稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

忘年会(四條畷剣友会)

2016年11月28日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)


昨夜は毎週木曜日にお世話になっている四條畷剣友会の忘年会にお邪魔しました。
前日の土曜日も生駒の剣友会の忘年会で2日続きでしたのでお酒は少々控えましたが
剣道談義が盛り上がり、楽しい時間はあっという間に過ぎ去りました。

集まったのは15~6人。10人は出稽古のメンバー。
稽古仲間とお酒を飲むと、稽古だけでは無い人間関係の深まりを感じます。
まさに「交剣知愛」です。剣道って本当に面白く楽しいですね。

四條畷剣友会では基本から叩き込まれました。
構え、姿勢、発声、左足の向き、竹刀の握り方、竹刀の振り方、切り返し、
自分の打ち間、左手での中心の取り方、左足荷重、一拍子の打ち、呼吸法。
いま思いついた基本的な部分だけでもこれだけの事を学びました。
そして一つ一つの奥がとても深いのです。なかなか出来るものではないのです。

師匠や剣友達と談話しながら、これからも続けて頑張ろうと思った忘年会でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

YouTubeの優先席口論を見て

2016年11月26日 | 旅行や街角メモリー

(はめ込み画像なので動画再生は出来ません)

YouTubeに投稿された優先席を巡る若者とお年寄りの口論動画が最近話題になっている。
席を譲れ、いや譲らん・・というやり取りだ。老人は酔っぱらってるように見える。
席を譲るのは当然という態度の老人と、何が何でも譲ってやるものかという態度の若者だ。

投稿した若者の言葉
---------------------
AMBITIOUS JAPAN @DD51_1095
私は優先席を譲りません‼︎
なぜなら先日、今にも死にそうな老人に席を譲ろうとしてどうぞと言ったら「私はまだ若い」
などと言われ、親切な行為をした私がバカを見たからです。今後とも老人には絶対に譲りません。
---------------------

私は優先座席が空いていたら躊躇なく座ります。
そして決して居眠りはしませんし読書もしません。
周囲に目を配って、お年寄りが乗ってきたら、笑顔で「お座りになりますか?」
と声をかけます。「いいえ結構です」と言われたらそれで良しです。

不愛想に「どうぞ」と言うだけは「嫌々代わったのかな?」という誤解を生みます。

若者が「絶対に譲ってやらん」と思うのも、
お年寄りが「若い者は必ず席を譲るべきだ」と思うのも、
両方とも殺伐としたものを感じてしまいます。

優先座席に若い者が座る場合は、それなりの覚悟と行動があってしかるべきです。
お年寄りも当然と思わないで、もっと謙虚であって欲しいです。
それが、たとえ、見かけ上の「謙虚のふり」であっても謙虚さは必要なのです。

もう10年ぐらい前、父の粕井貫次と一緒に電車に乗ることが度々ありました。
父はすでに80をいくつか超えていて電車の揺れにふら付くこともありました。
私は父を優先座席の前まで連れて行き、一番元気の良さそうな若者の前に立ち、
「申し訳ありませんが、父は足が悪いもので、席を譲っていただけないでしょうか?」

丁寧な口調でこう言うと、必ず席は譲ってもらえたものです。

要するに、席を譲って欲しい場合は、それなりの声の掛け方があるでしょうし、
逆に「席代わりましょうか?」と声を掛けられても、座りたくない場合は、
「いいえ大丈夫です、ありがとうございます」と丁寧に断るべきなのです。

若者も「年寄りには席を譲るべきだ」という強迫観念は持つべきでは無いのです。
自分よりは弱っている人、困った人を見かけたら、素直に、自然に、
「助けたいなあ」という気持ちと行動が出せるかどうかが大事なのだと思います。
思ったら即行動、こういうことが大事な事なのです。

若者が無愛想な顔をして「どうぞ」だけ言って席を立とうとしたら、
「そんなもんいらんわい!」って機嫌の悪い老人なら言いそうです。

「あいさつ禁止」のルールを決めたマンションがあると先日聞いて大変驚きましたが、
何かコミュニケーションの在り方が根本から間違っているような気がします。
受験勉強も大事でしょうが、道徳とか、人と人との関わり方をもっと学んで欲しいものです。
自分の主張を、効果的に、相手に伝える方法がまだまだ未熟なのでは無いでしょうか。

お互いの気持ちや立場を無言のうちに分かち合うという姿勢は大事ですが、
今の時代は言って初めて相手の立場や傷みがわかるという時代なのでしょう。
柔らかく相手に自分の気持ちを伝える技術も必要なのでしょうね。

ちなみに、こちらが声を掛ける前に「席を代われ!」
って偉そうに言われたら、一般席なら私は断固として断ります。

実はそういう経験も過去にあるのですが、
老人に説教するには相当の覚悟と忍耐が必要と補足しておきます。
特に、ニワカ老人のオバサンは手強い。これまさに「修行」と思ってます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関東で雪、路面凍結、スリップ事故相次ぐ

2016年11月25日 | 旅行や街角メモリー

(tenki.jpより)

関東甲信地方は24日に記録的に早い初雪と積雪となった。
25日朝も厳しい冷え込みとなり各地で路面が凍結し交通事故も起きている。
関東各地は今シーズン一番の冷え込みとなり、午前6時頃にはさいたま市で氷点下2.1℃、
宇都宮市で氷点下1.7℃、東京都心でも0.3℃を観測した。
24日に8センチ雪が積もった東京・八王子市では25日朝、路面が凍結した。

盛岡に3年、秋田で3年暮らしてきた身には、雪や凍結なんて冬は当たり前の事だった。
古いアパートは止水栓で水を落としていても翌朝は凍って出なかったり、
排水するのを忘れていて風呂桶まるまる角氷にしたこともあった。

もう40年近くも前だから、スタッドレスタイヤも当時は無く、
11月になると営業車も自家用車もスパイクタイヤに履き替えて冬に備えた。
それでも凍った路面には役に立たず、何回かスタックしたものだ。
スコップとゴム長、防寒ジャンパーは車で出張するには不可欠の装備だった。

深夜零時近くに、仙岩トンネル(国道46号、秋田街道)を岩手県側に超えたあと、
溶けた雪が凍っていて凸凹になっていて、車がコントロールを失って欄干に激突した。

昼間の雪は溶けて轍になったまま夜は凍るのだが、山の上は轍も深く危険である。
もしあの時、もう少しスピードを出していたら、橋から飛び出して死んでいたかも知れない。

雪のシーズンになると、関東方面のナンバーを付けた車が、
道端に落ちているのをよく見かけたものだ。
牽引用のロープも必需品だった。

雪が降ると時間の約束も出来ないことが多かった。
車を幹線道路に出すために半日かかって雪かきしたこともあった。

雪の思い出はたくさんある。
雪が降ると静かにしんしんと降り積もる。
無彩色の風景の中で悶々としていたあの頃の思いも懐かしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨夜の稽古

2016年11月24日 | 剣道・剣術


最高気温は10度まで行かないと聞いたがバイクで家を出た。
時々は動かしてやらないとバッテリーが上がるのだ。
もしかしたらどこかで少し漏電しているのかも。

このバイクはヤマハSR250。1980年製造のロートルだ。
特に大事にしているわけでは無いがオイル交換だけはきちんとしている。
朽ちるまで乗ってやるつもりだがこちらが朽ちるのが早いかも。

10年ほど前までは氷が張っているような朝でもバイクで出かけたものだ。
最近、車ばかり乗っているので寒さへの耐久性が無くなっている。
冬のバイクはキツイ。ただのトシのせいだと家人は言う。

東大阪の事務所にて少しだけ仕事。
毎週水曜日は長正館で稽古が定例だが本日は勤労感謝の日で休み。
幸い養正会の稽古が19時からやっているので早めに出かけた。

あまりに早すぎるのでいつも使う308号線ではなく168号線を西へ。
168号線は片側1車線の古い街道で石切から大阪城まで続いている。
土佐堀からなにわ筋を南下、浪速稲荷の交差点から東に進んで府立体育会館。
17時半には到着したがまだ誰も来ていなかった。

19時から稽古開始。久々に基本打ちから参加した。
20分から自由稽古。1時間ほど元立ちを務めた。
自分の稽古にもなるよう相手の稽古にもなるようにしたつもり。
まったく掛かってこない人もいるが、まあそれぞれ考えもあるのだろう。
15人ぐらいと稽古。けっこう疲れた。

着替えて21時は出たが奈良の自宅に着いたのは22時だった。
気温は5度。身体の芯まで冷えていたので風呂に飛び込む。
20分以上浸かっていたが身体の芯の冷えは温まらない。
バイクで冬の稽古はけっこう疲れるものだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「この世界の片隅に」を見てきた。

2016年11月21日 | つれづれ


20日は久々に映画を見た。
ネットでたまたま見かけて興味を持って、
奈良では上映してなくて梅田で予約が9時。
6時半に目覚ましかけて7時に家を出て事務所まで車。
そこから駅まで2キロ歩いて電車乗って乗り換えて大阪(梅田)。
茶屋町を迷いつつマクドで朝食して「テアトル梅田」。入った瞬間上映開始。

いや感激した。今まで見てきた映画をすべて凌駕している。本当に良い映画だ。
年とって涙もろくはなってはいるが、最初の風景描写ですでに涙ぐんでしまった。
いい加減には作ってはいない。作者や監督が綿密に丁寧に作った映画だと感じた。
パステル調で描写は柔らかで優しいが、けっこうハイテンポで話は進んでいく。
幼い頃と嫁いでからのエピソードや、その時々の思いが微妙に繋がり絡み合っている。
普通の人の、普通の日常生活を通じて、人の思いや暖かさや繋がりが表現されている。
一日経った今でもまだ、心地よい余韻が残っている作品だ。お勧めの一作である。



映画を見た後、食事して事務所に戻る。
事務処理して道場まで。一刀流の稽古。元立ちで約2時間。
大太刀60本、払捨刀、向上極意五点。仕方が5人なので300回以上の打方だ。
11月下旬だというのに汗ばむ陽気。汗が流れる。終わったあとは足が棒。
そのあと剣道稽古で1時間15分。帰宅は夜10時。
さすがに疲れたが内容の濃い日曜日だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

面打ちにこだわりたい

2016年11月19日 | 剣道・剣術
「あえて自分の苦手な部分で稽古する」ではなくて、
「あえて相手の得意な部分で勝負する」でした。

少し違いましたね。でも目標は同じなんです。
私は昔から面が苦手で、気、剣、体がバラバラでスピードもありません。
これを克服するのが最近の、というか永遠の私の課題です。

初めての相手がどんなタイプかわかりません。
でもすぐ、返し技狙ってるなとか、出頭面狙ってるなとかわかります。
ひたすら小手面ばかりの人もいます。これは初心者に多いです。

相手が狙っているのを見越して面で勝負に出る。

もう年なのでスピードに頼った面は打てませんから、
すぅーと入って、いったん溜めて、そこから面を打ちに出ます。

相手が若くて長身の方なら、入った瞬間に面に乗られます。
出小手の得意な人なら、溜めてから打ちに出る瞬間を狙われます。
入り方はどうなのか、どこまで入るのか、溜めた時の判断はどうか。
そして同時に体幹のブレを是正したいという目標もあります。

面ばかり打つと返される確率もかなり高いです。嫌になる時もあります。
しかし「納得のいく面を打ちたい」。これが今の私の課題です。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道遠し(昨夜の稽古から)

2016年11月18日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
昨夜の稽古は出稽古。四條畷のS師匠の道場である。
一拍子の打ちを中心とした基本稽古のあとは自由稽古。

「あえて自分の苦手な部分で稽古する」というのを、
13日の摂津での稽古会で聞いていたのでさっそく試してみた。

ともかく構えたら気合を出し、積極的に前に出る。
行けると思ったら相手に先掛けてひたすら面に打ち込むのだ。

しかしまったく駄目。
出小手を取られるわ、合面で負けるわ、返し胴を食らうわ、散々な目にあった。

悔しいがスピードだけの勝負では若者に完敗してしまうのが良くわかった。
でも「もうちょっと何とかならんのか」という気持ちが強い。

指が痛いからとか病み上がりだからという言い訳はあえてしない。
最初の1分ぐらいの、懸り稽古のような地稽古は今しばらく続くと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

剣道の理念(昨夜の稽古から思うこと)

2016年11月17日 | 剣道・剣術

(写真と本文は関係ありません)


剣道の稽古仲間でまったく成長しない人がいる。
20年近くの付き合いだが剣風は変わらず成長は止まっている。
毎回のように悪いところを注意するのだが直らない。
色々と言い過ぎるからなのかとテーマを絞って指導するが直らない。

癖を直すのは本人の能力もあるだろう。
しかし20年近くも変化が無いのは能力ではなく心掛けに問題があるのではないか。
剣道の修練の目的がズレているからではないか。

剣道の理念
--------------------------------------------
剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である
--------------------------------------------

良い癖も悪い癖も出てくる。
良い癖は伸ばせば良いのだが、その癖が良いのか悪いのか本人にはわからない。
たまたま妙な方法でうまく当てたら、それが正しいとドツボにはまったりする。
たまたまで無くても妙な姿勢や足捌きのままでそこそこの段位を取ったら、
その妙な癖のままさらに上を目指そうとしてしまう。

結局は自分の悪い癖に気付くことから始まる。
気付かなければ癖はそのまま悪癖(あくへき)となる。

ところが癖の治らない者は「気付かない」のである。

つまり指摘されてもわからない。
もしくは心のどこかに自分の癖を容認してしまっていたりする。
または指摘されても「自分は正しいはずだ」と開き直ったり、
気づいたとしてもいつの間にか忘れてしまったりしてしまうのだ。
忘れてしまうというのは結局は自覚していないと同じ事だ。

剣道が上達するには、まず素直になること。
そして自分の悪いところに気づき、それを認めること。
悪いところは直そうと努力し続けること。

簡単に言えば「素直」「気づき」「努力」である。
これに「継続」を加えても良いだろう。

これは剣道だけでなく、人として生きていくべき正しい姿勢である。
言葉にすると簡単だがこれがなかなか出来ないものだ。
出来ないから「人間形成の道である」なんだろうな・・と思った次第である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青森での葬式(2011年)

2016年11月15日 | 旅行や街角メモリー
8月のお盆に「また来年くるねー、元気でねー」って別れた義母が急死したのは12月だった。
2011年の事である。女房の実家は青森県青森市浅虫。海辺の温泉街である。

8月に咳が出ると聞いたがまさかそんなに悪いとは思わなかった。
何でも行きつけの町医者に風邪と診断されていたらしい。
あまりに辛いので医者に行ったら、市民病院を紹介され、検査入院のまま1週間で亡くなった。
享年74歳。何とかという肺炎らしいが医者の診断ミスであることは確かである。

当時は、毎年、奈良から16時間ほど車を走らせて帰省していた。
片道が1200キロの超ロングドライブである。
下の写真は8月13日。奈良へ帰る前、家の前での集合写真だ。



葬式は12月19日。前の日に新幹線を乗り継いで青森駅に着くと外は大変な吹雪だった。
葬儀の後、家の近くの椿館という宿のお風呂に行こうとしたが猛吹雪で断念した。
2重窓の部屋でも窓際は寒い。息が出来ないほどの冷気で布団を頭までかぶる。
だんだん息苦しくなるので頭を出すが、今度は頭がジンジンしてくるほど冷気が突き刺さる。
剣道の手ぬぐいを頭に巻き、何とか寒さを忍んで寝たのだが本当に寒かった。





下の写真は女房の実家にあった古い写真。喪服を着ているので誰かの葬式と思われる。
一番上の集合写真とほぼ同じ場所での記念撮影だ。
右から2番目がまだ若い義母で女房を抱いている。下にいる男の子が女房のお兄さん。
2003年に癌で亡くなった義父は左上にいる。



今朝、青森で雪との天気予報を聞いて、もう5年も経つのだなあと昔の写真を見ていた。
義父も義母も亡くなった今、青森へ行くことも無くなってしまった。
しかし今でも、雪の便りを聞くたびに、青森を思い出している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トイレ掃除

2016年11月14日 | つれづれ
20年近く前、いまは無い、ホワード株式会社という会社の役員だった。
ホワードは大阪の船場、中堅の繊維卸問屋でいわゆる前売り問屋と言う形態だ。
当時、経営の主流から外れていた私は役員とは名ばかりだったが、
役員会では自分の意見をはっきり言う、という姿勢は絶対に崩さなかった。

営業改革は手詰まりで、現業で売り上げを伸ばすことは不可能に近く、
会社は下り坂のまま、年間で実に1億円もの赤字体質が続いていた。
そして経理畑の役員が主導権を握ったあとは、経費削減が役員会の主議題となってしまった。

ある日の役員会で、経理のY専務から、
外部業者に委託されていたトイレ掃除を社員で全部やったらどうか・・
という案が出た。おお、それは良い案だと、全員が頷いた。

「大賛成です。役員室のあるこの階のトイレ掃除は役員が担当しましょう。
そして会社の中で皆がビックリするぐらいキレイなトイレにしましょう。」
こう私が言った瞬間、場は凍りつき、みんなの顔は曇り、誰も発言しなくなった。
ブツブツ言う者が数人いて、気まずい雰囲気のままこの案は流れてしまった。

結局、役員会では何も審議されないまま、外部委託のままはまま、
日に2回のトイレ掃除が1回になり、数人でやっていた掃除も1人となった。
会社全体でトイレは10数か所あり1人で掃除するのには多過ぎる。
当然、汚れや臭いは目立つようになった。業績はますます低迷しだした。
反主流の私はほどなく役員を降ろされた。

トイレが汚い企業は業績が悪化するという話を若い頃聞いた事がある。
商業界という故倉本長治先生が主宰するセミナーだったと思う。
それから会社のトイレは使うたびにキレイに使うよう心掛けた。
前の人の汚れでも関係なく掃除するようにしたものだ。

今も事務所のトイレだけはキレイにしようと心掛けている。
トイレ掃除をしながら、ふと昔のことを思い出し書いた次第である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

摂津市剣道協会主催ダイキン工業有心館合同稽古会

2016年11月13日 | 剣道・剣術


11月13日はダイキンの合同稽古。
いつもと違う先生方との稽古は本当に勉強になります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陽だまり

2016年11月12日 | 詩や短歌など


陽だまりの公園のベンチ
腰かけてじっと手のひらを見つめる
手の影が芝生の上にゆらゆら揺れて
かげろうとなっている

陽だまりはまぶしくて静かに目を閉じる
ああ太陽が僕の心を暖めてくれる
哀しみがかげろうとなって
ゆらゆら青空に昇っていく

見あげると薄ぐもり
抜けるような青空が恋しいね
もう悲しむのはこりごりだから・・・

陽だまりの中
せつなくて煙草に火を点ける
ときおり春の風が通り抜けていく

いま僕は
僕の青春を、人生を、
ほんの少しだけ休ませて、
この煙草を吸いおわると
また何かを求めて歩き出すのだろう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加藤諦三の詩

2016年11月11日 | 詩や短歌など
中学生の頃の私は劣等感の塊だった。
有名な進学校にエスカレーター式に入学したのは良いが、
授業に付いていけず、憧れて入った柔道部でも一番弱かった。
登校拒否までは行かないが遅刻常習者だったし授業を抜け出すことも度々あった。

小学校の時に発症したアレルギー皮膚炎も湿疹がひどくて悩んでいた。
体力的にも人より劣り、小遣いが少なくいつもお腹を空かせていた。
何をしても、何もかもうまくいかない時期が3年ほど続いた。

兄達は優秀で、元々兄弟仲は良いほうではなかったので、
事あるごとに「お前は馬鹿だ」「将来は乞食になる」などと言われていた。
「将来困っても助けてやらんからな」とドヤ顔で言われた。
親からも見捨てられかけていたと思っていた。本当に孤独であった。

いつかは見返してやるとは思ったものの、その術(すべ)も根性も無く、
いたずらに虚無的な日々を送っていたのが思春期の私である。
ただただ「俺に構わんでくれ」「放っておいてくれ」と思っていた。

そんな時、雑誌であったか新聞であったか加藤諦三の詩が目に留まった。
何もかもが嫌になっていた私に、その詩は衝撃的な印象を与えた。
すぐに紙切れに書き写した詩である。読み返すたびに当時の思いが蘇る。
この詩で自分を慰めた。何度も救われた。

------------------------------------------------------

ほっておけよ そんな奴

すました顔して 自分の人生を見つけていけよ

ほっておけよ そんな奴

しゃーしゃーした顔して 笑っていろよ

ほっておけよ そんな奴

そのうち皆が あきれるさ

向こうがあきれるまで

ほっておけよ そんな奴

劣等感に苦しんだ君は

「のぼせている人間」に苦しめられた君だ

「のぼせている人間」に苦しめられた君は

誰よりも人の真心の大切さを知っている君だ

------------------------------------------------------

エスカレーター式に上がれるはずの高校受験にも失敗し、
当時としては落ちこぼれ収容所のごとき高校にかろうじて入学した。
結果的にはそれが正解で、そこそこ頑張れば何とかなることを学習し今に至っている。
人生、なるようにしかならないものだが、一歩でも半歩でも前に出ることが肝要だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公共投資の必要性

2016年11月09日 | つれづれ


博多の道路の陥没には驚いた。
昨年の8月末に七段審査のため陥没したすぐ近くのホテルに泊まった。
陥没した歩道も歩いた。博多駅前のきれいな街並みだったのを覚えている。
今回は、早朝だったので大きな怪我や死人が出なかったのは本当に良かった。

5年ほど前に民主党支持の剣友と激論したことがある。
彼は公共投資は無駄で汚職の温床にしかなっていないと言い張る。
国の借金が増えた今、節約こそが今の日本に必要な政策だと言い張る。

昔、汚職がはびこったのは確かである。談合も確かにある。
電機機器メーカーに勤め、設備設計や施工を手伝った経験からわかる。
おそらく今も少なからずあると思う。そして敢えて言うが公共投資は必要なのだ。
そして国の借金は国民の資産であり恐れるに足らないというのが私の理論なのだ。

箱モノを作るのは反対する。不要な博物館や美術館、何とかホールなどは大反対。
しかし選挙で票になるのは箱ものだから、不要な建築物はどんどん増えることになる。
そして不要な箱モノの維持管理で予算が消火される悪循環が起きる。

本当に必要なのは票にならない公共投資だ。下水、水道、道路、橋、隧道、河川など。
これらは昭和30年代に作られた物が多く、今、著しく老朽化しているのである。
老朽化しているのに票にならないから予算化されないのが大問題なのである。
このままでは下水道は未整備のまま、水道は漏水し、道路は陥没しする。
橋は崩れ、隧道は埋まり、河川は氾濫し、護岸は崩壊するのである。

ところが関係各省も、地方自治体もいたって無関心で諦めているのが現状だ。
公共事業、つまりインフラ整備に関する土木工事予算は現在驚くほど減っているのだ。

博多の道路陥没も水道管か下水管から漏れた水が原因とも言われている。
これは日本中どこでも起きうる事故である。公共事業の在り方そのものから考えて欲しい。
インフラを整備すればあらゆる経済は活性化する。GDPは確実に増える。
お金も回りだし相対的に借金は減る。国民の暮らしも豊かになるのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨夜の稽古(八段受審者)

2016年11月08日 | 剣道・剣術
昨夜は養正会の稽古。審査前なので立ち合い稽古となった。
八段受審者3名(養正会T氏、大阪体育大学M氏、出稽古のK氏)。
私はおまけ。O田師範に「君も入れ、はよぉ面付けぇ」と言われて参加。
ウォーミングアップも無しの立ち合い稽古は審査そのもの。
時間は八段審査と同じく2分間である。

やはり八段受審者、攻めが効かない。
右に左に慎重に動きながら剣先で様子を探る。
攻め口が見つからないまま技を出すことが多かった。
T氏とはガチャガチャしてしまい大いに反省する。
大阪体育大学のM氏には不充分だが小手を打たれた。
出稽古のK氏には、表から竹刀をやや強く抑えた瞬間に小手を打たれる。

地力が無いのでこの2分間×3人の6分間で全力を使い果たした。
あとは下の者たちとの地稽古。特筆すべきことは無い。
ただ気を抜かない稽古を心掛けたので疲れは倍増である。

骨折した小指のリハビリ中での猛稽古だった。
痛みのせいで左手の納まりが悪く打ちの冴えが出ない。
きょうは指が曲がらず仕事中にストレッチしている次第である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする