キューピーヘアーのたらたら日記

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ヨコハマメリー

2007-02-18 00:06:03 | やらわ行の映画
いろんな人に観てもらいたいドキュメンタリー映画。


終戦直後、横須賀、ドブ板道りに"皇后陛下"と呼ばれる

パンパンがいた。

気位の高い娼婦で、将校クラスしか相手にしなかった。

評判を聞きつけわざわざ会いに来る米兵もいたという。

1961年、彼女は商売の場所を横浜、伊勢佐木町に変えた。

以来、1995年12月18日に姿をくらますまで、50年もの間

ずっと娼婦を続けた。


74歳である。

顔は歌舞伎役者のように真っ白。

まぶたはアイシャドーで真っ黒。

手には白い手袋、袖口と手袋の間の腕にもおしろい。

ドレスも真っ白。

背骨は曲がっていて、実際の年よりふけて見える。

身の回りのものをつめた大きなバッグを引きずって、

繁華街の人ごみの中をヨタヨタと歩く。

ねぐらはGMビルの廊下の長椅子。

売春容疑で捕まっても、

支援者に言わせると

「GMビルより留置所のほうが安心して眠れるだろうに、、。」

遠まわしに言おうが、はっきり言おうが、

ぶわっけもんはぶわっけもんである。

こんな得体の知れないぶわっけもんに追いかけられたら、

チ○コも凍りつく。



もう一人の主人公は、永登元次郎というゲイのシャンソン歌手である。

末期癌が全身に転移していて余命いくばくも無い。

若い頃は男娼もしていて、

そのことがメリーさんに声をかけるきっかけになった。

彼は7歳のときに終戦をむかえた。

父親はおらず、母が女手一つで育ててくれた。

彼が思春期の頃、水商売をしていた母に恋人ができた。

多感だった彼は母に対して「パンパン!」と罵声を浴びせ、

そのことがずっと心の傷になっていた。


ある時、「私はパンパンをやっていたものだから、、、。」

というメリーさんの言葉が、永登さんの胸に突き刺さった。

もし、メリーさんが自分の母親だったとしたら、

このまま放っておくことができるだろうか?

そう、思ったそうである。

「今、何が欲しい?」永登さんが尋ねると、

「私、滞在するお部屋が欲しいの。」

そこで福祉事務所に掛け合うが、

住所不定ということで生活保護が受けられない。



ヨコハマメリーを知るたくさんの人が

このドキュメンタリーに登場するが、

唯一、身分と本名を明かしていない人物がいる。

女性である。

メリーさんの実家と連絡を取り、

彼女が故郷に帰るだんどりをして、

列車の切符の予約までしたという人物である。

そんなことができる身分は一つしかない。

福祉事務所職員である。

何度も言うが、一人だけ名のっていない。

おそらく、この映画が公開され、とーぜん出てくる

「福祉事務所は何をやってたんだ!」

という批判から逃れるためだろう。



この映画、いろんな人がいろんな見方をするだろう。

ある人にとっては、ヨコハマメリーは敗戦のモニュメントかもしれない。

またある人は、女性の人権問題として観るかもしれない。

福祉行政の至らなさをあげる人もいるだろう。


とにかく、いろんな人に観てもらいたい映画です。


最後に、メリーさんの素顔はとっても綺麗でした。

さっきは"ぶわっけもん"なんて言ってしまってごめんなさい。

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