稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

謹賀新年(2025年1月1日)

2025年01月01日 | つれづれ



明けましておめでとうございます!
まだまだ若いつもりでしたが

とうとう古希を迎えることになりました
これを機に東大阪の事務所を引き上げ 
2月から自宅で仕事をすることにしました
変わらず武道とバイクは続けます
今年も皆さまにとって良い年でありますよう心から願っております

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最近の出来事、あれこれ

2024年12月31日 | つれづれ

1)往馬玄武会の忘年会(2024年12月21日)


午前中に生駒市武道館で稽古して、夜は奈良市内で忘年会。
翌日は稽古があるので控えようと思っていたが飲み放題の罠にかかり飲み過ぎてしまった。
もう飲めません!と思った頃にラストオーダーで熱燗を何本も頼むのは嬉しいような迷惑のような。
ともかく稽古仲間と酒を飲むのは本当に楽しい。あっという間に時間が過ぎてしまうのだ。

2)餅つき(2024年12月30日)


粕井の行事というより死んだお袋の実家の恒例行事。
昔はカマドで薪でもち米を蒸したのを憶えている。
石臼は二代目。初代の石臼はお袋の生まれる前からあったらしい。
今年はインフルエンザのせいで出席者が少なかった。
私らジジイはガレージで肉焼きながら酒飲んでるだけだが、
若衆(息子の世代)は餅を搗き、女房どもは丸めるのに大変である。
猫どもは二階に監禁避難させている。
何が大変って、前日から準備する我が女房が一番大変。
まあ、これで今年は終わりって感じだ。

3)仕事納め(2024年12月31日)


1月末の引っ越しに備えて自宅を片づけようと思っていた。
そしたら出荷出来る注文が4件来ていた。
仕事を残すのもイヤなので事務所まで来てしまった。
写真の黒猫カンバッチ(背景白)を制作して出荷して仕事納め。
きょうは早めに帰る。

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お風呂の温度設定で風邪ひいた話

2024年12月20日 | つれづれ

友人たちとのLINE会議室からのコピペ

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みんな、お風呂の温度、何度にしてる?

オラさあ、あまり気にもせず、自動風呂なんで、夏は42度、冬は43度に設定してたんよ。
それでたま~に追い炊きボタン押してた。ニョウボは「熱過ぎる」って。

で、先日、ブログにも記事載せたけど、
お風呂はあんまり熱過ぎると血流が滞って健康に悪いという記事見てね、
何でも体温より4度高い、つまり40度ぐらいのお湯に30分入るのが一番良いと書いてあるんよ。

さっそく40度にしたら、寒くて寒くて・・・
だから41度にして30分浴してたんやけど、とうとう風邪ひいてしもうた。

こら何かおかしいワ・・・と思て、お風呂に浮かべる温度計買って浮かべた。

そしたら、何と、うちの自動風呂、設定温度はホンマの温度より3度も違う。
つまり43度に設定したら、ホンマは40度なんよね。
せやから41度の設定やったら実際は38度というわけ。

3日か4日、いや5日ほど、38度で我慢してたことになる。
おかげで風邪ひいた・・・というオチ。

剣道稽古も何回か休んでしもうた。。。
いまも咳が残ってて時々むっちゃシンドイんよ。。。

免疫力とお風呂の話、良かったら見ておいて。

2024年12月1日 備忘録「安保徹 教授 のお話より」
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20241201/



友人より
うちは41度設定で長風呂は良くないとうちの嫁は言っております。
10分で十分で長くても15分が良いらしい
ヒートショックをおこさないためにというTV番組で言っていたらしい


心臓に負担がかかるののが心配な場合、長風呂はアカンね、確かに。
実は、知り合いに癌にかかったのが居て、免疫力高めるには40度の長風呂が良いと聞いたんで試してた。

(以降割愛)

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最近の出来事、あれこれ

2024年12月10日 | つれづれ

1)熱田神宮武道演武の前夜(2024年10月19日)


奈良から近鉄特急で名古屋まで。雨が強い。
金山の東横INにチェックインして「矢場とん」という居酒屋で定食を頼んだ。



お昼だがビールを飲む。味噌煮込みがすこぶる美味い!
「矢場とん」の本体はトンカツ屋だが、ここな居酒屋みたいだ。気に入った。



雨の中、名古屋城、徳川美術館など見学。
夜は加藤氏と合流して駅近くの鰻屋でひつまぶしを堪能。


このあと呑み足りないので昼間行った「矢場とん」で呑み直して帰った。



翌10月20日は雨も上がった。
熱田神宮は初めて参拝する。境内が広く人も多い。

2)明治神宮(2024年11月3日)


11月3日は明治神宮での演武なので前日から新幹線で東京まで。
大雨の影響で2時間以上も遅れた。関東も大雨だ。最近、遠征で雨が多い。
都内のホテルは以上に高く一泊2万円近くかかる。
仕方が無いので埼玉県の浦和美園という場所の宿を取った。
晩御飯は駅前で天丼を食ったが期待に反して江戸風では無かった。
江戸風の、ごま油で揚げた天ぷらが食いたい。

3)遠い親戚を訪ねる(11月10日)

私の爺さんの粕井信一(画號は豊誠)は4人の男兄弟があったが、
2番目は夭逝したので実質的に3人兄弟みたいなものである。
写真は3番目の粕井義雄系の娘さんとお孫さん。
娘さんは親父の従姉妹、お孫さんなら私の又従姉妹になる。
長兄が偶然にも役所で出会って訪問することになった。
実は家の近くなのだ。

昔の写真やらで楽しく過ごさせていただいた。
12月30日の餅つきには是非来てくださいと招待しておいた。

4)遠い親戚を訪ねる(12月1日)


大和高田に粕井靴下がある。
ここは爺さんのすぐ下の弟の忠一(ただかず)系の家だ。
忠一さんのお孫さんは私と同い年だった。初めて会う又従弟だ。
お母さんが92才なのに耳も遠くなくお元気で色々と昔のお話が出来た。
これを機会に粕井の家系図を完成させようと思っている。



5)日本吟剣古武道大会前夜(12月8日)


前日のセミナーと懇親会。
着物を着て行ったのは男性では私だけだった。



写真の西村さんは以前から顔は知っていたがお話するのは初めてだ。
何と無外流で、うちの兄とも親しくしているそうな。
武道の世界は案外狭いものかも。

演武の記事はまた後ほどUPします。


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備忘録「安保徹 教授 のお話より」

2024年12月01日 | つれづれ

既にお亡くなりになった安保教授
免疫学の権威で風邪やインフルエンザも免疫から起きてると言ってた
低体温、低酸素を解決する方法があります
良い塩を摂ることです
ミネラル豊富な塩です
和多志は「しあわせ縄文村工房」の光の塩が世界で一番いい塩だと思っています
その他のミネラル豊富な天然塩なら良いと思います
【安保徹 教授   談】

● ガンは、異常な細胞ではなく、「低酸素」「低体温」のなかで、生き延びるために、生まれてきます。 
逆の環境を与えれば、ガンは自然退縮していきます。
● ガンは、体に悪さをする存在ではなく、「低酸素」「低体温」という体内環境に対する、「体の適応現象」です。 
● ヒトの 体内深部は、酵素がもっとも活発に働ける、約37.2度を維持しています。
わきの下 は 36.2~3度 が 平熱 となります。
● 解熱剤、痛みどめ、抗がん剤、ステロイド剤…。
これらはすべて  交感神経を刺激して  血流を止め体温 を下げ、免疫力 を低下させます。  
● 私は、長年の研究の中で、
「生命体は自分自身では失敗しない」
ことを強く実感しました。
● 体は、より良い方向へと動くようにできています。
● ガンの人は、細胞に
「酸素が少なく」
「リンパ球の数が少ない」
  ことが特徴です。
● 血流 が悪くなると、細胞は「酸素不足」になります。 
● 血流 がとだえると、体温 が下がってしまいます。
● ガン細胞は、
「 正常細胞からミトコンドリアが削られた 」
だけの違いに過ぎないのです。
元は共通の遺伝子です。
● ですから、遺伝子レベル であろうと、細胞レベル であろうと、ガンを死滅させようとして、抗がん剤 や放射線 で攻撃すれば、正常な細胞も、同じ遺伝子を使っているから、生命そのものが、滅びることになります。
● 抗がん剤は、兵器の マスタードガス をもとに、1950年から1960年代に活発に開発され、現在 使われている 主な抗がん剤は、この時期に出揃いました。 
● 抗がん剤は、「低酸素」「低体温」「高血糖」をもたらします。
この3つは、発ガンの内部環境そのものです。
抗がん剤治療によって、ますますそれら3条件に拍車をかけます。
これではガンが治るはずがありません。
● ガンの人の内部環境は、
「ミトコンドリアが少なく」
「低酸素」「低体温」です。
逆の環境を与えれば、ガンは自然退縮していきます。
ミトコンドリアが働きやすい環境をつくればよいのです。
● 具体的には、
・食事の内容や、量を変えたり、
・早寝を心がけたり、
・運動を始めたり、
・体を温めたり、
ということです。
● 体を温めることによって、ミトコンドリアが活性化します。
● 免疫力を高めるために、一番てっとり早い方法が、「 入浴 」です。
ぬるめ の湯に、ゆったり入るのが効果的です。
● 熱い湯 に入ると、交感神経が刺激されてしまいます。
交感神経が緊張すると、血管が収縮し、血流 が悪化します。
● 体温+4度C、少し ぬるめ と感じるくらいが、副交感神経が活発になり、免疫力が高まります。
● 具体的には、40度から41度くらいのお風呂に、10分から30分つかっているぐらいです。 
● 時間に余裕があるときは、「 半身浴 」がおすすめです。
発汗するので、ときどき水分補給します。
全身浴以上に、体内の毒素 が排出されます。
● 実際、治った人たちに聞いてみると、一日十二時間風呂に入った、とか聞いています。 
● 高齢者や病気の治療中の人は、
「 足湯 」や「 湯たんぽ 」が、おすすめです。
● 池見酉二郎教授 が集めた癌の 自然退縮 は74例に上りました。
風邪、面疔、マラリア などで、高熱 が出た後に 癌 が消失しました。
温かい内部環境で、酸素 が運ばれ、循環がよくなって、癌が自然退縮したものと考えられます。
● また、アレルギー反応 とか、癌の周りで 炎症 が起きているときに、自然退縮 が始まっていたといいます。
● ミトコンドリアは太陽に当たることによってつくられます。
免疫力を上げるためには、日光 が不可欠です。
一日一時間くらいは屋外で過ごすのがおすすめです。
● 有酸素運動は、ミトコンドリアを活性化します。
激し過ぎる運動は、交感神経が刺激されてしまい逆効果です。
歩くことを習慣にするとよいでしょう。
● 腸内環境が悪化すると、免疫の要 である、リンパ球 が育ちません。
腸内環境を良くするためには、食事が大切です。
● 野菜や、キノコ、未精白の穀類などは、リンパ球を育てます。
日本人は、野菜と海草好きですから、一般的には、腸には リンパ球 がいっぱいあります。
( *菌床栽培のキノコの多くは菌床に農薬、防カビ剤等多用されているので要注意です )
● 野菜 や 果物 を食べると、ミトコンドリアが活性化し、体内で 呼吸 が促進されます。
● 腸内環境 をよくするように努めれば、癌の進行は大体1~2ヵ月で止まります。
リンパ球が働いて退縮まで行くには、1年ぐらいかかります。
焦らずに、ゆっくり取り組めばいいのです。
 ● 免疫力が上がって リンパ球 が増えれば、がんは自然退縮するものなのです。
リンパ球 の数が1800~2000個/mm3あれば、がんは自然退縮します。
● ところが、リンパ球 を確実に減らしてしまうものがあります。
それが 三大療法 です。
● とくに、放射線治療 を受けると、その後、リンパ球の減少が長く続いてしまいます。
● ネズミに悪性のガンを発ガンさせるためには、ガン細胞を 百万個 も注射しなければなりません。
しかし、ネズミに 放射線 を当てて 
リンパ球 を減らしておくと、たったの 千個 注射するだけで発ガンしてしまいます。 
● 肉食に傾いた食事も癌の要因となります。
肉や脂っこいものを、いっさい食べてはいけないというわけではありません。
適度に摂取すればよいですが、基本は玄米菜食がよいでしょう。
● 玄米が合わない人は、白米に玄米を少し混ぜたり、分づき米にするといいでしょう。 
 ● 私自身、玄米を主食とし、野菜、海草、キノコ類をよく食べ、肉や魚などは週に1、2回食べる生活です。
● 基本を抑えていれば、あまりぎちぎちに守らないほうがよいでしょう。 
自分を縛るのはよくありません。
● ガンの検査を頻繁に受けすぎないことが 重要 です。
● ガンの 自然退縮 のときに 何が起こるかといいますと、腫瘍マーカーが上がるんですね。
● 腫瘍マーカーはガン細胞のかかえている、膜 とか 細胞質 の構成成分 ですから、免疫能 が上昇し、ガン細胞が 破壊 されはじめたときにも、腫瘍マーカーは上昇します。
● X線写真、CTやMRIの画像に一喜一憂する必要もありません。
CTなどで検査して、ガンのサイズが急に大きくなって、びっくりすることがあります。
このときは ガンの中が 壊死 して治っている、ということも、長崎の田嶋先生が症例を報告していらっしゃいます。
● 見かけが大きくなって、中が壊死する、繊維が強いときはそのまま空洞化して治るし、弱いときは そのあとで 潰れる という形をとるんです。
● 腫瘍マーカーが上がったり、ガンのサイズが大きくなったと怯えて、また体を痛める治療に引き込まれる人も多いです。
そこは注意したほうがいいですね。
● 転移は怖くありません。
ガンが治るサインです。
体が治癒力を発揮してガンをたたいている最中です。
( ただし、リンパ球が少ない場合はこの限りではない )
● リンパ球が上りはじめたときに
転移を起こしやすいということがはっきりしました。
転移というのは、原発巣が リンパ球によって攻撃されて、散らばっている状態なのです。
● そして散らばった後にすっと消えていく。
● じっさい、転移が起こったガンが
自然退縮して治るということを何十例も経験しました。
● 京都研究所の福田先生は、転移したあとに、いい結果が出るという症例をいっぱいもっていらっしゃいます。
● 意外と、肺転移、肝転移、骨髄転移した後に消えていることがある。
● 免疫細胞が ガンをたたくときには、必ず炎症反応が起こって、発熱、痛み、不快を伴います。
肺ガンなら咳がでてきたりします。
● 患者さんも、医師たちも、こういう症状が、治癒の過程で起こることをわかっていないので、つい、症状を止めたくなるのです。
しかし薬を服用して症状を止めることは、治癒反応を止めているわけで、ガンを治すためには、まったく逆効果なことです。
● ガンの自然退縮につながる 治癒反応 がはじまると、一週間ぐらいは寝込むような つらい症状が続きます。
その後、リンパ球が増えて ガンが退縮しはじめます。
● この 治癒反応 は昔から、傍腫瘍症候群(パラネオプラスティック・シンドローム)という名前で、ガン患者の治癒過程で必ず起こる反応 として知られていました。
ところが、戦後、抗がん剤を使うようになって以来、忘れ去られてしまったのです。
● 発熱、痛みのほかに、しびれなどの神経症状もでてきます。
傍腫瘍神経症候群( パラネオプラスティック・ニューロロジカル・シンドローム )とよばれます。
● 今の若い医師たちは、この治癒反応の 存在自体を知らないことが多いようです。
● 体が 血流障害 を治そうとして、
血流がおしかけるときに 痛みがでます。
それを痛みどめで常に止めていると、血流障害によって、顆粒球増多が起こり、発ガンが促されます。
● 血流を止めれば、炎症反応が止まる、これが消炎鎮痛剤のしくみです。
これは、病気の治癒による消炎とは まったく違います。 
● 痛み止め( 消炎鎮痛剤 )は、血管を閉じ、血流を止めます。
全身の血流が悪くなり、血管がたえず絞られた状態になり 血圧も上がり、動脈硬化 も進行します。
組織破壊が繰り返され、細胞のガン化 が促進されます。
ガンが見つかったら、発ガンした場所に 血流が増えるように するべきだと思います。
 ● 現代医療は、症状を、徹底的に薬で取り去るという方向に進んできました。
しかし、じつは 苦しい症状こそが、治癒のために 必要なプロセス だったのです。
● 現代医療は、症状を消すことに専心したために、治癒とは 正反対 の方向にむかっていたのです。
● 例えば、痛む、熱をもつ、腫れ上がる、発疹がでる、こういう症状は、じつに不快です。
しかし、その症状こそ、患部に 血流 を送って治そうとしている、体の 治癒反応 なのです。
● 熱があるから、痛みがあるからこそ、治癒に向かうのです。
それゆえ、対症療法は、ほんとうの治癒をもたらさないのです。
その結果、病を慢性化させてしまいます。
● 消炎鎮痛剤 と ステロイド剤 を、
病気治療に使い続けてはいけません。
血流障害を起こし  組織破壊を促す
「 病をつくる薬 」の代表格です。
● 痛みや発熱、かゆみ、下痢などの不快症状は、体が治るときに生ずる「 治癒反応 」です。
● こうした治癒反応を、医者は悪玉とみなし、症状を薬で抑える対処療法を行います。
● 患者さんはいったん楽にはなりますが、治癒反応を抑えられ、病気の治りは悪くなり、さらに薬を足すという悪循環が始まります。
● 例えば、潰瘍性大腸炎で現れる下痢や腹痛は治癒反応ですが、どこの医療機関で受けても、消炎鎮痛剤とステロイド剤によって、この治癒反応は完全に止められてしまいます。
● 本来、治癒反応を促す治療を行っていれば治る病気も、対症療法を続けることで難治化し、本格的な難病になっていきます。
● 難病 に指定されている病気は、医療が 難病にしてしまったものが少なくありません。
● 病気を治したいと願うならば、
薬の常用をやめることが大切です。
● 熱、痛み、下痢、吐き気、だるさ、などの様々な不快症状は、すべて体が自ら治ろうとする治癒反応であり、悪者ではありません。
● 体が治ろうとするときには、副交感神経優位になり血管を開き、血流を増やして傷ついた組織を修復します。
● 痛みや熱、腫れ、などの症状は、
血流が増え、組織を修復する際に生じるもので、この苦しい修復プロセスを通り抜けた先に、治癒というゴールが待っています。
● 病気を治すには、治癒反応 を応援してあげればいいのです。
血流を止める 消炎鎮痛剤 や ステロイド剤 を使わないようにすること。
痛くても、できる範囲で動かして 血流を促すこと。
下痢は止めず水分を十分にとること。
このような方法で、やがて体は治っていきます。
● 病気によっては、かなり苦しいこともあります。
血流がふえるほど、痛み、かゆみ、炎症などが強くなるからです。
治癒反応があまり強くて耐え難い場合には、症状の2~3割を取る程度に薬を使ってしのぐのはやむおえません。
症状が和らいだら、また体が治る反応を助けてあげてください。
● ありがたいことに、いったん障害を受けても、私たちの組織は 血流 さえ送りこまれれば、修復されるようにできています。
● 対症療法で使用される薬の中で、
もっとも体を破綻させるのは、消炎鎮痛剤 と ステロイド剤 です。
● 痛みが起こる原因は、そもそも 血流障害 です。
消炎鎮痛剤で血流障害はさらに悪化します。
薬をやめると、体は血流を再開させるために血管を開きます。
また痛みがぶり返して、いたちごっこになります。
● 消炎鎮痛剤を常用している人は、血流 が途絶えてしまうために、高血圧、耳鳴り、めまい、頭痛、腰痛を併発している人が少なくありません。
● 長期使用に伴って組織破壊が進みます。
● 交感神経緊張により、血糖値を上昇させるグルカゴンの分泌を促します。
また、インスリンを分泌する膵臓のランゲルハンス島を破壊します。
● 骨盤内の血流が悪くなり、子宮内膜症や卵巣嚢腫にかかりやすくなります。
● 慢性的な血流障害によって、体のあちこちに痛みが生じるようになります。
● その結果、高血圧、糖尿病、不眠症、便秘、頭痛など、新たな病気が上乗せされます。
● そのたびに医師は、降圧剤、経口糖尿薬、睡眠薬などの薬を処方します。
薬漬け医療のはじまりです。
● 消炎鎮痛剤を服用したことによって、破綻をきたしている人は多いはずです。
● 湿布薬、内服薬、座薬 といろいろありますが、どれもまったく同じことが起こります。
● 消炎鎮痛剤よりさらに 血流を止める力、消炎作用 が強いのが ステロイド剤 です。
● ステロイド剤の組成はコレステロールと同じものです。
コレステロールは血管の内側に付着し、蓄積してくると、酸化コレステロールに変化し、動脈硬化の原因になります。
ただし、酸化する前の新鮮なコレステロールは、ホルモンや細胞の膜をつくる材料として、欠かせない脂質です。
● ステロイド剤を使い続けると、体に蓄積され、酸化コレステロールに変化して、組織を酸化し、組織破壊が進行して悪化の一途をたどります。
● ステロイド剤の常用は、新たな病気を上乗せします。
頻脈になり不安感が増すようになります。
血糖値が上がり糖尿病を発症します。
組織破壊が進むと、体のあちこちに痛みが生じます。
● そのたびに降圧剤、精神安定剤、経口糖尿薬、消炎鎮痛剤が加わり、薬漬けから逃れられなくなります。
● 医師の多くは、ステロイド剤を使うことが治癒反応を止めて病気を難治化させ、新たな病気を生み出しているという認識がありません。
● アレルギー反応は、抗原や汚染物質を体外に排泄するために、体が必要にせまられて起こしている反応です。
発熱、炎症、かゆみ、発疹など、さまざまな不快症状が現れます。
目的は血流をふやし、有害物質を排泄することにあります。
● 膠原病でも、リンパ球とウィルスが闘って、破壊された組織を修復するために、炎症を「わざわざ」起こします。
リンパ球による炎症反応はつらい症状となって現れますが、そこを通り抜けないと体は治ってくれません。
● 体が治る反応を、ステロイド剤で止めてはいけないのです。
● 治癒とは逆行する方向で消炎していることが、危険だといっているのです。
● 多くの医師はステロイド剤や消炎鎮痛剤の害を軽視しています。
● 高血圧の治療薬で私が危惧しているのは、降圧利尿剤の害です。
利尿剤は体から 水分を搾り取る 作用があります。
脱水で血液量を減らして血圧を下げることに成功しても、脱水で血液はドロドロになり、血液が流れなくなってしまいます。
● 利尿剤による脱水は、全身で循環障害を起こします。
目では房水の排出がうまくいかなくなり、眼圧が上昇し、緑内障を発症します。
血液の濾過 や 尿の産生 ができなくなり、腎不全が起こります。
● 実は腎臓病でも、緑内障でも利尿剤が使われています。
いずれの病気も、利尿剤によって 循環障害 がつくられ、
??緑内障?腎臓病 
??高血圧?緑内障 
??腎臓病?高血圧
といった具合に、新たな病気が上乗せされてしまいます。
● 私の母は、緑内障の点眼薬( 利尿剤 )をやめたら、目のかすみが完全になくなり、調子がよくなって、驚いていました。
点眼薬で 水分を搾り取られて 循環障害 を起こし、見る機能が低下していたのです。
● 腎機能低下の患者に、利尿剤を投与することも問題です。
尿を出すには、血行を良くする必要があるのです。
それを、利尿剤で化学的に腎臓を働かせようとすると、腎機能が壊されていきます。
利尿剤  ?  脱水  ?  血液粘性上昇?  血流障害  ?  頻脈  ?  顆粒球増多  ?  腎障害
の図式が見えます。
● 利尿剤は多くの病気に使われています。
利尿剤を服用した患者は、激しい喉の渇きと体調不良を訴えます。
渇きが強いのに、身体は水を十分に吸収できなくなってしまいます。
そして破綻していくのです。
● 患者が増え続けている病気があれば、その治療法に疑問をもつ必要があります。
●「 みんなこの治療を受けているから 」
とか、
「 偉い先生が処方してくれる薬だから 」
と、医者任せにしていては、治るものも治らなくなる可能性があります。
自分の身体を救うためには、動物的な勘を働かせる必要があるのです。

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最近の出来事、あれこれ

2024年10月15日 | つれづれ

1)愛洲移香斎剣祖祭の前夜(2024年8月24日)


昨年から使っている民宿「満玉」。貸切状態なので気は楽である。
食事はさっさと終えて、遅くまで武道談義。これが何より面白い。
持ち込んだクーラーボックス内のお酒はほぼ空になってしまった。

2)孫の陽向くんが来た(2024年9月22日)


初孫の陽向(ひなた)がやってきた。三男の星矢の長男。
ずい分、大きくなったものだ。嬉しいうれしい。



お昼だから簡単な食事会。
夜はいとこ会があるので缶ビール1本で我慢した。

3)扇田のミニいとこ会(2024年9月22日・夜)


10年ぶりか20年ぶりか忘れたけど久々に会った。
扇田家のミニミニいとこ会。(奈良の)川上町にて)

写真左から、まこちゃん、しげっちゃん、さっちゃん、かよちゃん、と、
幼少時代に呼び合った名前で呼び合い楽しいひと時を過ごした。いやはや面白い。

年頃になるまでは、一緒に遊んだりお風呂にも一緒に入って兄妹のように遊んだものだ。
お互いに忘れてしまった記憶なども確認しあう。60年以上もの昔話だ。

4)吉積先生の奥様のお通夜(2024年9月28日)


剣道八段の吉積先生の奥様が亡くなられた。
奥様とは面識は無いが、吉積先生とは何度も稽古をした仲だ。
七段受審の前にも、七段受かってからも、八段挑戦中の吉積先生とは稽古をした。
ご縁もあるのでお通夜に行ったのだが吉積先生のお話にもらい泣きをしてしまった。
仕事と剣道に明け暮れた人生だ。自分に通じるところもある。合掌。

5)十津川の玉置神社


実は生駒で剣道稽古をしようと思っていたのだ。
でも吉積先生の件があり、なぜか剣道する気にもなれなかったのだ。
バイクでどこかへ行こう。そうそう、十津川の玉置神社へ行ってみよう。


途中で持参したアルコールバーナーでコーヒーを飲む。



バイクはちっぽけな200ccのスズキバンバン。
そろそろ見かけなくなってきた。

ともかく無性にバイクに乗りたかっただけ。命の洗濯日。

6)剣友と北浜で飲む(2024年10月8日)


証券取引所の前で剣友のI藤さんと待ち合わせ。
I藤さんとは古い稽古仲間で、奈良の学園前で雲耀館という稽古仲間。
佐藤誠先生の稽古会で再開し、一度飲みに行こうという話になったのだ。

この雲耀館は稽古は1時間、飲み会が4~5時間という月一回の稽古会で、
いつもベロベロに酔ってフラフラになって帰った記憶がある。



いやはや飲んだ飲んだ楽しく飲んだ。
剣道の話、仕事の話、話は尽きない。
I藤さん、ベテランの弁護士さんなんだって。へぇ~~すごいなあ。

7)左手の火傷で病院へ(2024年10月9日)


4日にスプレーに引火して左手を火傷した。
蜂窩織炎で使っていた急冷スプレーがあったので、それをかけながら仕事をする。
3時間ぐらいしたら痛みが引いてきたのでメンタームを塗っておいた。

そのまま大人しくしていれば治っていたのに、5日6日と剣道稽古してしまった。
そしたら皮が破けてズル剥け状態になった。甲手をはめるのが駄目だったみたい。

痛みが増してきたのと感染症が怖かったので9日医者に行く。
(昨夜飲み過ぎたのが原因だという声もあり・・)

初診扱いで受付で30分、形成外科の待合室で2時間半待たされた。
やっと呼ばれて治療は5分。なんなんだこれは。

会計と薬で待たされるのはイヤなので「あとで来ます」と断って帰った。
まだヒマな季節で良かった。形成外科は一件ごとの処置が長いので待たされるのだろう。

8)月ヶ瀬ミニツーリング(2024年10月13日)


左手がまだ痛むので稽古は止めにしてバイクで出かけることにした。
東大阪の事務所に寄って少し仕事をしてから奈良に向かう。
奈良市の田原を抜け柳生を経由してから月ヶ瀬へ。





川沿いの食堂で月ヶ瀬そばを食べ、
近場のあずまや(屋根のある休憩所)でコーヒーを沸かして飲む。
このひと時が良い。自然の中で飲むコーヒーが美味い。

帰りは笠置の昔の道がどうなっているかを知りたくて寄り道した。

動画有り。
国道163号 笠置トンネルの旧道(2024年10月13日)
https://youtu.be/PXzZG0g0P58


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最近の出来事、あれこれ

2024年08月23日 | つれづれ

1)お母んの短刀

お袋(睦子)が扇田家から粕井家に嫁入りした時に持ってきた短刀。

荷物を整理した時に出てきた。20代の時にお袋に貰った短刀である。

包んでいた風呂敷には「オギタ」と手縫いの名前が刺繍してあった。

私が持っていても仕方が無いので、先日、姪(次兄の娘・既婚)へどうかと思って次兄に手渡した。

姪はお袋と暮らしていた。関係も深いので気持ちも伝わるか。

姪には女の子がいるので、女系でぜひ代々受け継いでほしいものである。

 

2)叔父のお通夜

生駒の叔父(粕井寛)が亡くなった。

兄弟3人でお通夜に出席した。7月22日。享年96才だったかな?

親父は男4人兄弟で、長男が宏、次男が親父で完(たもつ・あとで貫次に改名)、三男が寛(ゆたか)、

四男は實(みのる)で、この叔父はまだ存命で東京に住んでいる。

亡くなった寛叔父とは語りつくせないほど色々とあった。

心地良い思い出は残念ながら無い。皆無と言って良い。

まあ、それでも最後のお別れだけはしておこうと思った次第。人生の区切りだ。

 

3)昇段審査

7月27日は大阪府の剣道初段~五段の審査員で舞洲まで出向いた。

電車とバスを乗り継いでというのは億劫なのでバイクで行った。暑いのに。

車で行くと帰りは駐車場から出るのが異常に混むからである。バイクは楽だ。

合否を書いて提出する。あとで答え合わせでも無いが合格者と不合格者を自分の表と見比べる。

総じて私は甘いようだ。しかし×にした者が合格していたりするのも2名ほどいた。

打って当たれば良いというものでも無い。これにはこだわりがある。

「剣の理法」を考えると〇に出来ない者はいる。たとえ初段でも。

 

4)長正館(一刀流)暑気払い

天王寺の焼肉屋で暑気払い。7名が集まった。7月27日。

あっという間に時間が過ぎる。趣味の仲間は話が弾む。

帰りに天王寺駅前の歩道橋で写真を撮った。バックは通天閣。

実はこの時に携帯電話を落としていたらしい。

 

5)従弟んちの改築祝い

お袋の弟(扇田昌司)が亡くなってすでに20年近くが経っているが、

息子の扇田昌和が古くなった家を改築して改築祝いをした。8月10日。

中央は先日籍を入れた扇田耕輔君と奥さん。改築祝いと結婚祝いのダブルの祝いだ。

祝いで集まるのは良い事だ。祝い事が続きますように。(意味深)

 

6)バイク用のグローブ

バイクを乗り始めたのは16才だから、すでにバイク歴は半世紀を超えている。

写真のグローブは、grip swany(グリップスワニー)社のもの。

30代の時、リッターバイクに乗っていた頃に買ったものだ。

これは優れもので丈夫で手になじんだ。35年は使ってきた。

昨年、左手の内側が破けてきたので甲手の革で修理したがまた駄目になった。

同じものは売っていない。

別メーカーで似たような安価板があったので思わずポチッてしまった。

caiman(カイマン)のグローブ。まあまあかな。

 

7)携帯電話の買い替え

7月27日に携帯電話を落とし、何かと不便なので8月1日に買いに行った。

機種はiphone15、何と安心サービスとかで、前のデータはほぼ全部元通り。

これには驚いた。画面も大きくなったし月々の支払いも結果的に安くなった。

写真は「家のネットが遅い」というと、すぐにサポートと繋いでくれて、面と面を向き合っての相談となった。

ちかじか工事に入る予定。便利な世の中になったものだ。

古いほうは届けられてたらしく8月2日に阿倍野警察まで取りに行った。

 

8)なかよし同窓会

8月20日、小学校時代の仲良しグループでミニ同窓会をした。

奈良市の東向商店街の地下の居酒屋。ここ、昔は映画館だったらしい。

健康の話がどうしても多くなるね。いつまでも元気で続けたいものだ。

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杭全神社に初宮参り

2024年07月09日 | つれづれ
7月7日、七夕の日に初孫の初宮参りに行きました。
神社は平野の杭全神社、杭全は「くまた」と読みます。

粕井は江戸時代には平野郷で綿問屋を営んでいました。
綿のカスを主に扱う問屋で、屋号が「糟屋」。
紋は唐花で杭全神社の「織田瓜紋」の真ん中部分を頂いたと聞いています。



左が杭全神社の「織田瓜紋」、中が粕井が頂いた「唐花紋」、右の我が家の紋は「丸に唐花紋」。
紋付着物を作る時に、こっちのほうが恰好良いので思い切って変えました。うちは分家だしね。
その時には「家紋変えましたのでご報告に来ました」と杭全神社に参って筋を通しました。

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明治になって西洋綿が大量に輸入されるようになって平野の綿は瞬く間に衰退した。
私の曽祖父、粕井秋五郎の時代に綿問屋を諦め鴻池家に奉公し平野の地を離れ大阪市内に居を移す。
実は秋五郎は婿養子で、元は長州の岡本という性で武家であったとか。

鴻池では小僧や丁稚に剣術を教えていたそうな。何流だろう?
もし一刀流系であれば面白いのに。

祖父の信一(號は豊誠)が生前、私が剣道をしている事を知って、
「わしの父親は撃剣めっぽう強かったんや」と嬉しそうに話してくれた。
曽祖父は背の高い人で鴨居に頭がぶつかるほどの身長で、いつも部屋に剣道着が掛かっていた。
その剣道着には「宮本武蔵」と墨で書いてあったと懐かしそうに話してくれた。半世紀以上も前の話だ。



約ひと月ぶりに見る孫は大きくなっていた。
赤ん坊の成長は驚くべきものである。



祈祷は良いものだ。厳かな気持ちになる。
鈴のお祓いの時には泣きたくなるほど感無量になった。

この時に小さいデジカメで何枚か写真を撮ったのだがSDカードの入れ忘れだった。
何としたことだろう。痛恨の極みである。






杭全神社で初参りを済ませ、近所のがんこ平野屋敷で昼食。





粕井陽向くん。「ひなた」と読むがだが「ようこう」とも言いたくなるなあ。。



健康で丈夫で大きくなれよ。
何かあればジイジが飛んで行くぞ。

出来れば長生きして、陽向の結婚式に出席したいものだな。



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初孫誕生

2024年06月30日 | つれづれ
さかのぼって書きます。

6月5日に初孫が生まれました。
三男の星矢とこです。
370gの男の子、陽向(ひなた)くんです。

仕事が忙しい時期でもあり、
厳島神社、伊勢神宮の演武があったりと、
なかなか見に行く時間も無く、ブログにも書けずにおりました。

6月5日、八尾市民病院で誕生。





6月14日、初めて見に行きました。(遅すぎるやろって皆に言われました・・)



6月30日、女房と次男が行ってくれました。
(私は西日本古武道大会で行けませんでした)





星矢の生まれた時の写真を持っていって並べて撮影。







ともかく丈夫で健康に育って欲しい。
出来れば剣道もして欲しい。
八尾の剣友会に知り合いは居たっけ?
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最近のあれこれ(まとめ)

2024年05月23日 | つれづれ
稽古の記事ばかり続くので、ちょっとまとめて他の事も書いておきます。

2月
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ホワードのいつもの仲間と心斎橋で飲み会。
ホワードを辞めて、ホワードが無くなってもう随分経つのに話は尽きない。
一人がコロナで欠席。脅威は去ったがコロナに罹る人は増えてきたように思う、



帰りは心斎橋から難波まで歩く。
しばらく見ないうちに街並みが変わってしまった。
道頓堀橋から道頓堀を写す。

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長正館のMちゃんの甲手。
気が付いたら破けまくりなので急いで修理に持っていった。
防具や竹刀などの破損は怪我する大きな原因になる。
子供任せにしていては駄目だと改めて反省した。

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仕事も兼ねて姫路まで。
姫路城の中は混雑していてイマイチだったが外から見る姫路城は良い。

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足を伸ばして万博公園まで。
ここは昭和45年、15才の大阪万博で来た時以来だ。



せっかくなので太陽の塔の内部まで入った。待ってた甲斐あり。

3月
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卒業時期はカンバッチやキーホルダーの注文が多い。
だいたいは出荷作業が終わった夕方から作業が始まり深夜までかかる。
根気のいる仕事だが結構好きかも。

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長兄夫婦を自宅に呼んで飲み会。
兄貴と飲むと酒が進み、延々と長時間飲み続けてしまった。

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名古屋の木刀収集家から2年半前に預かった木刀の曲がり補正。
この木刀、太くて曲がりも大きくて見た瞬間「難物やなあ~!」って思ったのだ。
こういう木刀の曲がり補正は大変なのでお断りしたのだが断り切れなかった分である。

太くてクセが強くてマジで修正が大変だった。
直しても直しても違う部分が歪んだり逆反りしたりするのだ。

結局2年半もかかってしまった。
満足していただいたが割に合わない仕事である。

4月
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大阪城の夜桜を見に行った。
ついでに修道館の剣道稽古もしばらく見学した。
夜桜は見事だが、やはり桜は青空のもとで見るほうが良い。



しだれ桜の前で。



大阪城内にある「ミライザ大阪城」の一階で。



けっきょく数日後、近所の佐保川の桜を見に行った。

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以前から食事に行こうと言ってた大野先生と牡蠣を堪能する。
せっかくなので着物を着て行った。ずっと二人で剣道の話をしていた。
大野先生は大阪の剣道の生き字引のような先生である。
一緒に一刀流の稽古が出来るのが嬉しい。



大野先生って、写真では笑わないんだよね。w

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事務所の近くはれんげ畑が多い。
4月のほんの数週間だが楽しませてくれる。
小さな頃、もう60年も前だがどこにでもれんげ畑があったものだ。
れんげ草は一番好きな春の花の一つである。

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八尾に住む三男夫婦がやってきた。
次男も彼女を呼んで自宅で食事会である。
みんな健康で元気なのが何より嬉しい。酒が進む。

5月
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急に思い立って薬師寺に来てみた。
確か、中学か高校時代に、高田好胤の本を読んで来た時以来だ。
あの頃は、何~~~~んも無かった。ので驚いた。立派になってた。

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般若心経のキーホルダーは前から販売しているが、
神社好きの一刀流の加藤氏に薦められて作ったのが天津祝詞のキーホルダー。
般若心経キーホルダーの裏面は般若心経、天津祝詞キーホルダーの裏には天津祝詞キの全文が印刷されている。
600円で販売中。送料は190円。いちおう然るべき神社でお祓い済み。最近、売れ始めているので嬉しい。
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MAKOMの「年賀状の部屋」

2024年02月29日 | つれづれ
紹介したことがあったか無いか忘れた。
個人的なホームページは、「MAKOMの部屋」として開設して、もう30年近くにもなる。

MAKOMの部屋
http://makom.my.coocan.jp/makom/

まあ、雑多な内容を脈絡も無く記録しているサイトだが、
少し内面的なサイト「MAKOMの隠れ家」というサイトもあり、
無料サイトの閉鎖を機会に、今は、MAKOMの部屋に間借りし、トップページからもリンクしている。

MAKOMの隠れ家
http://makom.my.coocan.jp/makom/kakurega/

ここには「年賀状の部屋」があり、1999年から毎年の事を記入している。
いわば日記で無く年記である。本音ばかりが書いてある。

今年は少し弱気な書き込みになった。
下に紹介する。



ご心配をおかけした蜂窩織炎(ほうかしきえん)も一年以上が過ぎ、
実は完治はまだですが一刀流剣術をメインに剣道稽古も復帰しつつあります。
年相応に仕事も遊びも武道も、無理せず健康に過ごしたいと考えております。
今年も、皆さまにとって良い年でありますよう願っております。

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コロナの影響からかと思われるが、とんぼ堂の売り上げも年々ジワジワと下がってきた。
もう昔のように、何でもしてやろう、何か面白いものを見つけて売り上げに結びつけてやろう
・・という気持ちも無くなった。

ホワード時代から付き合いのあった仕入れ先でも、
事業を縮小したところや廃業したところが増えてきた。

とんぼ堂として、もう20年以上も活動してきたなあ、
そろそろ廃業も視野に入れないといけないのだろうなあ・・・

・・というのが最近の心境である。

蜂窩織炎以降、何より健康を意識するようになってしまったのだ。

もう若い頃のように無理は出来ない。剣風もおとなしくなってきたな。
酒の量も減った。車の運転も慎重になった。もうそろそろ大人しくすべき時かも。。
そんな事を思いながら年明けを迎えたのだ。

今年(2024年)いっぱいで東大阪の事務所も閉鎖しようかとも考えている。

思い出の物品も全部処分するつもりだ。
まだ身体が動く間に計画的に行動を始めなくては間に合わないだろう。

さあてどうするかな。

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以上である。

「お年の割には元気ですね」
とはよく言われるが、お年はお年である。もうジジイだ。

いつ、ひょんな事から病気になったり怪我をしたりで寝たきりになるかはわからない。
そうなってからでは遅いのだ。元気なうちにどうするか考え、着実に行動しようと思う。
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能登の軍艦島(見附島)の崩落

2024年01月16日 | つれづれ


石川県能登地方の景勝地として知られ、その形から「軍艦島」とも呼ばれる
見附島(同県珠洲市)の一部が能登半島地震の影響で大きく崩落した。
2022年の最大震度6弱、23年の最大震度6強の地震でも一部が崩壊したが、さらに拡大。
地元住民は衝撃を受けていた。
見附島は珠洲市の海岸近くにある小島で、最高所の標高は30メートル近くになる奇岩。
今回の地震後、船首と船尾に当たる部分が崩落し、土砂が周辺に積み重なった。
見附島を見に来ていた同市の小木勇希さん(42)は「子どものころから見慣れた景色が別物になってしまった。
これまでの地震でも崩れていたが、今回の被害は比べものにならない」と話した。

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軍艦島を始めて知ったのは高校2年の終わりの昭和48年(1973年)3月だった。

前の年の修学旅行の仲間7人のうち5人と、1年後輩の1人、計6人で、
奈良から能登半島に向けて旅行しようということになった。
片道約500キロ。

3人は50ccのバイク2台+自転車、あとの3人は電車。

満足な地図も、携帯電話も無い時代。
確か時刻表と、授業で使ってた日本地図帖が頼りだった。
2組(自転車は同じ道だが早めに出発したので実質3組)が、
行き違いをする事も無く、途中で落ち合い、旅を続けられたなあ、と今から思えば不思議でもある。

金など無いのでバイクにテントを2つ積んで走った。
3月の北陸がどんな天候なのかも調べず今から思えば無謀すぎる旅だった。
もう半世紀以上も前のことである。

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(金沢駅前にて、商業車の原付、ヤマハFB50)


(金沢城前で、左は吉澤君)


(東尋坊で、自転車の塩浜君と吉澤君)

雪混じりの雨が降る過酷な旅だった。
防寒具など無く、セーターの上に薄いウィンドブレーカーを2枚重ね着していただけ。
ともかく寒くて寒くてずっと震えてた。下着も手袋もぐっしょり濡れた。
驚くべきことに、私は雨具さえ持ってなかったのだ。
2枚重ねのウィンドブレーカーは無力過ぎた。

今なら絶対にやらない。


(威風堂々たる軍艦島)

この時に出会った軍艦島は高校生の私にとって衝撃的だった。
いかにも日露戦争当時の戦艦を思わせるその景観は軍艦好きの私の心を揺さぶった。
当時は観光化もされず、簡単な案内板があった程度だと記憶している。
威風堂々たる軍艦島。

軍艦島の正式名称が見附島だと知ったのはずいぶん後のことだ。

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宿泊はテント、金沢駅泊のあと、能登では珠洲駅前の食堂兼民宿に2泊だか泊めてもらった。
後輩の親戚の経営だったので好意で宿泊費を無料にしてもらったのだ。

禄剛崎の灯台。
大多数はバスで行ったが、私は起きれなかった。
連日ずぶ濡れで走って風邪をひいたんだと思う。
禄剛崎の灯台に行けなかったのがずっとずっと心残りだった。

帰りは金沢駅泊、最終は琵琶湖の湖岸泊。
真っ暗闇の中でテントを張り、そこらの井戸で水を汲んだ。
井戸水は鉄のニオイと味がした。
赤い井戸水。真っ暗だから飲めたと思う。

で、2007年にバイクでリベンジ。

下はその時の軍艦島。
バイクはヤマハSR250.



2007年のバイク旅行は自分のサイトに旅日記として書いた。
http://makom.my.coocan.jp/makom/kakurega/bike/SR250/touring/2007/2007noto.htm

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2009年には夫婦で車で行った。





2007年も2009年も、泊まったのは珠洲市の谷野旅館。
谷野旅館のおかみさんに聞いたら、廃線になって、珠洲はすっかり寂びれてしまったとの事。
多くの食堂や旅館は廃業されたらしい。

今回の地震で思い出の軍艦島が壊滅してしまった。
形あるものはいつか滅びるとわかってはいるが寂しい限りである。
何かしらの支援募金をするつもり。

現在、珠洲の谷野旅館も周辺の民宿も宿泊は出来ない。
復興したら、必ずまた、能登に行こうと思う。
変わり果てた軍艦島もしっかり見て受け止めよう。
ともかく、がんばれ、能登。
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どうでもよい話

2024年01月12日 | つれづれ
その1)側溝

(写真はイメージです)

昨年最後の木曜会、12月21日。
この日も有意義な稽古で終わった。充実した気分だ。
撮影機材など入れた重い防具袋と竹刀と木刀を担ぎ、車まで行ったのだ。
前から回ると狭いので、後ろから回り込んだ。
学校の照明は消え、真っ暗な中で、側溝の上にある金属板が薄ぼんやり見えている。
まずはその上に右足を乗せ、続く左足を踏み出したのだ。
側溝の上にはフタが続いていると思っていたのだ。
左足は深い側溝に落ち、右足の膝を側溝の角で思いっきりぶつけてしまった。
涙が出るぐらい痛かったが男は我慢と運転して帰ったのだ。

12月27日の長正館の稽古では大丈夫だった。
12月30日の餅つき、31日の大みそか、元旦の自宅で飲み続け、
1月2日の実家で久々に大酒をかっくらってしまった。

それが原因か、膝が妙に腫れぼったく痛んでいる。
3週間も経過したのに、右膝を着くと激痛が走る。歩行に支障は無い。
おそらく膝の皿にヒビでもあるのだろう。
昨夜が初稽古だったがやはり痛い。
痛みが増すようであれば医者に行く予定。


その2)羽毛布団

(写真はイメージです)

昔から軽い布団って好きじゃなかった。重ねて重く使うのが好きなのだ。
でもあまりに寒いので、三男が家を出る時に置いて行った羽毛布団を使ってみた。
生まれて初めての羽毛布団だ。
おお、なんて軽いんだ、なんて暖かいんだ、暑いぐらいだ・・・
と驚いた次第。


その3)迷惑電話


電話番号は公開しているので勧誘の電話は毎日のようにある。
たいていは「興味なし」と言ってガチャ切りすると二度とかかって来ない。

さきほどのは計7回?かかってきた。
「蛍光灯をお使いですか?」
「はい」
「LEDに交換すると政府の補正予算が・・・」
「興味なし」と言ってガチャ切りした。

すぐまたかかってきた。
最初と同じように「補正予算が・・・」と言ってる。
面倒なので、受話器を放り投げておいた。
しばらくして切れたようだ。

数分後にまた掛かってきた。
おお、根性あるなあ・・と、また受話器を放り投げておいた。

それから2回電話があった。
着信拒否ボタンを押したら、違う電話番号でかかってきた。

「電話じゃわからんから営業マン、ここに寄越せ」
「私は何もそのようなことをお伝えしてるわけではありません」
「説明しに来いと言ってるんよ、どうするん?」
と言ったらガチャ切りされた。

5分後にまた別の電話番号からかかってきた。
受話器を取る前に切れた。
根性あるなあ。

ヒマな時期なら、話を聞くだけ聞いて遊んであげるつもり。

最初に名乗ったのは「ESサポートセンター」という会社名。
合計3つの電話を使ってきたが、さらに複数の電話、会社名を使っているらしい。
いずれもLED照明器具の押し売り販売である。注意されたい。

--------------------

以前も同じような事があった。
2回目の電話で「いいんですか?契約の件ですよ・・」と言い始めた。
おやまあ、知らない間に、何かしら契約でもしてしまったのかと勘繰った。
「契約うんぬんと言うなら説明を聞きたいから来てくれ」とした。

オペレーターは女性だが、来たのは男性の営業マン。
電話での無礼、話の矛盾を指摘して、さんざん説教したら謝って帰っていった。


その4)浴槽の交換

(写真はイメージです)

家の浴槽がボロボロになってきた。
塗装が浮いてきたのだ。汚れてもいる。
浴槽だけ交換できないか・・と適当に業者を探して見積もってもらった。
すると、TOTO製だが、すでに交換できる同じ大きさの浴槽は無いそうだ。

念のため、別の業者にも見積もりをお願いした。
ユニットバスなので、全交換となると100万円はかかると言う。
再塗装は簡易で費用は20万円ぐらい。でも10年ぐらいの寿命だろう。
金は無いし、今のでも使えないことは無いし・・・

さあてどうするか迷っているところ。
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謹賀新年(2024年1月1日)

2024年01月01日 | つれづれ


ご心配をおかけした蜂窩織炎(ほうかしきえん)も1年以上が過ぎ、
実は完治はまだですが一刀流剣術をメインに剣道稽古も復帰しつつあります。

年相応に仕事も遊びも武道も、無理せず健康に過ごしたいと考えております。
今年も、皆さまにとって良い年でありますよう願っております。






(元旦 自宅前で)

今年もよろしくお願いします。

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久々の餅つき(2023年12月30日)

2023年12月31日 | つれづれ
2019年12月30日にやったきりだから、4年ぶりの餅つきだ。
12月の始めに女房に「餅つきやるの?」と聞かれた。
女房にしたら、家の掃除、片づけから始まり、もち米の準備、食事の準備などで、
前日というか、数日前から大変な作業になるわけだ。

「やる、誰も来なくてもやる!」と即断して押し切った。

我が家の餅つきはお袋の実家(扇田家)の恒例行事だった。
先代の石臼は、お袋か生まれる前からあったらしく、
ということは、大正時代か、もしかしたら明治時代からのものかも知れない。
5~6年前に、誰かが杵で角を叩いて欠けてしまって大往生した。捨てるに捨てられぬ。

ずいぶん前に、扇田の叔父貴(扇田善次)が亡くなって、餅つきしないって聞いたので、
その時に我が家に持ち帰って扇田家の餅つきを継承してるというわけである。
私が元気なうちは続けたいと思う。

皆が撮った写真など並べてみる。




























今年もあとわずか。
来年も幸多い年でありますように。
日本に平和が続きますように。
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