稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

夏からの飲み会(まとめ)

2023年11月15日 | つれづれ
8月13日の「粕井貫次・睦子 七回忌法要」以降の飲み会のまとめ。

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8月26日、愛洲移香斎剣祖祭前夜 in三重県南伊勢町


恒例の定宿「海晴」が満室だったので、紹介してもらった「民宿満玉」に泊まった。
リーズナブルで料理も美味く、携帯が繋がらない事を除けば良い宿だった。
写真は夕食。この時はあまり飲まなかったが、食後に部屋で宴会になった。
残念ながら宴会の写真は無い。撮り忘れたのだ。メンバーは下の写真。

(翌日の演武のあとでの集合写真)

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9月22日、紀州ひのき屋、岡田社長と京橋


岡田社長とは剣道との縁で知り合った。
まもなく岡田社長の製造する「ムカデシャット」という商品を「とんぼ堂」で扱うようになった。
ムカデシャットはムカデなどの害虫忌避剤で、他社大手に勝る大変優秀な商品である。
扱いだしてからもう20年以上にもなる。この商品のおかげで何とかやってこれた。
岡田社長は同い年。三重県尾鷲市在住。剣道はむちゃ強い。
京橋で落ち合い、いつもの飲み屋に行ったら廃業していたので近くの別の店へ。
仕事の話、剣道の話など話題が尽きなかった。良い時間を過ごせた。

仕事と剣道はほとんど全部そのままつながっている。
そういう意味で私は剣道のプロかも。


(ムカデシャットの名札)

この名札を見かけたらお声をおかけください。
ムカデシャット屋内用のサンプルお渡しします。

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9月30日、阿波座にて、長正館一刀流暑気払い

(右下の私の写真ははめ込み)

長正館は剣道の飲み会はやらないが何故か一刀流の飲み会は定期的に行っている。
この日はY山氏幹事の飲み会で、飲み放題食べ放題の台湾料理。
顔も忘れていて「あれ誰?」という者も飲み会には参加するのが面白い。
参加者には、とんぼ堂特製のカンバッチをプレゼントした。


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9月31日、女房の同窓会 in鶴橋


二日続けての飲み放題。
この日は女房の青森時代の同級生夫婦が来阪し鶴橋で待ち合わせ。
韓国料理のサムギョプサル の店で飲み放題食べ放題。

ご主人は青森市浅虫出身で女房の小学校・中学校の同級生。
奥さんは隣町の久栗坂出身で女房の中学校・高校の同級生。
共通の学校は今は廃校になった浅虫小学校、浅虫中学校である。
中学校の跡地は浅虫水族館になってしまった。
高校は現存しているが、今では男女同学になってしまった明の星高校だ。

女同士の話は尽きないものだ。
青森の話が多く、私は寡黙がちで、ニコニコと酒を飲んでいた。

下は写真加工のアプリでの加工写真。

加工前


加工後


「ババアが娘さんに変身したなあ」と言ったら叱られた。

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10月21日、大阪剣道同好会 in難波


なんば養正会との合同稽古。
1時間の稽古のあと、裏手の中華料理「大福」にて有志での飲み会。
剣道談義が続く。先輩たちの良い話をたくさん聞けた。

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11月21日~22日、京都旅行


仕事も兼ねての京都旅行。
回ったのは八坂神社、知恩院、琵琶湖疎水インクライン、南禅寺、鞍馬寺、貴船神社、石山寺、三井寺。
こんなに歩いたのは何年ぶりかも。
心配していた蜂窩織炎後遺症の痛みのある足も、ゆっくり歩いたので何とかぎりぎり無事だった。


南禅寺の水路閣にて。

下の写真は水路閣の同じ場所で撮影。なぜか親が回りに居なかった。
元の大きなサイズの写真は良い出来なので、お心当たりの方が居たらご連絡ください。
元のデータ送ります。11月21日13時17分撮影です。
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蜂窩織炎(ほうかしきえん)に罹って一年経ちました。

2023年10月17日 | つれづれ
蜂窩織炎(ほうかしきえん)に罹ったのは昨年の10月13日。
朝から猛烈な痛みで歩くことも出来ない。
最初は痛風の発作だと思った。
右足はふくらはぎから下がパンパンに腫れ、激痛が続くので医者に行った。

血液検査で蜂窩織炎(ほうかしきえん)だと言われた。
入院を勧められたが断り、抗生物質を朝晩打ってしのいだ。
ともかく寝てばかりいた。いや痛みで眠れない。うとうとしては激痛で目が覚める。

右足首から下の皮膚がボロボロと剥がれていくのが奇妙だった。
何か悪い異物を皮膚が吸収して壊死して剥がれ落ちていくような気がした。


(昨年の足・皮膚が剥がれ落ちたあと)

松葉づえを使って生活した。
腫れた足では靴を履けず、はだしで何とか運転して仕事をした。
一ケ月半を過ぎて片手杖に変えた。
それでも数百メートルの歩行は困難で全ての稽古を休んだ。
寝てばかりいた。禁酒。食事の内容に気をつけた。
良かれと思うものは何でも試した。

年が明け、蜂窩織炎はコロナワクチンの後遺症ということを聞き、まさしくそれだと確信した。
コロナワクチンを打つと免疫力が極端に下がり、感染症に罹りやすくなるという。

年が明け、1月いっぱいは片手杖で生活した。
稽古はまだ無理。少しの距離でも歩くのが出来ない。


(本日の足)

稽古は3月から再会。軽く。ほんの軽くから再開。
痛みのある時は迷いなく休んだ。

いまも痛む。基本稽古は極力しない。時間が経つと足首から先が痛んでくるからだ。
シクシク、ビリビリとした痛みである。何か悪いものがまだ潜んでいるのだろう。
打ち込みを続けると痛みが増してくる。待ち剣になるのがイヤだが仕方が無い部分もある。
地稽古も、一人や二人なら何とかなるが、それ以上は受け身になってしまうのだ。

まだまだ悪いが、それでも月単位では良くなって来ているとは思う。
悪化するようなら医者には行こうと思っているが、まあ大丈夫だろう。
稽古量は極端に減ったがまあ仕方が無い。

健康が良い。死ぬまで健康でいたいと切に思う。
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久々に、ホワードの夢を見ました。

2023年09月12日 | つれづれ
駅の改札に居ます。妙に混雑して前に進めません。時間は朝の6時半。
売り出しの初日なので7時15分には出勤しなければなりません。ぎりぎり間に合う時間です。

改札からホームに進みますがなぜか前に進めません。電車が入って来て扉が開きます。
焦ります。無理やり前に進もうとしますが進めません。目の前で扉は閉まってしまいました。遅刻です。

会社の前まで来ました。時間は7時21分です。
遅刻した言い訳をあれこれ考えながら裏口から中に入ります。

なぜかタイムカードが見当たりません。照明も薄暗く、というか真っ暗のような感じです。
困ったなあと思いながら近くの売り場に入ります。暗く、なぜかガランとしています。
空き箱やゴミなど散乱してます。椅子や陳列棚も捨てられたように転がってます。

部屋の隅で、スポットライトが一個だけ、ぼんやり暗く光ってます。
根元のスイッチをひねって消そうとしますが回しても消えません。
スイッチを回しながら「そうか、もうホワードは潰れたんや・・」と気づきました。

夢はここまで。

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ホワード株式会社は大阪の船場(せんば)心斎橋にあった、
暮らしの衣料を中心とした現金前売り問屋の中堅で、同業に大西衣料や丸光がありました。
最盛期は大阪東京を合わせて社員で300名、パートを入れて400名を超える社員が居ました。
私が入社する数年前までは、臨時ボーナスが何回も出たほど景気が良かったらしい。

同業の大西衣料や丸光がある船場からは、ホワードは少し離れた心斎橋の位置にあり、
現金前売りという業態だと少しばかり分が悪い立地だった。
その分、小売り向けの立地であると言える。

ホワードを辞めた(正確には会社都合退職、つまりクビ)になったのは平成19年(2007年)3月31日。
役員も誰も私の前には来ず、人事担当の課長が「辞めてもらえませんか?」と3月31日の19時過ぎ。
「会社都合なら辞めてやっても良い」と返事して、「自分の荷物は後日分けて運ぶ」と退社した。

当時はお元氣ハウスという屋号で楽天にショップを出していたが、
辞めるのを予測していたので事前に閉店しておいた。直属の部下も居なかった。

ホワードの事業を引き継いだ鈴花(佐賀県本社)の社長だか専務は、
「インターネット事業はどうなったんだ?」と、激高したとあとで聞いた。
私の上司である山内という口先だけの無能な役員は、ほぼ5年間も私の前に顔を出さず、
私が何をどのようにしていたのかも知らなかったはずだ。

そんなこんなでお元氣ハウスは名前を変えて「とんぼ堂」となり現在に至る。

ホワードの夢は退職してから10年間は時々見てた。
場所は東京であったり、大阪であったり、場面は売り場だったり会議の場であったり。

最近見ないなあ・・・と思ってたら今朝の夢。

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東亜特殊電機を辞めて、東京に出てきて、一年間、
早稲田大学ビジネススクール(早稲田大学 大学院経営管理研究科)で勉強し、30才で東京ホワードに入社した。
社長(粕井貫次)の息子という事で、腫れ物に触るかのような、でもしかし
「世間知らずのバカ息子らしい」というイメージは皆に持たれていたように思う。

入社してすぐに「現金前売り問屋の業態はもう駄目だ」ということに気づいた。
今はまだ良いが、近い将来、絶対にダメになると確信した。40年近く前の事だ。30才過ぎだ。
メインのお客である地方の小さ波洋品店に将来性は無いと判断したのだ。

あれやこれやと社長(父親)に言うが相手にしてもらえない。
「まずは自分の部門(子供洋品課)の数字を上げてから言え」と散々に叱られた。
ここの数字は上がらない。もともとファッションなど無縁な人間である。
相談する相手も無く、悶々として腐りきった日々を送っていたのだ。

黙って服従して10年間が過ぎた。少しは意見を言えるようになったのは40才過ぎ、
大阪に転勤になって、やっと経営の仲間入りが出来ると思ったのも束の間、
社長(粕井貫次)は株主(兄弟連合)に潰され社長の座を奪われたのだ。


(名刺では部長という肩書だが給料は減らされ続け、主任レベルにまで下げられた)

そうなると息子である私は居場所は無い。
「お前は苦労知らんから一度苦労してみたら?」と伯父の粕井宏に言われて役員からは外された。
「あんたどれだけ48才の俺の人生知っとるねん?」とは思った。それほど伯父とは接触が無かったのだ。

こうなると誰の助けも無い。何をやっても低評価しか無いのである。
人間関係のいやらしさ、持って行きようの無い怒り、悲しみ、無念さ。

朝5時半に起きて7時過ぎは出社した。
まずは店頭の浮浪者を追い払い、会社の回りのゴミを拾い掃き清めた。
そこそこ大きい敷地である。30分間はかかったであろうか。
時には酔っ払いの吐しゃ物や排泄物も処分して洗い流した。

それから屋上で半時間、木刀の素振りと居合刀による抜刀の稽古。
洗面所で汗を流し、それから仕事にかかったのだ。
夜は「剣道ばかりして仕事しよらん」と非難を浴びながら(週3回だけ)19時半に会社を出て難波まで稽古に行く。
21時半には会社に戻って残業した。23時に退社施錠して自宅に戻って夜12時過ぎに寝る。
そんな生活が何年も続いた。まるで修行僧のような生活である。

ある日、休日に、自宅で、時間をかけて愛刀の寝刃を合わせた。
給料が下がり続け手取りで20万を切り、もうどうしようも無くなってしまったのだ。
会社に愛刀を持って行きロッカーに置いた。本気で人を殺す事を考えてた。
結局、家族の事を考えると実行できなかったのだが、あれは50前後の頃かな?
家族が居なかったら今の自分は無かったと正直思うのだ。

剣友に「粕井さん、最近、目つきが変やよ」と言われたのもその頃だ。
立場を利用して、弱い者を追い詰め続けたら駄目である。本当にそう思う。



ネットショップを任され、ゼロから年商1000万まで伸ばした。
「本気で取り組めば大化けしますよ」と提言したが平良守というバカ社長は鼻で笑うのみだ。
そこで方針を変えた。自分のため、いつでも独立できるように変化させた。

いや、腐っていたばかりでは無いのだ。
密かに会社再建の道を模索してた頃でもあった。

当時は土地バブルの真っ最中、でも終わりも見えていた頃。
みずほ銀行を始め、弁護士、不動産屋など、いくつかの協力も得ることが出来たのだ。
そして住友銀行からの多額の負債を、合法的にチャラにする手法も学んだ。

まず不動産鑑定を行った。
鑑定には22万円もかかったが背に腹は代えられない。
ホワードの土地を処分したら、いくらぐらい手元に残るかを査定したのだ。
弁護士には30万円を支払った。これで貯蓄も無くなった。背水の陣。

あとは株主である、伯父、叔父、父親を説得すれば良いだけだ。

ホワードの優良な部門を残し、あとは解散する。
辞めてもらう社員には充分な退職金も配分できるように配慮した。
残ったホワード本体は基本的に不動産業で生き残るのだ。

社員も株主も皆ハッピー。悔しがるのは住友銀行だけとなる。
そういう案を具体的な計画として外部各所と相談しながら作り上げた。

心斎橋筋北商店街、船場心斎橋筋商店街の両方の活動と付き合いの中で、
生き残るには不動産の活用しかないと徐々に思い始めて研究した結果だ。



しかし株主への説得は出来なかった。
みなもう自分の責任逃れしか考えていない。

株券を、何も知らない鈴花に無料譲渡して、代わりに経営責任を逃れようとしたのだ。
鈴花は住友銀行から「大阪で事業の拡大が出来ますよ」と言われて騙された。
住友銀行だけが濡れ手に粟で、まだ相当の資産価値があった心斎橋の土地を手に入れた。

ホワードに入社して10年間の30代は自分自身が腐りきっていた。死のうと思った事もある。
その頃、部下や家族など、回りに迷惑をかけた事も事実だ。今も痛恨の思いである。

次の40代は臥薪嘗胆だ。男の仕事人生で一番輝ける40代を何もしてこなかった。
そして50代は切羽詰まって開き直ったような人生を歩んだ。

経営を引き継いだ鈴花も赤字を出し続け、間もなくホワードは解散した。
ホワードが創業した土地には、今ではダイソー心斎橋店がある。

30才から52才までのホワードでの経験は今でも夢を見るほど尾を引いている。
いちどは楽しいホワードの夢でも見たいものである。

(書きなぐった書き込みなので、あとで加筆訂正する場合があります)
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2023年8月13日、粕井貫次・睦子 七回忌法要

2023年08月14日 | つれづれ
母、粕井睦子は、2017年9月11日に亡くなった。
父、粕井貫次は、2018年4月7日に亡くなった。

二人の七回忌法要を8月15日に行った。
久々に親族一同が集まった。
台風が接近する中、関東方面の面々が心配だったが、幸いにも台風の速度が遅かったのだ。

いつものごとく飲んで食べて喋って笑って。。。

写真の一部をUPする。

1)王竜寺で墓参り









2)実家にて法要





3)新大宮の桃谷樓(とうこくろう) にて食事











カメラマンの私は上の写真には写っていない。
最後の集合写真を大きくUPしておこう。



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ホワードミニ飲み会(大石会)2023年7月13日

2023年07月14日 | つれづれ
コロナのせいで少なくなったが、コロナ以前は年に数回集まっていた飲み会。
今は廃業したホワード株式会社の仲の良かった者の集まりである。
総務や経理、情報システム、広報関連などのスタッフ部門かな?

昨年11月もあったが、私はあの忌々しい蜂窩織炎のせいで参加を諦めた。
松葉づえをついて行こうかとも思ったが数十メートルも歩けなかったのである。
まあ行ってもアルコールは飲めなかったけどね。

前回から参加の従兄の努さんも来てくれた。私より2つ年上。
努さんの親、つまりは伯父の粕井宏は大嫌いなヤツの一人だが努さんは良い人だ。
彼の奥さんがこのブログを見てると言うことなので、今回は写真を全部載せちゃおう。
努さんの奥さん、まだ会ったこと無いけど、よろしくです。(←これ個人的な挨拶です)



まずは刺身の盛り合わせ。
集まったのは心斎橋駅改札北の御堂筋に上がるところにある「かつら亭」。
ここは刺身が美味い。値段もリーズナブルである。お勧め。


(左端が従兄の粕井努さん)



まずは生ビールで乾杯。飲み放題なのでピッチャーで何杯もおかわり。





お気に入りの唐揚げとスルメ天。我々の定番メニュー。
あとは蕎麦の揚げ物とか豆腐サラダとか、厚揚げの何かもあったかな?







ともかく話が弾んで2時間半があっと言う間に過ぎてしまった。
話の内容は公開すると大騒動になりそうな話ばかり。
要約すると、時代の変化に対応できずにいた会社の経営陣+監査役に対する罵詈雑言。
住友銀行に騙された鈴花と鈴花から来た無能な経営陣の話。
知らないエピソードもあったなあ。

何年かぶりかで会ったカッキーも元気そうなので安心した。











考えてみたら一緒に仕事してたのはもう20年近くも前なんだなあ・・・
みんな年をとったけれど、また集まろう。そして楽しく飲もう。

(写真は秋月さん撮影の写真も入れてます)
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最近の出来事・あれこれ

2023年02月22日 | つれづれ
「最近の出来事・あれこれ」は、年末に書いたきりです。
年末からの分をまとめて書いてみます。

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粕井家伝統の12月30日の餅つき(正確にはお袋の実家の扇田家の伝統)も、
1月2日の親戚の集まりも無しで、年末から元旦はの~んびりだらだらと過ごした。


(近鉄奈良駅にて)


(近鉄ビルのエレベーター内にて)

2日には茨城県から長男夫婦が、八尾から三男夫婦が来て、近鉄奈良駅上の百楽荘にて団らん。
足の悪い事、商売も整理している事などを話し、ここに「父親卒業宣言」をしておいた。
あとはそれぞれ自分で考えやってくれ。みなもう良いトシや。

ということで肩の荷が下りた。

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1月3日は長兄一家を呼んで正月祝いをした。
兄貴も3回も結婚して色々あった人生である。ここいらでやっと落ち着くだろう。
春には二人でバイクツーリングに行く約束をした。うん、楽しみである。

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正月なので餅を焼く。
小さな小さな電気コンロで何回もひっくり返して焼く。
最後は醤油を万遍につけてこんがりと焼き上げる。
外はややカリッとして中は柔らかい。
お袋はこの餅の焼き方を「粕井の貧乏餅」と馬鹿にしていた。
お袋の実家の扇田家ではさっさと焼いて柔らかいまま食べるのだ。
私は食べなれた貧乏餅が好きで時間をかけて焼いて食べるのだ。
ゆっくる過ごせる正月だけのマイナーな楽しみである。

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稽古のほうにも書いたが1月14日は枚岡神社に参拝した。
例年は元旦に、家の近所の杵築神社に参るのだが元旦は足の具合が悪く家でだらだらしていた。
長正館のための参拝なので家の初詣はまた別の日に。

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1月の週末は奈良の川上まで仕事を兼ねて一泊旅行。
定宿の杉の湯ホテルは温泉のお湯が出ないとかで急遽手前の小さな旅館に。
ぼたん鍋がとてもおいしく温泉もとても良かった。

ついでに家の初詣。石上(いそのかみ)神社と三輪神社。
帰りは奈良の弥生時代の大集落跡「唐古・鍵遺跡」を見てきた。
時間の余裕があったので、のんびりくつろいだ二日間だった。

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2月から稽古は再開する予定。
とは言っても剣道は無理。打ち込みの足をすると痛みが大きい。
まずは一刀流から。無理は禁物。お酒もほぼ飲んでいない。
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ワクチン接種のせいで免疫力が低下したのか?(蜂窩織炎の原因)

2023年01月14日 | つれづれ

(まだまだ右足の浮腫みは治まらない)


(右足首の腫れと痛みは続いている)

SNSで、新年の挨拶をかわす事も多くなった。
年賀状よりも費用がかからない事はもちろん、SNSだと近況を気楽に交換できる。

だいたい年賀状で何十年も続けて「お元気ですか?」と書き続けるのも愚なものだと思う。
昨年より年賀状仕舞いしたのもそのせいだ。(年賀状を出さなくなった旧友たちよ御免)

そのSNSで、
薬学関係ではそこそこの権威と実績のある、小中高の同級生からの返事。
蜂窩織炎の事など書き送ったあとからの彼からの返事。
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そうそう、蜂窩織炎だってね。
これは余計なことかも知れないけど、ワクチン打った? 
もし3回以上打っていたなら、蜂窩織炎はそのせいかも知れない。
なにせ、あのワクチンは免疫力を極端に下げてしまうので、感染症に陥りやすくなりますし、
最悪、発癌やエイズなどなどの発症の恐れが指摘されています。いずれにしても、おだいじにね。
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そっか!ワクチン接種が蜂窩織炎の原因なんだ!

確かに稽古のし過ぎ、酒の飲み過ぎ、慢性的な睡眠不足はあった。
しかしそれは以前からのものだし、急に生じたものでもない。
仕事のストレスはそこそこあるが、それも極端に負担にはなっていないつもりだ。

新型コロナワクチンは4回打った。
最終的に打ったのは昨年、2022年7月26日。

思い起こせば4回目のワクチン接種後から、妙に疲れやすくなったのは事実である。
8月の真夏の稽古は例年つらいものなのだが昨年は特につらく苦しかった。

8月9月と稽古のあとに飲み会もあったが、
不思議なことに好きな酒が美味いと思わなかった。

特に9月17日の曽祖父、粕井信一の50周忌の法事の際の酒はまったく進まなかった。
はっきりでは無いが、それ以前から体調に少し違和感があるのも感じていた。
その頃から感染症である蜂窩織炎になる下準備が整っていたのだろう。

引き金は10月8日の大阪剣道同好会の稽古のあとの飲み会。
これは記憶が無くなるほど無茶苦茶に飲んでしまった。

そして10月12日から右足首が痛み始める。
最初は痛風だと思っていた。

医者で血液検査をしたら蜂窩織炎(ほうかしきえん)と診断され入院を勧められた。
入院はしなかったが朝晩の抗生剤の点滴を受け続け、しばらくして飲み薬となり、今は自然治癒を目指している。

数日前の診察で、
「お酒は飲んじゃいかんですか?」と医者に聞いたら、
「地雷原を歩くようなもんやで、悪化して良いと言うなら別やが・・」

つまりは「飲むな!」である。

蜂窩織炎では無いが、全身が痒くて仕方が無い。
もともとアレルギー体質で冬場は肌が乾燥し痒いものだが今年は異常だ。
もしかしたら、これも新型コロナワクチン接種による免疫力低下のせいかも知れない。

免疫力が低下して、持病を持ってるものは何かと悪化するのだろう。
心臓病、肺病、腸炎、帯状疱疹などの皮膚病・・・なんでもござれだ。
きっと新型コロナやインフルエンザにも、接種前よりかかりやすくなると思う。

マジで恐ろしい。

ワクチン接種は健康障害を生じるというのは間違いないと思う。
素人の経験からだが、結論としてワクチン接種はお勧め出来ない。
自宅に5回目のワクチン接種券が届いているがもう打つ気はしない。

親しい人には個別に忠告しておくことにする。
ここには私的な記録として残しておく。公開はするけど。
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2023年1月2日 一家全員の集まり

2023年01月03日 | つれづれ


コロナ禍の前は、12月30日に我が家で餅つきをし、
1月2日は実家で親族が集まって祝いをするというのが恒例であった。
それは亡くなった両親、貫次・睦子を中心とする親族の絆のごとき行事でもあったが、
中華コロナのせいで恒例行事が無くなったのは寂しい限りである。

今年は、奈良の中華料理百楽にて私の一家が集まった。
茨城のつくば市から長男夫婦、八尾市から三男夫婦も来てくれた。
それぞれが立派に仕事をこなしていることに安心した。
そして、息子たちみな、とっくに親離れしているのを改めて感じた。
こういう正月も良いものだ。

よく考えたら蜂窩織炎になってから初めての外出・・・

というか、バスや電車を使っての移動は初めてである。
(車やバイクは歩かないので大丈夫なのです)

不安だったが年末より腫れも痛みもマシになったので思っていたより普通に過ごせた。
ただ大幅に歩くのは無理で、小幅でゆっくりと歩いた。爺さんみたいに。
杖は卒業出来たもようです。







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新年

2023年01月01日 | つれづれ


あけましておめでとうございます。

昨年は、年甲斐もなく武道練武に明け暮れてましたが、
昨年10月に蜂窩織炎(ほうかしきえん)という感染症にかかり、
右足が腫れたまま、武道は完全に休んだままでおります。

今年から様子を見て・・ですが、
徐々に稽古を再開したいと考えています。

ともかく健康に留意して、飲酒を控え、
何かにつけて無理はしないでおこうと心に強く決めております。
今年も変わらぬご指導とお付き合いをお願いします。

粕井 誠 拝
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最近の出来事・あれこれ

2022年12月28日 | つれづれ
「最近の出来事・あれこれ」は、5月10日、8月16日にUPして以来です。
まとめ記事になります。10月以降は蜂窩織炎のせいで、ほぼ動けずにいるのです。

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(上本町の顕考庵にて)


(墓参り・私の写真は合成)

9月17日、祖父の粕井信一(豊誠)の50周忌ということで、
従兄の粕井均兄の呼びかけで孫10人全員が上本町の顕考庵に集まった。
(アメリカ在住の雅世はネットでの参加)
そのあと宴会で楽しく語らった。
おそらく従兄全員が揃うのはこれが最後になるだろうな。

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(車庫の、スズキ バンバン200)

9月25日、注文も少ないので久々にバイク。
163号で伊賀上野まで行って、伊賀食堂の焼肉定食を食べようと思った次第。



JRの伊賀上野駅前で。
ここは関西本線で、名古屋大阪間の距離的な最短ルートなのだが直通は無く本数も少ない。
行った事が無いので寄って写真を撮っただけ。時間つぶし。



伊賀食堂に寄ったが満員で行列が出来ていた。
待つのは嫌だし、さほど腹も減って無かったのでスルーした。
「玉ねぎ高騰のためキャベツになります」というのも気に食わなかった。



25号線を東に走り、道の駅「関宿」にて「とんてき定食」を食べる。
ごはんを大盛にすれば良かった。事前にごはんの量はわからないのだ。
そして肉は切り分けて欲しかった。
(写真で切ってあるように見えるが切込みのみである)
かぶりつくしかないので女性はこれ注文すると大変だろうな。

しかしこれは美味かった。
道の駅の売店で「トンテキのタレ」を買った。



関宿から1号線を北上して土山町の田村神社を参拝。
田村神社は坂上田村麻呂公を主祭神をしている。
もしかしたら、青森の女房の実家、田村家ともどっかで繋がっているかも。

結局、甲賀まで行って、買い物をして、信楽を通って戻ってきた。
合計200キロほどのツーリングになった。

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(京都、三千院にて)

蜂窩織炎(ほうかしきえん)に罹ってしまってほとんど何も出来なくなった。
11月12日13日は仕事も兼ねて京都まで。
足が心配なので女房に着いてきてもらった。
思ったより仕事が早く片付いたので観光地も回ってみたかったが歩けない。
車で移動して、杖をついて何ヵ所か写真を撮っただけのミニ旅行になった。

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12月23日は長兄夫婦を自宅に呼んで1日早いクリスマス。
私は蜂窩織炎で飲めないので形だけの乾杯をして豆乳鍋とチキンの丸焼きで団らんした。

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現在の足はこんなもの。
少~しずつ良くはなっているがまだ無理は出来ない。
1月の末からで良いので、打ち込みでも出来るほどには回復したいものだ。

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ガスファンヒーターの前で寝ていたら星ちゃんがお腹の上に乗ってきた。
我が家に猫は三匹いるが、三匹三様の甘え方をしてくる。
どの猫も可愛い。
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蜂窩織炎(ほうかしきえん) 途中経過(12月7日)

2022年12月07日 | つれづれ


良くはならない。
右足はまだ腫れている。
寝る時のジンジン痛みは無くなったので夜は眠れる。
コロナの後遺症か咳が残る。咳が出ると眠りの妨げとなる。

残念ながら長く歩くと関節が痛む。
階段は登るのは何とか一歩ずつ登れるが下るのは半歩ずつ。
半歩ずつと言うのは、左足を下ろし、右足を左足の段に揃え、また左足を下ろすというもの。

ロキソニンを飲むのは止めた。飲んでも同じだから。
寝る前、出勤前にメンタームを右足に塗りまくっている。



ちなみにメンソレータムはロート製薬の製品。
もともと近江兄弟社がメンソレータムを作っていたが一度倒産した。
その間に、ロート製薬が製造販売権を会得し、
近江兄弟社が再建した時に、別名のメンタームとして製造を再開し販売した。
成分や効能は同じようなもの。同じなら価格が安く、元祖のメンタームを購入しているのだ。

効能に「筋肉ロイマチス」とある。
ロイマチスとは、関節・筋肉・骨等に痛みや腫れを起こす病気の総称で、主に関節リウマチのこと。
効いているのか効いていないのか良くわからないが悪くはなかろう。

歩けるからと、少し無理をして歩いてしまうと腫れが増してくる感じがする。
腫れが増すと関節や筋肉が圧迫されるのか歩きづらくなる。
ようするにまだ無理は禁物というわけである。

血行が良くなると聞いたのでお酒はほんの少しだけ飲むようにしている。
日本酒にして半合(90cc)程度。そんな酒でも酔いが回るようになった。

   女房に半合を「五勺(しゃく)」と言ったら通じなかった。
   十勺は一合、十合は一升、十升は一斗(と)、十斗は一石である。  

今夜の長正館の剣道稽古は顔だけ出して帰るつもり。
頼まれていた「井上先生の写真集」を日下部さんに手渡すのが主な用事だ。





今のところ、活動再開は来年から。
焦るのは禁物。そう言い聞かせてる毎日である。






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新型コロナ+蜂窩織炎(ほうかしきえん) 途中経過(11月28日)

2022年11月28日 | つれづれ
22日の夕方に女房のコロナ陽性が判明した。

私は22日は何とも無かった。が、23日に朝から違和感を感じた。
咽喉が少し痛い。熱は微熱。これは駄目だと26日の忘年会をキャンセルすることにした。

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23日の夜から猛烈に咽喉が痛み出した。咳は出ないが唾を飲み込むのも痛い。
こんな痛みは生まれて初めてである。
トローチを口に含んで(上唇の内側に入れておく)マスクを2重にして寝たがまったく効かない。
まともにうつったようだ。検査しないでもわかる。咽喉の痛みはまったく陽性の女房と同じだ。

買い物に行けないので冷蔵庫の中のものでしばらく暮らすしかない。

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24日に非接触型の簡易体温計で体温を測定した。
36.2度・・・こんなものか・・・でもしんどい。



25日に身体じゅうがダルくて節々が痛いので非接触型の簡易体温計で測ると36.7度。
そんなハズは無い。もっと高いハズ。

で、脇の下に挟む電子体温計で測り直し。
37.7度。こんなものか?いやもっと高いハズ。意識がボ~としているもの。



昔買った水銀体温計を探し出し、舌の下に差し込み測ってみた。38.1度。まあ、こんなものか。
ともかく咽喉が痛い。うがいをしてもダメ、市販の咽喉スプレーをしてもダメ。

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26日、27日はほとんど寝てた。
体温計と同じく、昔買った年代物のスチーム吸入器を棚の奥から探し出し朝、昼、晩と使用した。
食塩水の蒸気を咽喉にスチーム噴霧する器械だ。あるのを思い出して良かった。
これは本当に効くと思う。即効性も持続性もある。


(いつ買ったのか憶えていない、コンビの電子吸入器 AJ型)

27日の午後から咽喉の痛みがやっと取れてきた。
咳はまだ出る。熱は無い。

検査してないがコロナだったんだと思う。
やれやれ。。。泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目である。
先にかかった女房はもうケロッとしている。

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28日、月曜日。見た目は16日とほとんど変わりなし・・いやマシになった。
ふくらはぎの凹みは靴下を脱いだ跡。それだけ浮腫み(むくみ)があるというわけ。

突き刺すような痺れるようなジンジンする痛みは無くなってきた。
しかし関節が痛い。足先が腫れぼったいような気がする。
まだまだ完治までは程遠いようだ。

ジンジン痛みが無くなってきたのがともかくありがたい。
慢性的な寝不足から解放されると思うからだ。
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蜂窩織炎(ほうかしきえん) 途中経過(11月16日)

2022年11月16日 | つれづれ


7日の写真よりは少しはマシかも知れない。
気持ち程度か・・・

少し良くなったかな?と思ったら、翌日はまた痛みが増したり、
調子が良くなって来たかも・・・と思ったらすぐ痛み出したり。。。

一進一退が続いている。
週単位だと良くはなっているようだがじれったい。

ともかく腫れが引かないのだ。
痛み出したのが10月12日だから、もう一ヶ月以上経つ。
くるぶしの関節が痛いので歩行が困難である。曲げたら痛い。
階段の上りはまだマシ。下りは痛い。

最初は痛風だと思ったので、3日、長くても一週間と見ていた。
ところがもう一ヶ月以上だ。一ヶ月間も腫れて痛いのだ。

今夜も稽古に顔だけ出そうかと思ったが止めた。
右足の腫れぼったい痛み、じんじんと熱を持つ感じが止まらない。

医者に行こうかと思ったが、水曜日は往診日で診察はしてないことに今気づいた。
眠りが浅いのか、日中もボンヤリしている。思考力も低下しているかもしれない。

思考が低下しているのに、稽古記録を9月から書いていないのが気にかかり、
9月5日~10月12日分の「最近の稽古あれこれ」を書きこんだ。
日数が経っているし間違っているかも知れない。

あ々、早く良くならないかなあ・・・
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蜂窩織炎(ほうかしきえん) 途中経過(11月7日)

2022年11月07日 | つれづれ


マシになったとはいえ、まだまだ右足は腫れている。

抗生物質の点滴治療を中止し飲み薬に切り替えた。
切り替えた途端に治る速度も遅くなった。

5日の稽古には顔だけ出そうと思っていたが一昨日より痛みは強い。
医者はともかく「安静に」というだけで寝てるしかない。

いや眠れない。横になると右足はザワザワ痛んで眠れたものでは無い。
寝ているのか起きているのかわからぬままに朝を迎える。
そのせいか日中はぼんやりしている。

まあしかし右足が床に着けるようになったのはありがたいものだ。
片足が着けぬと、杖では無理で、松葉杖を使うからだ。
松葉杖では何も出来ない。にわか松葉では両手が使えない。

何も出来ないことは無いが、物が落ちてもそのまま。
片付けも出来ないので仕事場はおそろしく乱雑なありさまだ。

右足を痛めただけで何も出来なくなる事がわかった。
治りが遅いのは年のせいなのだろう。

まあしかし足が着けるようになり、取りあえず歩けるようになった。
足の踏み場も無かった仕事場も、少しずつだか片付けを始めた。

稽古はまだ無理。月末の一刀流、そして12月の生駒の稽古会の忘年会は行きたい。
酒は飲まないと決めている。いや一杯だけ飲むかも知れない。
一杯以上飲んだら人間失格である。

もう少し痛みも治まり、ぐっすり眠れるようになったら良くなると思う。
眠りは大事だ。これほど健康を意識した事など今まで無かった。

抗生物質は数日で切れる。
あまり飲み過ぎるものでも無いらしい。

酒末に医者の診察を受ける予定である。
それまでに少しは良くなる事を願っている。
「いやあ、良くなりましたよ!」と笑顔で診察室に入りたいものだ。

もどかしい毎日が続くが仕方が無い。
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蜂窩織炎(ほうかしきえん)の恐ろしさ

2022年10月26日 | つれづれ
兵庫医科大学病院PRESENTSより
https://www.hosp.hyo-med.ac.jp/disease_guide/detail/164
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蜂窩織炎は、皮膚と皮下の脂肪組織に生じる細菌感染症です。

【原因・症状】
皮膚が赤く腫れて熱感や痛みを伴います。
下肢に最も多く見られますが、体のどの部分にも生じます。

感染部の皮膚は熱をもって腫れ、全身の発熱や悪寒を伴って重症となることもあります。
原因となる細菌には多くの種類があります。

ブドウ球菌とレンサ球菌が一般的ですが、他にも大腸菌や緑膿菌などの多くの細菌が蜂窩織炎の原因となります。
また、最近は抗菌薬に対して耐性を示すブドウ球菌による蜂窩織炎が増えており、
病院や介護施設で抵抗力が弱った人に感染しやすいと言われています。

細菌は、通常ひっかき傷や刺し傷、手術、熱傷、真菌感染症(水虫)などによって
できた小さな傷から侵入しますが、傷のない正常な皮膚にも起こることがあり、
糖尿病やステロイド治療など、免疫を低下させる要因があると重篤化しやすくなります。
また、リンパ浮腫などで下肢がむくむ人は蜂窩織炎になりやすくなります。


Medical Note (医師・病院と患者をつなぐ医療検索サイト)
https://medicalnote.jp/

蜂窩織炎は放っておくと重症化することがあります。
重症化ケースではまれに菌血症や壊死性筋膜炎などから敗血症が生じることがあり、
敗血症にかかると臓器などに機能不全が生じて、場合によってはショックを起こして命を落とすケースもあります。

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CRP値(血液中に蛋白質の一種であるC-リアクディブ・プロテインの値)が、
19日に23.91の高異常値、いまは9.13。

それでも標準は0.14以下(0.3という文献あり)だから、
30~65倍の異常値であることには間違いない。

朝晩2回の抗生物質の点滴治療によって改善しているが、
医者の言うには、肝臓の負担が高く、続け過ぎるのも良くないとか。

数値はまだまだ高いけれど、25日26日と点滴を中止して、27日に様子を見ましょう。

そう言われて、ともかく仕事の合い間は横になり安静状態。
自宅でも夜の8時半にはベッドにもぐりこんで寝ている状態。
いや寝てはいない。右足は痛痒いの痛み95%痒み5%、それに痛風の関節痛で眠れない。
動かすと痛い痛い。慢性的な寝不足で、起きていてもボ~としている。

車の運転は何とか出来る。
ただし急ブレーキは自信が無い。
車間距離、速度、安全確認には普段の数倍気を使う。

稽古は無理。当分無理。

昨日、東京行き(禮楽堂での研修会)のお断りの電話を入れた。
27日の飲み会(ホワード株式会社の仲の良かった者だけの集まり)も断った。
飲み会と言っても酒を飲む気はまったくない。酒は止めるつもりだ。
飲んでも適量で止める。こんな思いは二度としたくは無い。

怖いのは抗生物質の長期投与である。
昨日、同じ病の剣道の大先輩に聞いた話だと、
抗生物質の長期投与で、あらゆる菌に対する耐性が無くなるのだという。
治ったと思ったらまた別の菌が新たに侵入して症状がぶり返すのだという。



これは25日の撮影。ヒドイ時はこんな感じ。
ふくらはぎまでパンパンに腫れているのだ。
いま(26日)はこれより少しマシかな?と思う。

気持ちが良いのでコールドスプレーで冷やしていたけれど、
カブレたのか痛み痒みが激しくなり、今はネット包帯を被せて、ときどき霧吹きで湿らせて熱を冷ましている。

怖いのは、悪化して、合併症にかかって足を切断する例もあると聞く。
そうなりゃ剣道も剣術も仕事もバイクも何もかも出来なくなってしまう。

ともかく安静である。それしかしようが無い。

稽古のし過ぎ。酒の飲み過ぎ。睡眠不足。水分不足。
いろんな事が原因で、複合的に免疫が落ちていたんだと思う。

さきほど「漢方調べてみたら?」って電話で三重の岡田さんからアドバイス有り。
漢方はあとで調べてみよう。他にも良さげな事は調べてみよう。
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