秘書給与詐欺事件で逮捕され、有罪判決を受けた。しかも、当初は自身の疑惑を否定していた。「嘘の雑貨店」とも報じられた辻元氏を選んで、「虚偽答弁をした」と安倍氏を追及させる狙いは何なのか。

立憲民主党の前身、民主党の初代首相の鳩山由紀夫氏の事例も思い出す。資金管理団体の収支報告書に4億円を超える虚偽記載があり、母親から12億6千万円にも上る「子供手当」の贈与を受けていたが、「気付かなかった」で済ませた。「兄は脱税している」との弟の邦夫元法相の告発は、民主党内では問題にされなかった。

政治とカネの問題では、鳩山氏の次の菅(かん)直人首相も3代目の野田佳彦首相も、違法な外国人献金問題が発覚した。違法でなくとも、立憲民主党の枝野幸男代表が「革マル派活動家が相当浸透している」(政府答弁書)労組から、多額の献金を受けてきた件も軽視できない。

国会では、立民議員らが補填(ほてん)を知らなかったという安倍氏を嘘つき呼ばわりして議員辞職を求めていたが、これもしらける。そもそも菅(かん)内閣は、閣僚が国会で虚偽答弁しても、必ずしも政治的・道義的責任は問われないと閣議決定している。

イエスの言葉に、石を投げていた民衆は立ち去る。そんな反省や良心には無縁でないと、国会議員など務まらないのかもしれない。

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(ここまで)





とにもかくにも辻元清美の顔をニュースで見るだけでも反吐が出る。
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NHKなんていらない。せめてスクランブル化を!

2020年12月17日 | 政治や歴史など
youtubeで昨夜見た動画。
NHK受信料全世帯徴収見送りに丸山穂高の持論が話題
https://www.youtube.com/watch?v=iAMsS2Yd-TU




海上保安庁 2177憶5345万7000円
警察庁 3420憶8472万9000円
環境省 3459憶4527万4000円
NHK(連結)7547憶7700万円

いやはや驚いた。
海上保安庁や警察庁が無くなったら大変だと思うが、NHKが無くなっても、誰もさほどは困らない。
毎日のように尖閣諸島に不法侵入してくる中国公船に、海上保安庁は不眠不休で対応しているのだ。
船も人員も、もちろん予算も足りないのに・・・だ!
海上保安庁とNHKの予算が逆転してもおかしくは無いと思う。

ともかくNHKは、無駄が多い。
ありとあらゆるところで潤沢な予算を好きしたい放題に使っている。
国民の89パーセントが公平なスクランブル化を望んでいる。
NHKが今すぐ無くなっても、せいせいする人が多いのでは無いだろうか?

わたしの試案。
基本料金、月に100円、年で1200円を希望。
スクランブル化をして、報道と災害、国会中継はスクランブルを外す。
娯楽関連は完全にスクランブル化して、お金を払った人だけが観れるように。
教育番組は電波帯を売却し国と国民のために有効に使う。
(高橋洋一氏が「Eテレ売却」を言ったのは「Eテレの電波帯を売却」の意味であり意図的にマスコミは捻じ曲げ放送している)
教育放送はネット配信し、いつでもどこでも必要な人が必要なだけ観れるようにする。
こうすれば、誰もが納得し、その上、コンテンツの有効活用にもつながる。

どんなにキレイ事を並べても、実際にNHKの契約は、無知な人が実態を知らずに契約をしていたり、
暴力的な集金人により女性や若者、老人たちが無理やり契約させられたり・・である。
無知と社会的弱者だけが受信料を支払っているこんな不公平はただちに止めさせなければならない。



うちにも集金人は来たことがあった。
少し話し始めたら、そわそわと帰ろうとしたので、引き留めて色々と考えをお話してあげた。
最後に「また来ます」と言われたので「ええお待ちしてますよ」と言ったのに、
私の自宅(事務所にも)に集金人は、もう10年ほど寄り付きもしないのだ。
何やら「重要」と書かれた封筒を郵便受けに数度入っていたことがあるが開けてもいない。
いったい何が「重要」だったのだろう。本当に重要ならぜひ説明して欲しい。

いま、コロナ禍で国民生活が大変な目にあっている現在、
NHKは「値下げしろ」の声に応えて35円の値下げを実施した。

えっ!? たったの35円!!!

国民をバカにするのをいい加減にしろ!と言いたい。
2018年に当時の菅官房長官は「携帯料金は4割安くなる」と発言したのだぞ。
携帯電話は無くてはならないものだ。NHKなら半額でもまだ高いと思うぞ。
菅総理はぜひNHKのスクランブル化について語って欲しい。

うなるほどの金を本体や子会社に内部留保させ、自分たちの給料だけはうなぎ登り。
(新入社員も含めた平均収入が手当ても含めたら年間1700万円)
あまった金で渋谷の放送センターを地上17階、地下2階、高さ88m(最高91m)の高層ビルに建て替えている。
建替え費用 は総額で 3400億円!こんな大盤振る舞いは民間企業でも官公庁でも有り得ない。

普通は先行投資として借金して建物を作るものなのだ。
余った金だからと自分たちで好きに使って良いというものでは無いはずだ。

こんな不埒なNHKは今すぐ解体すべきである。
解体出来ないのなら、せめてスクランブル化して、全国民が納得するようにして欲しい。
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NHK、受信料7000億円の徴収にかかる経費は780億円! 高市前総務相が指摘したムダ

2020年12月01日 | 政治や歴史など
2020年11月29日 5時58分 デイリー新潮
NHK、受信料7000億円の徴収にかかる経費は780億円! 高市前総務相が指摘したムダ
https://news.livedoor.com/article/detail/19296806/



 前総務大臣の高市早苗代議士(59)が吠えまくっている。11月18日はYouTubeチャンネル「ケビン・クローンのセイカイ発見TV」、21日には関西テレビの「東京駐在 キーパーソンに訊く!」で、NHK改革について持論を述べたのだ。中でも、受信料とそれ を集めるための経費が高すぎるとの発言が注目されている。
 10月から受信料を値下げしました!と大見得を切っていたNHKとしては、まだ納得 してもらえないの?と言いたいかもしれない。

 しかし、今回の値下げは、地上契約で年間340円(口座・クレジットで月払いの場合)、月当たりたったの35円にすぎない。放送記者は言う。
「10月からの受信料は、口座・クレジットで月払いの場合、地上契約で年1万4700円(月1225円)、衛星契約で年2万6040円(月2170円)になりました。今年9月まで総務大臣を務めた高市さんとしてはまだまだ足りないということなのでしょう。なにせ、歴代最長の総務大臣として、NHK改革に取り組んできたわけですから」

携帯の次はNHK

 高市氏の後継が武田良太代議士である。

「武田総務相も12日の衆院総務委員会で、『コロナ禍において国民のために何ができるか。家計負担を減らす受信料の値下げから着手するのが、公共放送の在り方だ』、『携帯電話(料金)の値下げの問題に取り組んでいた時、多くの国民から携帯電話よりNHKの受信料を考え直すべきだという意見が寄せられた』と発言しています。菅首相としては、携帯電話料金引き下げの次にNHK改革をやろうとしているようですね」

徴収に799億円

 そんな中で、高市議員の発言が注目されているのだ。「セイカイ発見TV」では受信料について、こう述べている。

高市:絶対、高いと思うんですよね。(アシスタントの女性に対し)2人とも、年間2万6040円払ってらっしゃると思うんです。集合住宅、コンドミニアム、マンションとかに住んではったら、最初からアンテナついてはるやないですか。衛星放送見ようが、見まいが、衛星受信料取られるんで、年間2万6040円払うてる。携帯電話は大手のサブブランドを使えば安いし、格安スマホでも安く使える。でも、NHKの受信料だけは定額ですか らね。これ、節約のしようがない。
――さらに、その徴収のための経費に話が及ぶ。

高市:営業経費、高すぎますよね。7000億円の受信料集めるのに、700億円以上、集め る人にお金使うとる。集めるために、お金使うてしもうてる、と。

――「キーパーソンに訊く!」では、より具体的になる。

高市:(中略)課題と考えているのが、2020年度予算で779億円にも上る「営業経緯の 高止まり」です。前年度の『2019年度決算』の「営業経費」は759億円でした。2019年度の「受信料収入」は7115億円でしたから、受信料のうち、10・6%を、受信料徴収するために使ってしまった計算になります。受信料の占める「営業経費(徴収費用)」の比率は、イギリスで2・7%、フランスで1・0%、ドイツで2・2%ですから、10%を超える日本は特に高額です。

 約780億円とは、確かに高い。

「他国との比較は、放送文化の違いや、それぞれの国民と公共放送との信頼度などにもよりますから、一概に高い、安いは言えません。ただ、それでもNHKはお金をかけすぎで しょう。もっと削減すべきと誰もが思うはずです。NHKは口を開けば、公平性のために全世帯から徴収すると言うのですが、そのために759億円もの受信料を費やしているわけです。その経費を世帯支払い数の3769万世帯(19年度末)で割ると、1世帯あたりおよそ2000円かかっていることになります」

 ならば、スクランブル化を実現して、見た分だけ支払うのが最も公平という声も。

「高市さんはスクランブル化には触れていませんね。決して技術的にできないことではないはずですが、NHKも前向きな発言をしたことがありません。まあ、固定収入が減るのがイヤなのでしょう。実はNHKでは、いまだに新入社員に、受信料の徴収体験研修を行 っています。NHKに入局すると、新人はまず地方放送局に赴任するのですが、その際に、記者もアナウンサーもこの研修を受けます。表向きの目的は、NHKの番組はもちろん、お前たちの給料も受信料で賄われていると教えるためということですが、受信料制度は不変という意識を教え込む狙いもあるようです」

無駄が多すぎ

 高市議員は「キーパーソンに訊く!」で、NHKの放送波(チャンネル数)の多さについても触れている。

高市:現在のNHKは、「地上テレビ」で2波(総合、教育)、「ラジオ」で3波(AM第1、AM第2、FM)、「衛星」で4波(BS1、BSプレミアム、BS4K、BS8K)の放送波を使用しています。私が大臣としてご一緒した3名のNHK会長に対しては、「本当にこれだけ多くの放送波が必要なのか。同じようなコンテンツが別々の放送波で重複している。整理できるものを検討してもらえないか」と、申し上げてきました。(中略)この「放送波の削減」実現できると、受信料引き下げに繋がる大きなコストカットの余地が生まれます。

 NHKは8月に、BSの1波、ラジオの1波を削減する方針を発表したが、それでも多い。

「そもそも、こんなに多くのチャンネルを見たり、聴いたりすることなど不可能です。公共放送は、災害とニュースだけやっていれば十分という声もあります」

 さらに、NHKの肥大化については、こう発言している。

高市:NHKの「子会社」は11社、「関連会社」は4社、「関連公益法人等」は9団体あります。(中略)NHKグループ全体の人員数は2020年度で10343名ですが、子会社や関連会社の業務内容を一覧しますと、「NHK本体では、一体何の業務をしておられるのか」と不思議になるくらい、多様な業務が展開されています。

「確かに、NHK本体の局員は何をしているのかと思うことがあります。最近、NHKでは外部の制作会社の作った番組が急激に増えています。『チコちゃんに叱られる!』だってそうです。いいコンテンツが適正価格で作られているなら結構ですが、野放図な広がり方をしているようにしか思えません。そもそもNHK本体と民間の制作会社は、直接契約 することはできません。間にはNHKエンタープライズなど子会社が入って契約するわけです。当然、エンプラにもお金が入るわけですから、これは中間搾取と言っていい。果たしてこれで適正価格と言えるのか、1万人以上いるNHKのあらゆるセクション、あらゆる人員が本当に必要なのか、精査する必要があると思います」

 どうやらNHKには無駄が多すぎるようだ。無駄をなくしたら、受信料は一体いくらになるだろうか。高市議員はこう結んでいる。

高市:そもそも企業スポンサーが不要なのですから、民放と競って視聴率狙いの番組制作をする必要はないですし、民放や新聞社の業務を圧迫するような事業を行う必要もないはずです。NHKには「不断の改革」をしていただき、公共放送として付託された国民・視聴者の皆様の期待に応え、「在るべき方向」に向けて進んでいただきたいとの思いを日々強くしています。

以上、週刊新潮WEB取材班(2020年11月29日 掲載)




ここからは私見。

NHKは受信契約数を78%と公表しているが、これは分母が官公庁、企業、宿泊施設を入れての水増しである。
実際のところはNHKがデータを公開しないのでわからないのだが、私の回りで受信料を払っている者など、ほとんど居ないことからも明らかだと思う。

11月26日の参院総務委で、NHKの前田会長が受信料支払い義務化に反対の意向と言ったのは今までの嘘がバレるからである。
その前に、テレビ設置の届け出義務化を要望していたのに「なぜ?」と思うだろうが、
届け出義務化は集金しやすくなるので賛成、支払い義務化は契約数の嘘が総務省にバレるから反対なのだ。

実際の支払い率は半分程度である。もしかしたら30%や40%台かも知れない。
この数値がバレたら、いくらNHKや関係団体に天下りして、ズブズブ関係の総務省も、
「NHKっていらないんじゃない?」という世間の批判に耐えられないだろう。

NHKの受信料は真面目に支払っている者がバカを見る仕組みである。
真面目な東北などの県は支払い率は高く、大阪などは支払ってる者が珍しいほどだ。

NHKは、公共放送部門と娯楽部門に分離して、娯楽部門はさっさとスクランブル放送にすべきである。
そうすれば公共放送分のみの受信料は100円~300円程度となるだろう。

真面目に支払っている者は、いちどテレビを廃棄して、契約を一度解除したほうが良い。
その支払い金額が、その価値に値するものなのか、もう一度見直して欲しい。
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戦争を放棄した国を攻撃したら世界中から非難される?

2020年08月15日 | 政治や歴史など


戦争を放棄した国を攻撃したら、世界中から非難される。
だから日本には他国はうかつに手を出せない。
「武力を持たない」が一番つよい。

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というものをネットで見た。
たちの悪い冗談かと思ったがそうでも無いらしい。

独立国家だったチベットも南モンゴルも東トルキスタン共和国も、まっとうな軍隊を持たなかった。
中国に対し平和的に解決しようと努力をし続けたが、結局、中共軍に蹂躙され今は国としては無くなってしまった。
話し合いなど何の解決策にもならず、約束も全部反故にされ、チベットでもモンゴルでも東トルキスタン(ウイグル)でも、
ジェノサイド(国家あるいは民族・人種集団を計画的に破壊すること)が現在進行形で行われている。

だいたい、中共(中国共産党)は、世界中からの非難なんて屁とも思っていない。
根本的に「世界の中心は中国だ」という思想が中華思想だからだ。
勝てば官軍、強ければ何をしても許される、力こそ正義・・という恐ろしい思想である。
それは今の香港の「国家安全維持法」を見ても明らかである。
同国人の香港に対してもジェノサイドの危機が迫っているのだ。



話し合いは大切だが話し合いが有効なのは相手と対等な場合だけである。
「話し合うぞ!」といくら叫んでも何の抑止力にもならない。
無法国家からの武力の行使を抑止しようと思うなら相手がためらうほどの武力が必要だ。

中共軍の異常とも言える軍拡に対し、自衛隊は米軍の後ろ盾を頼りにして、
ぎりぎり何とか対処出来る装備と人員で頑張ってきたがそれも昨今危うくなってきた。
日本は「戦争を起こさせない」ために懸命に努力しているのだがまだまだ努力は足りない。
いや努力が足りないのではなく、平和ボケした思想を持つ団体とマスコミが平和を危うくしているのだ。

力を背景に、中共軍は好きしたい放題である。
日本のシーレーンの要、平和だった南シナ海は、少し平和ボケして楽観視している間に、
中共軍は岩礁やサンゴ礁を埋め立て対空ミサイルを配備して強力な軍事基地にしてしまった。

武力無しでは国を守れないことなど、いま世界中が痛感していることである。
非武装のところほど戦争を招き入れる要因になるからだ。
カギをかけない家は泥棒に狙われるのと同じ理屈である。

お花畑な平和論こそ、一番戦争を起こしやすい危険な思想だと気づいて欲しい。

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正解は、

戦争を放棄した国が攻撃されたら、攻撃された国は世界中から笑われ非難される。
だから日本には軍備が必要で、軍備によって他国はうかつに手を出せなくなる。
「武力を持たない」が一番危険だ。

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中国、尖閣に漁船団予告「日本は制止できぬ」

2020年08月06日 | 政治や歴史など

(中国海警局の武装船・写真はすべて海上保安庁のサイトから引用)

8月3日 産経新聞朝刊
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中国、尖閣に漁船団予告 領海侵入 「日本は制止できぬ」
中国政府が日本政府に対し、尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺での多数の漁船による領海侵入を予告するような主張とともに、日本側に航行制止を「要求する資格はない」と伝えてきていたことが2日、分かった。16日に尖閣周辺で中国が設定する休漁期間が終わり、漁船と公船が領海に大挙して侵入する恐れがある。日本の実効支配の切り崩しに向け、挑発をエスカレートさせる可能性もあるとみて日本政府内では危機感が高まっている。(半沢尚久)
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上は、8月3日の産経新聞の朝刊の記事である。なぜか他の新聞やテレビではほとんど報じない。


(海上保安庁のHPより https://www.kaiho.mlit.go.jp/mission/senkaku/senkaku.html

中国は、昨年7月にも、ベトナムの排他的経済水域で、公船とともに海上民兵船が活動した前例がある。
そして今年6月に法改正を行い、公船が所属する中国海警局と中国海軍が同じ指揮系統で運用可能になった。
つまり、尖閣周辺で中国軍の艦艇と公船(という名の武装船)、そして漁船を名乗る民兵船が共同作戦を行い、
尖閣諸島で本格的な上陸作戦を実施するという可能性が異常に高くなっていると見れるのである。



今回の中共の挑発( 「日本は制止できぬ」と言い切ったこと)は、これはもう宣戦布告と同じではないか。
日本としては「断固として阻止する」とただちに言わねばならないところだ。
「遺憾です」などと何万回言っても無駄である。

しかし現状は肌寒い。
確かに日米安保条約の範囲に尖閣諸島も含まれると在日米軍は言明したが、
それは有事になってから。そして自衛隊も有事にならないと動けないのが現状だ。

実際には中国は有事、つまり軍事力を表に出さないで行動する可能性のほうが高い。
中国軍に守られた漁船を名乗る民兵船が大量に押しかけ、そのうち数隻が上陸する可能性が高いのだ。
今の海上保安庁の巡視船十数隻だけは数百隻の民兵船を阻止するのは無理である。
グレーゾーンを狙って挑発を繰り返し、先に日本に手を出させるというのが中国のやり方である。



それに対応するには、日本も法改正をただちに行う必要がある。

まずは、今すぐにでも尖閣諸島で一番大きな魚釣島に警察官を常駐させること。
上陸してきた民兵を検挙するには、それなりの規模と装備が必要だろうがぜひ実施してもらいたい。
民兵と銃撃戦など起これば、それは中国軍から始めた戦闘行為であり正当な防衛と国際的にも主張できる。

逆に民兵を上陸させてしまったら取り返しがつかない。
漁民(実際には民兵)を保護するという名目で、おそらく中国軍が武装兵を上陸させ、
たちまちのうちに実効支配をしてしまうだろう。
これは南沙諸島で中国がさんざんやってきた手法である。

漁船を名乗る民兵船が現れたら、ためらわずに臨検すれば良い。
その中の1隻でも武装していれば、それは戦争状態と捉えるべきだ。
何があっても絶対に漁船を名乗る民兵船を尖閣諸島に上陸させてはならない。

急ぎ、先手で8月16日までに武装警察官を常駐させること。
並行して国の役人(国土交通省、他)が調査と測量を行うこと。
灯台と監視カメラ、船着き場、そしてヘリポートを設営すること。
町名番地の表記、郵便ポスト(無人でも定期に回収を実施する)を設置ずること。
尖閣諸島の天気予報、漁業情報を毎日発表すること。
常駐警察官や、海上保安庁の巡視船に対しての攻撃はただちに反撃可能と周知徹底しておくこと。
水産庁の漁業取締船にも最低限の武装を行い、海上保安庁の巡視船と連携行動を取ること。
大正島は米軍の爆撃訓練場所になっているので自衛隊と共同して訓練を実施すること。


(中国軍は総出で尖閣諸島を狙っている)

かなうなら、今すぐにでも私自身が魚釣島に常駐させて欲しいぐらいだ。
上陸してきた中共の民兵に、たとえ殺されようとも無駄死にはならないと思う。

戦争の危機は尖閣諸島ですでに始まっているのだ。
平和ボケしていてはならない。

戦争を避けるには、相手に、絶対に隙を見せてはならない。
衝突が起こっても初期の段階で断固とした措置を取るしか無い。

16日は再来週である。国会はいま、夏休みを取ってる場合では無いだろう。
少なくとも超法規的な何らかの措置を水面下で模索し講じていると信じたい。河野太郎がんばれ!
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韓国主張と矛盾 江戸期 ペリーの海図に SEA OF JAPAN「日本海」

2020年07月27日 | 政治や歴史など


25日(土曜日)の産経新聞の夕刊のトップ記事である。
こういう記事は産経新聞以外は報じないので紹介しておく。


1855年刊行の英国水路部の海図「JAPAN」。「SEA OF JAPAN」と表記されている。


1856年刊行の「ペリー提督日本遠征記」の付図。「SEA OF JAPAN」の表記がある。(いずれも舩杉力修准教授提供)

日本海の国際呼称をめぐり、韓国が「東海」への改称や併記を求めている問題に関連し、江戸時代末期にあたる1850年代に刊行された英国と米国の公的な海図が日本海の呼称を使っていた。日本国内で日本海の呼称が一般的になるのは明治時代だが、それより前から国際的には定着していたことを示すものだ。島根大の舩杉力修(ふなすぎりきのぶ)准教授(歴史地理学)によると、「日本海の呼称が普及したのは日本の植民地支配の結果」とする韓国側主張の矛盾を突く資料の一つになるとみられている。(坂田弘幸)

本文略 (WEB版の産経新聞の有料版に本文がある)

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「東海」なんて呼び方が使われたら混乱するだけだ。
中国で東海は東シナ海のこと。ベトナムでは東海は南シナ海のこと。
北欧やドイツでは東海はバルト海のこと。日本では東海地方の太平洋側のことになる。
いずれも自国内だけの便宜上の呼称である。
自国の便宜上の呼称を国際的に認めろという国は無い。

自分の国から東側にあるから「世界的に東海としろ」という主張が何だか子供じみて気持ちが悪い。
おそらく漢字を捨ててハングル文字だけにした時点で歴史的な書物を読める者が激減したのが原因では無いか?
日本でも漢字を捨てて、ひらがなとカタカナだけにしたら、たちまち知的水準は急降下してしまうだろう。

ハングルを使った反日教育が原点にあり、日本さえ敵にしておけば一安心のような政府の方針が、
底の浅い幼稚な国際感覚を生む原因であるような気がする。

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ペルーが来た頃なら朝鮮半島は李氏朝鮮の時代である。
李氏朝鮮の国旗(王旗)は下になる。



李氏朝鮮の後期、清国の支配が強まった壬午事変(じんごじへん)直後に制定された朝鮮国旗には
「大清国属高麗国旗」と明記されている(1882年)。



これは現在の韓国の国旗(下図)の原型になったものだ。
つまり、国旗そのものが他国の属国旗になった歴史もあるのだ。



この韓国の国旗の歴史や意味を知っている韓国人は何%いるのだろう?
韓国はハングルだけでなく、ぜひ漢字をもう一度導入し浸透させるべきだと思う。
ああだこうだと自分勝手な解釈をする前に、膨大な中国や日本に残る歴史物を読んで歴史を学んで欲しい。
学んだ上で、まっとうな歴史感覚や国際感覚を身につけて欲しい。
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熊本の洪水被害は「コンクリートから人へ」が生んだ災難だ。

2020年07月09日 | 政治や歴史など



経緯を簡単に述べる。
2009年に民主党政権が生まれが、そのマニフェストには
「川辺川ダム、八ツ場ダムは中止。時代に合わない国の大型直轄事業は全面的に見直す」と明記されていた。

そして鳩山由紀夫内閣が生まれ、国土交通大臣の前原誠司も、後任の馬淵澄夫も川辺川ダム中止の方針を踏襲した。
民主党政権は群馬の八ツ場(やんば)ダムも、熊本の川辺川ダムも、ムダな公共事業のシンボルに仕立て上げた。
そして現場の声も聞かず、建設中止を表明したのだ。

「コンクリートから人へ」は当時の民主党が掲げたスローガンである。

その後、東京都知事石原慎太郎を始め地域6県の知事は、
「八ッ場ダム建設事業の継続」の決断を求める緊急声明」を発表。
結果、八ッ場ダムの建設事業再開を決定した。

そして、その結果、昨年(2019年)の台風19号では、
試験的に水を貯めていた八ツ場ダムのおかげで下流の利根川での氾濫が回避できたのだ。



片や熊本では、蒲島郁夫が2008年に熊本県知事に就任し、
直後、国が五木村に建設を予定していた川辺川ダム計画の白紙撤回を求めた。
つまり、八ッ場ダムは地元の知事たちが必要とし、川辺川ダムは地元の知事が不要としたのだ。


(蒲島郁夫・かばしまいくお・熊本県知事)

蒲島知事はこの7月5日に、川辺川ダム中止の決断は県民の意向とした上で、反対の方針に変わりがないと強調した。
大きな被害に「大変なショックを受けた」、「ダムによらない治水を目指してきたが、費用が多額でできなかった」と述べた。
さらに「ダムによらない治水を極限まで検討する」と話したが具体的な方策に言及はなかった。

この人には呆れた。
結局、対案無き反対をしてきただけだ。
そしてこの12年間、何一つしてこなかったのだ。

「ダムによらない治水」って何だ?
川幅を広げる?川の底を掘り下げる?川筋に堤防を延々と作る?

そんな代案はハナから無理なのだ。
費用も手間も時間も恐ろしいほどかかってしまう。

結局、コストパフォーマンスに一番優れているのは治水ダムの建設しか無かったのだ。
決壊による被害額は、ダムの建設の費用とは比較にならないぐらい大きいということを考えてなかったのだ。

ここに来てまだ「ダムによらない治水を極限まで検討する」と言ったのは無能で無責任の極みでは無いのか?
なぜ「ダムの建設も含めて、防災への取り組みを根本から見直し検討する」と言わないのか?

今回の熊本の洪水被害は、無能な民主党政権と無能な知事とのコラボによる人災である。
思慮浅はかで根性の無い人物が知事や大臣になればこのようなことになる。
悪夢の民主党政権を誕生させたのはマスコミだった。
民主党が正義で自民党が悪のような報道ばかりだった。
テレビのワイドショーや朝日などの偏向新聞しか見ない人はみんな騙されたのだ。

我が国は地震が多く台風の被害も出やすい。
健全な土木技術集団を常に育成しておくことが自然災害への取り組みに不可欠なのだ。
国土の基盤を整備してくれるのが土木建設企業だということを忘れてはならないのだ。

箱モノ政治には大反対だがインフラ整備は国家の根幹と考えたい。
道路、橋、トンネル、河川、港、そして各種通信(NHKだけは不要)、電力網、鉄道網、
これらは「かくあるべき」という姿を描き、直接的間接的に、
国家と自治体、そして企業が責任を持って整備し続ける必要がある。

土木建設企業を「悪者化」し、「コンクリートから人へ」という、
馬鹿げたスローガンを掲げる民主党政権が誕生したことを我々は恥じなければならない。
国民は常に健全な危機感を持たねばならない。心地よい言葉に酔いしれてはならない。

同時に熊本県民も「ダムによらない治水」とは何なのか確認することもなく、
蒲島知事に投票し続けてきたこの12年間を恥じなければならない。

自分的には、中断している川辺川ダムの建設を再開するか、
最低限の治水整備だけを行い、「まさかの時はあきらめて下さい」と正直に説明するしか無いと思う。

「ダムによらない治水を極限まで検討する」なんて馬鹿な話をこの知事はあと何年も続けるのだろうか?
「検討した結果はどうなんですか?」と、今後毎月、熊本県民とマスコミは問うてみよ!と言いたい。

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【追記】
ここまで書いたあとで蒲島知事の「ダムによる治水も検討する」と発言訂正のニュースを見た。
ここでダム反対と言うのは分が悪いと判断したのだろうが、今後の蒲島知事の言動を見守りたい。
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習近平の国賓来日中止

2020年07月07日 | 政治や歴史など


2020年 07月03日 22時40分提供元:読売新聞
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自民党は3日、外交部会などの役員会で、香港での国家安全維持法(国安法)の施行を受け、中国の習近平(シージンピン)国家主席の国賓来日の中止を求める決議案をまとめた。 6日に部会などの合同会議、7日に党政調審議会で議論し、首相官邸に申し入れる予定だ。ただ、二階幹事長は周辺に「ここまでつないできた先人たちの努力を何だと思っているんだ」と反発しており、今後、表現が弱まる可能性もある。 決議案は、同法に基づき大量の逮捕者が出たことに触れ、「傍観することはできない。強く非難する」と表明。習氏の来日を巡っては、政府に対し「中止を要請する」と明記した。5月29日にまとめた決議の「再検討も含め、慎重に検討」という内容からさらに踏み込んでいる。
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香港の問題は中国共産党の悪事のほんの一角でしかない。
なぜ香港人が命の危険を冒してまで国家安全維持法(国安法)に反対するのか?

それは中共(中国共産党)が今まで行ってきた殺戮と同化政策を知っているからである。
モンゴル、満州、チベット、東トルキスタン、これらは支那とは異なる国であるにも関わらず、
軍事力を背景に、文化や宗教、そして民族そのものを滅ぼしているのだ。

いや、自国民でさえ、法輪功信者のように徹底的に弾圧され、
生きながら臓器を抜かれ、眼をえぐり出され、拷問され殺されている人々がいるのだ。
中共の悪事を知らない人は下記のリンクをぜひ観て欲しい。

生体臓器狩りで死亡、証人による証言:法輪功学習者・徐真氏さん
https://www.youtube.com/watch?v=-xgDZzBr_Ug

「これは現実だ」FOXニュースが法輪功迫害について詳細報道 | US NEWS | 海外
https://www.youtube.com/watch?v=TVe5RBUjw2c

国民が最低限知るべき、中国の実態 「東トルキスタンからの手紙」Tragedy of the Uygur
https://www.youtube.com/watch?v=Uax9_zdRZdQ

Tiktokに少女の勇気ある投稿「中国がウイグル弾圧」(19/11/28)
https://www.youtube.com/watch?time_continue=88&v=YYljYQezgKk&feature=emb_logo

【閲覧注意】ウイグル、チベット問題って何?【中国人残酷物語】 ウイグル人の逆襲!!!聖戦だ!!! NAVER まとめ
https://www.youtube.com/watch?v=_F5xE0nQzsI


日本のマスメディアは芸能人のどうでも良いスキャンダルは連日報道しているが、
中共の悪事など、これっぽっちも報道しない。(だから私はテレビはほとんど見ない)

こんな世界一非人道的な中共を、私はとうてい認めることが出来ない。
あの習近平を国賓待遇などあり得ないし、天皇陛下に会わせるとは言語道断である。

国賓来日に賛成する議員の一覧はどこかに無いのか?
自民党は親中派と反親中派に分党して欲しい。

野党は駄目だ。この時点でまだダンマリを決め込んでいる。

ともかく二階や、二階派の連中を早急に排除することが、まっとうな政治の第一歩だと思う。
和歌山県人はこんな男を国会議員にして何を考えているのか。「恥を知れ!」と言いたい。
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転載 ねずさんのひとりごと「漢字渡来以前」

2020年07月04日 | 政治や歴史など
先日の「」の(私にとって)続きの記事になります。
これも面白い!

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ねずさんのひとりごと「漢字渡来以前」
https://nezu3344.com/blog-entry-3640.html



日本には漢字渡来以前には文字がなかったと言っている人たちがいます。
どこを見ているのかと言いたくなります。
ヒエログラフとも言いますが、欧米の学者さんたちの中には、むしろ日本が古代文字発祥の地ではないかとして研究している人もあるくらいです。
あるいは、古事記・日本書紀以前の史書や文字は、古代大和朝廷によって消されたのだという人もいます。
要するに古代の日本に激しい対立や殺し合いが行われたのだと言いたいようなのですが、ぜんぜん違うと思います。

少し脱線しますが、以前に「江戸しぐさ」をこのブログでご紹介したことがあります。
ところがその「江戸しぐさ」について、これを普及しようというあるNPOがあります。
普及してくれようとするその目的はたいへんありがたいのですが、そのNPOがなんと言っているかというと、そのまま転載するとどこと特定されてしまうので要約しますが、
「幕末戊辰戦争のときに、江戸庶民が大虐殺されて江戸っ子はほぼ全員死んでしまった。
 自分たちはそのなかで生き残った僅かな江戸っ子で、江戸しぐさを継承する唯一の団体である」
と、このように主張しているわけです。
いったい、いつ江戸庶民が虐殺されたというのか。
まったくもってファンタジーとしか言いようがありません。

ちなみにその幕末期、まさに江戸で開業医をしていた「庶民」のひとりに、手塚治虫さんの祖父がいます。
我が家の曾祖父も、幕末から明治初期まで江戸住まいです。
もし本当にそのような虐殺があったのなら、手塚治虫の曾祖父も、我が家の曾祖父も生きていません。
あまりにも荒唐無稽なファンタジーですが、要するに何かを主張する際に、
1 自分たちは被害者である。
2 唯一正当な本家ないし元祖である
と、必ずそのように主張してファンタジーを繰り広げるのは、日本人のような顔をして日本に住んでいて日本語を話すけれど日本人でない人たちの、まさに伝家の宝刀です。
千年前の刀伊の入寇の時代から現代に至るまで、あまりにも彼らの言い草は毎度同じパターンすぎて、相手にするのも馬鹿らしい。

さて実は、日本には漢字渡来以前には文字がなかったという説の延長線上に、カタカナは漢字から派生したという説もあります。
これなども、あまりにも馬鹿らしい説です。
たとえば「ア」は漢字の「阿」のつくりの部分の「可」から生まれたなどとしているのですが、それならば「阿」である必要がありません。
最初から「可」を用いれば良いだけのことです。
ところが「可」では都合が悪い。
なぜなら「可」は「か」とは読みますが、「あ」とは読まないからです。
同様に「カ」は「加」の篇の部分の「力」から生まれたのだと言いますが、漢字の「力」は音読みが「リキ」、訓読みが「ちから」であって、「か」とは読みません。
要するに、これらもまた作り話でしかないということです。

では、そもそもカタカナはどこから生まれたかといえば、神代文字であるカタカムナから生まれたという説が、いちばん合理性があるように思えます。

カタカムナ文字とカタカナの派生


カタカムナが発見されたのは昭和24年(1949年)のことで、この文字は、他に八鏡文字(はっきょうもじ)とか化美津文字(かみつもじ)、あるいは上津文字(うえつもじ)とも呼ばれます。
その信憑性を疑う人もいますが、頭ごなしに否定してかかるというなら、いまの「常識」である「漢字からカタカナができた」という説も、かなり疑わしいものです。
それなら、可能性は可能性として探っていくのが良いと思います。
そもそも「漢字以外は文字として認めない」というのは、日本の戦後の敗戦利得者となった日本人のような顔をして日本に住んでいて日本語を話すけれど日本人でない人で、幸か不幸か学者となった人たちの身勝手な言い分にすぎません。

決めつけは、政治です。
探求するのが学問です。
学者の仕事は政治ではありません。

神代文字には、実に様々な種類があります。
みなさまよくご存知のホツマ文字、カタカムナ文字、アヒル(阿比留)文字の他にも、
上津文字、化美津文字、伊予文字、出雲石窟文字、トヨノ文字、山窩文字、豊国文字、春日文字、アソヤマ文字、越文字、アジチ文字、守恒文字、斎部(インべ)文字、惟足(コレタリ)文字、筑紫文字、重定石窟文字、ヤソヨ文字、阿奈伊知文字、マニナ文字、六行成文字、肥人文字、イスキリス文字 、タネマキ文字、種子文字、アイヌ文字、対馬文字、阿比留草文字、日文草書、薩人文字、阿波文字、天狗文字等々、名の知られた文字だけで34種類もあります。
探せば他にももっとたくさん出てくることでしょう。

これらの神代文字は、それぞれ毎に、文字のカタチがまったく異なります。
まるでハングルのように見える文字もあれば、円弧の向きが意味を持つ文字もあります。
まるでメソポタミアの楔形文字のようなものもあれば、アラビア語のような文字もあります。
まるで多種多様なのです。
けれど、それら神代文字に共通しているのが「五十音である」という点です。
つまり、「五十音である」という点で、神代文字は一致しています。



日本は、縄文時代から続く、とてつもなく古い歴史を持った国です、
どのくらい古いかというと、縄文時代のはじまりが今から約2万年前。
弥生時代になるのが約3千年前です。
つまり、縄文時代だけで、1万7千年も続いているのです。

もっというなら日本では、
11万年前には、石器が使われ
3万年前には、加工した石器(磨製石器)が使われ、
1万6500年前には、世界最古の土器がつくられ、
1万3000年前には、人の形をした土偶がつくられ、
1万2500年前には、漆が栽培され、使われていたのです。

漢字渡来とされる西暦552年から今年(現代)まで、まだ、たったの1463年です。
文科省指導による歴史教科書では、日本の近代を明治維新以降、現代を戦後と区分していますが、明治維新から現代まで、たったの150年です。
万年の単位にまでなる日本の歴史からみたら、明治維新はつい昨日のことでしかないし、1500年前もわずか10日前のことでしかないのです。

日本がそれだけ古い時代から続いているということは、同時にそれだけ古い時代から、様々な文字が研究され、使用されてきた可能性を否定できないということです。

めずらしく「私は」という語を使わせていただきますが、私は「だから文字は日本で生まれた」とは思っていません。
万年の単位で考えるとき、その途中にはいまとはまったく異なった地形図があったといえるからです。
近いところでは、いまから1万8000年前には、氷期の寒冷化のピークが訪れています。
そしてこの時期の海水面は、いまより140メートル前後も低かったことが知られています。

そうなると、現在、大陸棚となっているところの多くは、地上に露出します。
黄海、東シナ海、タイランド湾などの大部分は地上に露出し、日本列島も大陸と陸続きになります。
つまり海岸線が、いまとはまったく違った様子になります。

人は食べなければ死んでしまうし、縄文時代の遺跡を見れば、人は海に面したところで生活をしていた(貝塚)ことがあきらかで、しかも氷期でいまよりずっと寒くて人口も少なかった時代であれば、人々はより住みやすい南方に長く住んでいたであろうことは、十分に合理的に説明ができることです。
そしてそれが万年の単位であれば、そこで行われていた占いから文字が生まれたとしても、何ら不思議はありません。

ところがその居住地が、温暖化によって次第に海に沈む。
そうなれば、人々は、いまある海岸線の位置にまで後退して住むようになり、これによって、日本列島、琉球諸島、China、フィリピン、インドネシア、ベトナムなどに、人々が別れて住むようになったであろうことは、これまたごく自然な成り行きであったのであろうと思うのです。

そういう次第ですから、私は、「日本人がどこからきたのか論」には疑いを持っています。
日本列島には、北から来た種族と南から来た種族がいた云々という渡来説には、「なぜわざわざ渡来したのか」という素朴な疑問への答えがないからです。

むしろ、もとはいまある海上のどこかに住んでいた(ひとつだった)ものが、海岸線の変化によって分断され、自然とそれぞれの地域に分かれて住むようになったということのほうが、はるかに説得力があるように思えるのです。
そしてもとがひとつであるのなら、文字ももとはひとつであったはずです。
それが長い年月間に、地域ごとに使いやすいようにいろいろと工夫され、発達していった。
記号を組み合わせて会意文字とする(漢字にする)ということを考えた人たちもいた。
記号そのものを、もっと書きやすく筆記体化させていった人たちもいた。
記号の持つ意味を探求して、パターン化していった人たちもいた。
そしてそういうものの、すべてが、太古のままに生き残ったのが「日本に残されている」ということなのではないかと思うのです。

つい最近まで(というか最近でも)地方ごとに方言が異なるように、かつてはそれぞれの地方ごとに、その地方の文化を伝えるのに適したいわば「地方文字」もしくは「方言文字」として、様々な「神代から続く文字」があったと考えて、なんら不思議はないのです。

ここまできて、古事記序文に書かれた天武天皇の御言葉、「諸家が持っている帝紀や本辞」の意味が明らかになってきます。
諸家が、それぞれ異なる神代文字で書き残していた史書を指しているということです。
地方ごとに豪族たちが、独自の文字で文書記録を残していたと考えるべきなのです。
それらはすべて五十音である点は共通しています。
けれど文字のカタチが全然違う。

古事記の編纂を命じた天武天皇は、兄の天智天皇の改革路線を踏襲した天皇です。
その兄の天智天皇の即位は、唐と大規模な戦闘(白村江の戦い)があったわずか10年後です。
また再び、戦いがあるかもしれないのです。
実際、唐は日本遠征計画を具体的に立てていましたし、この時代(7世紀)には、鉄は倭国オリジナルではなくなっています。

古事記にある天武天皇の「いまその誤りを改めなければ、幾年も経ないうちに日本はなくなってしまうであろう」という言葉は、共通の文字を確立して日本国内の意思伝達をひとつの言語で行なうようにしなければ、日本に唐が攻め込んできた時に、日本そのものがなくなってしまうという、強烈な危機感なのです。

だから天武天皇は、太安万侶に古事記の編纂を命じたのです。
古事記は、全部、漢字で書かれています。
けれど、その漢字は、漢文として書かれたのではなくて、漢字の音だけを用いた、つまり漢字をカナとして用いたところが随所にあります。というか、むしろその方が多いくらいです。
古事記では、その都度漢字の横に「以音」と、注釈がしてあります。
「以音」というのは、漢字は使っているけれど、音だけを採用していて、その漢字には意味がないという意味です。
つまり漢字を「カナ」として用いているのです。

この時代、地方ごとに異なる文字が使われていた一方で、漢字は外国語として日本全国に共通に普及していました。
だから共通語として、外国語である漢字を使って、全国各地の神代文字で書かれた史書を統一したのだと考えるのは、ごく自然ななりゆきです。

このことがわかると、古事記と同時期に編纂された日本書紀が、なぜ綺麗な漢文で書かれたのかも説明がつきます。
日本書紀が美しい漢文で書かれ、これが子供達の教科書になれば、子供達は自国の歴史や道徳を学べるだけでなく、外国語である漢文を、普通に読み書きできるようになります。
日本に攻め込もうとする唐の人々には、日本語はわかりません。
ところが日本人は、唐の国の文書を誰もが読み書きできるのです。
これは戦略上、国防上、ものすごく有利な国家インフラです。

古事記の文章の構造を読むと明らかなのですが、常に「問題提起」した後に「その回答を示す」という書き方になっています。
つまり、すべてにおいて「目的を持ってはじめる」という姿勢が一貫しているのです。
それが日本的思考です。

外国語を共通語にするということについては、おもしろいエピソードがあります。
明治時代、大山巌は、会津藩の大山捨松に一目惚れし、二人は結婚しました。
ところが、大山巌は極端な薩摩弁、捨松は極端な会津なまりです。
両者とも日本語で話しているのに、二人はまったく言葉が通じない。
そこで二人は、大山巌が英国に、捨松が米国にそれぞれ留学経験があり、両人とも英語に堪能でした。
そこで二人は、初デートのとき、なんと英語で会話しながらデートしたのです。

古事記の時代、天智天皇、天武天皇の時代というのは、
一方に、日本語の表記が、各地方ごとに全部バラバラで、異なる神代文字が使われているという状況があり、
一方に、他国侵逼の国難が迫っているという、
国家緊急時の時代です。
そのようなときに、どの神代文字を我が国の共通語にするかで、国内で喧々諤々やっていては、もう間に合わないのです。

であれば、「外国語」として国内に広く普及している漢字を、この際、共通文字として日本語表記に使ってしまえ!というのが、実は、古事記における初の試みであったわけです。

つまり、ひらがなも、カタカナも、もともと神代文字があったからこそ生まれた文化なのだと考えた方が、明らかに歴史を合理的に説明できるのです。
そして日本に、漢字渡来以前に、すでに高度な文化文明が栄えていた事実も、これによって裏付けることができます。
神代文字は、縄文時代の土器や、弥生時代の石版や、銅鏡、銅矛にも、たくさん見出すことができます。
いまは、それらが「意味不明のただの模様」として扱われていますが、実は、それが神代文字である可能性が高いのです。

古事記には序文があります。
そこには、天武天皇の詔(みことのり)として、次の記載があります。
「天武天皇は申されました。
 『諸家が持っている帝紀や本辞は、
  事実と異なるし、
  またその多くに虚偽の記述がある。
  いまその誤りを改めなければ、
  幾年も経ないうちに、
  日本はなくなってしまうであろう。
  歴史は国家の大本です。
  そこで巷にある様々な帝紀から撰録し、
  旧辞を取捨選択して、
  偽りを削り、まことを定め、
  後の世に伝えたいと思う。』」

この詔が発せられたのは西暦681年のことであったと、これは日本書紀にはっきりと特定があります。
つまりこれは事実であったということです。
そしてこの詔には、重大な事実の指摘があります。
「古事記の前に、諸家ごとに、さまざまな史書が伝えられていた」
という指摘です。

このことは、実は「古事記以前に書かれた史書があった」というだけにとどまりません。
古事記以前に書かれていた史書が、諸家ごとに、それぞれの地に古くから伝わる神代文字で書かれていた可能性を示唆するからです。

一般に、上代の人々には文字がなく、人々は口伝で歴史を伝えたとされています。
漢字が伝わったのは、仏教伝来と同じく、西暦552年のことであったといいます。
だから、
「それまで日本には文字がなかった」
「カタカナやひらがなは、漢字を変形させて作ったのだ」
といわれています。

しかし、仮にもしそうであるならば、
「なぜ日本語には「ア」から「ン」で終わる五十音があるのか」
「日本語の五十音は、いつどのように形成されたのか」
という素朴な疑問に、合理的な説明を行うことができません。
なぜなら漢字には50音という思想はないからです。

実は50音というのは、非常に不思議な分類といえます。
なぜなら、日本語には「が」や「ば」のような濁音もあれば、パピプペポのような半濁音もあります。
ギャ、ギュ、ギョのような拗音、他にも破裂音、摩擦音、鼻音、はじき音(巻き舌でラと言う時など)、ヤ行、ワ行の子音のように母音に近い接近音もあります。
つまり、日本語の発音は、50音だけには収まらないのです。

このことは、裏返しにいえば、50音には、音声の発音とは別に、何か特殊な用途があったことを示唆します。
このことについての合理的な説明としては、やはり古代において盛んに行われ、古事記にもその事実が記載されている鹿骨占いや亀甲占いが挙げられます。
鹿骨占いや亀甲占いは、日本に限らず広く東南アジア全体に普及していた占い手法で、鹿の骨などを焼き、このときにできるヒビ割れのパターンで、様々な御神意を得るというものです。
ヒビ割れのパターンは、「ー」であったり「|」であったり「/」であったり「\」であったり「・」であったり、様々な模様が生まれます。

長い歳月占いで用いられれば、次第にそのヒビ割れのパターンが類型化され、それぞれに名前が付いても何らおかしくありません。
そしてそのパターンが記号化されることは、ごくあたりまえに起こることです。
そして当然、ひとつひとつのパターンには、「音」での名が着いたことでしょう。
つまり、パターンに「音」が着くようになる。
すると、今度は、音をパターンで表すようになることも、ごく普通に起こりうることであろうと思います。

こうして50種の音による記号が完成する。
その完成された50の音が、それぞれの地方ごとに、図形化されて文字になる。
これもまたごく自然な行動といえます。

つまり論理的に考えれば、鹿骨占いがあり、そのヒビ割れ模様がパターン化され、そのパターンごとに一音が割り当てられることで、今度はその記号が、文字として活用されるようになると考えることができるわけです。

漢字は、象形化された記号の組み合わせによって成り立っている文字ですが、ということは漢字が生まれる以前に、「亻」なら人を表し、「尹」は手にムチを持っている姿という記号化が先に生まれ、普及していなければならないはずです。
このように考えれば、漢字以前に、一音で何らかの意味を表す記号化されたものを文字として扱う文化が、どこかで先に生まれていなければならないはずなのです。
そしてそれこそが、日本に残る神代文字なのではないかと思います。

そもそも「西暦552年の漢字渡来まで、日本には文字がなかった」という説にも疑問があるのです。
なぜなら、日本に文字を扱う文化がなかったのなら、日本に「金印」が贈られることはありえないからです。
「漢委奴国王」と記された金印は、江戸時代に福岡県の志賀島で発見されました。
この金印は、西暦57年に倭国にある奴国の国王が漢に使いを送り、漢の皇帝が授けた金印です。
このことは、Chinaの史書である『後漢書』に明確に記されています。
漢字渡来とされる年より、500年近くも前の出来事です。

みなさまよくご存知の『魏志倭人伝』にも、魏の皇帝が「親魏倭王」と記した金印と、銅鏡100枚を倭国に贈ったと記載されています。
魏が成立したのは西暦220年、滅亡が265年、つまり3世紀の出来事です。
ということは、魏から日本に金印が贈られたのは、間違いなく3世紀の出来事です。
そして「印」というものは、文書に押印するためのものです。
つまり、1〜2世紀の日本で、文字が存在しなければ、漢の皇帝も、魏の皇帝も、日本に「金印」を贈ることなどありえないのです。

とりわけChinaにおいて、金印というのは特別な意味を持っています。
Chinaの印には、玉印、金印、銀印、銅印の区分があります。
玉印は、象牙でできた印であり、これはChina皇帝だけが用いるものです。
金印、銀印、銅印は、Chinaの皇帝が下賜する印です。
これには明確な序列があります。
オリンピックのメダルと同じです。
金印をもらえる国は、一等です。それはChinaと対等もしくはそれに近い国力を持った国です。
銀印をもらえる国は、二等です。それはChina皇帝の傘下にあって郡長程度の国力のある国です。
銅印をもらえる国は、三等です。それは村長さん程度の国です。

漢や魏が、倭国を文字も扱えない遅れた国だと認識していたなら、日本には、良くて泥印しか与えられなかったことでしょう。
そもそも日本に文字を操る文化がなかったのなら、そもそも印を授ける理由さえありません。
つまり金印が贈られたということは、Chinaの王朝にとって、日本がChinaと対等な国力と文化を持った国であると認識されていたということです。
残念ながら、Korea半島では、歴史を通じてChina皇帝から金印を下賜されたことは一度もありません。
Korea半島は、ずっと銅印だけが下賜されました。
つまり、歴代のChina王朝からみて、歴史を通じてKorea半島は、明確に日本よりも劣る国とみなされていたということです。
それは、詰めていえば、文化レベルの低い国とみなされていたということです。
文化レベルの低い国が、はるか高みにある国に向けて「文字を教えてやった」とか、ありえないファンタジーです。

ちなみに、古代においては、Korea半島の南半分は倭国の領土です。
つまり倭国とChinaの大帝国は、陸続きでした。
陸続きであるということは、侵略の危険と常に隣り合わせにある、ということです。
だからこそ、贈り物をし国交を保ち、敵対したり侵略されたりすることがないように、倭国はChina王朝に気をつかっていたのです。

そしてChinaの王朝もまた、倭国と敵対することがないよう、金印を贈って倭国を懐柔していたのです。
つまり、金印授与は、対等なパートナーシップの証であり、当時のChinaにとって、倭国は「征服征圧するより、国交を持ったほうが得である」と認識されていたということです。

何が「得」だったのでしょうか。
魏志倭人伝の「魏」は、みなさま大好きな『三国志』に出てくる「魏・蜀・呉」の「魏」です。
その「魏」には、有名な曹操がいました。
三国志は、魏の曹操を、憎らしいほど強い奴として描いています。
つまり、それほどまでに、曹操の軍事力は強かったのです。

なぜ強かったのでしょうか。
理由があります。
魏軍は、鉄製の剣や楯を用いていたのです。
孫権の呉や、劉備玄徳の蜀は、青銅器製の武器です。
青銅器の剣と、鉄製の剣が打ち合えば、青銅器の太刀はポキリと折れます。
圧倒的に鉄製の武器が有利なのです。
魏軍の兵士は、呉や蜀の軍隊を、武器ごと真っ二つに切り捨てることができたし、青銅器でできた楯を、鉄の槍で貫き通すことができたのです。
強いわけです。

では、なぜこの時代に魏だけが鉄製の武器を持っていたのでしょうか。
これもまた理由があります。
倭国が鉄を産したのです。
倭国は、国内でも鉄を掘りましたが、同時にKorea半島の南部でも、さかんに鉄を掘っていました。
鉄は岩を熱して溶かし出します。
これを行なうには、高温をあやつる高い技術が必要です。
そして高い技術は古来、日本のお家芸です。

倭国は、鉄を生活用品に用いましたが、魏は、倭国から輸入した鉄を武器に使いました。
魏の国力をもってすれば、Korea半島を奪うことも可能であったかもしれません。
けれど魏がKorea半島と隣り合っていながらそれをしなかったのは、魏が半島を奪えば、鉄が補充できなくなるからです。
つまり鉄の生産技術は、倭人たちだけのものだけであったということです。

Korea半島南部の倭人たちを脅かして、倭人たちが海を渡って本土に帰ってしまえば、魏は鉄の補充ができなくなります。
それは魏の軍事力の弱化を意味します。
「ならば、征服するより、対等なパートナーとして付き合うほうが良い」
というのは当然の帰結です。
だから金印を贈ったのです。

この時代のKorea半島に倭人以外で棲息していたのは、濊(わい)族です。
濊というのは、臭くて汚なくて人間分類することがおこがましい種族という意味です。
なぜなら濊は、糞尿を意味する汚穢(おわい)の濊であり、しかもそれがサンズイです。
どれだけ汚くて臭かったかということです。
果たして、そんな濊族に文化を教えてもらわなければならないような国に、魏は金印を送るでしょうか。

要するに「漢字渡来まで文字がなかった」と考えるほうが、明らかに不自然です。
そうではなく、独自の文字を操る文化があったから金印が贈られたのです。
そして独自の文字があったからこそ、日本には五十音があるのです。
もっといえば、漢字渡来よりも先に文字があったからこそ、日本語には五十音があるのです。
それが「神代文字」です。

神代文字は、文字ではないという人もいるかもしれません。
しかし伊勢神宮には、稗田阿礼や菅原道真、あるいは源義経などが、まさにその神代文字で奉納した弊が残されています。

もっと身近にもあります。
少し古い神社に行ってお守札をいただくと、その中の紙片に、まさに神代文字が書かれています。
神代文字はファンタジーなどでは決してなく、実際にあったし、いまなお使われている文字なのです。

お読みいただき、ありがとうございました。

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Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長?倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表?日本史検定講座講師&教務。
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転載 ねずさんのひとりごと「朝鮮の歴史と日本」

2020年07月02日 | 政治や歴史など
コリアン(朝鮮民族、韓国人・北朝鮮人)が認めたがらない歴史的事実一覧
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20170501/

の、コメント欄に書き込むためにネットで調べていたら、またもや「ねずさん」の記事に当ってしまった。
なるほどなあ・・・と思うことも多く、ここに転載しておきます。

『ねずさんのひとりごと』 縄文人の反乱 日本を大事に
https://blog.goo.ne.jp/s6990714726/e/ea7a979905087e998749f74b45ffe49f

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『ねずさんのひとりごと』  「朝鮮の歴史と日本」

韓国では、日本の伝統文化はすべて「韓国が教えてあげた」ことになっています。
古代の日本には、文化は何もない野蛮な状況であり、すべての文化は韓国が教えてあげたものなのだそうです。...
実際、その通りに韓国の学校で使用する国定教科書にそのように書いてあります。

======
【韓国 国定中学用国史教科書(1985)】
三国(百済、高句麗、新羅)は、互いに対立し競争する中で活発に文化を交流させた。
中国とも交流しつつ独自の美術を発展させる一方で、海を渡って日本に文化を伝え、彼らの文化の基礎を固めた。
百済では阿直岐(あじつき)と王仁(わんいん)が日本に渡って儒学を教え、段楊爾(たんやんい)、高安茂(こうあんむ)らも学問を教えた。
聖王の時代には仏教を伝えてやり、百済と高句麗の僧侶も多数、日本の仏教界を指導した。
儒学や仏教以外にも、美術、音楽、歴史、医学や農業などさまざまな技術を教えた。
ことに雲徴(たむじん)は紙、筆、墨、硯(すずり)の作り方を初めて日本人に伝え、法隆寺の壁画も残した。
日本が飛鳥文化を興し、古代王朝へと発展することができたのは、三国の文化が伝えられたからである。
(別技篤彦著『理解されない国ニッポン』祥伝社)
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時代考証も記述も、よくもまあここまで嘘を書き立てれるなあと逆の意味で感心してしまう記述ですが、これが韓国の義務教育(義務教育ということは、全国民が受ける教育ということです)で実際に使われている教科書であり、こういうデタラメが子供のうちから刷り込まれるわけですから、彼の国の国民が、確信犯的におかしな国民になってしまうのも無理からぬことです。哀れなことです。

そもそも朝鮮半島に、書かれている三国(百済、高句麗、新羅)時代から、すでに「活発で高い文化があった」というなら、その遺跡(遺物や遺構)が韓国に残っていなければなりませんが、残念ながらひとつもありません。

偉そうに「仏教や漢字を教えてあげた」というけれど、仏教も漢字も韓国が発祥ではありません。つまり韓国オリジナルではありません。
「教えた」というのなら、そこに韓国そのもののテイストが入らなければならないのですが、そうしたテイストもありません。

仏教伝来は、538年(日本書紀では552年)で、百済の聖明王の使いで訪れた使者が、欽明天皇に金銅の釈迦如来像や経典、仏具などを献上したのが渡来のときとされています。
朝鮮半島の百済から献上され、渡来したのは事実です。

ところがこの頃の百済(くだら)は、日本の属国です。
国王の世継ぎの王子を日本に人質に出してもいました。
このことは、日本書紀だけでなく、朝鮮半島の史書である三国史記にも繰り返し出て来ます。

世継ぎを人質に出していたということは、どうみても、平等な関係ではありません。
なぜこのようなことになっていたかというと、百済は対立する新羅や高句麗から常に軍事的脅威にさらされていました。
ですから日本に常に、政治的、軍事的、経済的な庇護を求め、むしろ積極的に属国になっていたのです。

百済王は、そのための証に、我が子を人質として差し出していたわけです。
本来、庇護を受けるだけなら、謝礼として、自国の文物や特産品などを献上すれば良いのです。
ところが百済には、産業もなければ産物も特産品もない。
だから、そこで百済王が日本に差し出したのが、自分の息子だったし、支那で流行していた異国の仏教の教典や仏像だったわけです。

ということは、538年に百済が日本に「金銅の釈迦如来像や経典、仏具などを献上した」という事実が物語るのは、当時の百済には、異国の仏像や教典、仏具以外に、献上できるだけの物産が「なにもなかった」ということです。
それを、「俺たちが日本に教えてやった」とは、おこがましいにもほどがあります。

ちなみに日本は神道の国です。仏教国ではありません。
ところが日本は海洋国であり、多神教国ですから、遠い異国深い内陸部にあるネパールあたりで生まれという「ありがたい教え」の教典や仏像、仏具などは、興味津々です。
日本人の好奇心の高さというのは、昔も今も変わりません。

ちなみに好奇心が強い国民性というのは、知的水準の高さを示しています。
好奇心が旺盛ということは、異なる文化に対しても寛容で、吸収力が高いということを意味するからです。
ですから、欽明天皇をはじめ、当時の日本の高官たちが、たいへんに喜んだであろうことは、容易に想像ができます。
けれどだからといって、仏教も、仏具も仏像も、韓国で生まれたものではないのです。

漢字や紙、筆、墨、硯(すずり)にしても、韓国が日本に「教えてやった」というけれど、彼らが言う「教えてやった」という時代は6世紀です。
ところが日本には、「漢委奴國王」の金印があります。
この金印は、後漢書の「卷八五 列傳卷七五東夷傳」に記述があり、後漢の光武帝が西暦57年に奴国からの朝賀使へ金印を贈ったとされています。
西暦57年といえば1世紀です。

印鑑というものは、行政書類に押印するために使われるものです。
文字が使用されていなければ、印は不要です。
金印が証明していることは、すでにこの時代に日本では、文字も漢字も使われていたということです。

ちなみに、支那の歴代王朝は、日本には「金印」を贈っていますが、朝鮮半島の王朝に対しては「銅印」(泥印ともいいます)しか渡していません。
金銀銅の順番は、現代オリンピックの勝者の順番だけでなく、古代においてもまったく同じです。
それだけ支那は日本に重きをおき、逆に朝鮮に対しては露骨に見下していたわけです。
それだけの国力しかなかったからです。

また、片部遺跡から出土した墨書土器は、4世紀前半のものですが、そこにはくっきりと墨痕鮮やかに「虫」という文字が墨書されています。
土器に墨で筆で書かれているのです。
悪いけれど、百済が成立したのが西暦346年で4世紀の中頃ですから、百済成立よりも以前に、日本では墨で書いた文字が出土しているわけです。

さらにいえば、種子島の広田遺跡から出土した貝札は、これは2世紀頃のものとされているのだけれど、そこにも鮮やかに「山」という字が刻まれています。
つまり、346年という4世紀どころか、それよりもはるかに古い2世紀には、日本に漢字は入って来ていて、しかもそれが使われていたということです。

そしてそういう教養と文化の下地があったからこそ、支那でヒンズー語を漢字に翻訳した仏教教典の値打ちを日本人は理解したし、遠く離れた内陸部の異国の文化を、喜んで迎え入れたわけです。

つまり、何を言いたいかというと、冷静に考えれば、「日本が百済に漢字を教えてあげたことはあったとしても、その逆はあり得ない」ということです。

そもそも朝鮮から日本が教わったことって、何があるのでしょうか。
儒学も仏教も、朝鮮で生まれたものではありません。
最近になって儒学の始祖である孔子は、朝鮮人だったなどと韓国の学者が言い出して、支那から総スカンを食っているくらいのことでしかありません。
それ以外の美術、音楽、歴史、医学、農業などにしても、日本と支那との間での様々な文化交流は確認できるものの、朝鮮発の朝鮮オリジナルの文化として日本に渡来したものは、なにひとつありません。

朝鮮半島の歴史を振り返りますと、歴史上、最初に朝鮮半島に登場するのは、衛氏朝鮮(えいしちょうせん)です。
この「衛氏朝鮮」というのは、紀元前195年頃に建国された(いちおう)国とされているもので、山東半島のあたりに生息していた実は盗賊集団です。

支那では、それ以前(紀元前403~221)の時代がいわゆる戦国時代で、有名な魏、蜀、呉(楚)や趙、斉、燕、秦、韓、櫓、宋、周、などの諸国がまさに群雄割拠して争っていました。
これを最終的に統一したのが秦の始皇帝だったわけです。
ちなみに、ここに登場する韓という国は、支那の内陸部にあったチベット系の遊牧民族で、朝鮮半島とは何の関係もない国です。

秦が初めて支那を統一したとき、山東半島のあたりにいた燕(えん)の国王は、秦の始皇帝によって、遼東半島のあたりに封じられたのですが、ほどなく秦が滅び、前漢が統一王朝を建てるわけです。これが紀元前202年のことです。

このとき、燕の末裔たちは、漢に追われて朝鮮半島北部の遼東半島の根本あたりで盗賊団を形成し、朝鮮半島を経由して漢と交易しようとする旅人を襲って飯を食っていました。
それが「衛氏朝鮮」(紀元前195~108)です。

ここで問題になるのが、衛氏朝鮮が襲って食い物にしていた旅人というのが、いったいどういう人たちだったのだろうか、ということです。
当時の朝鮮半島に住んでいたのは、「濊族(わいぞく)」と呼ばれる人たちです。

支那という国は、古来周辺民族の名に、ろくな漢字を充てていません。
たとえば、日本人なら背が低いから「倭」です。これは背の低い人とい意味です。
ですからだいたい、あまり良い字ではないけれど、同時にその国の民をもっとも良く象徴できる字を、その地方の民の名称としてあてがっていたわけです。

では、支那が朝鮮半島にいた人々を「濊族(わいぞく)」と呼んだ、その「濊(わい)」というのがどういう意味の漢字かというと、これは汚穢(おわい)の「穢」です。
汚穢(おわい)というのは、糞尿のことです。
要するに「濊」というのは、糞尿まみれの不潔で汚い奴らという意味です。

しかも、ご丁寧に、支那人たちは朝鮮族について、本来、汚穢の穢なら禾偏(のぎへん)なのに、あえてサンズイで「濊」という字を充てています。
どれだけ汚い奴らと思われていたかということです。

そして濊族たちと前漢の間の国交を示す記録は、どこにもありません。
普通に考えても、汚穢族のような不潔な連中と交易など誰もしたいと思わないし、ということは、衛氏朝鮮も、襲う相手は、どう考えても汚穢族が対象ではなかったといえます。

では、衛氏朝鮮は、いったいどういう人々を襲っていたのでしょうか。
実は、当時の朝鮮半島の南部、いまの韓国の南半分のあたりは、倭国の一部でした。
倭国は、それよりもずっと古い昔から、勾玉(まがたま)を加工して支那に献上できるほどの高い技術力を持った国でした。

このことはとても重要なことで、魏志倭人伝に出てくる魏の国に、日本は勾玉(まがたま)を献上しているのだけれど、その勾玉は、主にヒスイでできています。
ヒスイは硬度が6.5もある硬い石で、鉄の5.5よりもはるかに硬い石です。
その鉄より硬いヒスイの原石を、まだ鉄器がなかった時代に、日本は丁寧に加工して、穴まであけて、勾玉にし、これを物産としていたわけです。
ですから、勾玉はたいへん貴重なもので、倭国が魏に献上した勾玉も3つくらいしかありません。
勾玉は、それほどまでの古代における精巧な加工宝玉だったのです。

そうした倭人たちは、当時のことですから、当然、陸路で、支那に向かいます。
彼らは、まさに宝玉財宝を持った旅人たちです。
衛氏朝鮮は、これを襲っていたわけです。

時代はこれよりもずっと後になりますが、遣隋使、遣唐使の時代、毎回大型船を4〜5艘仕立てて、日本の文物財宝、特に日本は古来、世界有数の金の産出国でしたから、大量の金などを積み込んで、支那へと派遣していたわけです。
そして記録によれば、その成功率は、3割程度で、あとはみんな途中で船が沈められています。

沈んだのは嵐のせいだとかいろいろな説がありますが、嵐のこないシーズンを選んで出国し、九州から、朝鮮半島の沿岸伝いに支那まで行くわけです。
縄文時代には、すでに遠洋航海の技術を発達させ、倭国の時代には朝鮮半島南部を倭国の一部としてさかんに海上での人の行き来があった日本です。
朝鮮半島の沿岸伝いの航海が、「危険な航海であった」ということの方が、実は異常です。

ではなぜ、朝鮮半島沿いの航海が危険なものだったかと言えば、記録にはないけれど、ひとことでいえば、朝鮮族に襲われたとみることがいちばんの正解です。
それ以外に、航海の成功率の低さを納得させることができだけの理由がないからです。

ちなみに、遣唐使、遣隋使の成功率の低さが、外洋船舶の造船技術が未達だったという説を唱える学者がいますが、馬鹿なことを言わないでいただきたいものです。
弥生時代の日本産の黒曜石の分布などをみても、日本は日本海を経由して満洲あたりと盛んに交易をしていますし、外洋ルートで、北は青森から南は沖縄まで、盛んに海上交易をしているのです。
時代をもっとさかのぼれば、縄文時代には南米のエクアドルまで交易の足を伸ばしていた形跡があります。

つまり、それだけの造船技術を持っていながら、遣唐使遣隋使が不成功だったという背景には、もはや人為的な不成功原因しか考えられないということです。
そして旅人を襲って利得を図るというのは、紀元前2世紀の衛氏朝鮮もさりながら、大東亜戦争終戦直後の朝鮮半島において、多くの日本人女性が酷い目に遭わされたり、財物を奪われたり、それこそ、着ているものをふんどしまで剥がして奪ってしまう濊族の行動に、そのまま現れています。

もうひとつ、衛氏朝鮮が、誇り高い燕の国の末裔たちであるにも関わらず、遼東半島あたりで、なぜ「旅人を襲う」盗賊団を営んでいたかという点についても触れて置きます。

どいうことかというと、旅人などを襲わなくても、本来なら自分たちで農業を営み、あるいは狩猟採取、放牧などを営み、あるいはもっというなら近隣の民家を襲って食物などを提供させればよかったはずなのです。
にも関わらず衛氏朝鮮が盗賊をしていたということは、2つの理由以外あり得ません。

その2つとは、ひとつは、近隣を含むそのエリアに、略奪に足るだけの集落が育っていなかった(汚濊族では
話になりません)、もうひとつは、燕の復権を望む衛氏にとって、盗賊する旅人たちは、お家の復興のために役立つだけの充分すぎるほど十分な財宝を所持していたということです。

では、その財宝を所持していた旅人たちというのは、どこの人たちでしょうか。
ひとつは、前漢の使者たちでしょう。
それなら、国交交易のために、豊富な財物を持っていたとしてもおかしくはありません。

しかし、その前漢の使者たちが、どこに行こうとしていたかが気になります。
少なくとも、その交易相手が汚穢以外に産物の何もない濊族であるとは、到底考えられません。
ということは、使者たちの交易相手は、濊族ではない、ということです。

しかも衛氏朝鮮があったのは紀元前2世紀です。
朝鮮半島に百済や新羅が誕生するのは、衛氏朝鮮よりもずっと後の4世紀です。
高句麗は、少し早い時代ですが、それでも成立したのは紀元前37年で、衛氏朝鮮が滅んだ、ずっと後の時代のことです。

結局言えることは、いまの韓国の南半分が倭国であったこと。
その倭国との交易には、常に高価で素晴らしい献上品が漢と倭国の相互に行われていたこと。
つまり、倭国との国交上の使者を、衛氏は襲っていたということ以外には、考えられないのです。

そして、その大切な倭国との交易に、邪魔な衛氏朝鮮は、ついに漢によって紀元前108年に討伐軍が差し向けられ、完全に滅んでいます。
要するに衛氏朝鮮は、滅ぼされても仕方ないほどの、悪行を重ねていたということです。

私がこうした説明をすると、
「いやそんなことはない。朝鮮半島には衛氏朝鮮よりも前に、箕子朝鮮(きしちょうせん)や、檀君朝鮮(だんくんちょうせん)があったではないか」という人がいましたが、これこそ大爆笑です。

「箕子朝鮮(きしちょうせん)」というのは、紀元前1122年から紀元前194年、つまり衛氏朝鮮が誕生するまで、約千年続いた朝鮮王朝だというのだけれど、そもそも「朝鮮」という名称は、明の洪武帝(こうぶてい)から李氏朝鮮が与えられた名前で、これは14世紀になってからの出来事です。

では、三国志魏志伝に書かれた「箕子朝鮮」は何かというと、これあ遼東半島にいた鮮卑(せんぴ)の一族のことを指します。つまり、朝鮮半島とは何の関係もない地域にあった王朝というわけです。
もっというなら、朝鮮半島のお隣に、たまたま古代に「朝鮮」と呼ばれていた種族がいたから、これをちゃっかり拝借しているだけの話でしかありません。

さらに檀君朝鮮(たんくんちょうせん)に至っては、建国されたのが5011年前とのことですが、これは、日本でいったら明治時代に朝鮮半島で捏造された神話にすぎません。

当時、明治維新による近代化を成し遂げ、日清戦争にも勝利した日本には、支那からたくさんの留学生がやってきました。
当時の日本は、神武天皇以来2500年を皇紀として使用していました。

これに影響を受けた支那人留学生たちが、じゃあ、自分たちの国にもそういう歴史を作ろうじゃないかということになって、突然、降って湧いたように言い出したのが「中国5千年の歴史」です。
日本が2500年だから、とりあえずその倍くらいにしとけ、といって言い出しただけのものです。

そしてこれに刺激を受けた朝鮮の学生たちが、中国が5000年なら、俺たちはそれよりも11年早く、5011年の歴史にしよう、と言い出して捏造したのが壇君神話です。
なぜそこで+11年にしたのかわかりませんが、同じ嘘でも、「日本の二倍にしとけ」という、ある意味雄大な(笑)支那に対し、たった+11年という”せこさ”は、いかにも朝鮮族らしいといえるかもしれません。

要するに、「箕子朝鮮(きしちょうせん)」も、「檀君朝鮮(たんくんちょうせん)」も、捏造でしかないのです。
そして歴史上、朝鮮半島に、最初に登場する国が、泥棒国家の「衛氏朝鮮」であり、これを漢が滅ぼしたというのが歴史の事実です。

そして、衛氏朝鮮を滅ぼした(紀元前108年)漢は、朝鮮半島内に、楽浪郡(らくろうぐん)、新番郡(しんばんぐん)、臨屯郡(りんとん)、玄菟郡(げんとぐん)という4つの郡庁を置いています。
ところが、楽浪郡以外の3郡は、またたくまに閉鎖され、遼東郡よりも南側には、楽浪郡だけになってしまいます。

この楽浪郡が、どこにあったかというと、いまは北朝鮮の首都となっている平壌で、どうやら郡庁ですから、城塞都市が、ここに形成されたようです。
この城塞には、年中、濊族が攻めて来たと記録されています。

戦というものは、戦えば、たいていは双方に捕虜ができたりして、そこに一定の文化交流がなされるものなのですが、不思議なのは、平壌の城塞内からは、たくさんの文化的遺物が発見されるのに、その城外からは、支那の遺物に相当するものが、まったく発見されていないことです。

これが何を意味しているかというと、汚穢族がたむろしている未開の野蛮地帯に前漢が城塞都市を築いた。
すると、その城塞には、年中汚穢族が攻めて来た。
けれど、その都度、楽浪郡庁は、汚穢族を完全に撃退していた、ということです。
もっというなら、それほどまでに大きな文化的ギャップが、楽浪郡庁と、周辺の汚穢族の間にあった、ということでもあります。

そして、しばらくすると、この楽浪郡庁の南側に、帯方郡庁が置かれました。
これがいまのソウルです。
ここでも、やはり、周辺との文化交流の痕跡はありません。

しかし、これまた不思議なことです。
盗賊をしようと襲撃を繰り返し、その都度撃退されているだけの汚穢族しかいないエリアに、どうして漢は、郡庁などをわざわざ設置したのか、という疑問です。

その答えが、冒頭の図にある馬韓、弁韓、辰韓です。

この馬韓、弁韓、辰韓のあったあたり一体を、古代においては伽羅(から)といいました。
そしてその伽羅は、倭国の領土で、倭人たちが入植するエリアだったのです。

倭国というのが九州一帯にあったことは、いまでは疑いのない事実です。
そしてその倭国の領土は、魏志倭人伝などの記述を正確に読むと、帯方郡の南にあるとされているわけです。
海は渡りません。
馬韓、弁韓、辰韓のあたり一体、つまり伽羅も倭国であり、その倭国は海を隔てた南側に四方を海に囲まれた大きな陸地にまたがると記述されているのです。
つまり、それは九州であり、つまり、伽羅から九州にかけての一帯が、倭国だったわけです。

おもしろいことに、現代においても、朝鮮族の人たちは、自分たちのことを「韓族」と呼びます。
その「韓」は、「漢」と同じ音です。
けれど、彼らは同時に、じぶんたち民族のことを「KARA」とも呼びます。
「KARA」は、漢字で書けば伽羅です。
これは韓とは音が違います。

後に馬韓の一部に百済ができ、辰韓の一部に新羅ができますが、百済は新羅に滅ぼされ、高句麗もまた、支那と結んだ新羅に滅ぼされています。
そして新羅は、支那の属国となり、その属国が高麗、李氏朝鮮と変化して、いまの南北朝鮮となっています。

つまり、支那(漢)族の武力によって、エリアの支配をし続けてきたから、自分たちのことを「韓族(漢族)」といまだに読んでいます。
けれど、同時に、6世紀には滅んでしまった伽羅を、いまだに民衆レベルでは懐かしんで、自分たちのことを「KARA(伽羅)」とも読んでいるわけです。

現代韓国では、前朴大統領のときに漢江の奇跡を実現し、朴大統領は暗殺被害にまで遭っているけれど、いまだに国民経済に富みをもたらした前朴大統領は、国民的人気を持っているわけです。
これと同じで、朝鮮族の人々にとって、豊かで平和だった伽羅の時代、いまから1500年も昔に滅んだ伽羅の国が、いまだに、どこか本能で懐かしむ気持ちがあるのかもしれません。
そしてその伽羅は、まちがいなく、倭国、つまり日本だったところなのです。

日本の領土なら、人々は「おおみたから」ですから、民衆こそ第一とする施政が行われます。
民は富み、産業も盛んになり、だからこそ、支那は、倭国、伽羅との交易の必要上、帯方郡、楽浪郡といった郡庁までおいて、倭国との交易の安全を期したのでしょう。
それ以外に、支那が帯方郡、楽浪郡をあえて置く理由がないのです。

しかし、倭国の影響を受けた濊族の一部が、百済を興し、新羅を興しました。
そしてこの両国は、日本に朝貢し、日本の技術を導入することで富を貯えました。
そして両国は、国力を養ったものの、結局新羅が裏切って支那と結び、百済を滅ぼしたうえで、高句麗も支那の軍事力を借りて滅ぼし、新羅王朝を形成しました。

その新羅も、やはり国を裏切って支那と結んだ高麗によって滅ぼされました。
その高麗も、支那と手を組んだ李氏朝鮮に滅ぼされました。
そしてずっと朝鮮半島は、支那の属国とされ続けてきました。

代々の支那の王朝は、李氏朝鮮王から収奪をするだけです。
その朝鮮王は、部下の両班から収奪するだけです。
その両班たちは、庶民から収奪するだけです。
ところが産業もなけば特産品もない。
献上できるのは、女たちだけです。
だから、朝鮮半島では女性はまさに性の道具としてしか扱われてきませんでした。

そんな哀れな状態に、明治にはいって、やっとのことで日本が支那と手を切らて独立させてあげたのに、今度はロシアと組もうとしたり、朝鮮の独立だといって関東大震災で火付け盗賊をはたらきました。
とにかく正義や人道が理解できない。
「いまさえ良ければいい」「自分さえ儲かればよい」というその場しのぎの御都合主義しかない。

どうしても日本から独立したいというから、戦後、日本は独立を認めてあげただけでなく、総額21兆円、国民ひとりあたり45万円という莫大な資産を朝鮮に寄贈してあげたのに、彼らはせっかく受け取ったその資産を、結局は朝鮮戦争に費消してしまいました。
世界のトップくらすの富のある国から、かれらはたった3年で世界一の最貧民国に堕ちてしまったのです。

やむなく日本が、あらためて国家予算の3倍のお金をつぎ込んであげて、彼らは漢江の奇跡と呼ばれる大発展を遂げますが、それも工業化とは名ばかりで、実は、日本から部品を供給してもらい、その組み立てと包装をしただけのことです。
ひらたくいえば、実際にはできあがった製品を袋詰めしかしていないのに、「ウリたちの国の生産物だ」「ウリたちは工業国だ」と見栄を張ったわけです。
そして儲けた金は、なんと世話になった日本に対する反日工作に、全部遣ってしまった。
本来なら、国家インフラの整備のために、その儲けた金は遣われるべきだったのに、使い道が世話になった日本への裏切り工作資金です。
あきれ果てます。
それでいま、三たび経済の破綻に瀕し、また日本に助けてほしいと言い出しかねない状況です。
これが個人なら、どうみても、ただの極道者です。

日本人は、へんにやさしくて、韓国の人たちも「同じ人間じゃないか」と、すぐに思いたがるし、困っている人がいれば、なんとかして助けてあげたいと同情してしまいがちです。

けれど、これだけはいえることですが、民族の精神構造というのもは、それぞれがそれぞれごとに、その国の自然環境や政治経済環境と決して無縁ではない。
古来、何の資源もなく、山々も植林をしないから禿げ山、自然環境を壊すだけ壊して、何も手当せず、政治というのは、庶民から財を巻き上げることだとしか考えない。
そういう環境の中で、彼らはすくなくとも二千年間生き残ってきたわけです。
お隣の朝鮮族というのは、顔かたちが仮に私たちとよく似ていたとしても、その内側にあるのは、厳しい言い方になるけれど、残念ながら、まるで映画「バイオハザード」に出てくるゾンビ(汚穢族)の大軍でしかないといえるかもしれません。

もちろん個体差はあります。
積極的に真人間になろうと努力しているまっとうな朝鮮人がいることも事実です。
しかし、そのまっとうな朝鮮人も、国に帰れば、その家族を汚穢族の人質にとられているわけです。

そして、その汚穢族が、実は、なにひとつ日本に教えてくれたことなどないのに、「俺たちが兄だ、俺たちが日本にすべてを教えてやったのだ」と言い張り、それをあろうことか、学校の教科書にまで仕立てて子供たちの教育に使っているという恥知らずなことを、平然とやってのけています。

日本は、そういう朝鮮族のいかがわしさに愛想をつかしたからこそ、9世紀(894年)には、国交を断絶し、国としては明治の開闢まで、ずっと長い鎖国政策をとってきたのです。
(民間交易や将軍クラスの交易はありましたが、天皇による国交は明治まで一切ありません)。

私たちは、そういう歴史を直視し、同時に、海外においても、そういう歴史を日本人なら誰もが堂々と展開できるだけの知識を、日本人の常識として、あるいは世界に向けて真実の常識として、定着させていかなければならないと、私は思います。

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Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長?倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表?日本史検定講座講師&教務。
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香港の武装警官の暴行画像

2020年06月21日 | 政治や歴史など
香港の情報は我々にはなかなか届かない。
情報を統制し、国中に監視カメラを設置する以上国家は、
ありとあらゆる手を使って中華帝国主義で侵略を繰り返す。
50年と決めたのは、50年もあれば異常な中国共産党は亡びると見ていたわけだ。
それは甘かった。中国共産党は益々力を強め、平和を愛する諸国民の安全を脅かしているのだ。

下は、Facebookで見つけた記事から拝借したもの。
日本の報道は、いかにも人権が大事だという報道はするが、
相手が中国だと非難する報道はまずしないのでここに転載しておく。

打倒!中国共産党! 加油!

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【香港 集会の自由を奪う中共政府抗議デモの参加者を暴行する警察官達】

これらの凄惨な写真は「国家安全法」で香港の人々から集会と言論の自由を奪い返還時に英国に約束した香港の自主行政「一国二制度」を強引に撤廃しようと企てる中共政府に抗議したデモ参加者達を暴行し危害を加える武装警官達です??

『反ファシストを主義主張に掲げるANTIFA』に先導され『数人の米警察官の過剰行為による1人の死亡事故を黒人差別と抗議する人々』ですが、『世界中どこを見渡してもファシストなど存在しない』上に『国家権力をかざし集団でデモ参加者に暴行を加える香港警察とウイグル人など少数民族を差別し迫害する中共政府こそ許せないし抗議すべきなのに全く抗議しない』のは矛盾してる事に気づかないのでしょうか??










以下、参考記事

中国は黒人暴行死を悪用と米政権 ポンぺオ国務長官が非難声明|山陽新聞
https://www.sanyonews.jp/article/1019358

サンタモニカ暴動を扇動していた中国人留学生3人を逮捕|選挙ドットコム
go2senkyo.com/seijika/165194/posts/141154
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イージスアショアの計画停止に反対する。

2020年06月17日 | 政治や歴史など


中国の核弾頭ミサイルも、ロシアの核弾頭ミサイルも、北朝鮮の核弾頭ミサイルも日本に標準を合わせている。
いくら外交努力で話し合いで抑止しようとしても、銃口を向けられた状態で話し合いもくそも無い。
生殺与奪の権限は向こう側にあり、我が国は「撃たないで」と涙ながらに頼むしか無い。
撃たれる前に相手の基地を攻撃出来るという法律もあるとは聞くが、実際はその装備も意思も無いのが現状である。

せめては防弾チョッキのようなイージスシステムをと、イージス艦の建造と配備を進めてきたが、
イージス艦は高価過ぎるし、ローテーションを組まないとダメなので非効率的であり、
それならイージスシステムを地上に置けば、安くて効率も良いだろうというのがイージスアショアである。

しかしながら、発射したブースターが地上に落ちる危険性があるというので、
急遽、問題になって計画の停止が決定されたというわけだ。

おいおい。 なんじゃそれは・・・

確かに説明不足で根回しも不十分だったのは確かである。
しかしながら、無法な国家に囲まれて、銃口付きつけられているのに対処しないのはどういうわけだ。
イージス艦を倍増(増備では間に合わない)するとか、相手の基地を叩く装備(正規空母の建造)とかは非現実的である。
何が何としても専守防衛の要としてイージスアショアは必要では無かったか?

だいたい、追撃ミサイルを撃つ必要のある時というのは、
相手が、日本に対して、核弾頭ミサイルを発射してきた時なのである。
追撃に失敗したら、何十万人、何百万もの死者が出るのである。

対し、ご心配のブースター。
追撃ミサイルのブースターが落っこちてきても、市街地に落ちてくる確率は極めて低く、
たとえ落ちて来たとしても、実際の被害は核弾頭ミサイルの被害に比べればゼロに等しいのだ。

どこまで日本人は平和ボケしているのか。
平和を求めるなら、それ相応の覚悟も必要だということがなぜわからないんだろうか。

国家間の争いは、警察が無い分、個人間の争いより力関係で物事が決着する。
国連など何の役にも立っていないし今後も変わらない。
日米安保も抑止力にはなっているが、実際に戦争が起これば機能しないだろう。

戦後、軍備を持たない日本の竹島を韓国は奪い漁民を殺傷した。(アメリカも国連も無視)
戦争後にソ連は樺太や北方領土に攻め込んできて避難する民間船を撃沈した。(アメリカは無視)
中国は、自分勝手な解釈で、日本固有の領土である尖閣諸島に武装船を毎日張り付け隙を狙っている。

思春期の頃、カッパブックスの少林寺拳法(宋道臣著)を読んで「法句経」の言葉に感激したことがある。
「おのれこそ、おのれのよるべ、おのれをおきて誰によるべぞ、よく整えしおのれこそ、まこと得がたきよるべなり」

当時、これを、「精神を整え身体を鍛え、正しい自己を確立して正義を貫きなさい」と解釈した。
そしてその精神は、自分の生きる根幹としての考え方だけでなく、正しい国の在り方にも繋がると思うのである。

つまりは、絶対に他国は侵略しないことを前提に、いかなる侵略にも全力を持って排除するという国家の強い意思である。
幼き頃、スイスは永世中立国と教えられ絶賛されたが「武装中立国+国民皆兵」だとは教えられなかった。
お花畑のような平和論では平和は保てない。ブースターの落下ぐらいなら大歓迎だ。
出来るなら、都道府県全部にイージスアショアを配備して欲しいぐらいだ。
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