キューピーヘアーのたらたら日記

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PEACE BED アメリカ VS ジョン・レノン

2008-03-14 21:18:39 | は行の映画
日本で初めて新婚旅行をしたのは坂本竜馬だと聞いているが、

ジョン・レノンにも通じるところがあったのか、

ジョンはヨーコとの新婚旅行をとても強く望んでいたのだそうだ。


しかし、マスコミは彼がどこへ行こうと執拗に追いかけてきて、

その言動を大げさに、あるいは趣旨を捻じ曲げて報道する。

そこで、ジョンが取った奇策とは、新婚旅行とマスコミ対策の両立:

ホテルのベッドでヨーコといっしょに報道陣を招いて、インタヴューに応じるというもの。

しかも、ベッドの後ろには大きく"PEACE BED"と書かれた紙を貼って。


ジョンはアムステルダムのベッド上で報道陣に「GIVE PEACE A CHANCE」を披露。

やがてその歌は、ホワイトハウスの前に集結した数万人の若者によって大合唱されることに。

そして、ジョンが擁護した政治犯(急進活動家)が釈放されることになると、

権力者たちは脅威を感じ、ジョンを敵害視するようになる。

もし、ニクソンが自分の政敵をリストアップしていたなら、

ジョンは必ず上位にランクインしていたであろうと、当時の関係者は語る。

当局はビザの期限切れを理由にジョンに国外退去を命じる。

過去の麻薬所持による逮捕歴がビザを再発行しない理由なんだとか…。

これは、裁判になり上告に次ぐ上告で、

とうとうジョンは念願のグリーンカードを手にする。


ちょうどその頃、ショーンが誕生し、ジョンは

6年もの間、育児休暇をとる。

満面の幸せそうな笑みを浮かべ、ショーンをおんぶする映像。

僕はこの、幸せモード全開のオーラにジョン・レノンの本質を見たような気がした。

ジョンはまさしく"愛"を体現した人だったんだ。


その後、音楽活動を再開した矢先、

4発の凶弾が彼を永遠に我々から遠ざけてしまった。

生前ジョンは親しい人にこう語っていたと言う。

「自分かヨーコにもしものことが起こったら、それは事故ではない」と…。


ヨーコは映画の最後にこう語る。

「誰もジョンを葬り去ることはできなかった。

 なぜなら、ジョンの残したメッセージは、今尚生き続けているのだから。」

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