稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

最近の稽古・あれこれ

2024年07月23日 | 剣道・剣術

6月19日、長正館剣道稽古
6月20日、木曜会(誠先生の剣道教室)
6月22日、往馬玄武会
6月22日、長正館一刀流稽古
6月26日、長正館剣道稽古
6月30日、第30回西日本古武道大会
7月3日、長正館剣道稽古
7月4日、木曜会(誠先生の剣道教室)
7月6日、往馬玄武会
7月6日、長正館一刀流稽古
7月10日、長正館剣道稽古
7月11日、木曜会(誠先生の剣道教室)
7月13日、長正館一刀流稽古
7月14日、修道館剣道クラブ生駒稽古会
7月17日、長正館剣道稽古
7月18日、木曜会(誠先生の剣道教室)
7月20日、往馬玄武会
7月20日、長正館一刀流稽古
7月21日、修道館剣道クラブ川上村合宿(日帰り参加)

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6月19日、長正館剣道稽古


5月の連休に痛めた右腕が痛みだしたので稽古は軽く行う。
地稽古一巡したあと、K君とMちゃんの試合稽古を行った。
少しずつ試合の駆け引きがわかって来だしたかな?というレベル。

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6月20日、木曜会(誠先生の剣道教室)

この日は剣道形の講習。大太刀7本、小太刀3本。
大太刀5本目で新しい発見あり。勉強になった。

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6月22日、往馬玄武会


お互いのクセがわかり合ってる仲間なのでおいそれとは打たせてくれない。
写真の左側は木曜会でも一緒のI藤六段。六段合格したばかりで乗りに乗っている。
調子に乗る前に叩き潰しておこうと思うがこれがなかなか・・・w。

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6月22日、長正館一刀流稽古


暑さのせいか人数も少なかった。
一般の指導はF副館長に任せて私は演武稽古。
30日に阿倍野、8月に愛洲、10月は熱田神宮と演武が続く。全部違う形を演じる予定。

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6月26日、長正館剣道稽古

冷房を入れていないので暑い。
子供たちの指導は構え、発声、足と手の一致を意識している。が、なかなかこれが難しい。

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6月30日、第30回西日本古武道大会


一組目、打方:粕井誠 仕方:加藤岳司 
二組目、打方:矢吹裕二 仕方:庄嶋卓司

YouTubeに動画をUPしました。(下のURLをクリックしてください)
https://youtu.be/9w_dosvXbo0


禮楽堂として出場。宗家と一緒に演武は初めてである。
宗家の演武(高上極意五点)はサスガ!というレベルだった。
刃引を使っての切り落としは難しいものなのだが豪快だった。勉強になった。

前日は懇親会があり参加させてもらった。

小野派一刀流矢吹宗家と宝蔵院流槍術の駒喜多宗家と。

後列左から矢吹宗家、粕井、庄嶋先生。
前列左から直心影流薙刀術の大林先生、谷口先生。

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7月3日、長正館剣道稽古


この日からエアコンが入る。
入ったからでは無いが基本稽古から参加した。
最近の暑さは異常である。エアコン無しだと気力が持たない。

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7月4日、木曜会(誠先生の剣道教室)


すっと入る・・・これが出来ないのが悩み。
最後は回り稽古になったが、すっと入る時に打ち気が勝って溜めにならないのだ。
少しでも迷うと待ち剣になってしまう。それでも七段同士の回り稽古は勉強になる。

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7月6日、往馬玄武会


5人での稽古。奇数だと休めるのが嬉しい。
出来るだけ木曜会のおさらいを意識して稽古をする。

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7月6日、長正館一刀流稽古


写真は裏切という技で打太刀を腰を使って、しのいで擦り込んでいく場面。
長正館の一刀流は古伝に近く、かなり真剣刀法、つまりは古伝に準じている部分がある。

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7月10日、長正館剣道稽古


またもや右腕が痛む。最初の切り返しでズキンと来てしまったのだ。
で、この日はほとんど打たないようにした。捌くだけ。
時々痛いのを忘れて振り上げてしまって後悔している。何なんだこの痛みは?

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7月11日、木曜会(誠先生の剣道教室)


心配していた腕の痛みも無かったのだ。
途中まではガンガン打ち込めた。「きょうは調子が良いなあ~」と思っていたのだ。
中盤ぐらいから徐々に右くるぶしが痛みだす。捻挫したような痛み。
徐々に痛みが増したので稽古から抜けさせてもらった。
あとは動画撮影に徹する。
この日の指導は色々な実戦的な技の指導。表から裏からの、上からの下からの、誘っての・・・。

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7月13日、長正館一刀流稽古


足が痛いので座って指導した。(奥で座ってるのが私)
何なんだろう?この痛み?痛風の再発?蜂窩織炎の再発?
心配である。無理はしないでおく。

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7月14日、修道館剣道クラブ生駒稽古会


着替えずに見取り稽古。
昇段審査対策が中心。
佐藤博光八段による指導。 素振りからしてレベルが違う。



最後に集合写真。

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7月17日、長正館剣道稽古


防具は着けなかった。見てるだけ。

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7月18日、木曜会(誠先生の剣道教室)

防具は着けずに撮影のみ。
最後は七段元立ち+七段同士の立ち合い稽古。
見取り稽古だが勉強になった。

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7月20日、往馬玄武会


この日も防具を着けずに撮影のみ。
見てるとムズムズしてくる。 見ているだけでも汗が噴き出す暑さである。生駒も暑い。

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7月20日、長正館一刀流稽古


指導稽古。
打方は負けて下がるのでは無い、勝とうとして下がる。
結果として仕方を引き出すことになる・・ということを説明した。

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7月21日、修道館剣道クラブ川上村合宿(日帰り参加)


5時半に起きて急ぎの仕事を片づけてから川上村へ向かう。
足は痛むが取りあえず防具は持っていった。
上垣範士に面打ち1本だけでも・・・と思ったのだ。

最初に立ち合い稽古になった。八段審査に挑むものが7名。
2組作るのに1人足りないので「粕井、行けるか?」と聞かれた。
「動けないかも知れませんがやってみます」と参加した。
ともかく発声と構えを意識する。打ち込めないので待ち剣になってしまった。
終ってから上垣範士に「攻め具合は良かった」と言われのが嬉しい。

そのあと上垣範士に稽古をつけてもらう。
足が痛むので早めに打ち込みしようとすると「懸かり稽古とちゃうぞ!」と言われ仕切り直し。
最後の切返しが永遠に感じられて辛かった。足がもうパンパンである。

上垣範士は人生で一番悩んでいた時、一言のアドバイスで救われたことがある。
剣道のアドバイスだが生き方のアドバイスになったのだ。
この事、いつか書きたい。



早く着き過ぎてしまい、丹生川上神社上社にお参りした。
「夏越大祓式・茅の輪くぐり」とかで作法通り3回くぐった。

稽古の後は集合写真。

 

 

 

 

 

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杭全神社に初宮参り

2024年07月09日 | つれづれ
7月7日、七夕の日に初孫の初宮参りに行きました。
神社は平野の杭全神社、杭全は「くまた」と読みます。

粕井は江戸時代には平野郷で綿問屋を営んでいました。
綿のカスを主に扱う問屋で、屋号が「糟屋」。
紋は唐花で杭全神社の「織田瓜紋」の真ん中部分を頂いたと聞いています。



左が杭全神社の「織田瓜紋」、中が粕井が頂いた「唐花紋」、右の我が家の紋は「丸に唐花紋」。
紋付着物を作る時に、こっちのほうが恰好良いので思い切って変えました。うちは分家だしね。
その時には「家紋変えましたのでご報告に来ました」と杭全神社に参って筋を通しました。

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明治になって西洋綿が大量に輸入されるようになって平野の綿は瞬く間に衰退した。
私の曽祖父、粕井秋五郎の時代に綿問屋を諦め鴻池家に奉公し平野の地を離れ大阪市内に居を移す。
実は秋五郎は婿養子で、元は長州の岡本という性で武家であったとか。

鴻池では小僧や丁稚に剣術を教えていたそうな。何流だろう?
もし一刀流系であれば面白いのに。

祖父の信一(號は豊誠)が生前、私が剣道をしている事を知って、
「わしの父親は撃剣めっぽう強かったんや」と嬉しそうに話してくれた。
曽祖父は背の高い人で鴨居に頭がぶつかるほどの身長で、いつも部屋に剣道着が掛かっていた。
その剣道着には「宮本武蔵」と墨で書いてあったと懐かしそうに話してくれた。半世紀以上も前の話だ。



約ひと月ぶりに見る孫は大きくなっていた。
赤ん坊の成長は驚くべきものである。



祈祷は良いものだ。厳かな気持ちになる。
鈴のお祓いの時には泣きたくなるほど感無量になった。

この時に小さいデジカメで何枚か写真を撮ったのだがSDカードの入れ忘れだった。
何としたことだろう。痛恨の極みである。






杭全神社で初参りを済ませ、近所のがんこ平野屋敷で昼食。





粕井陽向くん。「ひなた」と読むがだが「ようこう」とも言いたくなるなあ。。



健康で丈夫で大きくなれよ。
何かあればジイジが飛んで行くぞ。

出来れば長生きして、陽向の結婚式に出席したいものだな。



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