昨日、「本居宣長は御冠<ミカガフリ>は上代にはなかったと云った。」と、書いたのですが、江戸後期頃の「上代の冠」について一般の人達はどのように思っていたのだろうか、その証拠となるものはないだろうか、と、私の本棚を捜してみました。そこに、又、私の自慢話なのですが、万延元年に発行された書物がデンと座っておりました。
“大日本国開闢由来記”
です。
この本は、又もですが、岡山県の図書館にはない本で、大変な貴重本です。!!!
この本の中には「伊草孫三郎国芳」の上代の神々の絵が彫りこまれております。そこに描かれている絵のどれを見ても、冠は見当たりません。
第1は「猿田彦大神」、2は大国主命、3は天児屋命と天押日命 4は神日本磐余彦(神武天皇)、5は日本武尊 6は少名彦命<スコナニコナノミコト> 7は大名持命<オオナモチナノミコト>です。
総て、美豆良<ミズラ>が頭の上に盛り上がり、これでは、到底、冠等付けられないのではと思い、このような絵ずらを宣長も想像して「御冠は使われていなかったのでは」と、書いたのではないかと想像しております。どうでしょうかね????。
「そげえなこたあ どうでもええでー」
と云わないで、ご批判を給わればと思います。ヨロシク・・・・・
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