40年程前ある相続登記の申請で会津若松に行きました。
当時の交通は今ほど利便ではなかった。
登記を翌日にしてもらう為、そのお宅に一泊させていただきました。
大変お世話になったのに、その後お礼にも行かずじまいになっておりました。
その時は豪雪であたり一面雪。
気色というものがありませんでした。
今となっては場所すら分かりません。
記憶にあるのは飯盛山の入口だということ、地名が一箕町の滝沢か牛ヶ墓。
そして大きな農家だった。
このように前から気がかりになっていたので、先月、会津に行くことにした。
高速道を下りて飯盛山をめざしました。
下山途中「さざえ堂」という江戸時代中期の仏堂がありました。
上り下りが、螺旋状になっていて同じところを通らずに見物できる世界的にも珍しい建物で、天才的な創造性はダビンチにつながるとか。
さて、訪問先はと、参道入口の会津絵ろうそく屋に尋ねた。
狭い町内のこと、おおよその位置がわかった。
当時のおもかげをたよりに表札を一軒一軒見て捜しあてました。
奥様は既にお亡くなりになり、残念でしたが、非礼をお詫びし一時でしたが、昔話で盛り上がりました。
帰りに難攻不落といわれた鶴ヶ城へ、戊辰戦争での白虎隊や籠城婦人・娘子軍のことは皆さんご存知のことでしょう。
2013年大河ドラマは「八重の桜」。
主人公は明治の時代にあって先進的な会津ゆかりの女性新島八重のこと。
詳細はNHKホームページで。
はじめて鶴ヶ城を見学しましたが、会津若松は歴史を感じる物は仙台の比ではありません。
特に若松城1874年の取毀しから90年後に市民の力で天守閣を再現したことに会津の力を感じました。