昨年、キューピーの大叔母が亡くなった。
満101才だった。
その死顔は新婚初夜の処女の花嫁のように、
清らかで、美しく、可愛くて、
僕は秘かに感動した。
「あの世のことはよくわかりませんが、どうかよろしくお願いします。」
とその花嫁は神様に語っていた。
晩年は寝たきりで、認知症が進み、目も見えず、耳もよく聴こえなかった。
女学校の教師をしていたことがあるので、
「○○先生、○○先生」と老健の職員さんに励まされて生きていた。
暖かなまなざしに見守られて、
大叔母は天寿を余すところなく全うした。
その兄、すなわち僕の祖父も95才まで長生きした。
こちらは、肉体はしゃんとしていたが、認知症がひどかった。
糞尿を撒き散らし、夜中に徘徊しては隣近所に迷惑をかけ、
介護に当たったうちの両親や父の姉妹を
さんざんてこずらせた。
だが、その死顔は清清しかった。
僕はこの兄妹の死に様(生き様)から、人生の貴重な教訓を学んだ。
それは、たとえどんなに辛くとも、苦しくとも、
どんなにみっともなくとも、恥さらしであろうが、迷惑をかけようが、
とにかく、行き続けることの大切さ、ありがたさ。
たとえ目が見えず、耳が聴こえず体が不自由で、
自分がどこの誰やらわからなくても、
生きる喜びはそんな生活の中にも、わずかながらではあっても
確かに存在していたのだと気付かせてくれた。
し~か~る~に~である。
この映画はキューピーの大嫌いな武士道の映画である。
いかに死に様を輝かせるか、という映画である。
主君の恩に報いるために死んでいくのである。
職業を失うことや、愛する人を失うことは、
一種の人生の終わりであるが、
次にはまた別の人生が拓けるのである。
その人生が終わっても、先にはさらに別の人生が…。
人間とは何度も再生する生き物なのである。
「武士道とは、犬死とみたり」
死神とは長いお付き合いのキューピーが言うんだから間違いないって。
満101才だった。
その死顔は新婚初夜の処女の花嫁のように、
清らかで、美しく、可愛くて、
僕は秘かに感動した。
「あの世のことはよくわかりませんが、どうかよろしくお願いします。」
とその花嫁は神様に語っていた。
晩年は寝たきりで、認知症が進み、目も見えず、耳もよく聴こえなかった。
女学校の教師をしていたことがあるので、
「○○先生、○○先生」と老健の職員さんに励まされて生きていた。
暖かなまなざしに見守られて、
大叔母は天寿を余すところなく全うした。
その兄、すなわち僕の祖父も95才まで長生きした。
こちらは、肉体はしゃんとしていたが、認知症がひどかった。
糞尿を撒き散らし、夜中に徘徊しては隣近所に迷惑をかけ、
介護に当たったうちの両親や父の姉妹を
さんざんてこずらせた。
だが、その死顔は清清しかった。
僕はこの兄妹の死に様(生き様)から、人生の貴重な教訓を学んだ。
それは、たとえどんなに辛くとも、苦しくとも、
どんなにみっともなくとも、恥さらしであろうが、迷惑をかけようが、
とにかく、行き続けることの大切さ、ありがたさ。
たとえ目が見えず、耳が聴こえず体が不自由で、
自分がどこの誰やらわからなくても、
生きる喜びはそんな生活の中にも、わずかながらではあっても
確かに存在していたのだと気付かせてくれた。
し~か~る~に~である。
この映画はキューピーの大嫌いな武士道の映画である。
いかに死に様を輝かせるか、という映画である。
主君の恩に報いるために死んでいくのである。
職業を失うことや、愛する人を失うことは、
一種の人生の終わりであるが、
次にはまた別の人生が拓けるのである。
その人生が終わっても、先にはさらに別の人生が…。
人間とは何度も再生する生き物なのである。
「武士道とは、犬死とみたり」
死神とは長いお付き合いのキューピーが言うんだから間違いないって。
ちょくちょく覗かせてもらいますんでよろしくです。
いえいえ、お世話になっているのはこちらのほうです。これからも、よろしくお願いします。