私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

"冀暫還之、得省親歟"

2018-09-30 10:20:11 | 日記
             “冀暫還之、得省親歟”
    「ネガハクバ シバラク カヘリ カゾヲ トリミルコトヲ エムコトヲ}
 
 とあり、「親」に「カゾ」とルビを付けていますが、「カゾ」は古語では「父」のことで、兄媛の場合は、特に、故郷にいる母親のことだろうと思われますので、「カゾ」でなく、母親を意味する古語である「イロ」と読ました方がいいのではと思われますが、どうでしょうか?????

 そんなことはどうでもいいのですが、此の愁いを込めた愛妃をご覧になった「応神天皇」は、兄媛の

             “温清之情<オヤヲ オモウ ココロ>”

の篤いのをお聞きになり、早速、云います。

             “還欲定省、於理灼然”
     <カへリテ トリミルコトヲ オモフハ コトワリニオキテ イヤチコナリ”
 
 「故郷に帰って、暫らく合ってなかった親に孝養を尽くすのは人としての当り前のことだ。」
 と言われて、その願いをお許しななり、早速、淡路の三原の海人<アマ>80人を水手<カコ>として兄媛を吉備に送らせます。
 その場所が「私の町吉備津」だったのです。正確には、多分、その当時の吉備の津があった備中国都宇郡(現在の岡山市北区加茂付近)だったのではないかと思われます???

 「おっと・・・・それにしても、今、お前が書いてい膳夫<カシハデ>は何処へ行っていまったのですかか」と問われそうですが、前置きが多くて、そこまでに至っていない事をお詫び申し上げます。もう暫らくお待ちくださいね。

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