稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№119(昭和63年1月20日)

2020年05月31日 | 長井長正範士の遺文


〇吉田誠宏先生の五倫五常の道の補足
このことにつきましては既に№9、10、16、22の所で述べましたが、ある日、先生が五の数字の大切さを話されたことがありましたので書きとめておきます。以下、先生のお話を思い出し乍ら私なりにまとめました。

『明治村の大会に特別に会長(当時は石田和外先生)からご招待を頂いたので、お言葉に甘えて明治村へ行ったんだ。その時、会長と親しく談合したんだが、さすが会長、は古流の形を極められただけあって、剣道に対するご立派な理念をお持ちの方であると敬服した。その前会長が「五倫五常の声を聞かして頂きたい」と仰ったので、わたしは先ず五という字の大切さを簡単にお話をした。会長には釋迦に説法だが話の順序として、とことわって、先ず人間の体を五体と言うでしょう。これは一般的には頭、両手、両足のことを言いますが又、頭、頚、胸、手、足とも解釈され、又、筋、脈、肉、骨、毛皮の称であるようですが、人間の指も五本、五弁(花びら)から結果するという大変意義深いものがあり、この他、五を使った言葉は五戒(五悪)、五韻五蘊等澤山あり、これはこれとして私共は五倫五常の道を学ぶため剣道を精進するのですから、剣道のかけ声も五行の声でなければならないと思うのです。

そこで今から五つの部位から声を出して見せますと言って、会長の眼の前で咽喉、胸、口、水月、下腹と五か所から発声してお見せした。(これに関連したものは冒頭の№に在り)会長は早速実行鍛錬され、そのご熱意に尚更頭が下がったよ、帰りに名古屋の駅までと、会長がわざわざタクシーを呼んで下され、自らドアーを開けた前まで進まれ「ほんの些少乍らお車代に」と言われ、包みをわたしに下され、丁重に車を見送って頂いたのだ。このよろこびは何ものにもかえ難い。ただ単に一個人のわたしを重んじるということで無しに剣の眞の道、誠の道を重んじておられる石田会長は偉大なるお方であると感銘を新たにしたよ』

以上が大体の吉田先生のお話でありました。

尚、これも重複しますが、口からの発声は口の中に僅かにある空気をはき出す所謂含み息で“フワッ!”と出る一瞬の声にはならない打ち(主として体捌きによる出頭の甲手を打った時→むしろ押さえた時と言った方が判りやすいと思いますが・・・)これは余程鍛錬しないと出来ませんです。吉田先生はこれをやって見せてくれました。そして、これには含みのある人間、包容力のある人間につながるんだから剣道もここまでいかんとな!と仰ってました。

次に五行の声で胸から発声される時、私に判るように(正面を打つ時は水月=みぞおちからということは私も実行し、みぞおち=心から発声し相手の面を打ち=相手の心を打つことは一刀流の切落しの精神でということはある程度理解出来ますが)切り返しをやって、メンメンと発声して見せられたので大変勉強になりました。即ち同じ面でも攻めて、攻めて相手の面を打つ時は胸(勿論左右の面の連続打ちはそうである)の方から発声し、相手の起り頭の面を打つ(乗り面と申しましょうか、一刀流の切落しからくる、一見合打ちであるかのように見えますが相手の面打ちの起りが確かに当方より早いのですが、われはその太刀のまだ上におおいかぶさる=上太刀(うわたち)という。=精神と技で打ちに出るものですから合打ちに見えますが、こちらの太刀が相手の太刀を無効となし、わが太刀が生きて、逆に相手の面を打つのです。この時、水月からの乗り面が出るのです。
この項一応終ります。
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奈良県生駒市上町、夫婦塚(御炊屋姫の塚)

2020年05月30日 | 旅行や街角メモリー
中学でも高校でも歴史の授業は大嫌いでノートや教科書に落書きばかりしていた。
名前や地名や年号の暗記ばかりでつまらなかったのだ。
日本の教育は間違っていると思う。
受験勉強のためなのか歴史に対する興味を削ぐことばかりしているように思う。
丸暗記など必要も無くなった今になって自分が歴史好きなことに気づいたのだ。

さておき、この年になって、地元の地名の「登美」という名前から、
神武天皇の金鵄(きんし)に始まり、ご近所の史跡巡りをするようになった。
古代のことなど永い間興味は無かったが、少し興味が出てきて気楽に調べるようになった。

参考「地名探索・・登美、富雄、登彌、鳥見」
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20200512/

参考「地名探索・・登美、富雄、登彌、鳥見(続き)」
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20200513/

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自宅の近く、富雄川の川筋、生駒市上町にミカシキヤヒメ(御炊屋姫)の塚がある。
生駒市と言っても、奈良市二名との境目近くにある。
漢字は読むのも書くのも大変なので、下の3人はカタカナで書いてみる。
まずはこの3人の立ち位置を知らねば始まらない。

ミカシキヤヒメ(ナガスネヒコの妹でニギハヤヒの妻)
『古事記』では登美夜毘売(とみやびめ)、『日本書紀』では三炊屋媛、鳥見屋媛、長髄媛(ながすねびめ)と記する。
また御炊屋姫、櫛玉姫命、櫛玉比女命、櫛玉比売命などとも表記される。

ニギハヤヒ(神武とは別系統の神、物部氏の祖先)
『古事記』では邇藝速日命、『日本書紀』では饒速日命、『先代旧事本紀』では饒速日命の名称以外に、
別名を天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)、
天火明命(あまのほのあかりのみこと)、天照國照彦天火明尊、胆杵磯丹杵穂命(いきしにぎほのみこと)と表記される。
他の別名として、天照御魂神(あまてるみたまのかみ)、天照皇御魂大神(あまてらすすめみたまのおおかみ)、
櫛玉命(くしたまのみこと)、櫛玉神饒速日命(くしたまのかみにぎはやひのみこと)がある。

ナガスネヒコ(ニギハヤヒの家来でミカシキヤヒメの兄)
『古事記』では那賀須泥毘古、また登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ)、登美毘古(トミビコ)とも表記される。
神武東征の場面で、大和地方で東征に抵抗した豪族の長として描かれている人物。

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ニギハヤヒは天照大神から分かれた神武天皇とは別系統にあたる。、のちの物部氏の先祖になる。
ニギハヤヒは神武天皇より先に天磐船に乗って大和に天降り、長髄彦(ナガスネヒコ)の妹三炊屋媛と結婚して可美真手命を生んだ。
ナガスネヒコはニギハヤヒに忠誠を尽くそうとしたが、ニギハヤヒは神武に帰順して、邪魔になったナガスネヒコを殺した。

ともかく自宅の近くで、
はるか昔の縄文時代に、神武天皇とナガスネヒコが対峙していたというのが面白い。
それが今も地名となって残っているというのがまたスゴイ。

で、生駒市上町、夫婦塚(御炊屋姫の塚)だが、
田んぼの畦道にポツンとある夫婦塚は、有名でも何でもなく、
おそらく地元の有志の者が建てたのだろうが、その謂れ(いわれ)もはっきりしない。

本当は先にニギハヤヒの墳墓に行くべきなのだが、
出勤の途中に寄るのは時間が無く今回は、夫婦塚のみのご紹介。


(上町高樋バス停、右奥の森は神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑のある場所)


(googole map に赤丸で示した、水色の表記2つがバス停)


(田んぼの畦道を歩いていく)


(上の赤線の始点)(ここから赤線の折れ曲がる地点まで170歩だった)


(夫婦塚、御炊屋姫の塚とされる)

実物は「夫媍塚」である。調べてみると女編に負と書く媍の字は「よめ」と読むらしい。
「負」は、意味ではなく音をあらわし同音の「婦」と同義の字であるという。
グーグルマップに登録を依頼したので、いずれ地図上で表記されるかも知れない。

以下は自分の勉強用である。
合っているかどうかは知らないが、位置関係がわかりやすかったので。



古代皇統の系図(天照大神を中心とした系図より)
https://rokuzigenkai.com/genealogy/

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自転車で“犬の散歩”中の男性はねられ死亡 軽乗用車運転の22歳女性「暗くて気付かなかった」

2020年05月29日 | 詐欺、迷惑、防犯、防災、危機管理


【5/28(木) 15:50配信、東海テレビ】
三重県鈴鹿市で27日午後7時過ぎ、自転車に乗りながら犬の散歩をしていた71歳の男性が、
後ろから走ってきた軽自動車にはねられ死亡しました。
軽自動車を運転していた女性(22)は「暗くて気付かなかった」などと話していて、
警察は女性の前方不注意が事故の原因とみて調べています。

というニュース。

今の季節の午後7時は本当に危ないのだ。
ちょうど日没時刻でまだほんのりと明るいが、物の見分けは難しい時間帯だ。
そんな中途半端で危ない時間帯なのに、自動車も自転車も無灯火がほとんど。

そんな中で、自転車で犬の散歩をしている無頓着で無防備な71歳の男性。

「暗くて気付かなかった」と言っているなら車も無灯火だったのだろう。
暗いとわかっているのにヘッドライトも点けずに運転する危機感の無さ。

こういう事故が起こるべくして起こったと思う。

私の事務所の近くでも、無灯火の自動車や自転車がとても多い。
深夜の場合の自動車の無灯火は点け忘れ。
コンビニから出てきてしばらくして無灯火に気がつくという事が多い。
中には無灯火のまま延々と走り続けるバカもいる。

自転車なんか半分もライトを点けていない。
街中ならまだいいが、田んぼの多い田園地帯で無灯火の自転車は本当に危ない。
一度、雨の夜中のに、無灯火で傘をさした自転車で、おまけにスマホ片手に乗っているのを大東市で見た。
こんなのは轢いて殺しても無罪にしなければおかしいだろう・・とさえ思う。

日没後の雨の日にも、グレーの雨合羽の自転車が無灯火で脇から出て来た時も、
アスファルトの色と、グレーの雨合羽が溶け込んで、すぐ脇まで来たのに気付かなかった。
真っ暗よりも、日没後の見えづらく無灯火の多い時間帯のほうが危険は多い。雨ならなおさらだ。

自動車も自転車も自分さえ見えているから大丈夫だとでも思っているのだろうか。
ライトの類は回りから認知されるかどうかが重要なのであって自分が見えるかどうかはその次である。

あまりに危ないと思った時は注意するのだが無視されることがほとんど。
自分だけは大丈夫と思っている危機管理がまったく出来ていない人が多過ぎる。

自分の身は自分で守ろう。
自分だけは大丈夫かも・・などと能天気な意識は持たないことだ。
明日は我が身と身を引き締めよう。
事故は決して起こさない。事故には決して巻き込まれない。

常に健全に精神を引き締めて毎日を過ごすことが肝要である。
これは武漢ウイルスのような脅威に対する危機管理にも役立つ姿勢である。
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中国、香港に国家安全法制導入の決定採択(2020年5月28日)

2020年05月28日 | 政治や歴史など


本日28日、共同通信の速報で「中国、香港に国家安全法制導入の決定採択」と出た。

これで香港の「一国二制度」は崩壊してしまうだろう。

香港の「一国二制度」は、 1997年7月に英国から返還された香港に対し、
中国は外交・防衛を除く分野で高度の自治を50年間維持すると約束したものである。
つまり、2047年まで中国の一部である香港に、中国本土とは異なる制度を適用することを指すもので、
香港は特別行政区として独自の行政、立法、司法権を有し、言論・集会の自由や、通貨やパスポートの発行権を持つものである。
今回の国家安全法制導入は、この約束を反故にするののであり断じて容認すべきものでは無い。

しかし中国という国はひどい国である。世界の癌と言っても良い。
モンゴルと満州を滅ぼし、独立国家であった東トリキスタンとチベットに侵略し略奪した。
そして今、香港に対し露骨に支配を強めようとしている。
いずれ中国の魔の手は、台湾に及び、尖閣諸島を皮切りに沖縄や日本本土も狙ってくるだろう。

日本人の好む遠慮や気配りや寛容さは中国には一切通じない。
何よりも「寛容の国」である優しいチベットがどうなっているか考えたほうが良い。
自立しているチベット(他国)に対し「チベットを帝国主義者の手から解放する」と言って軍隊を送り込んだのだ。
東トルキスタンでも多くのウイグル人の命が奪われ、言語、文化、宗教が破壊されつつあるのだ。
南モンゴル(内モンゴル自治区)でも数十万人の若者が虐殺された。
満州なんか、いつの間にやら飲み込まれてしまったのだ。

思うに、中国政府に対し、

内モンゴル自治区を南モンゴルに返還させ、新疆ウイグル自治区を東トルキスタンに返還させ、
青海省をチベットに返還させ、甘粛省と東北三省を満洲国(作ろう!)に返還させ、
埋め立てた南沙諸島を元に戻しさせ、台湾を独立国として認めさせ、ついでに香港を独立させ、
その勢いで上海とマカオも独立させてしまいたいものだ。

それなのに日本の政府は抗議の一つもしない。
自民党は腰砕けだし、野党は野党でだんまりを決め込んでいる。
いったい侍の国である日本はどうしたというのか?

日本国憲法の前文に、

平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。
われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。


とあるならば、現在進行中のチベットやウイグルに対して何の行動も起こさないのはおかしい。

われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、

無視しているではないか? 昔も今も・・・

中国の脅しには決して屈してはならない。
はったりや脅し、嫌がらせ、軍事的な挑発にも乗ってはいけない。
(尖閣諸島は日本が先に手を出すのを待っていて、自国の漁民を守るためと軍事行動を起こしたいのだ)
力を背景に、どんな無理難題でも押し通そうとするのが中国共産党のやり口である。

いま中国に抗議をしている対抗勢力で頼みになるのは米国だけである。
トランプ氏がベストとは言えないが、この際目をつぶって手を組もう。安倍よ、なんとかしろ!
いまこそ中国帝国主義に対抗し、中国共産党を潰さなければ、近い未来に禍根を残すのは目に見えているのだ。
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転載・全剣連「稽古再開の今後の予定・令和2年5月25日」

2020年05月27日 | 剣道・剣術


 一般財団法人全日本剣道連盟(以下「全剣連」)は、これまで対人稽古の自粛をお願いしてまいりましたが、新型コロナウイルス感染症問題が続く中、自粛要請も2か月に及んでいます。

 しかしながら、剣道は日頃の鍛錬・稽古が重要であることから、全剣連としても適切な時期での再開を検討しており、再開条件の一つとして感染(飛沫の飛散)を防止する用具の開発等に努めておりましたところ、これら用具による実効性について、10日程度で医科学的見地からの結論が得られる見込みとなりました。

 全剣連は、医科学的見地からの結論を確認してから、稽古再開の時期の目処及び稽古再開に当たってのガイドライン並びに今後の大会や審査会の方針について連絡しますので、ご承知おきください。
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№118(昭和63年1月15日)

2020年05月26日 | 長井長正範士の遺文


ホッとして、いやー先生に、そんなにお誉め頂くほどの人間ではありませんが、私もうちの大学の校務員として勤めて貰うには勿体ない人物と思っておりましたので、先生に実際問答をして頂いて、お試し願ったわけですが、私の思った通り、先生のお眼鏡に叶って、こんなうれしい事はありません。どうもお忙しい中を来て頂きまして本当に有難うございました。と丁重な挨拶をし、礼を厚うして車でお帰り願ったのであります。

さあ、そのあと気懸りなのは校務員です。一体どんな応対をしたんだろうと、早速校務員室へ行きますと、彼はびっこ乍らも、すくっと立ち上がり「おい総長!えらい恥をかかしやがったなー、日本一のえらい先生だかどうか知らんが、お前のたっての頼みやさかい、最後までえらい辛棒して、あいつと問答したけど、もう腹が立って腹が立ってしやーなかったわい。」と怒鳴ったので、総長は、すまん、すまん、最後までよう辛棒してくれたのー。所でどうだったんだ。始めから教えてくれへんか。と言いますと彼が言うのに

「彼奴入ってくるなり、俺に向って指一本出しやがって、お前の眼一つやないかとぬかしやがったんだ。そいで俺カッとなって、すかさず指二本出して、お前の眼、二つ揃っているからと言って偉そうな事ぬかすなと、やりかえしてやったら、あのがき指三本出しやがって、俺とお前の眼を合わせると三つやと、まあなんと、ぬけぬけと腹立つことをぬかして俺を馬鹿あつかいにしやがったので、とうとう俺は頭にきて、グワッと拳骨であいつを殴ったろかと、精一杯ふりかぶってゼスチュアすると、あいつ青なって、びっくりして慌てて逃げてゆきよった。あんな奴、どこがえらいんや、総長も総長や、俺をまんまと騙しやがって」とぷんぷんです。

総長は『すまんすまん、そう怒るな、機嫌直してくれ、そんな筈ではなかたんや、ほんまに申し訳ないことした。これはほんのわたしのお礼のしるしだ、心よく受取ってくれ』と何がしのものを包んで渡して早々と総長室へ戻ったのであります。

話は以上で、一席の笑い噺ではありますが、われわれはこの噺の中に何かを知ることが出来ます。あとで総長は独り微笑んで、自分の実験して見た大芝居が物の見事に大当たりして、今回の心理学の研究が具体的にいかにうまく役立ったか底知れぬよろこびを胸に抱きつつ、次への研究と向ったのであります。

さて如何でしょう?先の豆腐問答と言い今回の創作による問答と言い、一つの共通点を見出すことが出来ます。それは先ず善意に解釈すると何事も善い事のように見えるものです。その反対に悪意に解釈すると何事も悪い事に解釈しがちであります。われわれは善意に解釈した方が相手を傷つけずに、自分も亦、心安らぐものであります。然しこの話のように人の心の動きを見ると余程心しないと、こんな結果にもなりかねないのであります。

偏屈で程度も低い凡人を、心理的に偉い人だと思わせると、知らない人まで、みんな本当に偉い人だと思い込んでしまい、こんな結果になります。だからわれわれは皆から剣道が強いとか偉い人だとかあがめられて、自分はそんな実力もないし、立派な人間でもないのに思い上がってしまい、いつの間にか自分からそうだと思い上がってしまうと、人間もそれでおしまいでありますので、心すべきであります。われわれ剣道人は剣をもって心を求め、心をもって道を求める精神を忘れてはならないと思います。

この項終り
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大東市住道界隈をバイクで散策

2020年05月25日 | 旅行や街角メモリー
昔から旧道をなぞりながらバイクで走るのが好きである。
東京勤務だった頃は、日本橋小伝馬町から千葉の自宅まで、
わざわざ昔の海岸線を時間をかけてたどっていった事もある。

この日は財布の中からコーヒー無料のサービス券が出て来たので、
使用期限の切れる前に大東市新田旭町の「となりのごはん」という定食屋に行った。
ここの定食はボリュームがあってお腹の空いた時には重宝する。

食事が終わって、真っすぐ帰る気にもならず、何気なく旧道に寄ってみることにした。
昔の古堤街道、野﨑街道の大東近くのみ・・・だが。

野崎街道は、大東市野崎にある曹洞宗時慈眼寺(野崎観音)へ参拝する道で、
江戸時代の延宝の頃から明治時代まで大変な賑わいを見せたのだそうな。
正式には古堤街道の一部としての名称が野﨑街道である。
いずれにしろ定食屋から事務所までの帰るだけの、ほんの寄り道である。


(聖徳太子を祀った太子堂前にバイクを停める )


(とりあえず1枚自撮り)


(太子堂のかわいい本堂)


(となりの太子田大神社の説明文 )

説明文を読むと、もともとこの付近に善根寺という寺があり、
その寺が明治6年に廃寺となったおりに善根寺にあった聖徳太子像を安置したとある。

これを見て驚いた。
善根寺は10数年前に、とんど堂が事務所を構えていた東大阪市善根寺町という地名に残る。
この太子堂からは数キロ東側になり、この地の善根寺と何か関係があるのだろうがわからない。
善根寺に事務所を構えていた時、善根寺という寺はどこにあったのか気になって調べたこともあった。
いずれこの善根寺との関連性を調べてみたい。


(名前の割りには小さな太子田大神社)

大東市公式サイトの「だいとう新今昔物語」というページから拝借



太子堂の敷地内の善根寺の石碑は見なかった。
こんど時間のある時に、京橋あたりから古堤街道を走ってあちこち確認するつもり。


(北野神社)


(泉勝寺)

上の2つは通りかかったので撮影してみた・・・だけ。

ちょっとした寄り道的な旅が好きである。
仕事の合い間の、ほんの気晴らしである。
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№117(昭和63年1月15日)

2020年05月24日 | 長井長正範士の遺文


さて、案内の職員に丁寧にお礼を言って、愈々(いよいよ)先生が校務員室に入られますと、見るからに見窄らしい菜っぱ服の片眼のおっさん(そんな感じの)が一人ぴょこんと椅子に腰かけています。先生は想像をしておりました人よりも余りにも風采の上らん野暮ったい方なので、一瞬戸惑いましたが、総長先生の言われた通り、どこ知ら、並みの人間と違うように、直感いたしましたので、失礼であってはならぬと、すぐ思いかえし一寸礼を致しまして、傍らの椅子にかけ、早速右手を前に出し、人指ゆび一本を上にむけて、彼(以下、校務員を彼と申し上げます)の前に出しました。

彼は客が座るなり、すぐ指を一本出すので、そんな事、わからいでかと言わんばかりに、むっとした顔つきで、すぐさま指二本を出しました。驚いたのは先生。早速それに対して指三本を出しますと、彼はすばやく、それも言うなら、こうではないのかと言わんばかりに、不機嫌な顔つきで右手を高々と挙げ指全部を握りしめて見せましたので、先生はハッと胸をつかれ、彼のその見事な応答ぶりに、これは完全に参りました、大変勉強させて頂きましたと言わんばかりに顔も青ざめ乍ら誠に失礼しましたという表情で直ちに立ち上がって、深々と頭を下げ、丁重に礼をされ、アタフタと、つたい廊下を小走りに総長室に戻られたのであります。

今や遅しと待ち構えていた総長は、先生の青ざめた顔色を見て、これは一大事、何か失礼なことをあれが仕出かしたのではあるまいかと、心配し乍ら、さあ先生、まあおかけ下さい、お茶を。と言い乍ら、先生にこわごわどうでございましたか、彼は先刻も申し上げましたように、不断は大変いい人物ですが、何しろ短気なところがあり、このたびの問答で、何か先生に失礼な態度をとったのではないでしょうか、すみませんでした。

とその労をねぎらう旁ら、お詫び致しましたところ、先生は、いーえいえ、とんでもない、あの校務員さんは流石、総長先生の仰る通り、ご立派なお方です、恐れ入りましてございます。始め私が校務員室へ入りますと、あの方は身なりこそ質素でありましたが、椅子に腰かけられていて私を見据えておられまして、私の眼の中まで見抜いておられるかのように尊厳な面持ちで何か知ら私に迫るような感じが致したので一瞬戸惑いました。と申しますのは、いい加減な問いでは失礼に当ると思いましたからです。

そこで思いきって問答にかかりました。最初、私が指一本を出しまして「万物唯心ただ一つと思いますがこれ如何に?」と問いますと、あの方は早速指二本を出されまして『万物は天地の二つ(陰陽)から成っているんだ。』と、いとも簡単な問いにややお叱りのご様子に見えましたので、私は早速指三本を出しまして「この世は天、地、人の三つから成り、三千大千世界の心理ここにある。と思いますが」と問い返しますと、あの方は間髪を入れず、五本の指を全部折り曲げて握りしめ、腕を高々と挙げ『それを言うなら、結曲、合して一体となるのではないか』と厳しく教えられましたので、あの方の聡明な悟りに対し、圧倒され、さすが総長先生の仰る通り誠に徳の高いお人柄と感銘を受けまして深々と頭をさげ、敬意を表し、わが身の修養の至らなさを恥じつつ退散して参りました次第です。あんなご立派な校務員さんをもたれた総長先生をうらやましく思います。と大変恐縮し乍ら話されたのであります。


これを聞いた総長先生は、やれやれ失礼な態度をとらず、最後まで怒鳴ることもなく、無言で応答してくれたもんだ。よかった、よかった。それにしても何んと当意即妙な答えをしたんだろうと内心疑心暗鬼乍ら・・・

(以下続く)
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ギャンブルについて

2020年05月23日 | 政治や歴史など

(画像は新潟日報のサイトよりお借りしました・新潟日報モア

東京高検の黒川弘務検事長が、新聞記者らとの賭けマージャンで、
訓告処分を受けたものの、賭博行為を追及されることなく約7千万円の退職金が支払われるという。

22年前に、漫画家の蛭子能収(えびすよしかず)氏は賭け麻雀で現行犯逮捕された。
33年前に、元西武ライオンズ監督で現在野球解説者の東尾修氏も賭け麻雀で逮捕された。

つまり賭け麻雀は立派な犯罪なのだ。
賭博罪なら「50万円以下の罰金または科料」である。
朝日新聞によると1回の勝負は数千円~2万円程度と発表した。
ある捜査幹部は「仲間内の遊びの範囲内であれば事件化は難しい」と言ったとか。

それはおかしいやろ!

と思うのは私だけではあるまい!

今回のように常習性が認められるような賭け麻雀なら常習賭博で重罪だろう。
少なくとも過去に黒川弘務氏と賭け麻雀した新聞記者全員が逮捕されるべきである。

今回は新聞記者による黒川弘務検事長への接待麻雀である。悪質である。
全員逮捕して立件しなければ、今後、賭け麻雀は合法にしなければならないはずだ。
合法にしないでうやむやにして、弱者のみを犯罪者にするような事を許してはならない。

パチンコだって、明らかなギャンブルにも関わらず、
景品買取所がパチンコ店に隣接して常設しているのを無視し、
「お祭り会場の射的の景品と同じことです」などと良く言えたもんだ。

何だかこの国はおかしい。
いまのままでは法治国家とは言えない。
追及も無く7千万円もの血税が支払われる異常さを問題視しよう。
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何もないので猫の写真15枚(2020年その2)

2020年05月22日 | うちの猫の写真
ネタ切れ。

本当は素振りや構えなど、自主トレーニングのことを書きたかったが、
仕事中に勇んでやったスクワットで昔痛めた右膝を壊してしまってから駄目。
一時は歩くのも痛むので困ってたほど。素振りなどトンでも無かったのだ。

最近、少~しずつ構えと軽い素振りをちょこっとだけし始めている。
少し振ると筋力の衰えを感じる。あと心臓回りに脂肪が付いたようでもある。
いつ稽古を再開できるのか知らないが、これは大変なことになりそうだ。

で、また猫の写真。

猫専用の、SONY NEX-5 で撮影の10枚。


(ストーブの前の星ちゃん)


(テーブルの上の星ちゃん)


(物音で首を伸ばしたところ)

星ちゃんは目が見えない(以前にほとんど見えないと書いたが完全に見えていないようだ)ので、
他の猫2匹よりも物音に敏感に反応しているように思える。


(写すごとに表情が変わるので猫の写真は面白い)


(窓際のみーちゃん)


(そのすぐ横のバスケットでくつろぐ月ちゃん)


(ストーブの前の星ちゃんとみーちゃん)

星ちゃんは、月ちゃんとも、みーちゃんとも仲が良い。


(寝返ってこちらを見たみーちゃん)


(テーブルの上のみーちゃん)


(同じく)

--------------------------------

ここからは、女房のスマホの画像5枚。


(手前が月ちゃん、奥が星ちゃん)


(熟睡中の星ちゃん)


(酔っぱらって星ちゃんを抱きしめてるところ)


(無理やりキスするので猫からの評判はあまり良くないみたいだ)


(窓際の兄弟猫、星ちゃんと月ちゃん)

猫ブログはたくさんあるが、私には他の人のような可愛い猫写真は撮れない。
腕が無いからか根気が無いからか・・・
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№116(昭和63年1月10日)

2020年05月21日 | 長井長正範士の遺文


話をしたり用事を頼むといった具合でした。総長も勿論このことを充分承知の上で計画を立てられたのは言うまでもありません。

さて、総長は予めA先生に伺いをたて、実は私どもの大学の校務員に、それはそれは素晴らしい人物がおりまして、校務員にしては勿体ないくらい立派な哲学者で、常々私が尊敬している人物であります。それで一度先生のご都合のよい日に、果してどれだけの人物かお試し願いたいのです。と申し上げ、又ご参考の為にと、本人の人物像のよい所ばかりを詳しく説明申し上げ、尚且つ本人は相当耳が遠いので手真似で問答して頂ければ有難いのですが、とお願い致しましたところ、先生の快諾を得ましたので、早速日時も相談の上決める事が出来ました。

約束の日は一週間ほど先のことでありますので、時機を見て総長は校務員室に行きまして、実は来週の水曜日の午後、偉い先生が、こちらに来られることになった。それは常日頃、君が体が不自由にも拘らず、大変よく働いてくれ、私はいつも君に感謝し、尊敬している。そんな立派な人物ですと先生に話をしたら、先生は、そんな立派な校務員さんと、お話させて貰うことは、むしろ私の方が光栄に思います。是非とも寄らせて頂きたく、よろしくとの事だ。さあそこでだ、先生と話をするのに君は耳が遠いので話しにくいと思うから、口でなにも喋らず、みんな手真似で応答してほしい。絶対口でもの言わないようにしてくれ、頼む。ただ一つだけ心配なのは、君は立派な素直な、いい人間だが、話の最中に何か自分の癇にさわるち、すぐカッとなって、腹を立ててどなることだ。これだけは絶対するなよ。だから始めから、しまいまで、ぐっと我慢して、手真似で問答してくれ、頼む。と懇々と言って聞かせました。

彼は判ったのか、判らぬのか、わかりませんが、兎に角、ふんふんと耳を傾けて頷いておりました。その日はそのくらいでおきまして、いよいよ先生が来られる前日になりまして総長はもう一度念を押して打ち合わせしておかなくては、と思い、再び校務員室にやって来て、彼の機嫌をそこねないように、気をつかい乍ら、前に言ったことを話しますと、彼は案外素直に、よし判っとる、一寸やそこらで腹立たへんさかいに安心しな、俺にまかしときと、ポンと威勢よく胸をたたいたので、総長もやれやれと胸を撫でおろし、明日を待ったのであります。

一夜明けまして、いよいよ当日、さあ大変です。朝から玄関や総長室、廊下それに校務員室は勿論のこと大学のキャンパスの目立ったところはすべて綺麗に清掃されました。総長はただ偏屈の校務員だけが気がかりでなりません。今日は晴れの日、いつもよれよれの菜っぱ服じゃなしに、よそ行きのキチンとした服装でもして来たかな、と様子を見に校務員室に来ましたが、よそ行きの洋服どころか、いつものよれよれの菜っぱ服で、その上、今朝からの大掃除で顔もドス黒く、すすけて、まるで乞食同然の姿に、総長もただあきれるばかり、漸く声を出して、顔でも洗ったら、顔がすすで真っ黒だと言いますと、こんでええんや、何もよそゆきの顔せんかてええやろとどなられて、あわてて総長室に逃げられた。やがて掃除も万端片ずき、昼食後、いよいよ先生がお越しになるのを今や遅しと待ち受けてますと、丁度約束の午後一時、玄関に車が着きました。総長自ら鄭重に出迎えまして、ひと先ず総長室へ招き入れ、その労をねぎたって暫く懇談いたしまして、さあ、それでは先生、よろしくお願いしますと、事務職員に案内して貰って先生はしずしずと校務員室に向われたのであります。

以下次回へ。
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転載「新型コロナウイルス感染症の集団発生を防止するためのお願い」

2020年05月20日 | 剣道・剣術


新型コロナウイルス感染症が猛威を振るっています。

 この病気がうつるのは、飛沫感染と接触感染が主です。

 感染者が咳やくしゃみをすると、ウイルス入りの飛沫が口から飛び出します。それを他人が吸い込むか、飛沫が付いた場所を手で触ってそれが気道に入ると、病気がうつります。

 しかし、お互いの距離を1.5~2メートル取ると、飛沫が届きにくくなって感染の危険性が大きく減ります。これに加えて、よく換気をすると、さらに飛沫は届きにくくなります。

 したがって、

「三つの密」(密閉、密集、密接)を避けること、
お互いの距離を常に1.5~2メートルとること、
換気を積極的にすること、
せっけんでよく手洗いをすること
 以上の4つが感染を避けるためにどうしても必要な方策です。

 ここで「運動をしているときの適切な距離」についてヨーロッパで研究がされています。剣道でも参考になるので、それを紹介しましょう*。

 この研究では複数のランナーが走る際、前のランナーから後ろのランナーに放出される飛沫の量を調べています。前のランナーが走ると、そのすぐ後ろに気流の乱れがおこり、前の人からの飛沫が後ろに飛び散っていきます。

 これを防ぐには、1列縦隊の場合、普通のウォーキング(時速4Km程度)では最低5メートルの間隔を、少し早いランニング(時速14.4Km程度)では最低10メートルの間隔を取ることが必要でした。

 ただし、1列縦隊を避けて斜めに位置取りをすると、飛沫の拡散は大いに減少しました。

 剣道の場合には、前後左右に動き、しかも気合とともに大きく飛沫が飛び散ります。これを考えると、複数の人数で「ひとり稽古」をする場合には、一般的に十分な対人距離とされている2メートルではとても足りません。

 以上の結果から、複数の人たちが集まって個人トレーニングをするのにはかなりの感染の危険性があると思われます。したがって、複数の人が集まるのはやめて、ほんとうの「ひとり稽古」が望ましいでしょう。剣道の稽古から感染クラスターを出してはいけません。今はひとりで我慢の時です。

全日本剣道連盟
医・科学委員長 宮坂 信之
アンチ・ドーピング委員長 宮坂 昌之



*Belgian-Dutch Study: Why in times of COVID-19 you should not walk/run/bike close to each other.

* 画像は上記のサイトより引用
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アクションカメラ「SJCAM SJ6」を購入した。

2020年05月19日 | バイク・クルマ
以前からアクションカメラが欲しかった。
欲しかったが使い道が無い。
使い道も無いのに買うほど余裕は無い。
無いが欲しい。さあ困った。

などと思いながら、有名な「GoPro8」の販売サイトなど見ていたら、
中華製の安いアクションカメラもピンキリで販売しているのに気がついた。

GoPro8は5万円以上もする。
中華製は数千円から2万円で手に入る。

youtubeで比較投稿動画を見ていたら、「SJCAM SJ6」がそこそこ良いとある。
アマゾンで見たら、1万5千円ぐらいだが品切れしていた。
品切れしていて良かった。1万5千円は衝動買いには高過ぎる。



アマゾンではあいにく品切れだった。
楽天で調べると在庫があった。
楽天にはポイントが溜まっているはずなので、買い物かごに入れてみる。
ポイントが随分溜まっていて、5千円程度で買えるのがわかって思わずポチッてしまった。
(中国共産党は大嫌いだが中国製製品にはそれほど抵抗は無い)


(購入した楽天の販売サイト)

届いたら思ったより小さく可愛い。
これならバイクにドラレコがわりに使えるかも。


(手の中にすっぽり収まる大きさ)


(防水ケースが付いているのも嬉しい)

さっそくデリカスターワゴンに取り付けて帰宅した。


(中央にあるのが「SJCAM SJ6」、左のカーナビと比べると随分小さい)

以下、撮影動画のキャプチャー


(大雨の夜、ナンバープレートは光って見えない)


(これは静止画撮影・・・逆光だからかイマイチである)


(おなじく静止画撮影・・・ずいぶんと広角である)


(朝の生駒の交差点)


(阪奈道路の寺川付近)

日本語のマニュアルがなく、設定があっているかどうかもわからないが、
取り合えず使ってみての感想は、

1)静止画はイマイチだった。(2枚しか撮っていないのでよくわからないが・・)
2)動画は思っていたよりはるかにキレイに映る。いま使っているドラレコよりはるかに良い。
3)夜はドラレコとしては反射が強くて使えないかも。(夜の設定があるのかも知れない)
4)防水ケースに入れると電源供給が出来なくなる。

夜は前の車のナンバープレートが飛んでしまって駄目だが、
上書き録画が出来るので、取りあえずはドラレコとしても使用は可能である。
しかし触ってみると随分熱くなるので夏場の使用は無理かも知れない。

バイクに使う場合は防水ケースを加工して電源ケーブルを接続する必要がある。
専用ケースを別途購入するか、付属のケースを加工するかは思案中。

ともかくきれいな動画が撮れるのがわかった。
旅先でのドライブで使えば写真やビデオ(持ってないが)と違う楽しみ方が出来るかも知れない。
ドライブ中に、目の前に広がる一瞬の景色など撮れれば嬉しい。

使い方によっては面白い瞬間を捉える機会が増えるかも・・・である。
いずれにしろこのままでは充分な性能が出ない。
じっくりマニュアルを探してみるつもり。
使い方がわかれば使い道も広がるというわけだ。

楽しみがまた一つ増えた。
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真弓山長弓寺と真弓塚

2020年05月18日 | 旅行や街角メモリー
家の近所の歴史的なことを調べるのがマイブームで、
神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑に初めて気がついて行ったのであるが、
その神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑の北500mほどに長弓寺というお寺がある。

すぐ横の道はバイクで何度か通ったことがあるが参拝はしたことが無い。
ということで、ことのついでに訪問してみた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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長弓寺(ちょうきゅうじ)は奈良県生駒市上町にある真言律宗の寺院。山号は真弓山。本尊は十一面観音。開山は行基と伝える。国宝の本堂は鎌倉時代の密教仏堂の代表作として知られる。
長弓寺の創建についてはいくつかの説があり、定説を見ない。『長弓寺縁起』によると神亀5年(728年)、鳥見郷の豪族である小野真弓長弓(おののまゆみたけゆみ)が聖武天皇]に随行して狩りに出た。同行していた長弓の息子・長麻呂が不思議な鳥が飛び立つのを見て矢を放ったところ矢は誤って長弓に当たってしまい、長弓は亡くなってしまった。不運な長弓父子を哀れんだ聖武天皇は僧・行基に命じて一寺を建立させた。行基は十一面観音像を安置してこれを本尊としたという。十一面観音像の頭頂には仏面が乗っているが、これは聖武天皇の弓を刻んだものだという。なお「鳥見(登美)」は長弓寺の位置する生駒山東麓を指す古い地名で、神武天皇東征神話にも登場する。現在の奈良市西部から生駒市にあたる。
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この近くは生駒市真弓という地名であり、わが登美ヶ丘と同じように歴史的な名前を付けた地名であることがわかった。
いい加減に「〇〇ヶ丘」とか付けた地名で無いことがわかって嬉しくなる。


(長弓寺の前にバイクを停める)


(バイクだと、どんなとこにも入っていけるので散策には重宝する)


(長弓寺本堂の左右のひさしの張り出しが見事である)

地図を見てると長弓寺の東700mに「真弓塚」の表示がある。目印は給水塔。
給水塔の横の階段を上ると見晴らしが良く、少し右手の木立ちの中に真弓塚があった。



ええ古都ならのサイトに説明文があった。
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小野真弓長弓(おののまゆみたけゆみ)の墓といわれる塚。真弓長弓は富雄の豪族で、息子の長麻呂を連れて聖武天皇の鳥狩に従っていたところ、運悪く長麻呂の射た矢に当たり、命を落としてしまう。その墓が当地に造られたとの伝承が残っている。また、真弓長弓の墓とする説のほかに弓を埋めたとする説もある。真弓塚は聖武天皇が真弓長弓の冥福を祈るために建立した長弓寺の飛び地境内であり、寺ゆかりの地と考えられている。
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ええ古都なら
http://www.nantokanko.jp/

これは面白いサイトを見つけた。

ネットが無かった頃は、知らないことは自分の国語辞典か、
家にあった現代用語の基礎知識と百科事典で調べるしかなかった。
学校の図書館で調べる手もあったが、そんな面倒なことはしなかった。
今は、わからなければすぐに調べられるすこぶる便利で興味が尽きない時代である。
本当にありがたい時代である。


(真弓塚の階段上から生駒山を望む)

繁忙期なので、なかなか充分な時間が取れない。
まだまだ近所には行きたいが行けてない場所が多い。
おいおい廻ってみようと思う。
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№115(昭和63年1月10日)

2020年05月17日 | 長井長正範士の遺文


〇豆腐問答という面白い話が残っていますが、落語では“こんにゃく問答”と言って皆を笑わせているのと同じような内容で、皆さんもよくご存知の事と思いますが、新しく話を進める手段として一応述べておきます。但し話の進め方は私なりに脚色してゆきますので、この点ご了承下さい。

〇その昔、土佐の潮江の眞如寺に誠に徳の高い禅僧がおられることを風の便りに聞いた東の国のある禅僧が、どれほどの高僧であるのか、一度問答をしてみたいと、雲水一人を連れて、はるばるやって来ました。雲水を宿に残して早速眞如寺に参りますと、境内の片すみに、噂の高僧が黙々として竹箒で落葉を掃いているではありませんか。よく見るとさすが天下に名だたる高僧だけに身なりも甚平姿でごく質素なものです。彼(東の禅僧をいう・・以下同じ)はこれ幸いと早速無言の問答に入ったものです。

先ず両手の指で輪を作って見せたところ高僧は鸚鵡返しに右手を高々と挙げて指三本を出しました。これを見た彼は感心したかのような表情で指二本を出しました。高僧はすばやくこれに応えて指で片方の眼の下を押しました。これを見た彼は色を失い、早々と退散して宿に帰りました。

待ちかまえていた雲水が「どうでしたか?」と伺いますと、彼は『いやー噂にまさる名僧じゃわい、初め、わたしが、両手で輪を作って、世界は?と問うたところ、すかさず、指三本を出して「三千世界なり」と答えられたので、それではと、指二本を出して「日本は?」と問うたところ、間髪を入れず、眼の下を指さして「眼下に在り」と答えられた。さすが高僧だ。身なりも質素で在家と変わらぬ。誠に見上げたお方だ』と感心してかの高僧をほめたのであります。

舞台が変わって、くだんの甚平姿の高僧がようやく掃き終る頃、用事から帰って来た本物の高僧が、ふと見ると境内に隣り合せの豆腐やのおっさんが、何やらぶつぶつ言って不機嫌そうな顔つきなので『どうしたんや?えらい機嫌悪そうやが?』と声をかけると豆腐やのおやじ、「いやー、どこのどいつか知らんが、ここへくるなり、あの糞坊主め、指で輪を作って」、お前とこの豆腐何ぼや?と手まねで聞きやがるので、おらあ指三本出して、三文だ!と言ってやったんだ。そしたら、あいつ、指二本出しやがって、二文にまけろと、ぬかしやがったんで、俺頭にきて、あかんべーとしてやったら顔色変えて逃げて行きよった。」という話です。

これに関連してもう一つご紹介申し上げましょう。

〇問答第二
関西のある大学の総長が、嘗て大学時代、心理学を専攻され、今日に至るも、ずっと研究を続けておられましたが、最近になって一つ実験をしてみようと、ある計画をたてられました。その計画とは今、わが国では最高の地位にある哲学者のA先生を招聘して、自分の大学の五十の坂を越した校務員と問答して貰おうという事なのです。

ここで先ず、校務員について説明しておかなければなりません。彼は気の毒にも若い時、事故に会いまして、片眼、片足を失い、現在は義足で然も耳が遠く、不自由な体の上、無学ではありますが、よく働き、仲々良い人物であります。が、然し、律義者によくありがちな偏屈なところがあり、真直ぐな気性だけに、一寸気に入らぬ事がありますと、すぐ癇癪玉を破裂させ、どなり立てるので、教授連始め、廻りの人達は、腫物をさわるようにして気をつかい乍ら(続く)
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