私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

“宮柱布斗斯理”についての解釈の孤軍奮闘の巻

2018-09-08 07:39:07 | 日記
 オホクニの言われた「登陀流<トダル>」や「御巣<ミス>」については宣長先生のお蔭で、どうにか、その真髄までは行かないにしても、意味することは大体理解でき、やれやれと思っ瞬間ですが、続いて書かれている

            “底津石根宮柱布斗斯理”

 に、またまた「こりゃなんじゃら」と驚くやら、困ってしまうやらです。此処にある“斯理<しり>”とは何でしょうか。宣長先生の説明は、ここでは何もありません。残念ですが解説は皆無です。どうしてこんな意味の分からないへんてこりんな言葉の解説が無いのだろうか。この前の何処かに、既に、この言葉の説明があったから、改めてここて解説する必要がなかったので書いておられないのではと思ったのですが、何処にあったかは、とっくの昔に、忘却の彼方です。宣長先生の説がなかったならば、その意味する所を理解することは難しいのです。そこで、またまた、分厚い本を取り出して何処ぞにないか捜します。イザナギイザナミが家を建てたという記憶はありません。アマテラスの住まいする高天原にスサノウが尋ねて行った時にも、アマテラスの家について説明した場面はなかったように思えますが、再度、探しますがありません。致し方ありません、何処ぞにと、ランダムにページ捲り孤軍奮闘するも、容易くそんなもので見つけられるほどあまくはありません。そうこうしていると、天の助けでしょうか、オホクニが「須世理毘売」と一緒に逃避行して出雲の国に行った時に、確か、建物を建てたような文章があったのではないかと云う思いがして調べました。
 すると、感が的中してありました。そこまでに至りつくまでの時間は約1時間ほどでしょうか、そこにはちゃんと宣長先生のご丁寧なる説明が付いております。こんな苦労なる面白味も味わえた私の「古事記読破奮闘記」の1シーンです。 

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