太安万侶の古事記に書かれた「序」に謂う
〝夫混元既凝”
はどこから来たのでしょうか???八世紀中頃には、既に、中国の当時の宇宙観について書かれた荘子の『淮南子』が日本に伝わっていたいたのでしょう、その宇宙論が古事記に反映されているのです。
この安万侶の謂う〝混元”については、江戸享保年間に出版された
「天経或問 天」
の最初にある「天地之原」の中に書かれています。
ここに見える〝古今謂天地始鴻洞揬昩”ですが、この「鴻洞揬昩」は辞書にもなく、どう読むのか、また、その意味も分かりませんが、准南子にあるような「有」も「無」もない、誠に得体のしれない、どろどろとして、あってないが如しの曖昧模糊として捕らえどころのない物だったのでしょうかね??? 宣長の謂う〝混元”{混沌}です。また、日本書紀の謂う〝渾沌如鶏子”です。
今迄はこんなことを考えたことはありませんでしたが、80を過ぎて読むとこんなことにも心を驚かす読み方ができるものなのですね。
〝夫混元既凝”
はどこから来たのでしょうか???八世紀中頃には、既に、中国の当時の宇宙観について書かれた荘子の『淮南子』が日本に伝わっていたいたのでしょう、その宇宙論が古事記に反映されているのです。
この安万侶の謂う〝混元”については、江戸享保年間に出版された
「天経或問 天」
の最初にある「天地之原」の中に書かれています。
ここに見える〝古今謂天地始鴻洞揬昩”ですが、この「鴻洞揬昩」は辞書にもなく、どう読むのか、また、その意味も分かりませんが、准南子にあるような「有」も「無」もない、誠に得体のしれない、どろどろとして、あってないが如しの曖昧模糊として捕らえどころのない物だったのでしょうかね??? 宣長の謂う〝混元”{混沌}です。また、日本書紀の謂う〝渾沌如鶏子”です。
今迄はこんなことを考えたことはありませんでしたが、80を過ぎて読むとこんなことにも心を驚かす読み方ができるものなのですね。
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