水穂の国に下りて行って「天若日子」に
“言趣和其国之荒振神等之者也。何至于八年不復奉”
<ソノクニノ アラブル カミドモヲ コトムケ ヤハセトナリ。ナゾ ヤトセニナルマデ カヘリゴト モウサザルト トヘト ノリタマヘキ”
「水穂の国の荒らぶる神達と話し合って、平和的に物事を進めて来なさいと命令したにもかかわらず、8年間もの間 アマテラスや私に、どうして、復命しないのか。訊ねて来なさいよ。」
と、思金神は雉名鳴女<キギシナナキメ>に命令します。
ここに見られるように、太古の日本でも、高天原でもです。「戦い」でなくて「話し合い」によって、まず物事は解決していたのです。そこら辺りの事情をあのトランプさへ知っていたのでしょうか???そうでなくて洋の東西を問わず人類が共通して以っていた平和思考だったのでしょうかね???我が社「吉備津神社」にお祭されている大吉備津彦も吉備の国の荒ぶる鬼等を天皇の支配に服するようにするために取った手段も、やはり、その最初の方法は
“言向和<コトムケ ヤハス>”
という何処までも話し合いによる平和的解決方法を試みたのです。
此の『言趣向』『言向』、どちらも<コトムケ ヤハス>、と読んでいますが、「言趣向」はやや消極的な平和交渉の傾向が見られます。それは天若日子は矢と弓を持って行ったのですから、どうしても和戦両様の準備をしていたのでしょうか???それが『言向』ではなく『言趣向』と言う言葉で書き現わされた所以ではないのでしょうか???このように古事記は読めば読むほどその深さに惹きつけられますよね。
“言趣和其国之荒振神等之者也。何至于八年不復奉”
<ソノクニノ アラブル カミドモヲ コトムケ ヤハセトナリ。ナゾ ヤトセニナルマデ カヘリゴト モウサザルト トヘト ノリタマヘキ”
「水穂の国の荒らぶる神達と話し合って、平和的に物事を進めて来なさいと命令したにもかかわらず、8年間もの間 アマテラスや私に、どうして、復命しないのか。訊ねて来なさいよ。」
と、思金神は雉名鳴女<キギシナナキメ>に命令します。
ここに見られるように、太古の日本でも、高天原でもです。「戦い」でなくて「話し合い」によって、まず物事は解決していたのです。そこら辺りの事情をあのトランプさへ知っていたのでしょうか???そうでなくて洋の東西を問わず人類が共通して以っていた平和思考だったのでしょうかね???我が社「吉備津神社」にお祭されている大吉備津彦も吉備の国の荒ぶる鬼等を天皇の支配に服するようにするために取った手段も、やはり、その最初の方法は
“言向和<コトムケ ヤハス>”
という何処までも話し合いによる平和的解決方法を試みたのです。
此の『言趣向』『言向』、どちらも<コトムケ ヤハス>、と読んでいますが、「言趣向」はやや消極的な平和交渉の傾向が見られます。それは天若日子は矢と弓を持って行ったのですから、どうしても和戦両様の準備をしていたのでしょうか???それが『言向』ではなく『言趣向』と言う言葉で書き現わされた所以ではないのでしょうか???このように古事記は読めば読むほどその深さに惹きつけられますよね。
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