私の町吉備津

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神功皇后の「新羅」へ・・・(1)

2019-12-05 10:14:45 | 日記
 建内宿禰の神託によって神功皇后は、夫「仲哀天皇」と違って“新羅<シラギ>”の国へ征伐へ出でます。

 此の「新羅」は、先に、神より
   “西方有国。金銀為本。目之炎耀種々珍財多在其国。吾今帰賜其国”
 と、お告げのあった国です。ここに見られるように「西国有国」ですが、神功皇后の時には「西の国」ではなく「新羅」と云う国名は記されています。
 そこで、またまた、横道です。
 この“新羅”と云う朝鮮の国名が初めて我が国の歴史上に現れたのは何時頃からでしょうか???一説によりますと(「日韓古史断」等によりますと)
 「韓郷<カラクニ>の島あり、其の一部を素戔鳴尊が占領した新羅曾戸茂梨<シラギソシモリ>の所是なり。」
 とあり、神武以前の上古より、既に、大変豊かな国だして知られていたようです。

 その製造技術を知らなかった弥生後期以前の日本、そうです、「倭」では、農産物の生産手段や古墳などの土木事業の建設機材などの要でもある「鉄」などは、すべて、朝鮮半島から輸入して使われていたのです。その新羅などの朝鮮半島に一番近い九州や出雲地方が、日本では一番早くから開けた国になった原因があるのです。
 
 そんな二千年以前から深く係わった
    “目之炎耀種々珍財多在其国”
でもあった韓国と、速く、以前のような緊密な信頼関係が結ばれるようになってもらいたいものですね。

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