私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

権而<タバカリテ>どうした???

2020-01-16 11:14:24 | 日記
 忍熊命<オシクマノミコト>(仲哀天皇の第2皇子)は、兄「香阪命」の死後も尚、神功皇后の軍勢と山城の国で相まみえ戦います。その時、皇后の軍の将軍“建振熊<タケフルクマ>命”は相手の軍勢に油断を与える、噂をその辺り一帯にふりまきます。

        “権而<タバカリテ>”

 です。
 「オキナガタラシヒメの命は既に亡くなられました。これ以上戦いをしても無駄です。」
 と、兵の持つ弓を切って
      “欺陽帰服<イツハリテ マツロヒス>
 かりそめの降伏をします。
 その謀りを真に受けた忍熊命は安心しきったのでしょうか自分の軍勢の武装を解除してしまいます。それを見越して皇后の軍隊は、兵隊の頭の中に隠しておいた弦を取り出し、密かに再武装をして、敵の軍を急襲します。急を衝かれた忍熊命の軍は敗れ、逢坂まで落ちのび、そこでの戦いにも敗れ。琵琶湖にまで逃げ落ちるも、此処が最期の地だと思われて歌を詠んで、海に身を投げて死んでしまいます。
 
 これが太古の我が国の戦いの模様ですです。武器の主流が弓矢だということが分かりますが、それ以上に、その主流たる武器である弓矢を、どのように相手に使わせ無いようにするかが勝利のカギになるのです。相手を如何にだますかという心理的作戦が戦勝の重要なカギになたのではないでしょうか????
 しかし、この戦いがどうしてそのような単純な思いによる軽々しい戦いになったのかはわかりませんが、余程、忍熊命の作戦指令の拙さがあったのでしょうか、作戦的な欠陥があったのでしょうか、将軍に頭の良さの表れでしょうか、兎に角、文章的には、まこと稚拙な単純な作戦と思われるのですが、その時間的な経緯を見れば、相当激しい戦いになったことには違いありません、どちらも仲哀天皇の御子です。地勢的な観点からみると、はるかに大和にいた御子「忍熊命」の方に利がありそうなのですが????