稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№134(昭和63年3月15日)

2020年11月25日 | 長井長正範士の遺文
私は今も尚、漢文が好きですので、今どきの、はやりの文章はどうも性分に合いません。やはり私共の時代は過ぎたのでしょうか。

それはともあれ、近年、益々外国用語が日本語の中に入り込んで、中にはすっかり日本化され、老いも若きも何等抵抗なく取り入れ、話をしたり、書いたりしていますが、日本も国際化するにつけ、比類の片仮名で書いた英語まじりの文章や、テレビの話など、ディクショナリーを片手にしなければ解しかねるところが次第に増えて来て、時代におくれてはならじと、忙しい毎日を送っております。以前買った現代用語の辞典が役に立って来ました次第。こんなことなら、中学時代もっと英語を勉強しておけばよかった、と今になって後悔しています。

さて前にさかのぼりまして、松本教授が魚について話されましたことを書いておきます。「魚は(音=ギョ、訓=ウヲと読む)生きて、およいでいるのを、ウヲというのが本来の意味でありますが、これをとって料理したものはサカナと呼ぶのです。ですから、サカナがおよいでいる、というのは正式には間違いなのです。然し、通常、魚をサカナと言って、世間では通っていますので、いちいち間違いだ、と言う必要もありません。ただ、サカナとは、もっと広い意味があるものです。本来は酒菜(肴)=酒を飲む時に添えて食べるもの(アテ)で、必ずしも魚を料理したものとは限らず、菜っぱの炊いたものでも豆腐でも何でもすべてサカナというのです。又、飲み乍ら芸人などに何かやって貰い、それを見て、サカナとして楽しむ等、すべて含むわけです。」と、以上大変理くつっぽくなりましたので、魚へんの字の魚の名前をついでに書いておきましょう。

これはよくあちこちで書いてあるのを皆さんも充分ご承知のことと思いますが、何んとうまく当てはめて書き表わしたものだと感心するばかりです。その前に、漢字には漢字を作るもと、即ち成立及び使用に関する六書(リクショ)を先に述べておきましょう。これは、象形文字。指筆文字。会意文字。諧声文字。転注文字。仮借文字。の六つの種類があります。これを六体(リクタイ)とも言います。この六つを説明しておきましょう。

(以下、テキスト化不可能なので下図になります)



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№133(昭和63年3月12日)

2020年11月21日 | 長井長正範士の遺文
新語部門
金賞:「マルサ」伊丹十三・宮本信子
銀賞:「JR」杉浦喬也(国鉄清算事業団理事長)
銅賞:「第二電電」森山新吾(第二電電社長)
表現賞:「サラダ記念日」俵万智(ベストセラー歌集)
    「朝シャン」資生堂セールス商品事業部
流行語部門
金賞:「懲りない〇〇」安部譲二
銀賞:「なんぎやなぁ」辛坊治郎・森たけし
銅賞:「ゴクミ」後藤久美子(美少女タレント)
大衆賞:「マンガ日本経済入門」石ノ森章太郎
    「ワンフィンガー・ツーフインガー」村松友視(ウイスキーの量)
    「サンキューセット」勝田 田(日本マクドナルド社長)
特別部門
特別功労賞:「“国際”国家」中曽根康弘
特別賞:「鉄人」衣笠祥雄



流行語部門の金賞は、刑務所体験を描いた安部譲二氏の小説「塀の中の懲りない面々」から、地上げや財テクに狂奔する現代人の姿を連想させる「懲りない〇〇」が、特別部門は中曽根前首相が繰り返し発言した「“国際”國家」、連続試合出場の世界記録を達成して引退した広島カープ、衣笠選手の代名詞「鉄人」と、それぞれ表舞台を去った二人に関する言葉が生まれたのです。朝のシャンプー(モーニングシャンプー)を縮めた「朝シャン」、ノッてるかと思うとサメている新人類サラリーマンの特徴を表現した「ノリサメ」などがピンとくる人は、流行語感覚のサエている人。日本一から一転して最下位に落ちたタイガースに、ファンのテレビリポーターが、ため息まじりにぼやいた「なんぎやなあ」には同感の声も・・・・。

〇又“業界用語”というのが、どこの世界にもあるようです。政界にも、マスコミにも、ヤクザの世界にも。その分野や職域だけに通用する独得の言葉や、言いまわしや、符丁などで、たとえば「先生、ご案内のように・・・」というのは霞が関官庁街周辺の気になる業界用語の一つと言えましょう。「ご案内」とは、ご存じや、ご承知というほどの意味で、それだけなら、さして奇妙ではないですが、この業界用語には、「内情については先刻ご承知でありましょう。この問題でヤボなご質問などして下さいますな」というニュアンスがあり、先手をとって質問を封じてしまう、けん制球的な高等戦術だ、と解説する人がいました。

今、日本国中を悩ませている業界用語は、竹下語録といわれています。『お一人お一人の努力の積み重ねでありまして』『幅広くご意見をうかがいながら』『汗をかいて、粛々とやってまいろうかなと、考えております。』など、本音をみせぬ、ぼかしの手法は、竹下首相一流の政治スタイルでありましょうか。その点、昔漢文を習っておりました時代が、なつかしく思い出されます。中学時代、漢文の先生が、「鬼(オニ)ト会ったら帰れ」と読み方の基本を明快に、「何々ヲ」「何々ニ」「何々ト」読んだらその字の上にかえって読むんだ、と板書きされたのを見て、何んと漢文は面白い読み方をするんだな!と初めは思っておりましたが、だんだん、と簡にして要を得、ずばり心よく判る漢文に魅力を感じ好きになったものです。続く
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№132(昭和63年3月10日)

2020年10月28日 | 長井長正範士の遺文


〇次にもう一つ古い笑いばなしを書いておきます。これは“蝦名違い。”と題して道話にも載っています。

ある迷信家が元日の朝、屠蘇、雑煮も目出度く祝い、さあこれから廻礼に出かけようと、ひょいと門前を見ると、一人の子供が、オイオイと泣いております。彼は「めでたい元日の朝、所もあろうに、門前で泣き顔を見るとは縁起がわるいわい」としょげておりましたが、ふと思いつき、近くのお寺の坊さんの所へやって来て、ことの次第を話致しますと、お坊さんはニコニコしながら『縁起悪いどころか、そんな目出度いことはない。今年は福の神が舞い込んで来たのじゃよ。

よく聞きなさいよ。“七福に、貧乏神が追い出され、門の所で、わいわいと泣く。”と、どうじゃな目出度いじゃろう』と言われたので彼は「なるほど」と大いによろこんで廻礼をすませて、女房に声はずませて、「おい!今日はめでたい。元旦から縁起が良いわい。実はこれこれ、しかじかで、和尚さんの所へ行くと、さすが和尚さんはえらい。“七福が貧乏神に追い出され、門のところでわいわいと泣く”と即座に詠まれた。どうだ!目出度いではないか」と。

これを聞いた女房は「何です、七福が貧乏神に追い出され、ですって、それがどうして目出度いんですか、馬鹿馬鹿しい」というので彼も、「なるほど、そう言えばそうだ。ちっともめでたくねえ。あの和尚め!元日早々から俺を馬鹿にしやがって」とプンプン腹立てて、寺にかけつけ「今朝の歌はちっともめでたくねえ」『目出度くない?七福が貧乏神に追い出され、門のところでわいわいと泣く・・・何んと目出度いことではござらぬか』と、聞いてみると、なるほどめでたい。

「いや、女房のやつめ、勘違いをしていやがるわい。どうも有難う」と言って、飛んで帰り、「やいやい、やっぱりめでたい。お前が間違えている。七福が貧乏神に追い出され・・・」『何ですって、七福が貧乏神に追い出されるって?あんた、どうかしてるよ』「はてな?お前のいう通り、よし、もう一度お寺に行ってくる」と。三度めに寺の門をくぐったが、今度は念のために紙に書いて貰いました。そこで始めて“七福に”とあるべきを“七福が”と勘違いしていたことがわかりました。

以上、このようなことが、日常生活でよくあることですが、此頃は助詞の使い方が間違ったり、日本の言葉づかい、そのものが間違いだらけで、ひとかどのアナウンサーが、堂々と間違った言葉でしゃべっているのを聞くと、日本語も乱れた!と嘆かざるを得ないです。特にここ数年、おびただしい新語・流行語のラッシュで、われわれ年寄りは、新語・流行語には、何だか馴染めな淋しさを感じる今日此頃です。

例えば、「新人類」、「知的水準」。「亭主元気で留守がいい」、「激辛」、「やるしかない」、「バクハツだ!」等、又、今は忘れかけていますが、「イッキ、イッキ」、「トラキチ」、「私はコレで会社をやめました」等、テレビではやったものでした。然し、ヤング達に流行した会話に「とか」と、文章の止めの「××したりして」があります。「ネコもしゃくしも、めったやたらに愛用したりして。日本語文章の乱れや破壊というほどではありませんが、テレビを見聞きしていると、いやになります。去年の新語・流行語で、自由国民社から発表された中に、国税査察官の活躍をとりあげて、ヒットした映画「マルサの女」から、査察を意味する「マルサ」が新語部門の金賞であったらしい。又、流行語部門、特別部門を写しとっておきましたので、次に書いておきます。時代を知るために参考になるやも。続く。
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№131(昭和63年3月8日)

2020年10月13日 | 長井長正範士の遺文


自分では「シ」と書いているつもりでも、他人から見れば「ツ」と読めるのである。無意識のうちに、このようなクセがあらわれるので、クセ字を書く人は、いまのうちに徹底的に訓練して、正しく読んでもらえるような文字を書けるようにしなければならない。

次に、文末の「。」の打ち忘れや、文中の「、」の位置を、いいかげんに打っている答案も少なくない。「。」や「、」を正しく打つことも、答案づくりでは大変に重要なポイントなのである。このようなことは、たいしたことではないと思っている生徒も少なくないだろうけれども、入試では、これらはすべて減点の対象となる。とくに英語の問題では、文末のピリオドや「?」の書き忘れは大幅に減点される。日本語が正確に読み・書きできないようでは、英語でも、このような書き忘れが起こるのである。文字の下手な生徒は、小さめに書くと、きれいに見られる。もちろん、あまりにも小さすぎて読みづらいというのでは困るから、そのことも考えながら、やや小さめに書くことをすすめたい。エンピツはHB、少し濃いめの方が書きやすいし、読みやすい。硬くて、薄いエンピツを使っている生徒諸君は、このさいHBに切り替えてほしい。薄い文字は読みづらく、採点をイライラさせる。

京阪神の私立高校のほとんどが、二月十五日に入学試験を実施する。この季節は一年中でいちばん寒い時期である。数多くの生徒がカゼなどをひいて体調を崩し、日ごろの勉強の成果を十分に発揮できず、不幸な結果を招いている。どうか、入試まではカゼなどひかないよう十分に気をつけていただきたい。カゼだけではない。きびしい寒さの中で、コンディションをととのえるために、外出先から帰宅したらウガイを励行し、手を洗うなど、病気にかからないための注意を怠ってはならない。これも受験勉強のひとつなのである。ここでもいえることだが、ダイタイ人間は自分の健康管理にも、そんなに気をつけず、試験当日、鼻水をながして受験する。これでは持てる力をフルに発揮できるわけがない。これから入試まで、体調をいかにしてベストな状態にととのえていくか。これはキミに課せられた大きな試練といえよう。
以上をわれわれの“剣道”に置きかえて反省してみるに、なるほどと教えられるのであります。

〇次に笑うに笑えぬ電報文を紹介しましょう。
東京の大学へいった息子から親元へ電報がきました。「金をくれた飲む」と親爺は読んでびっくり、誰からか知らんが、金を貰ったからといって飲むとは学生のくせにけしからん。とおこって早速返電を出しました。それには「誰くれた飲むな」と書いてあったので、息子はそこでハッと気がついて、再び打電しました。“カネオクレ」タノム”と」を入れました。」の一つを段落を省いたがために、とんでもない誤解をまねくものです。

又、ある旅館の玄関に、ひらがなで書いた注意がきに、“ここからはきものををぬいで通って下さい。”とあるので、これを見た妙齢の和服のお嬢さんが、真赤な顔して恥ずかしそうに、そこでもじもじしておりますので、案内人は、どうかされましたか?と心配顔で近寄ってきましたところ、“でも、ここからは着物をぬいで通って下さいて、書いてあるもん。わたし、どうしよう。”と答えましたので、案内人は平身低頭しておわびし、“ここから”の、らの右下に、句点「、」を入れて、スリッパを出して奥の間へ案内したという話です。続く。
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№130(昭和63年3月8日)

2020年09月12日 | 長井長正範士の遺文


〇句読点について
ここで改めて、おさらいしておきましょう。句は文中で、ことばの切れる所。読(トウ)は句の中の切れ目に点をつけて、読むのに便利にした所。句点には「。」読点には「、」をつけますが、わが国の文章には欠くことの出来ないもので、若しこれをつけなかったら大変読みずらく、又あやまった解釈をされることもあります。ここに笑うに笑えぬ昔の有名な話がありますので、次に書いておきます。

一代の浄瑠璃作者、近松門左衛門の所で、心安い珠数屋が訪ねて来た時、門左衛門が、たんねんに、自作の浄瑠璃の文に句読点をつけているのを見て、「漢文でもあるまいに、読めば誰でもわかりそうなものを、さてさて余計な手数をかけることじゃ」と、さもおかしそうに、つぶやいたものです。近松は、これを聞いて別に気にかけるふうもなかったが、数日たって、数珠屋に“ふたえにまげてくびにかけるようなじゅず”をこしらえて貰いたいと手紙で註文しました。数珠屋は承知したと、早速作ったのは、二重に曲げて、首にかけるような、ずいぶん長い数珠で、念を入れて作ったので、見事な出来ばえでした。

使いの者に届けさせると、門左衛門、一見するなり、手にもとらず、「折角だが、これは註文書と違うておる。主人に申して、是非とも註文書通りの品を届けて貰いたい」との挨拶でした。使いの者は帰って、主人にそのまま伝えると、主人は不審に思って、もう一度注文書をよく見ると、やはり間違いないので、主人はかんかんに怒って、証拠の註文書を握って、「あんたが註文書を、じきじきに書かれたくせに、品物にケチをつけて返されるとは、もっての外でございますぞ」と註文書をつきつけました。

ところが門左衛門は落ち着いたもので、『まあ気を落ち着けて読んで見やれ、“二重に曲げ、手首にかけるような珠数”と、ちゃんと註文してある筈じゃ、二重に曲げて、首にかけるような長いものは、巡礼でもござるまいにし、不要じゃ、不要じゃ』と突っぱなしました。主人は、そこではじめて、句読点の大切なことを悟って恐縮したという話です。

次にこの句読点の近代版を申し上げます。昭和63年1月13日(水)の大阪新聞に清風高の校長、平岡英信先生が、“正確に書こう「カタカナ」。”“間違いを正し、クセ直せ。”“句読点忘れは減点の対象。”という題目で、受験生諸君へ、いまから伸びるためにと、大切なことを載せられましたが、大変勉強になりますので、謹んで転載させて頂きます。

“入学試験の答案を見ていて、気づいた点を二、三あげておこう。最近の入試では、記号で答えさせる問題が目立つ。ところが記号としての「カタカナ」が正確に書けていない答案が多いのに驚かされる。例えば「アとマ」。「カとヤ」、「シとツ」、「ヤとア」、「ンとソ」、「アとヌ」、「スとヌ」など、実にまぎらわしい「カタカナ」が多いのだ。

入試の採点者は、これらの文字を善意には判読してくれない。「カタカナ」が正しく書けないというのは入試では、致命傷となるだろうが、これは単に試験だけのことではない。将来、社会に出ても大変に困ることがおこる。だから、このさい「ア・イ・ウ・エ・オ」は正確に書けるようになってほしい。「ア・イ・ウ・エ・オ」の「カタカナ」を一覧表にして、先生やご両親に見てもらい、間違っているところは正しく覚え、悪いクセを直してもらいたいのである。文字の書き方で、悪いクセがしみ込んでしまうと、知らず知らずのうちに、そのクセが出る。

以下続く
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№129(昭和63年3月8日)

2020年08月26日 | 長井長正範士の遺文


〇私は剣道関係の書籍類は別として、古書を紐解いたり、日本の近代史を勉強するのに必要なディクショナリー(字引く書也)=辞書を、すぐ手の届く棚において常時私の師としています。これは皆さんと同じと思いますが、一応主だった辞書を挙げますと、

1)新英和大辞典 昭和2年 研究社発行 岡倉由三郎先生主幹(昭和3年春、奈良県立畝傍中学入学時購入。定価6円5拾銭也)
2)漢和大辞典 昭和14年 博文館増補版。定価参円八拾銭。
3)廣辞苑 昭和30年 岩波書店 2300円。
4)古語辞典 昭和40年発行 800円也。
5)現代用語の基礎知識 昭和57年 自由国民社発行。別冊付録共 1900円也(大変安価)

以上、五冊を中心とし、その他、一寸忘れた字など手近かに索引するため、之等辞典のコンサイス形式の中、小辞書や、世界新語辞典。暮しの中の外国語を始めとして毛筆辞典。変体仮名帳。五体字類 昭和52年、東京、西東書房発行、定価参阡円也。〇私のコマーシャル・・・お持ちのない方はお求めお薦めします。ためになる。他に書画骨董書、哲学、四書五経、文庫等で書斎をにぎわしております。ただ惜しむらくは、国士館時代(昭和8年-12年)に神田の古本屋をあさって、(当時余り読みもしないのに)貴重と思われる和漢書の数々を買い求めて持っておりましたが、敗戦後、生活の資に一部高価に売れることをよいことに、売却したり、知人に貸してやった本など、戦災に会い、今は大半なくしてしまったことを残念に思っております。折りにふれては、古本屋を廻り、たまに思わくの本がありますと鬼の首をとったようなよろこびです。でも前後売った値よりも何十倍もする高価に二度びっくりです。今にして思えば馬鹿なことをしたと悔やまれてなりません。然しお金にかかわらず、これからも昔の本を何とかして、とりかえしたいと思っております。以上、私ごとのことを申し上げて恐縮でした。又、文の本論に入ってゆきたいと思います。

〇国士館時代、私の尊敬する漢学者、松本洪教授が、いつか授業時間に次のような興味あるお話をされました。(以下先生のお言葉・・)
皇居の土手に立札が立っていた。よく見ると“この土手に登る可からず”と書いてあるので、わたしは早速下駄を脱いで、その土手をよじ登っていこうとしたらところ、皇宮警察官が見つけて、「コレコレ!貴様何者だ、そこの立札に何んと書いてある?読んでみろ」と、えらい見幕で怒鳴ったので、わたしはハイハイと言って、立札の字を読んで、警官に『わたしは漢学者の松本という者だが、今読んだ通り、この土手に登る可からず。ということだから、わたしは、この土手に登ることは出来ない、可能でないと解釈をして、登れるか、登れないか、一度試してみようと思って登りかけたんだよ』と言うと、その警察官が「何ッ!屁理屈言うとる。そうではないんだ、この土手を登ってはいけない、と書いてあるではないか!」と言うので、わたしはおもむろに『なるほど、貴方が仰る通り、わが国では、可からずは、べきでない→いけないと解釈しているから、みんなそう思っているし、又それが常識として通用しているが、本来の意味は、わたしが解釈した通り、可=可能=出来る、が漢字の真意なので、貴方がいけないと言われるなら、もっとはっきり禁ずと書くべきです。これはわたしの名刺です。早速上司に伝え、善処して下さい。』と言ってそこをひきあげた。警備の者は唖然として私を見送った。その後、立札は全部“禁ず”に書きかえられたそうです。それ以来、またたくうちに“可からず”を“禁ず”又は“禁止する”というようになった。と、こんな話を聞きました。一寸面白い話なので、今尚頭の中に残っています。以上
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№128(昭和63年2月25日)

2020年08月18日 | 長井長正範士の遺文


タ行はサ行の神に対して人間独自の科学性です。
タは生活の気異本で田です。他も人也で必要なもの、体、胎、態、胆、誕、炭などです。チは地、血、乳で、それなしでは生きられないもの。又、生きるにはそれを知ること、智、恥、知です。ツは津の液、津々と溢れる液体、目に涙、口に唾、まじりけのない精液、つまり代用品がない、あるいは、他のもので間に合わないものが、痛、面(ツラ)、尽付、頭など。テは手。ずばり人間独自のもの、それに関連して、貞、帝、哲、伝などが属します。トは戸、土、都で、人間にとって大切なもの、陶、湯、稲、豆、藤、頭、悼、灯、刀、努など。時には吐も大切であり、“堵に安んずる”暮らしは大切です。

ナ行は軟で、やわらかで、近松の軟派文学の主人公は男と女(なんにょ)であります。
以上、今のところ、ここまでしか追求しておりませんので、一覧表に仕上げるところまで煮詰めていませんが、皆さんも折りがありましたら、つれづれに研究されると面白いと思います。

さて面白ついでに申し上げますと、この五十音図を検討しておられるお方があります。その方はナ行で切って五十音を二つに分けると面白いとアドバイスをしてくれました。
ここで分けると、笑いの文字が出てくるというのです。アハハ、イヒヒ、ウフフ、エヘヘ、オホホと、ア行とハ行とを組み合わせると、笑いの声になります。人間の笑いの中には意味があります。アハハは豪快で何も屈託がないから、疑う余地がありません。ほがらかに笑っているのですから、あの人はいい人だとすぐわかります。イヒヒと言われると、いろいろ考えさせられる。なんであの人が笑っているのかという疑問が、この笑いの中にあると言われます。又、ウフフと言われると、何か腹黒いところあるのと違うかな、と思います。エヘヘ、オホホと笑われると、バカにされたようで、笑いながらも、笑いがどこかに消えるような、そういうイメージを受けるものです。・・・・とうまいこと表現されて、誠にほほえましく感ぜられます。

◎永字八法のこと。私の小学校五年、六年の時に習字の大変上手な遠藤という先生に特別に習字を習ったものです。流儀はメイカク流で、丸みのある大らかな筆勢の字でした。その頃わけのわからぬまま、永の字を毎日よく書かされたものです。今日、これを懐古して、なるほど、たいがいの字の筆のつかい方が、皆、これに含まれている事がよくわかり、私の忘備録をひもといて次に書いておきましょう。

〇筆の八方の名称

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№127(昭和63年2月25日)

2020年08月08日 | 長井長正範士の遺文


〇文武両道の文については既に№27でその習い始めは文も武も同じ段階をふんでいく事を申し上げ、又、№75では、私の家内が、数字は国語なり、国語は剣道なりと述べたのを発表いたしましたが、今を去る昭和59年7月18日に、№以外に半紙1枚に書きまして、皆さんの一部の方に差し上げましたものを、この№の中に入れて貰って、われわれもそれを読みたい、というご意向であることを承りまして、ここに改めて最近の私の感じています事などを含めて再録させて頂きたいと思います。了とせられよ。

〇さて戦前の“剣道は体得だ。百錬自得しかない。” と言って余り詳しい説明をされなかった。そして稽古に参加する者は自ら苦しみを買うて出て、人が一日何本稽古したから、自分はそれ以上稽古せねばと大いに努力修行したものでありますが、それはそれで大変よかったし、何事も真剣味を帯び、本当の鍛錬は己れに克つ剣道で最高でありましたが、戦後時代ががらりと変り、今やインスタント時代、情報過多時代となり、日本人は日本の事だけを考えているだけでよかった時代はとっくに過ぎ去り、地球は狭くなり、今や世界の中の日本の国、日本人はどうあらねばならぬかという大変むづかしい時代に突入し、今後益々国単位、いや亜細亜、ヨーロッパの関係から世界に眼を向けなければならないこの時代に、ただ「稽古をせよ」だけでは皆がついて来ないのであります。これには先ず指導者は何事も筋道の通った理論ずけが必要であり、“なる程”と理解し、納得しなければ、ついて来ない時代である事を目覚めなければなりません。之がため、今迄、再三にわたり、その時代、時代に応じた指導のあり方を研究して、未熟乍らも発表して参りましたが、尚、私の尊敬する多くの先生方のお智恵を拝借し、述べて行きたいと思います。

◎五十音図について申し上げます
ア行は生きものの感嘆詞です
アとか、エとか、これは全部の動物に共通です。犬や猫はア行の言葉で大体わかります。犬や猫は人間のペットとして密接に交流していますから、アイウエオの五字を主に使えばよろしい。例えばコラァーと怒鳴る時は、アにアクセントを強くしなければ通じません。然し野生の動物なら五字も使っていません。このうち一つか二つで充分間に合っている。小鳥はチィチィチィとチだけでやっています。人間にはチと聞こえますが、実際は、チではなく、イであります。ライオンはウォーと言うだけで、すべてわかっているのです。ウとオですべて解決しています。そこにアクセントさえつければ、すべてのコミュニケーションが出来ています。だから、ア行は生きものの共通語だと思います。

カ行は固いものばかり集まっています。
例えば、科、樫、干、幹、岩、木、棋、毅、釘、栗、堅、剣、結、骨、鋼、殻など、古い辞典を見ますというと、カキクケコという字にはどんなものがあるか、より出すと、いずれも固いものがカ行であることがわかります。一度見て下さい。

サ行は霊的なもの、不思議なものが集まっている。
サは人間では理解できないような、スピードで解決する人間の理解できない現象がある。作物が生長する。人間が大きくなる。これらは不思議でしようがない。これをサと言います。いわゆる神様的な神わざであります。だからサは神様だということです。シは死で生長の最終段階で黄泉の国のことです。スは為で、為るも動作、セも施こす動作、ソも動作、素は動作のモトです。そして「蘇」はよみがえるのです。これは全部辞典にでています。みな霊的要素を持っています。続く。
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№126(昭和63年2月23日)

2020年08月03日 | 長井長正範士の遺文


〇次にもう一つ、人間の心は次の三層からなっていると言ってよいでしょう。
1)頭→知識(記憶、思考)←頭の世界
2)胸→感情(喜怒、哀楽)←胸の世界
3)腹→意志(行動力、決断力)←腹の世界

以上申し上げました事をもう一度順序よく並べますと、
〇人間の心は自然の心、植物の心、動物の心、人間の心の四つのものが、混じっていると言い、次に孤の心と群れの心という二つの心が絡みあっていると言い、今前述しました“知識、感情、意志”というものが三つの層を作っているという事になりますと、一体どれが本心なのか、わからなくなると思いますが、一つの物体も違った角度から眺めてみますと、いろいろ違った形に見え、心そのものがよりよく、正確につかめるようになるものなのです。



さて、ここで考えなければならないのは、現在の家庭や、学校で行なわれている育児や、教育の様子をよく見ますと、左の図の⇓印に示してありますように、子供に知識や技術の材料を澤山に与え、教え、覚えさせると、子供は自分の意志で、きちんと行動が出来るようになるという考え方で進められているようですが、このやり方では、自然の法則に反した“狂育”になるのではないでしょうか。

なぜかと申し上げますと、孤の心は、“自分の思いのままに、自由に楽しく生きたい”というものでありますから、それがないと、楽しくないし、楽しくないと、“やる気”は出ませんし、従って目も耳も、口も手も、体のすべてが動かないし覚えようとも、考えようともしない、という自然の法則で人間は生きているものなのに、子供自身が求めてもいないし、やる気も起こしていないうちに、そばから“覚えなさい。習いなさい。やって見なさい。”と押しつけ迫るわけですから、子供は次第に自分の意志を無視され、不快感が大きくなり、それが、感情の方を波立て、イライラや、怒りを作り、やる気の出る意志には、“いやだ!やりたくない、やめた”などという方向の気が生まれ、そのような行動をとるし、肝心の知識や技術を覚えようとはしないし、折角覚えた知識や技術も使おうとしなくなるという結果になってしまうのであります。

そうではなくして、正しい教育を進める上で、一番大切なのは“意志”であり、意志の別名“やる気”なのだと腹の底から知っておかなくてはならないのであります。これはこの図の⇑印のように、子供の意志、やる気というものを大切にするように触れていると、子供は自分の考えを親や教師が認めてくれた、許してくれた、と満足し、楽しくなり、それが感情を落ち着かせ、“よし、やったろう”と行動を起こし、目的の物事にぶっつかって行くものです。そしていろいろと自分で工夫し、いろんな失敗を重ね乍ら、知識や技術や才能といったものから、人と人との正しい触れ方や、生活の正しい習慣などを頭や体に楽しく覚え込んでいくし、今迄に覚えた知識や、技能などを、どんどん楽しく使い伸ばしていくものです。

私(長井)は以上の観点から、ただ道場内の少年剣道指導だけでなく、本人孤孤の性分を他方面から観てやるため、演芸会をやり(親子混じえて)本人の新しい面を見つけ、剣道は不器用だが、こんないい所があったのかと発見し、その良い点を剣道に生かして指導しております。やる気を起こし、剣道をやめず、続けてやろうとよろこんで、浮き浮きした顔で、下手乍らもやっている姿を見て、ああ、よかったと陰でそっと眼がしらを拭うのです。本当に子供は可愛いいものです。ご参考まで。この項終り。
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№125(昭和63年2月20日)

2020年07月29日 | 長井長正範士の遺文


〇心については№61、62等に述べましたが、もう少し視野を広めまして№38、39、40にわたり日本保育科学研究所長の河合月海先生の「少年のやる気」のお説を書きましたが、引き続き先生が心について、専門的立場からお述べになっておられますので、少年剣道指導に携わっておられる皆さんに参考になると思います故、次に書いておきます。

〇生命を作り動かしているものは心である。ことについて、
心の見方にはいろいろありますが、先ず私達人間の心は四つのものから成り立っていると見てはどうでしょうか。図のように、中心部にあるのは「自然の心」。それを取り巻いて「植物の心」「動物の心」「人間の心」があり、この四つの心を人間がひとまとめにして持っていると言えます。例えば内臓を動かし呼吸をさせ、消化呼吸をし、血液を循環させ、体温を保ったりしてくれているのは「自然の心」と「植物の心」が主となっています。腹が減った、何か食べたい、水でも飲もうか、と手足を動かして動作するのは、主として「自然の心」と、「動物の心」が担当し、明日の事を考えたり、道具を工夫して作ったり、泣いたり、笑ったり、話したり、読んだり、書いたり、計算したり、と言った行動をさせているのは「自然の心」と「人間の心」とが担当しています。こう言うと、「どの行動にも、“自然の心”というのがくっついているのはなぜか?」と疑問を持たれるのではないかと思いますが、実は、植物、動物、人間のどの心も、みんな自然の心という根本の心から、木の枝葉のように伸び育ったものだからなのです。



子供の心を知り、人間の心を知るためには、何をおいてもこの根本の心である“自然の心”の形や性質を知っていなければなりませんが、それをひと口でいうと、“釣り合いたい”“安定したい”という形をしているのです。ですから植物の心、動物の心、人間の心も皆、バランスを取りたいという自然の心の原則をもととし、時、所などによって、いろいろと形を違えているだけなのですから、子供を育てるときには、心の釣り合い、体の釣り合いを崩さないということが最大の注意点と心得て頂きたいのです。例えば、活動と休息、眠りと目ざめ、タベルト排泄、話すと聞く、ほめると叱る、緊張と弛緩、等の釣り合いを常にとることです。これを崩すと、反自然、不自然な育児になってしまいます。

〇次に挙げたいことは、人間の根本の心は“二つ”あるということ。
先ずその一つは自分の思うままに、自由に楽しく生きたい、という自愛心、これを狐の心と言われています。もう一つは、皆と一緒に仲良く楽しく生きたい、という、他愛心、これを群れの心と言われています。とかく人間はこの二つの心のうち、狐の心の方ばかりに目を向け、群れの心の方には無関心のところがあり、すべてこの狐の心だけを持って生きていると思い込んでおります。然し、この狐の心というのは木にたとえると、枝や葉の方に当り、群れの心という根や幹に当たるものに支えられているものなのであります。昔から、“村八分の刑”という刑罰がありました。これは最も残酷で極めて重い刑罰であったのです。即ち“村八分”というのは一人の人間をみんなで仲間はずれにし、群れから追い出し、一人ぼっちにしてしまう刑罰ですが、こうなると本人は生きる源泉である群れの心が満たせなくなり、生命の危険を感じ、恐れと怒りが起り、それがこうじて、猛烈な絶望の世界に落ち込ませ、その心の苦痛は肉体の苦痛の何十倍、何百倍にもなるからであります。以下続く
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№124(昭和63年2月15日)

2020年07月11日 | 長井長正範士の遺文


熱水の化学変化によって生まれた単細胞の生物が、その始まりだとか、隕石と共に宇宙から来たというような説がありますが、いずれにせよ、私達の生命のもとは、他の生物と共に、大自然の中で生み出された一産物と言えます。然も今日まで大自然の法則、摂理によって、他の動植物や自然と共に生かされて来たのであります。太陽や、空気、水などの大自然の恩恵が無ければ、命をつなぐことは出来ません。今、韓国の話題で持ちきりですが、その韓国のある方が次のように述べています。

「私達が毎日頂いている食物は、どれもこれも皆、生命のあるものばかりである。今日も食卓に並べられた魚や肉、それに野菜やご飯が私に向って『ワタクシノ、ニクタイト、イノチヲ、アナタニサシアゲマショウ、アナタハ、ソノ、ニクタイト、イノチヲ、ダレニアゲマスカ』と問いかけてくるのです。私はその遺言状の前に頭を垂れ、「わかりました。私もこの生命と肉体うぃ自分のためにではなく、人々のために捧げます」と、誠に心にひびく感動の言葉ではありませんか。

私達はこのように動植物の生命の犠牲によって生かされている事を思えば、食物に対する感謝の気持も自然に沸いてきますし、、決して自分の命を粗末に出来ないと思います。野菜などの植物類には、肉や魚のような生命感をさほど感じない私達ですが、作家の村山リウ氏は、かってあるテレビ番組で『観葉植物に水をやる時、人間の子供を育てるのと同様にやさしく声をかけてやると、不思議なくらい生き生きとしてくるのですよ』と植物の生命のあかしを実感されています。

曽て、私がタネや苗の店をやっておりました時代、折りにふれて、その季節のタネや苗をもって吉田先生が畑で作物を作っておられるので、持って行ってはよく話合ったものでした。吉田先生は『種を播くのでははない、タネを土にあずけるんだ。そしてタネは土に保護され、太陽と水の恩恵によって芽を出し育ってゆく。その愛らしさ、俺はそのタネや苗の成育と共に俺の心をそれ等に寄せ愛をそそいで作ると、ちゃんとそれ等が感じとり、俺の愛を感謝しつつすくすくと立派に育ってくれるんだ。

然し又一方、俺の余り好きでない野菜には愛情が薄く、冷たい態度で仕方なしに世話をしていると、その野菜はちゃんと心得て育ちが悪く病気にもかかり、又虫もついて、しまいには枯れてしまう。見るに見かねて俺は心の中で、すまんとつぶやいて鍬でけずって石灰をふりかけ消毒してやり、又新たに植えるんだ。もの言わぬ野菜だが、ちゃんと俺にものを言っとる。ここだ、大切なことは。』とよく言われたものです。

私達はすべての植物がもの言わず、黙々として生長し、大地に根を張っている姿を見て、それだけでよいのであろうか、じーっと静かに観てその植物の生長を愛をもって、いや愛だけでなく、むしろ植物のお陰で私達の命をささえてくれているんだという感謝報恩の念をもって植物の心と一体になるよう温愛の情をそそいで行ってこそ、この世に生を受けた人間としての資格があると思います。そして私達は又、実社会の多くの人達の尊い生命の犠牲の上に生活させて頂いている事を忘れてはなりません。例えば東京から博多まで1,170キロの新幹線敷設工事中に失われた人命は417人にものぼっていると聞いております。これ等の尊い命をかけてやって下さった公共施設のお陰ですべてが支えられている事に感謝せねばなりません。以上
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№123(昭和63年1月31日)

2020年06月25日 | 長井長正範士の遺文


〇健康について。
吉田誠宏先生が、いつしか言われた事を思い出しましたが、先生は私に『思想を救うのは健康である。そして人格の繁栄は生活につながるんだ』と言って聞かされたのですが、その当時はまだ六十才そこそこの年で余り気にもせず、又先生の仰ることがピンと来ませんでした。

然し七十過ぎて(大正四年生れです)此頃なる程そうだと感ずるようになり、鈴木健二アナウンサーが、いつも言われている「健康は自分に贈られる最高のプレゼントである」は蓋し(けだし)名言だと感じいっており、あと何年生きられるか、余生を意義ある生活を送りたく、この素晴らしい生命の尊さを有難く感謝している次第であります。そして今日あるは皆さんのお陰と絶えず念頭に抱いて報恩の道を歩みたく、之がため私が今迄ご指導頂いた恩師の教えを正しく学び自ら実行に努めると共に立派な古くから伝わる教えを後世に残してゆき度く(たく)、決して私だけ一人じめすることなく(一人じめすると私一代だけで終ってしまい、あと跡絶えてしまうのが大変心残りであり、大変な罪を犯したような気が致しますもんですから)世に伝える事が報恩の道を思って、生命ある限り書き綴って行きたいと思います。

さて健康については最近益々話題に上り大変結構な事と思います。フランスの哲学者、デカルトは『健康保持は、この世における第一の善である』と語っています。即ち自分の健康を守ることは道徳の基本であり、人間として最も大切な事なのであります。従って自分の不注意や、不摂生で病気をしたり、命を縮め、周りの人達に、つらい思いをさせる事は不道徳である。と。人間は生活のために生きるのではなく健康で価値ある人生を送るために経済活動をしている事を忘れてはなりません。

最近、少年が簡単に自殺しますが、何ものにもかえ難い尊い命を粗末にすることは絶対ゆるさるべきでないと思います。自分勝手な、わが儘のこうじた者で、こんな者は親や、みんなに背いた卑怯者であると言わざるを得ません。われわれの命は自然と共に生かされている、という考えを持たねばなりません。佛門に帰依した東大寺の管長や薬師寺の管長の高田老師は口を揃えて『私共はこの世に生きさせて頂いているのだ。有難いことではないか』と、いつも言われています。大自然の恩恵に浴して生き活かさせて頂いている。本当に有難いことであります。

私が幼少の頃聞いたのですが、人間の命を大切にする標語を広く一般から募った時、いろいろと良い標語が集まったようですが、その中で一番簡にして要を得た「先ず健康」が当選したという事で成程とうなずけるのであります。いらん事をくどくど書いた標語よりも「先ず健康」とはスカッとした悟りの境地と言えます。かって月に第一歩をしるしたアメリカの宇宙飛行士、アームストロング氏は『月に立って初めて地球を見たが、地球も人類も、この宇宙の中で、生かされているという事を実感した』と感想を述べている。この生かされているという考え方が佛の道であり、剣の道でもあると思うのであります。

即ち大宇宙の恩恵を受けて、人間は今日まで生き長らえて発展する事が出来たのであります。ひるがえって見ますと私達の生命の起源については、原始地球時代の深い海の中で噴出した・・・以下続く』
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№122(昭和63年1月31日)

2020年06月16日 | 長井長正範士の遺文


『新年あけましておめでとうございます。本年も全力をつくして大命を果たし、皆様方のご期待にそえるよう、努力してまいりたいと決意を新たにしておりますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます。さて昨年一年を振りかえってみますと、いわゆるジャパン・バッシング(日本叩き)現象がおこったりして、日本の金もうけ第一主義が国際社会で厳しく批判されたわけであります。戦前の日本では精神主義が極端に強調されましたが、転じて今日では物質主義ばかりはびこってしまったように思います。やはり相方とのバランスをとりながらモノを考え、行動してゆかなければならないという、よき反省の機会を与えられたんだと自覚すべき時でございます。

同時に、日本の伝統や、ものの考え方にもよいところがたくさんあったわけですから、それらを見直したいものであります。日本の社会の基本理念は、お互い礼節や思いやりを大切にしながら共存してゆくことであり、私はこの伝統的な考え方を、これからも大切にしていきたいと思います。日本人の心のふるさとである奈良県が、これからの日本の発展を支える文化的精神的な基盤となるように努めることも、私たち奈良県出身者の大きな責務であると考えております。同じ学び舎で蛍雪を積まれた三山会の皆様が力を合わせて、ぜひその原動力になって頂きたいなあ、というのが私の願いであります。

私たちの郷土、奈良県はさきごろ「置県百年」を迎えました。新しい時代に一歩足を踏み出したのを機会にいろんな希望や夢が語られるようになりました。夢、希望こそが前進への大きな力になるわけでございまして、先端科学、大学院大学構想、新大阪国際空港とのあくせす(接近)問題、リニア中央エキスプレス(直線に中央につながる急行便)等々、私もそれらの実現のためにお役にたっていきたいと思っているところであります。今年一年が、三山会の皆様にとって最良の年となりますよう、そしてご健康でますますご活躍下さいますようお祈り申しあげ、新年に当っての私のご挨拶にさせて頂きます』と。

以上のように奥野国土長官も言っておられるように、今近畿では21世紀を目前にして、関西国際空港や関西文化学術研究都市(筑波の学園都市のような)など、世界に向けて飛躍発展する研究や開発のための計画が推進されつつあり、私のふる里の奈良県では、この四月から六か月間「なら、シルクロード博」が開催されようとしています。この機に奈良の文化を世界に大いにアピール」されることでありましょう。

〇将棋の大山康晴十五世名人がよく「守りの駒は美しい」と色紙に書かれるそうです。盤上を見渡しても、守りの駒は寡黙で目立とうとせず、そしてやるべきことをきちんとやることに耐えている。何であれ、守るのは難くて、しんどい。攻めているほうが楽で楽しい。と。そう言えば去る大学の王座をかけた早大と同大のラグビーは素晴らしかった。観ていたわれわれに感銘を与えたのは「守り」という大切さであった。早大にはこれと言ったエースはいないが、大を倒すにはタックルの守備しかなく、早大はアタック(攻撃)とタックルを合成した「アタックル」を合言葉に練習に励んだという。

早大の守りも一瞬のうちに攻めに出た。守りと攻め、静と動、学ぶきところと思います。われわれ剣道家は攻めて打つことばかりにとらわれず、もっと守りを研究しなければなりません。形はどんな形でも己を守り勝つところを教えてあるのですから、よく考えて頂きたいのであります。相手に打たれまいと受身になり、守るという簡単な守りだけでないことを重々自覚すべきです。これには形を鍛錬することです。以上
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№121(昭和63年1月31日)

2020年06月10日 | 長井長正範士の遺文


〇私は脚本家の橋田寿賀子氏を日頃から大変尊敬しております。
氏は『核家族の中で育って、お年寄りと暮らす機会がなくなり、病人や、人の死を見る事も少なくなって、若者達は思いやりを失ってしまっているような気がする。青春のひととき、身障者や老人を看護する事で人間の弱さや、みじめさ、生命の尊厳や、死の意味を知る事は人間性を養う上で何よりのチャンスである。豊かさを過保護の中で育っていて不幸な人達を知らないだけに、貴重な体験になる筈である』と話されております。

われわれは人の身になって考え、人のために尽すことが判るようになって来た時に始めて人間として生きがいを感じ、心からよろこびをかみしめる事が出来るものです。私は皆さんの一刀流を通じ、私に期待して下さる熱意にほだされ、今週はこんなお話を来週はあんな話をしてと、一刀流の稽古を通じ、ああもしたい、こうもしたいと思い、原稿も書いたりしまして、皆さんにお応えすべく、私自身も勉強を続けております。これは何ものにもかえがたい皆さんという大きな目標があるためでありまして、大変自分の修養の糧になっております。若し皆さんという目標がなかったら恐らく勉強もしないし、原稿も書く事はないでしょう。皆さんあっての私があると思う時、自分は何と幸せな星のもとに生れたものと感謝の念を新たにしている者であります。

さて、今や日本は世界の長寿国として自認していますが、現在のような、物は足りても、心を忘れ去った愛や思いやりのない社会に生き長らえる事は、老人にとっては大変淋しい事と思います。せめてわれわれ剣道を修業する者だけでも、家庭の肉親愛をもって、先ず晨睦会で愛の輪を広め、地域社会に溶け込み、やがては日本民族愛に目覚めるような後進を育ててゆきたいと思います。私はいつも言っておりますが(№63に述べてあります)〇少年剣道の目的は、己れを愛し、親兄弟姉妹を愛し、家庭を愛し、友人知己を愛し、隣人社会を愛し郷土を愛し、やがては、日本の民族を愛し、この精神で広く世界の人類愛に目覚めてゆくところに意義があると思うのであります。

この大宇宙の真理を具現するのが剣道であるのですから、大自然をお手本にして、自然に帰るための剣道でなければなりません。自然を愛さない者は、自分の生活にも愛が欠けているのではないでしょうか。

今日もお互いに楽しく意義ある晨睦会(修道館の朝稽古会)の輪を広げるべく精進いたしましょう。〇以上、一刀流稽古に先がけてお話いたします。終り

〇年頭のご挨拶
国務大臣奥野誠亮。奈良県立畝傍中学第31回卒に当る→一高→東大卒。元文部大臣。私の畝中での2年先輩でよく可愛がって頂いた。その奥野先生が大阪で結成している奈良県人会=三山会(大和三山から名前をとった)で、年頭の挨拶をされ、特に『バランスを取りながらものを考え行動する』という事に重点をおいたお話なので、われわれ剣道する者はこの話の内容から何か一つでも感じとり視野を広める事が出来れば幸いと思いますので次に書いておきます。続く
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№120(昭和63年1月28日)

2020年06月02日 | 長井長正範士の遺文


〇残心について

剣道は日常生活に生かされなければ何もなりません。ただ剣道で叩き合いが強くなっても、この目まぐるしい時代からとり残され、剣道が視野の狭い現代の国際人の感覚から見離され、淋しい末路を辿らなければならないと心配でなりません。そこで今日は残心ということについて考えてみたいと思います。これに関連したことは既に№36、105、106に詳しく述べましたが、残心は大変大事なことなので敢えて申し上げたいと思います。

一刀流の形の残心の構えには、下段、上段(右・左)、陰、陽、本覚、逆本覚、脇構等あることは皆さんもご承知の通りでありますが、之等は組太刀の構成上、夫々違っており、日本剣道形始め、古流の形には皆命がけで作りあげたものばかりで、残心の形が違っていても、一本一本の勝負には必ず残心を入れ、その大切さを示してあります。われわれは之等の形の不断の錬磨によって形の心理を体に覚えさせ、心に刻み込み、竹刀剣道に表現すべく、けいこに精進するなら思わず形の神技が発露され、自然に残心の精神もともなってくると信じております。

この残心の精神が日常生活に重要な役割を果しておるのであります。それは何事も責任をもって成しとげ、決して途中で放棄しないという心がけを育んでくれているのであります。それに気ずかず剣道で、うぬぼれ強い者ほど自分の実力?と過信し、残心どころか、打った!さあどんなもんだと言わんばかりに相手に意思表示して引きあげ、無礼千万な態度をとる傾向がだんだんと増え、上の者に掛っていっても、打った、どうだと引きあげる者など誠に嘆かわしい状態であります。このような者に限って自分の責任を回避します。剣道もここまでくると最早救い難い感が致します。これ等は上に立つ指導者、審判員等の責任と思い自ら率先垂範しなければなりません。

槍はくり出し、くり込みます。このくり込みが剣道の残心と同じで槍では決して、やりっ放し、突きっ放しはしません。剣道だけが打ちっ放しでは相手の人格を傷つけるばかりで何のための剣道だか判りません。水洗便所じゃないけれど垂れ流しではいけません。大工さんでも釘を打ちっ放ししていません。気をつけてよく観ると最後に金槌でトントンと止めを打つ拍子につながっており、口にくわえた幾つかの釘を順序よく一本ずつ出し手にとり、一本一本の打ちの残心を含めた誠にリズミカルな打ちに逆に教えられるのであります。

竹刀剣道では形のように特別に下段の残心とか上段の残心はとりませんが、大工さんの連続の釘打ちのように、一つの技と次の技の間をおかず心を止めず技を止めず気一杯の中に実は尊い残心が含まれていることを知らなければなりません。私は座右の銘として「一歩留まらず」を絶えず念頭におき己が修養のかてにしております。そして私の関防印(謹んで書きはじめますの意)も「一歩不留」であります。これは小野派一刀流極意のご本の484頁に書かれてありますが、

一歩も留まらないことは生太刀の真骨頂である。常に動き、伸び、強まり、加わり、大きくなり、殖えてゆくのは生命の働きである。勝とはそのことである。留まると縮まり、弱まり減じ、小さくなり、絶えて亡びる。負けとはそのことである、一歩不留は勢の烈しさをもって勝ち渡る秘訣を教えるのである。

と教えています。

今の剣道では他のスポーツの方が遥かにスポーツマンシップを守って優秀であるか以前に詳しく述べました通り、自分だけの調子で当てて、どうだと引きあげるが如きは、やくざの喧嘩よりまだ劣ると言わねばなりません。心すべきことです。

以上
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