稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

最近の稽古・あれこれ

2024年01月30日 | 剣道・剣術
1月6日、長正館一刀流稽古
1月7日、長正館月例稽古
1月10日、長正館剣道稽古
1月11日、木曜会(誠先生の剣道教室)
1月13日、大阪府剣道道場連盟
1月17日、長正館剣道稽古
1月18日、木曜会(誠先生の剣道教室)
1月20日、往馬玄武会
1月20日、長正館一刀流稽古
1月21日、大阪剣道同好会
1月24日、長正館剣道稽古
1月25日、木曜会(誠先生の剣道教室)
1月27日、往馬玄武会

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1月6日、長正館一刀流稽古


今年の稽古始めは一刀流から。
集まるかな?と思ったら予想に反して大勢集まった。
終了後はいつもより念入りに掃除する。今年もよろしくお願いします。

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1月7日、長正館月例稽古


小太刀、合小太刀稽古と、古伝稽古に分かれて2時間の稽古。
小太刀の二ツ勝の仕方(小太刀)は、最初の切落しのあと、下がらないように改めた。
以前からの懸念事項だった。あ~、これでスッキリした。

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1月10日、長正館剣道稽古


剣道の初稽古。基本稽古と回り稽古。
寒いし久々なので無理のないように。



Hちゃんには面、小手、小手面、胴の打ち込み、そして切返しの指導。
もうすぐ面を着けられるかな?

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1月11日、木曜会(誠先生の剣道教室)


攻めとは?
先の技、先々の技、先々の先の技とは?
常に一定の風が吹くような攻め。

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1月13日、大阪府剣道道場連盟


初稽古と新年互例会
着替えたが稽古はしなかった。元に立つのはまだ無理っぽい。
で、佐藤誠先生と森文男先生の稽古を看取り稽古。
これはこれで大変勉強になる。



宴会では両先生から貴重な話をいくつも聞かせていただいた。
少し迷いが吹っ切れた気がする。

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1月17日、長正館剣道稽古


基本稽古の時に、摺り上げ技を指導。
摺り上げてから足を動かすのでは無く、足を動かしながら摺り上げる。
足は右足を出すのではなく、左足で身体を前に押し出す。そしてすぐ引き付ける。
理解はしても、なかなか出来ないのが当たり前。だから稽古を重ねていく。

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1月18日、木曜会(誠先生の剣道教室)


自分の打ち間に攻め入るのが難しい。
ワザとらしいのも、力づくなのも駄目である。

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1月20日、往馬玄武会


安藤先生がお休みだったので指揮を取る。
木曜会のおさらい稽古中心。
思いっきり動いたら疲れてしまった。午後から忙しいのに。

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1月20日、長正館一刀流稽古


仕事を片づけ、13時半に近鉄奈良線枚岡駅で待ち合わせて枚岡神社参拝。



17時より大太刀組と古伝組とに分かれて稽古。
初心者のCさんは一ツ勝の仕方を繰り返し繰り返しやらせてみる。
古伝は、大太刀、三重、九太刀、折身の五本(五点)など、順調に進んでいる。



夜は近場の焼肉屋で宴会。
大野先生と向かい合わせで飲み放題を楽しんだ。

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1月21日、大阪剣道同好会


伊丹の修武館での初稽古。
稽古後は白雪ブルワリーレストラン「長寿蔵」で宴会。
二日酔いだったが、飲んでるうちに調子が戻ってけっこう大酒してしまった。

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1月24日、長正館剣道稽古


自分の打ち間に入る事の難しさ。
入るにしても、怖々(こわごわ)入ってしまっている。

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1月25日、木曜会(誠先生の剣道教室)


じわじわと入っての攻め打ち。
触刃からズバ~と入って(距離的には近間)からの攻め打ち。あるいは返し。
じわじわじわじわ入って近間になってしまうのは駄目。

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1月27日、往馬玄武会


木曜会同門の伊藤さんと永岡さんが毎回参加。
伊藤さんに技が通用しない。ズバ~と入られ打たれること多し。
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能登の軍艦島(見附島)の崩落

2024年01月16日 | つれづれ


石川県能登地方の景勝地として知られ、その形から「軍艦島」とも呼ばれる
見附島(同県珠洲市)の一部が能登半島地震の影響で大きく崩落した。
2022年の最大震度6弱、23年の最大震度6強の地震でも一部が崩壊したが、さらに拡大。
地元住民は衝撃を受けていた。
見附島は珠洲市の海岸近くにある小島で、最高所の標高は30メートル近くになる奇岩。
今回の地震後、船首と船尾に当たる部分が崩落し、土砂が周辺に積み重なった。
見附島を見に来ていた同市の小木勇希さん(42)は「子どものころから見慣れた景色が別物になってしまった。
これまでの地震でも崩れていたが、今回の被害は比べものにならない」と話した。

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軍艦島を始めて知ったのは高校2年の終わりの昭和48年(1973年)3月だった。

前の年の修学旅行の仲間7人のうち5人と、1年後輩の1人、計6人で、
奈良から能登半島に向けて旅行しようということになった。
片道約500キロ。

3人は50ccのバイク2台+自転車、あとの3人は電車。

満足な地図も、携帯電話も無い時代。
確か時刻表と、授業で使ってた日本地図帖が頼りだった。
2組(自転車は同じ道だが早めに出発したので実質3組)が、
行き違いをする事も無く、途中で落ち合い、旅を続けられたなあ、と今から思えば不思議でもある。

金など無いのでバイクにテントを2つ積んで走った。
3月の北陸がどんな天候なのかも調べず今から思えば無謀すぎる旅だった。
もう半世紀以上も前のことである。

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(金沢駅前にて、商業車の原付、ヤマハFB50)


(金沢城前で、左は吉澤君)


(東尋坊で、自転車の塩浜君と吉澤君)

雪混じりの雨が降る過酷な旅だった。
防寒具など無く、セーターの上に薄いウィンドブレーカーを2枚重ね着していただけ。
ともかく寒くて寒くてずっと震えてた。下着も手袋もぐっしょり濡れた。
驚くべきことに、私は雨具さえ持ってなかったのだ。
2枚重ねのウィンドブレーカーは無力過ぎた。

今なら絶対にやらない。


(威風堂々たる軍艦島)

この時に出会った軍艦島は高校生の私にとって衝撃的だった。
いかにも日露戦争当時の戦艦を思わせるその景観は軍艦好きの私の心を揺さぶった。
当時は観光化もされず、簡単な案内板があった程度だと記憶している。
威風堂々たる軍艦島。

軍艦島の正式名称が見附島だと知ったのはずいぶん後のことだ。

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宿泊はテント、金沢駅泊のあと、能登では珠洲駅前の食堂兼民宿に2泊だか泊めてもらった。
後輩の親戚の経営だったので好意で宿泊費を無料にしてもらったのだ。

禄剛崎の灯台。
大多数はバスで行ったが、私は起きれなかった。
連日ずぶ濡れで走って風邪をひいたんだと思う。
禄剛崎の灯台に行けなかったのがずっとずっと心残りだった。

帰りは金沢駅泊、最終は琵琶湖の湖岸泊。
真っ暗闇の中でテントを張り、そこらの井戸で水を汲んだ。
井戸水は鉄のニオイと味がした。
赤い井戸水。真っ暗だから飲めたと思う。

で、2007年にバイクでリベンジ。

下はその時の軍艦島。
バイクはヤマハSR250.



2007年のバイク旅行は自分のサイトに旅日記として書いた。
http://makom.my.coocan.jp/makom/kakurega/bike/SR250/touring/2007/2007noto.htm

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2009年には夫婦で車で行った。





2007年も2009年も、泊まったのは珠洲市の谷野旅館。
谷野旅館のおかみさんに聞いたら、廃線になって、珠洲はすっかり寂びれてしまったとの事。
多くの食堂や旅館は廃業されたらしい。

今回の地震で思い出の軍艦島が壊滅してしまった。
形あるものはいつか滅びるとわかってはいるが寂しい限りである。
何かしらの支援募金をするつもり。

現在、珠洲の谷野旅館も周辺の民宿も宿泊は出来ない。
復興したら、必ずまた、能登に行こうと思う。
変わり果てた軍艦島もしっかり見て受け止めよう。
ともかく、がんばれ、能登。
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どうでもよい話

2024年01月12日 | つれづれ
その1)側溝

(写真はイメージです)

昨年最後の木曜会、12月21日。
この日も有意義な稽古で終わった。充実した気分だ。
撮影機材など入れた重い防具袋と竹刀と木刀を担ぎ、車まで行ったのだ。
前から回ると狭いので、後ろから回り込んだ。
学校の照明は消え、真っ暗な中で、側溝の上にある金属板が薄ぼんやり見えている。
まずはその上に右足を乗せ、続く左足を踏み出したのだ。
側溝の上にはフタが続いていると思っていたのだ。
左足は深い側溝に落ち、右足の膝を側溝の角で思いっきりぶつけてしまった。
涙が出るぐらい痛かったが男は我慢と運転して帰ったのだ。

12月27日の長正館の稽古では大丈夫だった。
12月30日の餅つき、31日の大みそか、元旦の自宅で飲み続け、
1月2日の実家で久々に大酒をかっくらってしまった。

それが原因か、膝が妙に腫れぼったく痛んでいる。
3週間も経過したのに、右膝を着くと激痛が走る。歩行に支障は無い。
おそらく膝の皿にヒビでもあるのだろう。
昨夜が初稽古だったがやはり痛い。
痛みが増すようであれば医者に行く予定。


その2)羽毛布団

(写真はイメージです)

昔から軽い布団って好きじゃなかった。重ねて重く使うのが好きなのだ。
でもあまりに寒いので、三男が家を出る時に置いて行った羽毛布団を使ってみた。
生まれて初めての羽毛布団だ。
おお、なんて軽いんだ、なんて暖かいんだ、暑いぐらいだ・・・
と驚いた次第。


その3)迷惑電話


電話番号は公開しているので勧誘の電話は毎日のようにある。
たいていは「興味なし」と言ってガチャ切りすると二度とかかって来ない。

さきほどのは計7回?かかってきた。
「蛍光灯をお使いですか?」
「はい」
「LEDに交換すると政府の補正予算が・・・」
「興味なし」と言ってガチャ切りした。

すぐまたかかってきた。
最初と同じように「補正予算が・・・」と言ってる。
面倒なので、受話器を放り投げておいた。
しばらくして切れたようだ。

数分後にまた掛かってきた。
おお、根性あるなあ・・と、また受話器を放り投げておいた。

それから2回電話があった。
着信拒否ボタンを押したら、違う電話番号でかかってきた。

「電話じゃわからんから営業マン、ここに寄越せ」
「私は何もそのようなことをお伝えしてるわけではありません」
「説明しに来いと言ってるんよ、どうするん?」
と言ったらガチャ切りされた。

5分後にまた別の電話番号からかかってきた。
受話器を取る前に切れた。
根性あるなあ。

ヒマな時期なら、話を聞くだけ聞いて遊んであげるつもり。

最初に名乗ったのは「ESサポートセンター」という会社名。
合計3つの電話を使ってきたが、さらに複数の電話、会社名を使っているらしい。
いずれもLED照明器具の押し売り販売である。注意されたい。

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以前も同じような事があった。
2回目の電話で「いいんですか?契約の件ですよ・・」と言い始めた。
おやまあ、知らない間に、何かしら契約でもしてしまったのかと勘繰った。
「契約うんぬんと言うなら説明を聞きたいから来てくれ」とした。

オペレーターは女性だが、来たのは男性の営業マン。
電話での無礼、話の矛盾を指摘して、さんざん説教したら謝って帰っていった。


その4)浴槽の交換

(写真はイメージです)

家の浴槽がボロボロになってきた。
塗装が浮いてきたのだ。汚れてもいる。
浴槽だけ交換できないか・・と適当に業者を探して見積もってもらった。
すると、TOTO製だが、すでに交換できる同じ大きさの浴槽は無いそうだ。

念のため、別の業者にも見積もりをお願いした。
ユニットバスなので、全交換となると100万円はかかると言う。
再塗装は簡易で費用は20万円ぐらい。でも10年ぐらいの寿命だろう。
金は無いし、今のでも使えないことは無いし・・・

さあてどうするか迷っているところ。
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今朝の「月ちゃん日向ぼっこ」

2024年01月09日 | うちの猫の写真
月ちゃん、寒いので、陽のあたる場所を探して日向ぼっこしてます。
次男の携帯電話での撮影。可愛いので紹介しますね。













下は私の撮った星ちゃん(ちょいピンボケ)

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1月2日 実家での集まり

2024年01月03日 | 剣道・剣術
餅つきに続いて、こちたも4年ぶりになるのかな?
久々に親族が集まり、長時間(6~7時間)もの宴会になった。
集まるのは母方、扇田家の風習。爺さん(扇田善次郎)が大の宴会好きだったためだ。

途中で帰る者もいたし、あとから来た者もいるので集合写真は2回(各3枚で計6枚)写した。







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いやはや、よく飲み、よく話した。
ともかく、ず~~~~と、飲み続けたのだ。

おかげでこれを書いてる本日3日は二日酔いで少々調子が悪い。
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謹賀新年(2024年1月1日)

2024年01月01日 | つれづれ


ご心配をおかけした蜂窩織炎(ほうかしきえん)も1年以上が過ぎ、
実は完治はまだですが一刀流剣術をメインに剣道稽古も復帰しつつあります。

年相応に仕事も遊びも武道も、無理せず健康に過ごしたいと考えております。
今年も、皆さまにとって良い年でありますよう願っております。






(元旦 自宅前で)

今年もよろしくお願いします。

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